漆に纏わる話 2015年版(9月以降)

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12月29日(火)

曜日が関係なくなった生活になり、昼に出歩くことも少しはある。
昨日は、車のウォッシャー液の蓋が割れているのを見てもらいに行き、エンジンのかかりが悪いことを話す。
土曜の昼は、雨でキィーが少しぬれたためか、エンジンがかからなくなった。
水分をふき取って、大分してからキィーを回すと、何とかかかった。
バッテリーの検査をすると、性能が落ちすぎている。
バッテリー交換とオイル交換もしてもらう。
帰って少しして別のところに出かけるためセルモーターを回すと、瞬時にエンジンがかかった。
23日はアートハウスおやべでの「ガラスの宇宙展」の開会式に顔を出す。
富山のガラス研究所の教官の作品展示。
ガラスの美しさを生かす表現がしたいというようなことを息子に翻訳(通訳)してもらう方もいた。
大和のマークのようにも見えるhorizontalは、右手が横向きのパーで左手が上向きのグーにも見えた。
拭きガラスで大きく膨らましたのは、生と死をテーマにしているとかの解説だったが、壁に映る影の気泡のようなのは何かと質問する方があった。
こちらとしては全く気付かないことで、すごい観察眼と感心した。
昼の出かけた日は、夜かなり遅くまで漆の作業をする。
乾漆素地作り(麻布の貼り重ね)と紐胎・縄胎杯と盆の制作を同時に進めているので、短い日で朝8時頃から夕6時頃、まで、実際はもう少し長い。

24日(木)の朝、新聞を読みながらスローステップをしていると、テレビからクジラの鳴き声とか何とか聞こえてきて、カトーと同じことを言う者がいるなーとテレビを見ると、本人だった。
すぐブルーレイ録画のボタンを押したが、録画されているかどうかよく分からなかった。
ニュースの一区切りまで勝手に録画していたようで、7時45分を過ぎてやっと録画できていると分かる。
夜再生し、一時停止でデジカメ撮影。

12月20日(日)

冷え込んだ朝は気が引き締まり、外へ出る気持ちにさせる。
斜線が三角形の山を作るような氷が張っていた。
日の出前の空は澄み渡り、立山連峰を薄く照らしていた。
昨日まで4日間は家をほとんど出ないで、乾漆素地作りなどを続けていた。
今朝は石膏雌型に内貼りした麻布の重なりを弓形のカッターで切り取る。
ハサミと同様、ヤスリで研げばカッターの刃も切れ味を取り戻すと分かる。
掃除をしてから、高校駅伝をテレビで見ていた。
世羅高校が男女アベック優勝。
考えられないくらい速い。
昼に立山連峰を2階から撮ってみる。

12月9日(水)

雨が続いた後、このところ晴れが続く。
月曜に青空に白く光る立山連峰をズーム+セルフタイマーで撮った直後にレンズが勝手に動くようになり、電源を切っても戻らなくなった。
リチウム電池を取り出して、また入れなおしても同じ状態。
「システムエラー(ズーム)」と表示されるだけ。
昨日は2時45分頃に仕事が終ったので、自転車で100満ボルトへ。
修理代が1万から1万2千ほどかかるというので、新しいのを買うことに。
20世紀には一眼レフを使っていたが、壊れデジカメに変った。
3台目になるが、値段が高くないデジカメにした。
今日初めて撮ってみたが、基本的に同じメーカーなので余り変化はない。
ズームで夕日。

前の画像ソフトもそのまま使えた。
今回のは何もついていない(ドラッグ・ドロップとの説明)。

今日が午前中一杯は研ぎ。
午後からは切り子地で凹み気味の面作りなど。
ラミー縄で作った杯の縄目を埋めることもする。
石膏原型にアラビアゴム糊を塗る。
やっと漆が本格的に始まることになるだろう。
今でさえ漆の減りが早いのにどうなることか?

12月6日(日)

麻縄で作った脚の型は、割合楽に外れる。
ハンドドリルで撚りを入れたのを反転させて作る麻縄を長い一本のように繋げないかということは以前から考えていた。
金曜日の昼にひらめいて(?)、作った縄の先の穴に、次の縄を作るための紐を通し、ある程度の長さの縄を作る。
問題は今作った縄の端は縛らないとばらけてしまう点にあり、その長さだけで使うなら結び目を作ればよい。
前の縄に、ばらけるところを捩じりこめばどうかと思いついた。
大体は出来る様にはなったが、まだ少し工夫の余地がありそう。
12月2日の画像の左外のあたりの繋ぎは太くなってして、駄目と言うしかない。

今日の読売新聞に載っていた。

「師弟愛」といっても名前も載せてあたらない市川厚一氏
その弟子が山極三郎氏で、山極勝三郎博士の三男とのこと。
何か見たことのある名前だと思い、「羊蹄」を見ると大正12年卒とあった。

12月2日(水)

月・火と粘土原型から石膏原型作りをしていた。
既存の物を型にして作ったりもする。
今朝、壊れかけたのを修理して、石膏の仕事を終らせることにした。
作品のアイディアが枯渇したともいえる。
寺の負担金を言ってきたので、晴れていたし、自転車で支店へ行く。
運動不足で片道5,6キロでさえ、息切れがひどかった。
何年かぶりに顔を合わせたが、向うから挨拶をしてくれた。
帰り着くと貧血で倒れるかというほど衰えている。
ずっと前からどう作るか考えていたが、兎に角試しにしてみるしかないと、円錐形の上を切り取った台に麻縄を巻いてみた。

