漆に纏わる話 2017年版

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12月29日(金)

漆からかなり遠ざかっている感じの日々。
縄胎高坏の台(底)のガタは一応なくなる。
今日は裏側全体に薄めた汲漆を吸わせる。
拭き漆で仕上げた箸をしまうために和紙で袋を作る。


雪が積もったりして寒いし、道路も狭くなっているので、道を使う運動は休止中。
ペットボトルに水を入れて約10キロの重さにしたリュックサックを担いでスクワットを30回1セットでしている。
合計150回前後。
それでも若い頃より筋力は問題外に無い。

「新エロイーズ」は原書でやっと100ページを過ぎ、手紙56の訳が終わった。
tomberという単語の意味を確定するのに30分かかったり、どこかで引っかかると止まってしまうことが多い。
「落ちる」が普通の意味で、アダモのtomber la neige(雪は降る)とかtomber dans l'amour(fall in love)とか、、、
結局、「下火になる」という感じで使われていると分かる。

12月21日(木)

縄胎高坏の台がガラス板から外れてしまい、また歪んでしまった。
直す方法として、ガラス板の上に台を置き、浮いた分を埋めるべく、ガラス板の上から台の周りにラミー縄を巻きあげていくことぐらい。
ガタは直るが、裏から見れば、浮いた部分がそれまでの裏底と段になる欠陥がある。
実際にそのようにしているので、今日はその段をこくそで埋めた。
歪むことを念頭に、円錐台的な底(台)にしておくべきだったのだろう。

漆絵の真似事で色紙に漆で直接描いてみている。
下図なしに直接輪郭で姿を黒漆で描くと、ずれたり、はみ出たりとあまりうまくいかない。
顔や腕も、紙に漆が染み込んだりし、後日塗り重ねるのと艶が違ったりする。
5分も練らずに塗った色漆が乾かず、削ると色紙の紙が破れたり、、、
どうなる事か?
顔の前の失敗を隠すために、膠を少し混ぜて胡粉を塗ってみたが、汚い感じになる。
顔や腕が白漆と朱を混ぜたり、少し暈したりしたが、暗い感じになり、服を暗めの色にして明るく見えないかとやってみたり、、、

「新エロイーズ」の方は、手紙53まで訳し、手紙54にかかっている。
酒を飲みすぎて愚行をし、そこのあたりで飲むのをやめる、いやそうすれば別の問題がでてくるかも、、、
それにファンションの結婚が困難に直面しているとかいうのが展開し、また別の展開も絡んでくる感じ。

11月末から歯医者に通いだしている。
奥歯が痛む感じだったし、結局、根っこが残っていたのを取ってもらう。
1本に一時間ほどかかり(なかなか掴めないとのことで何回か歯を小分けにしたりしたので)、総入れ歯の人もこんなにかかって全部の歯を抜いてもらうのかと聞く。
総入れ歯の人は歯茎も弱くなっているので、すぐに抜けるとのこと。
右の奥歯のないところをいれてもらい、前歯のないところは挿し歯の予定。
この前抜てもらった左の奥歯跡は、固まってから入れてもらう予定。
今日は歯垢取り。下前歯の内側だけかと思っていたら、全部の歯が対象だった。
かなり色が明るくなった。

落選作が今日の午後やっと戻ってくる。
高台底のごまかしとか、懸け子の溜塗むらとかは分かってはいたが、そんなにひどいものとも思わないが、、、
富山支部展の情報が12月1日に本部のホームページに載ったが、受賞に何故か、どこかの部会展の賞が追加されていた。
一応ホームページ担当委員なので、すぐにその訂正願いを送信した。
昨日訂正が終わったと連絡がある。
見ると正しい賞名になっていた。

12月9日(土)

日の出が遅く、天候も悪いことが多いので、殆ど走らないようになってしまった。
今朝は予想外に晴れだした。
薄く氷結。

漆の方は、ラミー紐を左右交互撚りになった1本の縄で作っている縄胎高坏が主。
台部分が硝子板から剥がれて、少し歪んだので、また硝子板に貼り付け、そのままで作業を続けている。
素地的にはほぼ作業は終わっている。

「新エロイーズ」の方は、原書のp93で、意味が取れずかなり苦労している。
手紙52に入って、何となく読んだだけで思っていたことと、訳し始めてみる(辞書を繰り、単語の意味を書き出し、それから意味を取っていく)と。全然違っている。
断酒してから3日間を一応評価しているとは、原文だけ読んでいるときは全く思わなかった。
読者の立場からは、これだけ極端な反応を繰り返す人物が好みでないから、反対の意味と取ってしまうのだろう。
高校の時の英語のように、教科書の音読を繰り返し、ほぼ頭に入れていたような勉強をすれば、学力はつくのだろうが、根気がない。

11月16日(木)

風邪はずっと治らないまま。
軽くなったと思えば、また少し悪化を繰り返している。
一昨日は9日ぶりに少し走り、昨日も走る。
それでも回復しないが、熱はずっと無いまま。
気怠さがある。

