漆に纏わる話 2012年版

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12月24日(月)

昨日からパソコンの前で過ごすことが多かった。
先週だったか、プリンターのヘッドが故障したらしく、見てもらいに行った。
メーカーの修理代は一律で・・・、新品を見に行くと、1000円高いだけ。
部品の保存期間とかもあり、新しいのを買い、その設定も自分でしてみた。
パソコンにも余り触らないし、プリンターも使いながら慣れるしかないといえる。
分かった頃、慣れた頃に、パソコンを使う必要がなくなる感じ。
外出後、机の周りや棚の中を整理。
昨日塗った裏側を黒漆で中塗りなど。
寒いし、粘りすぎる感じなので、灯油でのばしてかかる。

12月23日(日)

晴れることの少ない北陸の冬、昼頃まで好天。
薔薇が咲いていた。
ノロウイルスの所為で、出会いが制限されている。

乾漆片口の裏漏れ、思いつきで削ってみたりしたが、結局、地球の水平線が全てを決めていると気付く。
最大水量のとき、注ぎ口の裏が水平線より上向きの方向になっていることが必要。
そうなっていれば十分ともいえるのかもしれない。

石膏雌型から作った素地の乾漆水指は、狂いまくっているのを下地などで直そうとしている。
黒の中塗りもする。

12月9日(日)

思ったほど積雪はなかったが、スタッドレスタイヤは必要なほどではある。
飲みすぎた後、柿を数個食べてから寝たが、軽い二日酔いにはなった。
晴れ間というか、雪の止み間にとうゆをいれたりなど。
午後少し外出した後、端の水平研ぎ。
まだ完全には水平が出ない。素地が動くのか?
アクリル平面定規に当て、まず分割位置のチェック、それから足りない部分のチェック。
乾漆水指に関しては、錆で形直し。
昨日浮いていて削り取り、刻苧で薄く埋めておいたのは、一部不硬化。
乾漆干菓子盆二つ、小皿なども地研ぎの続きなど。
端などに生漆を箆で渡し、ふきとるなど。
寒いし、ファンヒーターを焚いても漆の乾きは悪い。

12月8日(土)

今週も残業続きで、平日の漆作業は全くできなかった。
逆に言えば、漆への思いが全く無いとも言える。
また逆に言えば、自分をそこまでいじめる必要も無いともいえる。
水曜夜の帰宅は、霧が深すぎ、時々運転を止めざるを得ないほどだった。
どうにか帰宅し、写真を撮ってみた。


今日は、桐箱を受け取りに行くと、営業中かと思いきや、休み。
伝統工芸の世界は先がない?
タイヤ交換の話などをしたり、、、
帰宅後すぐ、病院へ、、、、
視野のゆがみ、視野検査(左目のみ)etc.
労災云々という言葉が聞こえたから、その所為かもしれないが、聞いた事も無い医師の診察室へ。
インターネットで調べると11月に新任の名古屋大卒らしい。
患者に関心がないというか、分かりもしないことを何でも担当できると思い上がっている感じの、素人同然の感じを受ける人物だった。
長々と受けた検査が何だったのか?
歪みが少なくなったとはいえ、残り続けることへの無関心、画像への無関心、、、
逆に言えば、解析する能力が無いことの裏返しともいえる。
中心の光を見続けるように言われても、中心の光の左下付近に盲点か歪みがあることなど、、、(信用できないので、話はしなかった)
今年のノーベル賞の方の、多分先輩だろう方には会えなかった。

寿命的にはあるだろうが、視界的には先が無い感じ人物として何がある・・・?
乾漆片口の裏漏れの試験、前よりは少なくなっているが、直りきっていない。
注ぎ口の下に上向きの場所が必要とはいえるだろう、つまり今の作品にはそれが無い。
回転すしのかいおうで2時過ぎに昼食。
タッチパネルでの注文など、初体験で戸惑ったが、出来立ての品が新幹線のレールで届き、数人で混んでいない時間帯なら快適な感じ。
雪が積もりそうなので、スタッドレスタイヤに夕方交換。
飲めるのは今日までなので、飲みすぎの感じで飲んでいるところ。

12月2日(日)

紅葉も最後の一葉を残すのみになった。
昨夜も残業で、帰りにうっすらと初雪が降りてきていた。
4合半飲んでも今朝は平気だったが、乾漆片口の裏漏れを初めて確かめてみた。
注ぎ口のところを中砥で研いで塗っていたのだが、滑らか過ぎるのか、裏漏れがひどかった。
注ぎ口の外の端に、雲形定規を当て、千枚通し(豆錐)で溝をつけて、また確かめる。
流れるほどの裏漏れは直っていなかった。
どうせ正確には溝はつけられないだろうと、先の溝を無視して、溝を端と裏側に少しまでつける。
溝が中央に斜めに向かうより、外に向けて広がる方が水の流れが妨げられるのでは?と考え、そういう溝もつけてみる。
結果は今のところは上手くいった。