予想外に楽に巻くことができたが、問題は型から壊れずに外すことができるかどうか。
型といっても、径の違う2ミリ厚程の円を重ねているだけだが、、、

11月29日(日)

金曜日までに石膏原型の雄型と雌型を作る。
今までは立ち上がりを石膏原型で作ったことはなかったが、作る。
素地に半乾き状態で作るやり方では、狂いがなかなか直せないことが多いので。
土日と来るかもしれないので、掃除したり、粘土や石膏で汚れないようにしていたが、来ないとのことで夕方から粘土原型を作り始める。
昨日は、壊れてしまったかと心配していたテレビのブルーレイが大丈夫だと分かり、かなり録画していた。
録画中だったが、2時半頃から「東京物語」を見始めた。
その後、録画した「白熱教室」の第3回フェルマーの最終定理、時計のようにその範囲を超えた数も、その範囲内で表示する計算から話が始まるのを分かるような分からないような感じで見る。
次は不眠症。睡眠グッズをなくす。体のリラックス。考えたりするのではなく、自分の姿を客体視する。
その次はサイエンスZERO。繭の遺伝子交換。
蚕は自然界にはいないもので、5000年かけて人工的に交配させて作ったものだそうだ。
最後に「東京物語」を最初から。
「私、年をとらないことにしていますの」というせりふを実践したのかもしれないと思った。
同じ台詞をいろんな場面で繰り返しながらも、表情の変化でニュアンスを表現しているような気がした。
場面転換も、どこかパッとした感じで、しつこさが無い感じがした。
これからの者、生活の渦中にある者、晩年にある者。
人生とは人との交流と言うしかないのだろう。
久し振りの晴れ間
きょうは、金曜日にやっと分かった組紐の編み方と、今までのハンドドリルで巻いて中央で反転させるのが同じ気がしたのを試してみた。
ハンドドリルで右巻きと左巻きを別々に作り、二つをまた撚って絡ませてみたのだが、きれいにならない。
組紐の編み方は、4本とも絡みながらできていくのに、撚りだけの組み合わせはそうはなっていないことになるのかもしれない。

11月24日(火)

14日(土)・15日(日)は、5年振りの砺波北部中学校の同窓会。
同じ「磯はなび」で、4学年下の同窓会もあったが、7学年下からは出町中学に吸収されてしまった。
仕事をしている者もいるし、定年になった人もいる。
21日(土)は、白山市の吉野工芸の里「鶉荘」での野村修三さんの木彫・木版画展へ行く。
国指定の御仏供杉は、枝があちこちに伸び、中(下)を歩くとその偉大さを感じた。
鶉荘では、今まで見た記憶の無い作品もあった。
野村さんの優しい人柄から生まれた作品が並んでいた。
最終日には飲むとのことだった。
帰りに寄った店で。

昨日は長岡神社の新嘗祭で飲んで帰った後、また飲む。

乾漆の作品の平面定規や引き箆を数日かけて作っていた。
昨日は、粘土原型を作る前に、固くなっていた粘土に水を足しながら、丸い棒で叩いて柔らかくしていった。
午前中で大体の形を作り、続きは今日する。
今までガラス板から浮いていたり、中心辺りをいい加減に作っていたとの反省から、まず引き箆の下がガラス板にくっ付いていることを見ながら、中央辺りにもデコボコがなくなるまで直す。
石膏を掛け、雌型を作る。

勤めをやめて1ヶ月余り。
今までよりは漆の時間は増えたが、熱中するほどでもない。
前はまだ残業していた時刻には大抵は寝ている。
読書も全く復活しないまま。
走るという気持ちにもならない。

11月11日(水)

月曜朝に荷造りし、店に持っていく。
午後からスチール棚を買いに行き、2時間ほどかかって組み立てる。
今までのは重さに耐え切れず歪んでしまっていたが、それは2階廊下に移す。
棚が4から5と、一つ増えただけなので、片付ける場所は思ったほど増えなかった。
一番重い粘土は、最初棚に載せたが、また歪むかと、床に並べた棒の上に置くことにした。
麻布を目の粗さで順に片付けたり、一応使い易いことを考えて片付ける。
火曜日(昨日)は、朝から道具などを片付けていたキャスターつきの棚の整理し直しにかかる。
作業が近いものを近い引き出しに置くことにした。
乾漆素地の修正に使う小道具(引き箆)を、作業毎に区別してしまうことにしたり、、、
蚊帳とか古い布をもらったのも区別してしまう。
包んであった風呂敷
夕方までかかっても終らなかった。
今朝は片付けてばかりいる訳にもいかないので、研ぎにかかる。
そのついでに、使う砥石を大きいのと小さいのに分ける。
昼下がりまで研いでいた。
詰まった掃除機の蛇腹ホースの中をつつく為に、なました鉄線の先を丸め、それを使うと、中から短い木片や布片などが出てきた。
チャリティ用の品を取り出し、荷造りをする。
その前に包む布を切り、アイロンがけも。
夕方から錆を見る。
箆もゴチャゴチャになっていたので、大きさや形で区別しておくことにした。
これで多少は物を探す時間が節約できるようになるだろう。
問題は、どこに片付けたか思い出せない事があることだ。