漆の方は相変わらず熱中しない。
縄胎の台と脚の間に麻布を貼る。
台をラミー縄で作るとき、離型用にサランラップを硝子板に張り付けていたのだが、それが浮いた。
麻布で硝子板に固定(ラミー縄貼りの外部分)し、何とか歪みを防ごうとしてみている。
取り付け部分付近に中の太さのラミー縄を巻き、昨日はその付近を刻苧で埋める。
今日は麻布を脚の下付近から台まで貼る。
予定では布目を埋め、台の外から脚、そのまま上の部分の裏少しまでラミー縄を巻いていくことになる。
その時点で下のガラス板と分離すれば、一応、j縄胎素地まで出来ることになる。
「新エロイーズ」の方は、音楽の言葉による説明になり、苦労している。
絵画でも言葉による解説で見方を教えられることはある。
しかし、表現自体は絵を見るしかない。
感性で接近できないときのみ言葉による解説はヒントになるのだろう。

11月6日(月)

この3日ほど風邪気味。
9月に足に鈍痛があり、横になっても眠れないことがあってから、無理には走らないようになっている。
今朝も走らなかった。
一週間以上前になるが、10月31日の朝、幻想できな景色が現れた。

今は縄胎の仕事を始めている。
左右交互巻きの縄で高坏の上の皿と脚を作り、今日は脚と裏側を蚊帳で貼り合わせる。
脚はサランラップの芯を型にし、離型用に荷造用の麻縄を巻き付け、その上にラミー縄を巻きながら貼る。
荷造り用麻縄を引くとラミー縄も取れる感じなので、ただ巻いただけで接着していないサランラップの芯をプライヤーで回しながら引っ張って取り除く。
荷造り麻縄に灯油でうすめた生漆を吸わせる(固める)。

「新エロイーズ」は手紙46まで訳したが、意味が正確に取れないところが多い。
批判的なことを述べた後、それは別の見方をすれば、実はこうかもしれないと思いやるのがジュリィの手紙に多い。

この前の金曜日から今度の日曜日まで、アートハウスおやべで「小矢部作家展」と「富山県 今日の彫刻展」が開かれている。
昨日は昼過ぎまで会場当番。
熊谷さんの作品が優しく一番良いと思う。

10月16日(月)

動かないと寒い日。
土曜日には希望があり、コタツを出した。
「新エロイーズ」は手紙40で、手紙39の意味の取りづらかったところが分かった。
妾にしたいという金持ちが来たということだった。
手紙42まで訳したが、ノートの方がまだ埋まっていない。

乾漆の仕事をしているが、合い口の角が欠けたり、ガタガタだったりと手間取っている。
書類をファイルし、ついでに要項を見ると、あと10日ほどしかないと分かり、無理と分かる。
今まで11月中旬だったので、そのつもりでいた。
夕方、厚生センターから電話がある。
止めるというと、そうですかで終わり。
何故かという気持ちもわかないらしい。
どっちにしても、他人に依存していては、むなしくなるだけ。

10月13日(金)

今までは眠れなくてもそのまま寝転んでいたが、今日は目が冴えていたこともあるので、2時15分に起き、「新エロイーズ」の手紙40を黙読しだした。
3回ほど見ていくと、何となく感じが分かる気になる。
ところが、夕方辞書を片手に訳し始めると、かなり違っている。
引っ掛かった復活祭(Paques)に何かお金の負担があるかどうか、少し調べても全く分からない。
学位論文なんてものも、こういう小さいことを調べ上げれば成り立つ程度なのかもしれない、、、
小説としては、二人の間での聖と性の揺れ動きという普遍性から、社会性という広がりを持ち始めたともいえるかもしれない。

今年の5月にデンマークからおいでたラウス・スゴールさんのFBに自分が描いたのも載っていた。

作家とか芸術家とか、少なくとも自分の生き方とは別世界とは自覚できる。
自己評価の低い人間は他人への評価も低いというように、今優れているものはどこにかあるのか、、、

11日(水)、眼科へ半年ぶりに行く。
視野が問題の人間に、視野検査をすることを思いつかない医者。
特定疾患の病気の拡充に伴い、既存の指定疾患の補助削減で、申請しても手続きの料金だけがかかるようになったので、申請を止めると医者に話す。
治療法がないから難病に指定されるのだから、本来医療費はかかりようがないはず。
この矛盾の上に医療費補助は成り立っている。
実際今年の補助はゼロ。
申請しても次年度は何の補助もあり得ない、iPS細胞による治療のためと申請していたが、ばかばかしくなったというのが本音。

肝心の漆の方は、半日よりは余計にするようにはなっている。
先の事より今作っているのの作業優先である。
左目的には作品作りは無理(右目的には可)の続く限りの状態。
何をしたいのか自分でも分からないまま、、、

9月28日(木)