盛り漆を摺りこんで、金箔のくずを溝に入れようとしたが、上手く入らず。

先週は異常な残業続きで腰痛悪化、疲労困憊で漆の作業は何もしなかった。
その前の三日間は、アミカル展と宮の雪吊りなどで過ぎていた。
初日に昼食から戻ると、受付のところで記帳を見た人たちが、どうしてこんな有名な人が見に来たのかと話している声が聞こえてきた。
振り返ってみると前においでた。
軽く挨拶。
後から、こちらから案内を送ったと話す。
白内障ぐらいではしっとうしてもらえない、、、などという(噂)話が次々と出てきた。
治療費がやすくてすむことがあるということなど、普通の状態ではないということ。
翌日は、知人が来ていたことが記帳から知った。
最終日はこどもがきていった。
新入会員の関係での入場者が目立ち、同窓会の雰囲気だった。

11月18日(日)

今月に入ってから雨天が多すぎる感じ。
昨日は乾漆片口の内側の上塗。
ゴミ上げはできたが、後から見ると別のところにゴミがあった。
午後から見舞い、買い物など。
今日はまた顔を見に行くと、起き上がったりしていた。
午後からはころころモチを持っておいでる。
夕方からやっと漆の作業。
蓋のガタを直そうとしてはいたが、相変わらず狂ったままだった。
水平研ぎを軽くして、研げないところに錆を渡し、ガラス板に押し付け、左右に揺すりながら外す。

素地の動きが止まっているかどうかも不明、、、

読書の方は、盆頃に読み始めた「チボー家の人々」の第五巻に入っている。
筋は全く覚えていなかったといえる。
戦争と平和に関する対応とか考え方をいろいろ対置して物語を展開している。
100年後にも同じことを現実の中でもやっている。
小説の中でも、p176に・・・何百年かかるだろう?・・・

11月10日(土)

すっきりしない日々が続いている。
朝から透き漆の上塗のための作業。
ビンツケの代わりに厚めの両面テープを使って上手くいかなかったので、今日はビンツケ。
日本産漆だけの塗りを重ねるのは初めてなので、アラビック糊で薄膜を作ってかかる。
ゴミの件に関しては、仕事の方に記述。
朱を練って、塗ってみて、少なくとも今使っているH22の浄法寺素黒目漆の透けは非常に悪い。
透き漆として、下が白漆でも、朱漆でも、1回塗っただけで、差がわからないほど。
朱の発色的には、中国産のより極めて悪い。

20年ほど前の子供の美術作品。

中央のは、今年の正倉院展の目玉作品。
何時の間に関心を持っていたのか、あの当時も不思議だった。
右は、親である自分。

11月4日(日)

久し振りに晴れる。
気温の上がらない日々が続いているが、一日晴れると気温が上がっている気になる。

昨日は浄法寺素黒目漆を塗る。
今朝は9℃、63%で、青息がかかる程度で、光ったままだった。
下のスポンジに水をたっぷり含ませて、気温が上がるのを待つだけで、なにもしないことにした。
午前中は、数日前45分ほど練っていた朱を練り足し、浄法寺素黒目漆を混ぜ、漉す。
白漆が粘りすぎているので、樟脳の粉末を混ぜ、漉す。
午後は、取り替えてもらった階段の板に滑り止めをつけようと、買い物に出かける。
ノートや縄なども買う。
強風で傾いた木を引っ張っておくために縄を4本にして縛る。
紐胎杯の外側に朱、白を塗る。
干菓子盆は塗る予定ではなかったが、全て浄法寺の素黒目で作ったのを塗るのは初めてなので、どんな感じになるか確かめる意味もある。
相変わらずゴミだらけ。

10月28日(日)

何やかやと時間が過ぎていき、漆を始めたのは10時半頃。
片口の内側、干菓子盆の表側がなかなか静岡炭で研ぎきれない。
紐胎盃(杯)の外側の艶消しが終って昼過ぎ。
投票に行ってから、農業祭でうどん。
小雨模様だったが、人でいっぱいだった。

車で移動して、顔を見に行くと、駐車場で偶然妹と会う。
帰宅後、水銀朱に少しだけ漆を足して、朱塗り。
いろいろ持っている刷毛を漆の汁っぽさや粘りに応じて使い分ける感覚がやっと判ってきた気はするが、流れ具合が上手くいかない。
夜になってしまい、もっと漆をすればよかったと後悔する土日が続いている。
テレビを見ているわけでもないし、読書三昧の訳でもない。