11月8日(日)

昨日の黒塗りは、朝4時55分頃僅かに光りながらもほぼ白くなっていた。
朝から内側を塗る予定だったので、加湿シートに通電。
6時頃には乾いていた。
7時半頃から蓋の内側を静岡炭で研ぎ始める。
外の朱塗りに傷がつかないように気をつけながら、刷毛筋が強く残ったのを研ぐも、なかなか研げない。
身のほうも、かなり手間取る。
刷毛直りがかなり良くなった昨日の黒漆を塗る。
蓋はゴミを取り除こうとして上手くいかず、またもクジラ箆で浚え、塗り直す。
身は立ち上がりの外と朱を塗った合口端の境をスッキリさせねばならず、時間がかかる。
22年前に坂下先生に教わったのを少し変えてしまっているかも。
先が尖った感じの6分刷毛なので、それだけで塗る。
朱との境から0.5mmほどを残し塗る。
刷毛の先端2mmほどを使い境までの間に薄く漆を渡し(朱にはみ出ないようにして)、それから立ち上がりの外側全体とそっと塗り上げる(朱にはみ出ないようにして)。
それでも少しは朱にはみ出てしまうから、隅出しの感じで境を決めていく(2分刷毛から漆を突き出しておく)時、朱の上の黒も取り除く。
境から0.3-0.5mmほどの合口端(朱塗り)を、リグロインを染みこませたティッシュ(薄い状態で)で拭く。
それでものこる黒っぽい痕跡はクジラ箆で浚える。
返しはとらない(蓋の甲面の朱、身の裏底の黒に影響を与えないため)。
刷毛など全ての片づけが終ったのは11時50分頃。

昨晩に続いて再放送の「ブラタモリ#22札幌」を見る。
ほとんど人の住んでいなかった明治2年から約150年で194万都市になった秘密を探る。
42年半余行ってないので、覚えていないことも多いし、知らないことばかりともいえる。
植物園とか構内の緑の多さとかは何となく昔と同じ感じがした。
扇状地との境からは、低湿地とか泥炭層で、そこから水分を抜くなど、北海道は札幌農学校とともに歩んできたのだろうという印象を受けた。
薄野で記憶に残っているのはブラックニッカの髭の看板ぐらい。
二十の頃、入院中に同室の人に、病室を抜け出して連れて行ってもらったこともあった。
昨日のシート張りで痛みは腕ではなく、足にひどい状態であらわれている。
丈夫だった足が予想以上に衰えているようだ。
2時半頃やって来たので相手をする。
帰って行ってから7時ころ朝の塗りを見ると、僅かに光を残しほぼ白っぽくなっていた(23℃、58% ファンヒーター)。
パッと見には縮みや垂れは無い感じ。
朱の色ムラと少なからずあるゴミが問題点といえるが、今さらどうしようもない。

11月7日(土)

曇りで少し寒い風が吹く中、朝8時半から地区の防草シート張り。
肉体労働をしなくなって半月余りで、かなり体力が落ちているようだ。
足もふらつくし、「ぬけに杭」を金鎚で打ち込み続け、腕が痛くなる。
小学校の時の感覚なら、自分よりずっと若い感じの人も、アラカン。
明日は雨らしいというので、0時45分頃まで作業が続いた。
汗をかいたし、風呂、昼食の後、昼寝をしようとしても眠れない。
電話をしても出ないし、来ないと考えて漆をすることにした。
昨日の朱塗りは、朝僅かに光を残す感じで、かなり艶が落ちていた。
加湿シートに30分ほど通電。暫くしてまた30分ほど通電。
それからシート張りに出かけたのだが、午後見ると乾いてはいるが、刷毛筋の色が違う色ムラになっていた。
裏底には塗らなかったので、軽く研ぐ(昨日の段階で研いであった)。
汁っぽ過ぎたので、中国産の黒漆を同量ぐらい混ぜる。
箆から垂らしてこれぐらいで良いという感じまで、足した。
裏底という狭いところを塗るときに難しい点は、枕刷毛。
6分刷毛で塗り、その先を使って周囲を回っても幅が広くなったり狭くなったり、、、
隅出しに使った毛の短いのでは、やはり安定しない。
多少柔らか味のある3分刷毛を取り出し、使うことにした。
最初の塗りはクジラ箆で浚え、塗り直す。
横方向に動かす刷毛は少しずつ下へ移動させることで、打ち込みの段が隅付近にだけ残るように塗っていく。
刷毛塗りに使うこともできる3分刷毛だったので、その範囲内に何とか刷毛の打ち込みの段を収めておいたのを、何とか消すことができた。

11月6日(金))