感想というのは書き残さないと消えてしまう感じがする。
9月に入って珍しく美術館巡りをしている。
1日(金)は富山県水墨美術館「イセコレクション屏風名作展」
金地という虚空間と絵がうまく溶け合う大観の丹頂鶴が苔むした松にのっているのが印象的だった。
加山又造「月光波濤」、月光では現実的には力強い波は見えないだろうが、表現としては素晴らしい感じがした。
以前、富山県立近代美術館の加山又造展で見たのと同じ作品のような、、、
板谷波山や後藤先生のも展示してあった。
3日(日)は高岡市美術館の「工芸の躍動」(東京国立近代美術館)
縁の幅が力強く見えるのや3点の脚で立っているのなど、、、
24日(日)は砺波市美術館「写真家・濱谷浩」、「工芸の秀作 十二町薫(染織)」
裏日本という纏めの写真は、外部から来た人の視点を感じさせた。
見知らなかったものを見るとき、その内部にある差異は見落とされるという印象。
孤立的傾向のある者はいなかったのだろうか。
写真集として展示してあった顔が写った胸まで浸かった田植えはインパクトがあった。
文化人というのも面白かった。
自分がどう写るか、その姿を自分が外から見るとどうかという意識で写っている感じのも。
6月15日に哀悼を人々が見せる後ろ姿、見たことのない表現。
作者がおられた染織展。
型染めという技法的なことはよく分からないが、同じような感じで徐々に変化していく線や色合い。
昔からシルクスクリーンというのも実際の作業を見たことがないのでよく分からないのと同じ感じ。
優しい感じのもよかったが、黒と白の対比が印象的で線と色の変化していっているのが一番良かった(DM)。
何でもやって特徴がないなどと語っておられたが、そんなことは無い。

足の調子がおかしくなった9月初めころから目覚まし時計を使わなくなっている。
かなり走らなかった日々もあるし、走る時間も減らしている。
明るくなれば大体起きるという感じだが、浅い眠りの日がほとんど。
今朝は雨だったので走らなかった。


漆の方は今日初めて黒漆で塗る。
だいぶ形ができているつもりでも、塗る前によく見るとまだ穴が残っていたり、、、
このところは半日以上は漆の仕事をしている。
問題は何一つ独自性というか、新しさというか、そういうものがないところにある。

「新エロイーズ」の方は、2日で1ページ強進むぐらいになっているが、意味の良く分からないところもある。
昨夜で手紙36まで翻訳し、今日の夕方アップロード。

9月15日(金)

水曜日に砺波市美術館での関係の礼状が何とか終わる。

先週の足の鈍痛・痺れは再発はしていない。
一応漢方薬は飲んでいる。
土曜夕に高岡駅改札口で待ち合わせ。
学会で来たという加藤君と45年ぶりぐらいで会う。
名古屋からも1か月振りに来てくれ、3人で飲む。
途中から記憶が亡くなったが、転倒したときに少し意識を回復。
デジカメで見ると、高岡で転んだらしい。
5時間ほど飲み続けていたようだ。
それでその日の大ニュースを知らないままだった。

転んだ怪我の方はサランラップを当てて、かなり回復してきた。

そういう訳で、ジョッギングを再開したのは今朝。
足に負担が無いように気を付ける。
新しいシューズで走るのも初めてだったが、快適かどうかは分からない。
徐々に回復していくしかない。

漆の方は、麻縄で作っている高台で裏の水平を作り、それに合わせるように裏底の面の歪みを直そうとしている。
縄目を埋めたり、段を埋めたりしているところ。
こくそなので、かなり厚めの盛り付けになっている。

「新エロイーズ」の方は、家にいることが多くなり、2日で1ページを訳すぐらいになっている。
queなど、基本的な語の使い方がなかなか掴めない。
手紙のやり取りだけで、身分差をどうするのか、今とは違うので、予想もできない。

9月8日(金)

砺波市美術館での礼状の住所を調べるためにいろいろの名簿や電話帳を使ったが、新しいのを持っていないので、分からないのも多かった。
多すぎたのでパソコン入力。
文面もパソコンとなる。
一週間以上たってやっと印刷にかかることができた。
その他お礼の事もあり、あまり漆をしない日々がずっと続いている。
月曜には芸文報の配布もあり、自転車で正得を回る。
それから足に鈍痛が走るようになり、どんな向きに横になっても痛みに悩まされる状態になる。
不眠症とは違い、眠れないことではなく、痛みに苦しむ。
午前2時頃やっと眠っていたり、耐えきれず水曜午後に病院へ行く。
歩くのは多少痛い感じはあっても何とかなるのに、動かないと痛みが強まる。
症状を話した時は感染症の恐れがある可能性を言われたが、検査の結果正常とのこと。
漢方薬を飲むことになったが、寝るときの痛みはひどいまま。
午前になって治まっている感じ。
今夜は何となく大丈夫そう???
検査の結果でショックだったのは、血管年齢が自分と同じと出たこと。
元々からだが固いので、その所為もあるだろうが、、、
血管は詰まっていない。

8月27日(日)

今日で1か月半ほど続いた「工芸の秀作 砂田正博(漆芸)」が終わった。
入場者数が2500人を超えているはずだが、殆どが「創画会70周年記念展」の流れの(そのチケットで入場できる)おかげである。
芳名録が優に300を超えているのもそのおかげだった。(400近い)
自分の関係は盆あたりから中学の同級生が増えだし、3日がほど前から漆芸関係が増えだした。
昨日は輪島からJ先生がおいでふっくら感がほしいなどと話してもらう。
小矢部や正得での不人気(つまり地元)は予想を超えている。(招待印で入場無料)
わざわざ入場料を払って来てくれる人も多いので、自分の人を見る目のなさを痛感している。
逆に言えば、見知らぬ人との出会いも多く、今後どう展開していくかもわからない。
商売抜きの展覧会でのこの不人気は、販売目的の個展はありえないことを示唆する。
来春のアートハウスおやべの個展は約束なのでするとして、それ以外個展はしない。
後ろ姿だけだがこんな光景もあった美術館主催の個展でした。
後で抱っこしてあげる機会があり、にこにこしてくれる。