半月ほど前に酒がなくなってから買っていないので、酒なしの生活が続いている。
別に禁酒する気は全くないが、節約。
昨日の黒の小中塗りは、汁っぽすぎて刷毛筋が汚い感じに残った。
今ある日本産だけではダメのようで、中国産を混ぜるべきだろう。
手グロメ講習で教わった「クロメ返し」をするべきなんだろうが、、、
今朝から、外側の朱を静岡炭で研ぐ。
多少下の黒が顔を出したが、前回に比べるとずっと少ない。
掃除したりして、午後から朱の上塗にかかる。
丁寧に掃除し、品物のゴミもブラシで擦ったり、羽ばたきではたいたり、掃除機で吸ったりしたにもかかわらず、糸くずのようなのが付いていたりした。
25℃、55%ほどだったので、湿ったスポンジを外に出し、閉め切り、返しを細かく取る。
窓から懐中電灯で照らしてみると、光ったままだし、温度は少しだけ下がり、湿度は余り変化していないよう。
朱の発色のためにはある程度乾きが遅いほうが良いし、垂れなどの斑を防ぐためには60%ほどに持っていく必要がある。
下に湿らせたスポンジを入れたほうが良さそう。

毎日、逆光のタンポポを撮っている。
今朝も撮る。

昨日は金沢展へ行く。
列品解説の予定が書いてない日だったので、空いているかと思ったが、混んでいた。
増村先生の乾漆の伝承研修会のビデオが放映されていたので、観ていた。
20年前、高岡市での研修会では、蝋色研ぎが傷だらけだと研ぎ直してもらったのを思い出した。
静岡炭の研ぎが安定しないから、今もなお傷をつけてしまうことが多い。
展示を見て、細かい作業がしてあるという印象を持った。
学生に特別に解説するようで、午前は吉田先生、昼頃は前先生の顔が見えた。

11月4日(水)

昨日の黒漆は、朝には乾いていたが、一部乾きの悪いところがあった。
朱でもそうだが、日本産漆は微妙なことに反応し、乾かなくなる。
朱塗りを静岡炭で研ぐと、下の黒があちこちに顔を出した。
研ぎ終わってから、刃物研ぎをする。
ずっと切れの悪いまま使っていたのだが、多少箆の切り出しなどが楽になる。
10本ほど研いでから、朱塗り(小中塗り)。
返しを取っている。
ビンツケは使わず、パネルなどを貼る両面接着シートを使う。
使い捨てになるが、漆への影響が少ない。

11月3日(火)

乾きの速い漆のおかげ(?)で、一日に2回塗るのが続いていた。
昨日も午前中に黒漆を塗り、午後から朱を練り、外側に朱(浄法寺産)を塗る。
今朝、少しは艶に変化が見られたが、光ったままだったので、1時間ほど加湿シートに通電。
昼に見ると、部分的に光ったところが残っていたので、加湿シートに通電。
紐胎杯の素地を作ったり、この前作ったのの底に麻布片を貼ったりした。
気分転換に外へ出て、逆光の写真を撮ったりする。

朱が乾いていたので、内側を静岡炭で研ぎ、小中塗りの黒漆(日本産)を塗る。

昨晩は作り直した名刺の印刷がずれたので、今朝はデザインを変更し、更にプリンターの用紙セットがずれないように直す。
いままでは「紐胎(縄胎)について」しかなかったが、取り扱いや略歴などの説明書も作る。
印刷するとずれていたり、家の番地を間違えていたりとかなり無駄を積み重ねる。
漆が乾かないとパソコンでもするしかないのかも。

11月1日(日)

Eテレの日曜美術館で「正倉院展」特集。
図録で「紫檀木画箱」を見ていなかったと気付き、残念に思っていたが、テレビで映っていた。
会場は暗いし、なかなか見えなかっただろうとは思う(暗さに対応できなくなっている目の所為もあろうが)。
木画の余りの繊細さに驚くだけ。
袈裟も取り上げられていたが、会場では見ていてもそんなに興味は湧かなかった。
羅というのはなかなか理解できなかったが、交差させて編むらしい?
会場の人出は、テレビの方がはるかに少なく映っていた。

今朝の様子。

研いでも研いでもきれいにならないが、今日はほとんどキング#1000で研ぐ。
夕方になってやっと黒塗りができた。

10月31日(土)

朝、研いでいると電話があり、会を辞めたとのこと。
この前、合わなくなっている感じの話をしていたし、、、これからもよろしく。
朝パソコンが立ち上がらなくなり、大分たってから電話する。
預かってくれという話がでてきて、漆の作業を中止し、掃除をする。
預かる間に、二日前に行ったお土産を配りに回る。
喋りがおかしくなっていると聞いていたが、原因は不明のままらしい。
昨日書類を受け取りに行った病院で見た幼児といい、それに比べれば自分の病気なんて漆ができなくなるだけで大したことはないと思う。
叔母は3日前より顔色が良かった。
昼をかなりすぎて帰ってきたので、パソコンを見てもらう。
exitのときに何やらすると立ち上がるそうで、また使えるようになる。
早速、ドキュメントやピクチャーのバックアップを取る。
漢字の意味を考えず、書き間違えていたことに気付いていたのを直す(朝パソコンを立ち上げようとしたのは、そのため)。
夕方に帰っていったので、黒漆を塗る。

二日前の29日(木)、石動から列車で金沢へ行き、特急で京都
みやこ路快速で奈良に着いたのは11時半頃。
出口を間違え、教えてもらって駅に戻り、公園方向へ歩く。
途中でラーメンを食べてから進むと、興福寺の案内板など。
「正倉院展」の看板があり、鹿を見ながら進んでいくと奈良博。
平日なら多少空いているだろうと出かけたのだが、テレビで見るような混雑ではなかった。
奥が空いているという館の人の言葉で、あちこち行ったり戻ったりして観る。
一番観たかった「紫檀木画槽琵琶」、表が古びていて、裏の木画は鮮やかだった。
細かい点は見えないし、横から面一かどうかmonocularで見てもはっきり見えず。
斜めに展示してあり、それを縦・横の模様としてみると、6弁花と4弁花の大小が際立って見え、より美しく見えた。
タイマイや螺鈿の鏡も鮮やか過ぎるように見えた。
漆皮の品は3つあったが、かなり大きいもので、平面もかなり歪んではいた。
狂わない漆皮を目指した坂下先生ならどう観るだろうかと考えたりした。
熱処理を2度することで何とかなったと仰っていた。
漆とついている品の劣化が目立ち、心苦しかった。
タイマイ竹形如意の先のほうの曲がりがきれいだった。
麻の袴も残っていて、今でも乾漆に使えそうな布に見えた。
古文書で、漆を示す字が七を意味する本物を見て感動。
(因幡国高庭荘)
最後のほうで、「初校」とあるのは、今で言えば最初に校正したということだと話しかけてくる人がいた。
古文書に詳しそうな人なので、今までずっと読み取れなかった字のことを聞いてみた。

ここに示した7文字の真ん中の字。正倉院文書にはあちこちに出てくる。
たぶん手偏だろうとのこと。(木偏に冬ならヒイラギだろうが、、、とも)
於いてかもとの言葉もあったが、昔の字は分からないことも多いらしい。
自分でも、於いてかもと思ったこともあったが、「方」部は古文書でもそのまま書かれている。
前後を対比するようでもないし、フランス語の虚字(といっても、何だったか全く覚えていないが、、、)のようなものかもしれないとも思ったりしていて、結局、分からないまま。

外にでるとまだ2時半頃だったので、興福寺国宝館へ行くことにした。
巡っていくと「阿修羅像」、初対面。
眉間に皺をよせて澄んだ瞳で遠くを見やる姿は、若者が生きる道を求めて苦悩している印象を与えた。
肩の辺りで壊れている像をじっと見ても、麻布が良く見えなかった。
国宝北円堂で無著・世親像が特別公開とあるので行く。

入ると無著菩薩立像の右前の表情(こちらから見て左)が見え、優しい感じで少し弱い感じがした。
後ろへ回ると重厚感があり、左横から左斜め(こちらから見て右斜め)の表情は、永遠を心の眼で見ている感じがした。
左手に持つ包みには右手が優しく添えられていて、包みが人間界のようにも感じられた。
世親菩薩立像は、苦悩を含む表情で、人を救う道を求めているのかもしれない。
無著像に似ていると中学校の時、与史樹君に言われたのを思い出す。
東京へ見に行ってからほぼ10年ぶりの再会だろう(東京藝大美術館)。

東大寺とか春日大社に行く気は起きず、JR奈良駅に戻る。
お土産を買っても時間が余るし、予定より1時間早く5時少し前に奈良をでる。
自由席だったので、京都駅では早めに並んで待つ。
9時20分には帰宅。

10月27日(火)

昨日の塗りは縮みがかなりあるだけでなく、研ぎがまだまだと分かる。
今日は全体を研ぎ直し、外側を塗る。
焼き漆を少し混ぜ、灯油で少し粘りを取る。
乾きは少し落ちが速いとは言える。
夜、ほぼ全体に錆を見る。
夕は、在庫がなくなったといえる紐胎杯の素地を麻紐を巻いて作る。
昼は、柿を取りに来たらというので行く。
3個がくっ付いた柿があった。

10月26日(月)

午前中は、少し研いでから、内側から外脇にかけて黒漆塗り。
2時間もしないうちにもう乾いていた。
第28回アミカル展の展示作品画像のページつくりの続きをし、アップロード。
午後から富山市へ。
会場で昨日買った拡大鏡で見たが、ピントが合わせにくい。
途中で香希画廊の「秋」というのを野村さんと見に行く。
自然さを感じないのは何かいやらしいような、、、
結局、来年は12月に開催する方向になる。
送ってもらい帰宅。
作ったページの誤りを訂正し、アップロードをしなおす。

10月25日(日)

昨日は第28回アミカル展の準備に福岡駅7:22発の列車で行く。
運賃は高くなっていた(560円)が、特急の待ち合わせがないからスムーズに運行されている。
歩いて富山市民プラザへ行くが、総曲輪が工事中で、通り過ぎてしまった。
広い会場が埋まるのかと思ったが、少しはみ出したのもある。
最年少になるので、高い台に上って絵を吊るす器具をはめ込んだりもした。
昼頃に開始の準備が終わり、入り口の外に立っていると、最初に前を通った人が「アミカルって何ですか?」と聞いてきた。
フランス語で親しいという形容詞で、アミ(ami)というのはフランス語で友達という意味だと説明すると中に入ってくれた(元々入るつもりだったのかもしれないが、、、)。
会期の3日間に、たまたま天皇の来県があり、通行制限の時間帯が何回かある。
今朝の新聞によれば、イタイイタイ病資料館などを訪れたらしい。
入場者は目立ちはしなかったが、高校生、たぶんアメリカ人、ロシア人(日本語を喋る)など、今までには無いような方がおいでた。
車を預けた野村さんと雨の中、自遊館まで歩くと、もうオープニングセレモニーが始まっていた。
各自紹介され、私はアミカル展のことをインターネットに載せていることについて話すことに。