8月21日(月)

長いと思っていた砺波市美術館の「工芸の秀作 砂田正博(漆芸)」も後6日だけになった。
初日に2人の後、1か月間誰も来なかった砺波北部中学の同級生も盆頃から増えだした。
17日には10人が集まり、通常はしない作品の内側を一部の人に見せ、持ってもらったりした。(展示しなかった食籠)
展示品も目の前なので持ってもらったりした。

親戚関係はだいぶ見に来てくれたが、既知の関係は非常に少ない。
招待印の送り先が根本的に間違っていたという事で、入場料を払ってまで来てくれた人に申し訳ない。
芳名録は2冊目もかなり埋まってきているし、創画会からの入場者も続いている。
こうした出会いを大切にするしかない。

8月10日(木)

8月8日は台風5号の通過で入場者は少ないだろうと砺波市美術館へは行かなかった。
昨日聞いたところでは一日に9名だったとのこと。
午後の一時半過ぎに名古屋から服部氏が到着。
丁度何組かの来場者があり、対応に追われる。
一緒に行こうかと思っていたが、一人で城端線で行くと出かけて行った。
夕方にまた戻ってきて、チューリップ公園を横切り、砺波駅前へ。
生ビール大瓶と焼酎1本を、こちらがかなり少なめだったが、1時間半ほどで開ける。
イルカ交通のバスに乗るのを見送り、結局こちらは約5キロを歩いて帰宅。
今朝はやや二日酔いで美術館まで送ってもらう。
親戚からぽつぽつと来訪が続き、光男さんが来る。
昨日顔を出すと言っていた堀田先生がやっと来られる。
量として迫ってくるものがあるかどうかで観るとのことだった。
家山君もやってきて、以前制作中のを見たのを一番良いと言っていた。
ハリリコレクションの柴田是真の、今朝貸した図録を夕にはもう返しに来られる。
自分らの年代と若者たちの知っている画家はかなり違い、共通するのはゴッホとフェルメールくらいらしい。
井上靖と石動の関係の話で、大村先生が最後は旭川東高校の先生になり、35年ぶりぐらいで井上靖と旭川で再会したとインターネットにあった話をする。
芳名録に「札幌 小島・・」とある人がその高校の校長をしていたなどと話す。

九日に美術館に行くと、貸していた3冊の図録とともに新聞のコピーが置いてあった。
7月の20日頃の取材が8月8日の北日本新聞に載ったようだ。

8月3日(木)

砺波市美術館での「工芸の秀作 砂田正博(漆芸)」は、会期が約1/3過ぎた。
「創画会70周年記念展」の入場券でそのまま入場できるので、芳名録もかなり埋まる。
1000人前後と信じられないくらいで、ほとんど無名の自分にしては思いがけない出会いも多い。
逆に自分の知り合いの入場者は数十人ほど。
冷房の効いた会場で暇なら「新エロイーズ」を読んでいる。
原書だけでも多少の意味が分かることもあるくらいにはなった。

7月21日(金)

15日(土)から砺波市美術館での「工芸の秀作 砂田正博(漆芸)」が、「創画会70周年記念展」と同時に始まる。
初日は上村淳之先生のギャラリートークがあり、実空間と虚空間という難しい話だったが、真実が虚空間に必要という事かと思った。
模様ではなく、象徴という生命が必要らしい。
花鳥画の大切さ、スケッチを3か月熟成させる、、、
日曜日はわざわざ敦賀から来てもらいありがたかった。
創るという事からいえば、皆ライバルともいえる(加賀谷先生のパクリですが、、、)。
加賀谷先生からは、まず形(自分で考え抜いた)、それにシンプルな色、絵は不要。
日本画・洋画の区別はおかしい、世界で通用するためにはで勝負するしかない。
親戚の老夫婦も来場され、ユックリとしていかれた。

海の日には知人がかなり来場される。
昔長々とよくしゃべっていた人も久し振りに長話。
火曜日には寺の夫婦、喜んでもらえ、翌朝に花が届いていた。
今日までの一週間に山梨県とか宝塚市とかの記帳もあり、自分関係の入場者が20名ぐらいなのに芳名録はすごく埋まっていく。
創画会の流れのおかげである。

6月28日(水)

19日(月)の朝は、全く走れなくなっていて、歩くより遅いくらいだった。
それより少しましな程度の走りが1週間ほど続く。
日曜からやっと前の感じに戻り、高岡ボールパークまで走ることができた。
15日夕に叔母が亡くなり、その間の事と風邪をひいたことで疲れにつながったのだろう。
その1週間後には、高校3年の担任だった先生の逝去が新聞に載っていた。
砺波市美術館での工芸の秀作の案内を出すつもりだった。
数年前に再会したときに制作関係の話をしていた。