今朝は何とか二日酔いにならずに起き、錆をかなりする。
電話があり、注文していた観賞用の拡大鏡を受け取りに向かい風の中、約5キロ自転車で行く。

近くを見ても、どこを見ているか分からないし、黒っぽくしか見えず、無駄な買い物だったかとも思った。
数メートル先ならはっきり見える。
美術鑑賞の1m乃至1.5mはどうかと確かめると、裸眼よりはっきり見えた。
(近眼の老化は、近くを見るときは裸眼で一番良く見える)。
視野がなくなっているから、近くが見えなかったのだと後から気付く。
3週間、顔を見られないことになったが、ずっとアミカル展の作品画像を縮小していた。
夕方に市展の搬出に行く。
夕日のクロスランドタワー

10月23日(金)

新しい生活が始まって三日目だが、作品優先を原則にしている。
乾漆の箱の研ぎで、麻布が出まくっているので、全体に生漆を吸わせる。
10年以上前にもらった黒蝋色漆が1時間ほどで締まるので、鍋に入れて泡立つまで焼く。
焼くと漆にかわいそうだという話を聞くが、茶釜の底に鉄片を貼り付けるのに生漆の焼付けをするそうだし、戦国時代も鎧で焼付けをしていたとかいう。
焼くのと焼付けは違うと言い張る人もでてくるだろうが、焼くほうが温度が低い。
輪島での講演会の後、大西先生も焼いたのを混ぜていると坂下先生に話していた。
漆はそんなにやわいものではない(のでは?)
故郷の筑豊の石炭の色を表現したいとのことだった。
紐胎の素地を作るために、まず糊を煮て作る。
糊漆をあわせると、予想以上に量が多かった。
午後2時過ぎに自転車でムサシへ出かける。
砺波市は下水道工事か、通行止めが多く、少し遠回りになる。
蝶番を探すもなかなか見つからず。
やっと売り場を見つけると、種類が沢山あり、その中からステンレスのを選ぶ。
留め金もやっと見つけ、円弧のカッター刃も何とか見つける。
以前買ったスチール棚が重みで歪んでしまったので、丈夫なのはどんなものかと見る。
帰宅後、手作りの回転風呂の前の板(扉?)がはめ込むだけだったのを、下に蝶番をつけ、上に留め金をつけて落下しないようにした。
明日からアミカル展なので、もって行く作品を探し出し、包む。
夕方になり乾漆の箱の布(研ぎで顔を出した)のガタガタが目立つところなどに下地付け。
机の上の片付けなどは全く手付かずのまま。

10月22日(木)

家のコスモスを見ると、雄蕊の伸びに差があると気付く。

二日前まで勤めていた会社に寄ってから、金沢へ。
高野漆行に車を置かせてもらい、大和のアートサロンの「漆光展」へ。
精密というしかない作品が並んでいた。
その割りに会場担当者が顔を余りみせないと思ったら、隣の部屋で「近代洋画小品展」。
値段が二桁違い、3千万円以上の小磯作品もあった。
高野さんに戻り、下地生漆200匁や麻布や箆なども買う。
本格的に「麻紐と麻布による漆工房」を始める準備を少しずつ進める。
まずは出品をこなし、それから商品製作へ、、、
乾漆作品の内側を研ぐと、布が出まくる。
下地付けなどをする。
紐胎など商品的なものが無くなってしまったので、素地を作るための形を粘土を捏ねて作ってみたり、紐胎の型に離型用のビニール紐を巻いたり、、、

10月21日(水)

今日から本当に「麻布と麻紐による漆工房」になる(はず)。
昨晩、最後の勤めから戻り、研いだ後、切り子地でガタガタを埋めたりした。
今朝は、荒砥で研ぎ込んだりしてから、内脇や端の外なとに切り子地を付ける。
健康保険の変更の手続きのため、自転車で市役所へ。
入るとすぐにどんな用かと聞いてきて、窓口に案内してあたる。
その場で新しい保険証を受け取り、石動駅へ。
地元の第3セクターの切符販売機しかなく、遠出はどうすれば良いか?
(後から聞くと、一応JPの切符は駅で手に入るらしい)
ピアゴの三城へ寄り、展示品を遠くから見ることができるものがないか聞く。
オペラグラスを見せてくれたが、片目で見ている姿をテレビのニュースで見たと話す。
カタログを取り出してくれ、載っていた。
値段の高さに最初は迷ったが、オペラグラスでさえ数千円との事で、注文することにした。
古いカタログなので在庫があるか本部に電話してくれ、結局、8倍のを買うことにした。
ヤマダ電機により電池を買う。
この前の日曜よりは辛くなく帰ることができた。
午後からは外形を合わせる前に、擦り合せ・上下研ぎを少しする。
朝付けた下地が擦れるところが白くなっていて、どこが合ってないか(出過ぎのところが擦れ、白くなった)わかる。

そこを研いでおく。
疲れで少し昼寝転び。
合口付近が大体合ったとして、蓋の外を研ぐ。
形定規で見ながら、下地の付け過ぎのところを研ぎこむ。
身も外脇から外腰辺りまで、定規で狂いを確かめながら、出ている所を研ぎ込む。
蓋の甲面と身の腰辺りで、明らかに足りないところにこくそを付ける。
4,5時間してこれだけしか進まないのだから、残業続きでは仕上がる訳が無かったといえる。
今のペースでさえ、仕上がるか分からない状態(狂いが直りきらない)。
夜にかけて、お礼といっていただいた方にお返しする準備など。
残業はきつ過ぎたが、暖か味のある人も多い職場ではあった。

10月18日(日)

乾漆の箱の合わせ具合を直すために削ったところを埋めながら、整える作業もしなくてはならない。
朝は、膨らみを削ったあたりを平面に近づけるため、こくそを広く付ける。
端幅揃えの段を埋めたりする。
蓋の方も、削った痕を埋めながら端幅揃えの段を埋める。
湿り風呂に入れて、アートハウスでの小矢部市展へ自転車で行く。
向かい風でかなり疲れる。
受付の山田さんにアミカル展の葉書を置いてくれるよう頼む。
少しして、同級生だと声をかけられる。
暫くして小学校の同級生の正君だと気付く。
10年ほど前に地区の運動会で会ってはいたが、かなり変わってしまっていた。
お互いに年をとったという話。
奥さんの日本画が展示されているとのことで、見せてもらう。
色彩感のないレンガと右上に木の葉が描かれている。
その葉で秋でも表しているのかと聞くと、陽射しだという。
見ると薄く斜めに光が見えた。
習って半年だが、県展にも入選したとの事で、レンガを版画のように表現したところが新しいというか、独自な点と先生に認められたらしい。
明るい展示室で、工芸と彫刻のところは所狭しと言う感じ。

私のは、朱に見える乾漆椀2個組み。
ヤマダ電機に寄り、写真用紙、インク、LED60W相当を買う。
1時過ぎの帰宅で、昼食の後、昼寝転び。
朝の漆が乾いていたので、稜線合わせなどもする。
まだまだ合わない感じだが、角の欠けの修正も兼ね、端に錆付けなど。

10月17日(土)

FB(顔本)の方が画像を載せられるので、そちらに走ってしまっていたともいえる。
10月はいろんなことが続いている。
4日(日)、富山新聞には載っていた坂下直大先生のお通夜に金沢に。
早めに着き、見かけた奥様に「いろいろとお世話になりありがとうございました、、、」と声をかけ、お互いの目に涙が浮かぶ。
漆に関してはこの10年停滞乃至退歩していたとしか言えないが、21日からは復活へと励むことが恩返しになると思う。
先週の土日(10日、11日)は、日本文化財漆協会の手グロメ講習に受講生として参加。
20代が二人、30代が一人の中に、一人年金受給者。
一滴の漆も大切にする姿は、見習うべきと再認識させられた。
ウルシノキから採取した荒味漆を水分をできるだけ飛ばさないで練る感じのナヤシをしないで、すぐにクロメると艶のない汁っぽい精製漆になり、色漆さえ作れないと聞く。

受講生の内3名(舟と鉢、順番待ち)。後方は見学の富大生(作業には参加)。
受講報告書は12日に大体作成し、14日まで少し訂正し、送信。
講習の前日は、勤め先の倉庫新築祝いと送別会。
まだ完成していないから、私に合わせてくれたともいえそう。
慰留はかなりあったが、漆の時間がほしいし、見える残り時間が数年しかない。
早出と残業の週だったが、昨日は7時半頃には帰宅できた。
翌日帰っていくと聞いていたので、風呂に入ってから姪に会いに行く。
4日に帰国後もあちこち回り、この3日ほど家にいただけだそうだ。
日本の派遣社員みたいな話だったが、カナダでは薬剤師と医師は同列で、労働基準法より優先されることがある(人の命だろう)立場らしい。
法を悪用するのは世界共通?
30分ほどして風呂からあがってきて、日本語で「ヒサシブリ」
lacquerとかexhitition、、、お椀は使っているとの事。
今日は眼科検診で射水市へ。
眼底撮影の部屋で、検査枠に額をぶつけ、心配されてしまう。
自分にしてはぶつかる事はよくあること。
歪みの手術の後、眼科一般という、自分の網膜色素変性症に関しては素人の医師に回されて不信感しかなかった病院だが、初めて対応してもらった医師は誠実な方だった。
右目の網膜の断面はきれいだが、左目のはガタガタになっていて、半年前と同じ感じで固まっているらしい。
歪みは治らないようだ。
見える範囲は、中心の右下にある三角形のようなところだけだと画像で教えてもらう。
これは右目も左目も同じ感じで、正直恐ろしくなる。
iPS細胞治療だけが作家活動への希望。
夕方に乾漆の蓋と身の合わせ具合を削ったりして直していると、子供が顔を出す。
今日、明日ともやって来ないとわかり、落ち込む。

10月3日(土)

今月20日での退職が決まる。
今日の生活を見ていると、本当に漆に専念するのかと疑ってしまう???