土曜日夕に美術館よりDM500枚を届けに来て頂く。
日曜午前の小矢部市展の開会式・講評関係の後、ちょっと見舞いに寄り、午後から宛名シール貼り。
大きすぎ、ハサミで切りながら貼ると夕までかかり、その記録をつけるため、住所録を印刷したり、、、
月曜に350枚ほどを郵便局に持っていき、郵送を頼む。

「新エロイーズ」は、p59の手紙29までを訳し終える。
この手紙の最初の方で、文章の読み違えをしていた。
tu viendrais trop tard. (あなたが戻るのは遅すぎになるでしょう)が
tu vas trop loin. (あなたは遠すぎるところへ行く)と、時制関係を無視して勝手に見えたらしい。
どっちにしても、戻るのに不都合となり、「留まって」となっても意味は通じる。

6月8日(木)

スピードは全く上がらないとはいえ、90分前後走るようになっていた。
昨朝も少し東へ膨らんで福岡町まで走り、福岡小学校のところで左折し、岸渡川沿いを進んでいた。
ここまで約1時間だろう、歩道のカーブを曲がったつもりが、そこに歩道がなく、段差で転倒。
メガネが壊れたかと手に取ってみると、無事だった。
左頬は痛いが、触ってみても出血は無さそう。
左手首近くに多少の出血の傷があるだけかも?
走ると出血が進むだろうこともあるし、走る気をなくし、歩いて45分ほどで家に戻る。
毎朝、誰かとすれ違うはずだが、何故か誰とも会わず、顔の状態がどうか分からない。
転倒時も町中なのに車も通らず、人影もなかった。
帰宅後、鏡を見ると左頬と顎に出血寸前の腫れ。
左肘は帰り道でもうずいていた。
今朝からは暫く休止となる。

一昨日は西高岡近くの高岡ボールパークを目指して、田んぼ道をジグザグしながら走る。
周囲は快適なジョッギングコースになっていた。
今朝のBSプレミアムの「こころ旅」(火野正平)はそのボールパーク内から始まっていた。
横越からまっすぐ来れば家からはそんなに遠くはないし、今夜の放送の毘沙門杉あたりもそんなに遠くはない。
火曜日の宮島峡の一ノ滝。昨日は石動駅や城光寺あたり。

「新エロイーズ」は、若者(名前はまだ出てこない)が魂の関係だけでよいと言っている感じ。
本音は現実を捨象して何とかしたいのだろうが、、、

漆の方は、作図の位置のチェックで直している。
いつも同じことを繰り返している。
角を合わせ、ボールペンで外形を写す。

6月4日(日)

先月の30日(金)、つい最近の事だが、朝ゆるゆると走っていると、後ろの方から足音がする感じ。
横の塀から木霊のように聞こえてくることもあるし、、、そのまま進むと足音が近づき、後方から「おはようございます」
振り返ると、昨春にスロージョッギングを始めて何回かすれ違い、挨拶をする見覚えのある人だった。
「スナタさん?」 はい。「マサヒロさん?」 はい。自分はそんなに有名人ではないし?と考え、誰ですか?と。
「フジサワです」半世紀ぶりに話すことになる中学の同級生だった。
昨日の朝は家を出るときは雨で、傘をさして歩いていると、また会う。
家を出て少しして雨は上がり、歩いていく道はほどんど乾いていた。
1時間ほど歩いて戻ってきたが、家のあたりだけの道路が湿っていて、丁度フジサワ君もそこへ走ってきた。
雨でも走るし、西の空が明るかったから走ったとのこと。
自分のように毎日走る道が違うのは珍しいのかどうか。
一昨日までの出町方面から今日は戸出方面へ。
高波から光明寺、城端線を越え、芹川・呉羽線を戻るコース。
跨線橋の真上で、丁度ライトを点けた戸出駅に向かう一番列車。5:47am頃だろう(時刻表を見て)。
今日は逆に、途中から小雨、90分ほどのジョッギング。
雨が上がった後、ブルーベリーの写真を撮る。ピントがなかなか合わない。


2日(金)の午後から金沢へ。
トンネル内の運転は無理なので、天田峠を通る。
高野さんで生漆100匁を頼み、その間エムザへ。
石川の伝統工芸展。
高岡市美術館で会った方の曲輪の作品もあった。堂々とした感じ。
乾漆の作品に印象的なものがあった。
生漆がなくなる寸前だった。
漆の作業は、外形が合わず、紙に形を写し、狂いを探す。
どうしても分からず、無料のCADソフトで中心線と同心円の作図を印刷する。
A4サイズの紙では大きい作図ができないので、印刷範囲を選択し、2枚を合わせて大きめの図を作る。
それに蓋を載せ、外形を写す。
回してみても、そんなに大きな狂いはないのに、現物を合わせると合わない。

5月29日(月)

朝のスロージョッギングは大体続いている。
夜明けが4時40分頃になり、少しして出発するのだが、心臓が慣れるまでの30分ほどは極めて遅い。
80分から110分ぐらいを走っている。
石動へ行った時が一番時間を要した。
左踵に弱い痛みがずっとある。