9月27日(日)

受信状態が悪くなっていたBSのアンテナの交換をしてもらう。
小雨の中、前のを検査すると、僅かは電波を受信はしているが、デジタルの方はダメだそうだ。
付け替えてもらうと鮮明に映るようになる。

金曜は9時半、昨土曜は8時57分に帰宅と、残業続きから抜け出せない。
昼前に石動に行って用を済ませてから、乾漆椀の上塗にかかる。
朱と白の混色に、朱と白を掃いたようにのせてみたいとやってはみたが、、、
夜見るともう乾いていて、発色が悪い。
乾漆の箱の立ち上がりが、外に歪んでいるのを直すため、内側に麻布片を貼り重ねていたのだが、まだ足りない感じ。
今日は、丸ノミで外側の出すぎのところを削ったが、蓋は被らないし、まだまだ。

9月22日(火)

掲載する画像が多く、ずっとFB(顔本)に載せていた。
定年を過ぎても、まだ頼まれて勤めているのだが、今までとは違い、自分の関係する行事を優先することにしている。
18日(金)は一日休み、「アートハウスおやべ」の開会式に行く。
テープカットが終わり、横から声をかけられるが、眼鏡では近くがよく見えない(逆に数メートル離れると眼鏡なしではよく見えない)ので、すぐ誰であるか認識できなかった。
となみ野展では会っていないので、一年ぶりぐらいで会う堀田先生だったが、急に衰えた感じだった。
300号やら600号とかで、兎に角大きな作品が多かった。
緻密なところにも気を配っていて、見応えがあった。
アートハウスの生みの親といえる加賀谷武先生の解説が風に揺られて途切れ途切れに聞こえてきた。
芸術は、作者の解説があれば終ってしまう(逆に言えば、そんなのは芸術ではない)
誰でも感じることはできる、自分なりに感じることが大切。
午後はいろいろの手続きをする必要があったのをこなし、またアートハウスに観にいく。
19日(土)は、アートハウス小矢部を支援する「おやべ作家チャリティ展」の会場準備に午後から行く。
20日(日)は、そのチャリティ展の会場当番に午後から行く。
頼んで描いてもらうわけにもいかないし、こんな機会に手に入るなら嬉しいと買ってくれる方もあった。
私が出した漆椀は、今日売れなければ予約するということで、何とか役に立ちそう。
北日本新聞の取材はあったが、翌日の新聞には全く掲載されていなかった。
21日(月)は朝から、連日の石動通いで、まず観音寺へ行く。
23年前の母方の祖母の葬儀以来になるので、ほとんど覚えていない。
10点余りの小矢部の作家の作品と観音寺収蔵宝物展。
宝物は知識がないと、つまり印などの意味を知らないとよく分からないことになる。
芸術としてみるのなら、直に対すればよいだけなのだろうが、、、
歩いて北日本新聞Webunへ行き、新聞記事を見たわけ。
チャリティにも顔を出してからまた歩いて戻る。
途中、川原茶店でお茶をどうぞと言われ、中に入る。
「どこから?」と聞かれ、「七社」と答えると、すぐに返答がない。
「正得の」というと、水落の野沢さんから来ているとのこと。
巌さんとか清三さんとかと同級生だったとのこと。
またアートハウスに寄り、気になっていた作品を写す。
夕日の中のヒガンバナを強制発光で撮影。

今日22日は、朝から郵便局へ出かけるも、高波のは閉っていた。
石動ので通帳記入するも、何の記載もない。
毎日少しずつすすめている乾漆の仕事をし、休んでいると電話。
アンパンマンで一杯のようだ。

9月13日(日)

いろいろな日程をカレンダーに記入してから、外出。
帰宅後、昨日つけた葉書を切って作った型に麻布片を2枚重ねで貼る。
作業中にやって来たが、すぐ終わるのでそのまま続けた。

夕方には、はみ出ている部分を鋏で切り取り、裏腰に切り子地付け。
一応仕上がるようにもって行くつもり。

9月12日(土)

昨日、やっと代わりに来ることになるかもしれない人が働きに来る。
収入がなくなることになるが、体力や視野(数年以内に中心の一点の光だけが残るようになる)の問題もあるし、この機会に漆だけに集中するようにもっていくしかない。
午前中に外脇の形作り(直し)。
夕方から立ち上がりを作るための型となる葉書貼り。

秋にかけての展覧会などの作品、これからはサボるわけにはいかなくなるだろう。
そうしない限り、漆ができる間は漆に賭けるというのが嘘になる。

9月5日(土)

8月までのページで、画像サイズが大きすぎるためか、アップロード失敗が多いので、新しいページを作ることにした。
人より早めに帰れるとはいえ、相変わらず残業が続く。
木曜夜は、豪雨で吹雪ぐらいの見通ししかなく、更に路面が光まくり、何度もブレーキを踏みながらゆるゆると帰ったが、後ろから来る車がなく、何とか帰宅できた。
昨日は7時に帰宅できたので、手グロメ講習のファックスを見た後、石動の林さんに電話。
今日の昼過ぎに受け取りにおいでる。

一応、喜んでもらえる。

9月6日(日)

朝6時から秋祭り前の境内の草刈など。
Eテレ日曜美術館で、輪島の超絶技法への挑戦をみる。
身付けの平面を作る難しさもあったようだ。
乾漆の素地の周りにラミー紐を巻く。
ガラス板の上に置き、端が水平になるようにした。
夜、ガラス板から剥がす。

乾漆の箱の、端の水平作りと合口周りの形合わせを繰り返している。
夕方、野村さんがラスクを持っておいでる。
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