第56回日本伝統工芸富山展は今度の日曜まで。
5月21日(日)が当番だった。
随分久しぶりに会う人もいた。
砺波市美術館でのことも話す。
担当の方もおいでた。
インターネットでこのHPを見ているという人とも話す。
展示目録は早めに作成し、日本工芸会のトップページのInformationに載せた。
入賞作品は画像の修正などに時間がかかるとのことだったので、ワードで画像を貼り付けるだけの準備をして待っていた。
金曜夜に届いていたらしかったが、パソコンを付けたのが土曜の夕方。
画像をダウンロードし、名前を変更し、ワードに貼り付け、PDFに変換。
19:33に表示されるようにした。土曜日の内に掲載される。
金曜には石川県から3人。四つ葉のクローバー。


漆の方は、蓋と身の外形合わせが直しても、暫くするとまたずれていたり、やり直しばかりで重くなる。
クズィーヌも体調を崩しているし、なかなかよいことはない。

「新エロイーズ」は、考えを述べるところはなかなか意味が分からない。
魂の純粋さと言ってみたところで、二人だけで成立する世界はその中でしか純粋であり得ない。
その外の社会では、原理を押し通そうともがく。
手紙24では愛のためにjジュリィを選ばないと書き終えながら、手紙26では恋しがっている感じになっている。
自分の中で分裂せざるを得ない苦悩なのだろう。

5月4日(木)

昨日は南砺市(井波)山斐の横山美術館で”ART LOVER?”展が始まる。
朝日新聞に掲載してもらうことができた。
北日本新聞と富山新聞の取材もあった。
いろいろと祭りの行事が重なったようで、入館者はそんなに多くはなかったが、初めて入館したとの声もあった。
ラウス・スゴールさんの公開制作が始まり、少し参加をしてみないかという事で、変化をつけるため?に参加した3人の一人になる。
元々あまり考えるタイプではないので、かなりの大きさのを何となく置き、少し破れを付けてみた。
後から上下を逆さにラウスさんがすると、dancing treeの感じになり、続きは翌日とのこと。

走りの方はなかなか調子に乗らないが、雨が降らない限りは続いている。

「新エロイーズ」の方は、どうにか手紙24ジュリィへまで訳し終える。
原理原則に拘る感じになったが、以前のmourir(死ぬ)といい、JULIEの気を引くテクニックかもしれない。
生活を捨象した原理原則なんて成立するわけがない。

漆の方は形がうまく出来てこないので錆をしたり、研いだりの繰り返し。
一仕事が終わると

昨日、白の花の写真を撮る場合は露出補正をマイナスにする必要があると教えてもらう。
いじっているうちに、やっと補正するところが分かる。
朝日で白く光っているのを写すとピントが合うようになる。

4月30日(日)

FBでメールを受けていたデンマークのラウスさんの来日を機に、展覧会に参加することになる。
ART LOVER    アート 好きですか?

「新エロイーズ」の方は、p51までいき、エロイーズの事が初めてわかる。
何が「新」nouvelleなのか全く分かっていなかったのだが、1970年2月に札幌丸善で3000円で買った西洋史辞典に載っていた。

アベラールの記載では、貴族の生れ、学校でも成功したとあり、それに対しこの小説の若者は自分が清貧であることを自らの論理の正当性の根拠としているようだ。
まだ10倍以上のページが残っているのでどうなるか見当さえつかないが、実際に自分の子を捨てたルソーは、どんな思考実験をするのか。
よくあるような自分は思いやりがあるとの思い込みを前提に、自分に合わせて解釈することが優しさの証という自己陶酔を暴いていくことになるのだろうか。

4月23日(日)

雨なら歩き、そうでない朝はジョッギングを約1時間というのが続いている。
ノロノロとやっと進む日もあれば、足が軽い日もある。
川を見たり、空を見上げたり、田をみたり、鳥の囀りを聞いたり、、、

金曜日は「平体文枝展」(わたしをふりかえる―能登・ベルギー・東京―)アートハウスおやべの開会式に行く。
柔らかい感じの作品で、抽象画でも立体感を考えたりしているそうだ。
自分の感じ方は、百人一首を思い浮かべる傾向にある。
難波潟 短き葦の ふしの間も 逢わでこよ世を 過ぐしてよとや
水のような横の流れに縦の線が濃く入っている。
細かい線の奥から光が見える感じもあった。
平面、立体、文学と芸術的な名前通りの作品と思えた。

漆の方は、相変わらず形の修正の繰り返しの感じ。
錆で盛っても、漆分が足りないと、研ぐと取れてしまう。
石膏原型できちんとしたものがどうしてできるか見当もつかない。
金曜の午後からは、石膏雌型を壊し、素地を取り出す。

風が吹き荒れ、ビニールシートが巻き付き、壊れてしまった玄関灯を新しくする。
LEDしかないとのことで、かなり高つくことになるが、明るい。
「新エロイーズ」の方は、p50の下の方で完全に止まったまま数日が過ぎた。

キーボードで打ち込んでも、fut-ceのuの上の傘のようなアクサン・シルコンフレックスが、このページでは英語表記とフランス語表記が一方しか保存できず、うまくいかないので原書の画像を載せる。
その部分が、接続法現在形で、期待とか不安とかの、現実ではない主観性を表現するときに使うものになっている。
その前にある、plus…queが、比較になっていると考えたが、確信は持てない。
最初のOrを、最初「金」として解釈しようとしたが、意味も文字の繋がりもどうもおかしい。
「ところで」として、ともに赤い線で囲ったdonc(従って)と何となく対応しているらしい(三段論法)と、辞書で知る。
小説の世界(ジュリィとか父とかの小説的現実)を、一般論的に考察する表現になっているのだが、分かりにくい。
「ところで彼の一人娘より高貴な、どのような(quel)幸福(善いこと?bien)が一人の父を持つことができるか」
というように訳すしかない気がするが、何を言いたいのか分からない。
それがジュリィ以外の(とは別の)uneとあるから、女性(娘)の存在を仮定し、meme(最初のeにアクサン・シルコンフレックス)…queで同等比較している。
より高貴な幸福(別の娘)が、現実ではないことを示すために接続法を使い、逆にジュリィより高貴な者は存在しえないと言いたいのか?
その後も意味が取れないという事が続き、訳し直してばかりいた。
ルソーの書籍は発禁になることが多かったから、わざと分かりにくい表現を使っているのか、単に自分の学力・理解力が不足しているだけなのか。

4月7日(金)

2日(日)にスロージョッギングを開始した。
昨年の12月9日以来となるが、その間(冬の間)は歩いていた。
今朝は雨なので、また歩く。
走り始めると、太股への負担が大きく、3日目ぐらいは痛みが弱まるまで2キロほどかかる。
岸渡川の桜は昨朝は開いていないようだった。
膝とかふくらはぎへの負担が少なくなるよう、蹴らないで走ることにしている。

手でこねて作った原型をもとにしたハート椀が先月末に仕上がる。
7個作ったが、4個は手元を離れる。

銀粉が浮いているようにしたかったが、全くそのようにはならなかった。

「新エロイーズ」の方は、屡々引っ掛かるところに出くわし、止まってしまうことが多い。
否定の否定とか、日本語なら同じになるものを別の単語で次々書いたり、辞書的意味では日本語にうまく当てはまらないような用語法とか、手間取る事ばかり。
一番の問題点は、読んだはずの事を覚えていないところにある。
前にどこかで見たとは分かるが、それを探すよりまた辞書を繰った方が早い。
その結果、実力をつける機会をなくす。

3月5日(日)・6日に追加

ほとんど展覧会などを見に行かない生活が続いていたが、このところ出かけている。
2月22日は高岡市美術館のGEIBUN、大きい作品ながら緻密な作業がしてあった。
青井美術館の工芸高の卒展。美を尚(くわえる・こいねがう・たっとぶ)をテーマにした絵には若い力があった。
3月3日は金沢の名鉄エムザの「金沢市工芸展」
洗練された感じの作品が多かった。
横にいても車の動きに対応が困難とかんじた。
昨日は、アートハウスおやべで「公募2016アートハウスおやべ現代造形展」の開会式。
応募272点(応募36都道府県より)のうち34点の展示(入選)、うち賞は3点。
大賞を見ての自分の反応は、百人一首の「長かなむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさは 物をこそ思へ」(待賢門院堀河)
順に作者の解説があり、漆を使っているというので、近くで見ると絹糸に水玉のように、大きさの違う漆玉が並んでいた。
見たことのない世界だったので、聞いてみた。
筆で漆を渡すと表面張力で自然にそのようになるとのことだった。
柔らかい漆でかと聞くと、そうだとのこと。
自分も漆をしているので、、、TYさんの口添えもあって名刺をもらう(交換)。
今日は天気が良かったので、自転車で砺波市美術館へ。
美術協会会員展。皆かなりの力作を出品。
野村さんのは斜めになったトルソ的な鳥と戯れる女の子、たぶん左手の曲げる力に何かの思いがあるのだろう。おいで、

ホオズキの葉脈に漆をかけようとは前から思っていたが、昨日受けた刺激で麻糸でも漆玉を試してみることにした。
少し灯油で生漆を薄めて筆で葉脈に渡してみても、玉はできず、一部膜になった。

麻糸の方は、あまり玉にならなかったというか、筆では厚くのらない。
粘度をかえたり、黒蝋色漆に変えてみたりしたが、小さい玉にしかならない。
不乾性に近い漆が垂れ溜まることも必要かもしれない。

アートハウスの展示作品で、会場では顔が3つ見えた気がしていたが、パンフレットで見ていると顔が5つ見える気がする。
左端はメガネをかけている感じ。
手をかざすとオーロラのような輝きを発する作品もある。

2月19日(日)

乾漆の方は、麻布貼8枚まで終わらせる。
浮きやすいところは指で押さえと確かめたりもする。

「新エロイーズ」の方は、手紙20まで訳したのを載せている。
どういう展開になっていくのか分からないが、お調子者的な青年が、人生を重ねてしっかり者になっていくのだろうか。
性人から精(または聖)人に。
身分制という人為的なものを取り去れば、自然的な人間関係にはなるだろうが、生きていくには金が必要になる。

昨朝以外は凍結していたが、滑らないで朝歩きを続けている。
普通なら健康生活をしていることになるのだろうが、スッキリする日はほとんどない。
予想外に晴れていた昨日、鬼灯。

今日も晴れていたし、金曜日に無理して雨の中、配りに行くことは無かったと思ってしまう。
小矢部市芸術文化連盟の「芸文報」に自分の文章が載る。
昨年末に依頼があり、正月明けに書き出したもの。
提出原稿をPDF化したのをのせます。(一部修正)
参考までに2008年の乾漆についての原稿も載せます。

1月27日(金)

この前の土曜日から水曜日までインフルエンザと同居。
自分は発症しなかったが、漆の事は完全にストップ。
昨日、離型剤のアラビアゴムを塗ったが、濃度が濃すぎたのか、暫くして捲れてくるところもある。
今日、下地を付けてみると、その作業ででもかなり離型剤が捲れてきて、どうなることかと心配中。
2回重ねはあまり捲れないが、3回のはかなりひどい。

最近凍結することが多いので、小股で走ることもある。
昨日の朝

「新エロイーズ」の方は、所々で意味が分からなくなり、別の事をしてからまた考える、というのを繰り返している。
王権・貴族と平民の階級社会で現実生活と性欲で生きる男と、精神の清らかさで生きられる貴族の娘の手紙のやり取りが続いているようだ。

1月20日(金)

粘土原型を丁寧に作ったつもりでも、石膏に置き換えるとガタガタが見えてくる。
それを削って修正したつもりでも、反対の形に置き換えると少しもきれいにできていない。
その上、石膏雄型に、三ツ割の雌型を作り、組み合わせ直して固定してみると、かなりずれていて、さらに狂っている。
置いている硝子板が古く、下から見ても、ずれているか事前に分からないので、どうしようもない。
昨日で一応石膏原型作りを終わらせた。
一昨日に石膏がなくなり、たんぽぽで25kgを買ったが、袋に穴が開いていたので、別の袋などに小分けする。
石膏の水分が抜けるまで、今までしていた乾漆の作業の続きを少ししているだけ。
は〜と椀の内と外に二日かけて黒漆塗り。

「新エロイーズ」の方は、手紙14まで訳したが、相変わらず意味の分からない感じのところが多い。
男には性欲があり、女には精欲があるという印象を受けるが、どうなのか?
身分制社会を破壊する方策をルソーは考えていたことになるのだろうか?

今日は大寒。
膚をつらぬく寒さより、浮かぶ月の方が遥かに寒冷なのだなぁと見上げた。
夜が明けると、つららもゆるみ、垂れ始めた。

1月12日(木)

朝歩きで、左踵に水が浸み込みだしたのは昨日。
小さな穴のようなのを見つけ、接着剤で埋めておいた。
今朝もまた浸み込んできた。
右足のと比較して、左のゴム長は穴が開いているのに気づく。
穴の中にあったレンガの破片
破れていた古いゴム長の底を切り取り、穴に突っ込み、接着剤でくっつけ、隙間も埋める。
無駄に終わるかどうか?
高波の公園付近の山王川沿いの遊歩道(?)、水はけのためかレンガ片が敷いてある。
底が磨り減っただけでなく、レンガの破片がはまり、内の底にも穴をあけたのだろう。
ガニまた傾向があるし、歩幅は広くしないようにしよう。

火曜日からやっと粘土原型を作り始めたが、時間ばかりかかる。
母からもらっていた粘土削り用具も使ってみている。
削りやすいように水分を吸わせ、柔らかくすると、作っていくうちに少し垂れてくる。
固めで作ると、引き箆が負けて、狂ったままでも気づかない傾向になる。
毎回漆で直そうと、手抜きをする傾向があるのだが、一応頑張ってはみた。

1月8日(日)

年末から漆に触れない日々が続いている。
デザイン的には昨年末に大体決めていた新作の制作用の定規を今年になって時々作ってはいる。
一日何もできない日がかなりあるので、今日は昼ころから夜まで、切ったり、ヤスリ掛けをしたりしていた。
明日も作業ができない予定で、本当にどうなることか。

雪国のはずなのに、凍結することが多い。
朝歩きから戻っても暗いが、夜が明けると、、、

自分の身近な人の事は書かないようにしてはいるが、良くない知らせがあった。
他にもどうしようもないこともある。(自分の事ではない)

「新エロイーズ」の読み取りはかなり不正確といえる。
代名詞が頻出し、何を受けているかわからないままの事さえある。
日本語で考えても、意味が通じないことで悩み、読みが止まってしまう。
一度アップロードしても、間違いに気づき、載せ直すこともある。
意味を分かりやすくするため、日本語では同じ語を繰り返すことが多い。

1月3日(火)

昨年末に部屋に置いていた回転風呂を廊下に移す。
それまで廊下に置いてあったプラスチックの棚は玄関横に移す。
出し入れは家の中からできるように置く。
これで部屋を広く使うことができるようになる。
年末から新年までは賑やかに過ごす。

元旦(早朝ウォークの時)、昨日と長岡神社へ初詣。
その後倶利伽羅不動尊鳳凰殿へ。


昨日まで4日間飲み続け、深夜までテレビを見る生活。
毎朝、目覚ましで5時半過ぎには起きて、歩きに出発。
頼まれている原稿の下書きをメモ的に書いたり、思いついたことを脈絡なく書き出したり、、、
やっと少し纏まりだしたので、パソコンで書いてみた。
論点がふらふらしていて、人前に出せるようなものではない段階。

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