10月27日(土)

明日が荒天らしいので、好天のうちに金沢へ行くことに。
昼過ぎに着く。

昨晩のNHK北陸版や、この前の日曜美術館で見ていたのとかなり印象の違うのもあった。
1週間ほど前に、子供の運転している車で聞いたラジオで中国の考え方を言っていた。
弘法大師の書、崔子玉の座右の銘「無道人之短、無説己之長」の解釈の変更を迫るものだった。
日本では、上から目線で、誰にでも何か一つぐらいは良いところがある、それを伸ばすように褒めるようにすればよい云々。
人の短所を指摘しても自分の成長にはなんの役にも立たない。
人の長所を見付け、それを目指すか、乗り越えようとすることで自分を成長させる。
木工の机、短側面の表情に一工夫があれば受賞では?と勝手に感じた。
緻密な技術と見せ所というのがポイントであることに変わりは無い。
2階のコレクション展を見て、第一展示室の国宝が、こちらからの左斜めの方向が一番締まっていた。
生誕100周年記念の静かな雰囲気の作品に比べて、下の階のうるささが思い出された。
車を預けて遅い昼食をいつもの中華料理店で。
アミカル展の活動を休止するかどうかという事が2年ほど前に問題になったことがあった。
富山県の文化の向上に資することがあるかどうかがポイントだとFさんが仰った。
そう発想が無かった自分にはかなりのショックだった。
日本の文化の向上に資することができるか、もう一方、自分のしたいことをする(誰もしていない自分の独自の表現がしたい)という二つの世界を背負うのが作家だろう。
では文化とは何?というところで行き詰まる。
奥行きが空間の表現となり、手前の空間も意識させる表現云々。
生きていることを感じさせることが、逆説的ではあっても必要なんだろう。
生漆やHさんの地の粉などを買い、郵便局に寄ってもしまっていて買えなかった切手を買うためにピアゴに寄ったり、、、
帰宅後は、静岡炭研ぎを少々、あとは飲んでいるだけ。

10月21日(日)

昨日は、乾漆片口を名倉砥で研ぎ、目立つ凹みに錆。
それを今日は、名倉砥で研ぎこみ、塗れる状態まで持っていく。
夕方、内から外腰辺りまで、ベンガラ朱を塗る。
乾漆干菓子盆は、今日、裏側を名倉砥で研ぐ。
夕から、浄法寺の素黒目で外側に塗る。
厚みがどの程度が適当かよく分からないので、渡して広げた時に刷毛筋の幅に差が出ない(同じ幅になる)厚さにした。
その前に、紐胎杯(盃)の内側にも素黒目漆を塗る。
内底に、貝粉を蒔いてしまっていた。
夏に車の中において熱処理をしていた乾漆水指(雌型)を昨朝水に浸し、昨夕に石膏原型を壊して取り出した。
軽く水平研ぎをし、ガラス板の上において、石を載せておいた。(蓋は甲面を下にして)
今日はもう少し丁寧に水平研ぎをし、蓋の方も端を下にしてガラス板の上に置き、重石をする。

好天が続き、ねぎの先にトンボ。

石動方面へ昨日は子供と、今日は一人で行くと、妹が来ていた。
後から兄夫婦も来た。腫れはかなり引いたようだ。

LES THIBAULT第3巻
・・・日本のうるしの木が一本あって、その漢方薬をおもわせるしつこいにおいが、あたりの空気に毒をたきこめていた。・・・(p274)
・・・そしてときおり、息のように軽やかな風につれて、何かしら、にがい、そしてかすかに甘みのあるにおい、薬用シロップのにおいとでもいったようなものが、ふたりのところまでにおっていた。それは、病院の薬局からのものではなく、遠く木立の中にまじっている、小さな日本産のうるしの木からのにおいだった。・・・(p292)
今は第4巻に入っているが、原書ではどう書いてあるのだろう?
うるしの木ににおいを感じるということは、パリでは異質な植物だと言うことだろう。
教養の時の教科書に Laissez−moi seul!というのがあった気がするが、読み直してみて、チボー氏の言葉だと第1巻のとき分かった。
第一次世界大戦前の会話と現在のとに、余り違いを感じないのは何故だろう。
外から人間を変えようとすることに無理があるのかもしれない。

10月14日(日)

早起きしようと思っていても、前夜の飲みすぎでなかなかできない。
新聞を読んだだけで駅まで送ってもらう。
工事中の道の所為で遠回りになったが、一つ前の列車に乗ることができた。
地理感覚がかなり麻痺していて、道路にある地図を見て何とか進む。
かんすい公園までの道を川沿いに進む。
飛行機
自遊館へ行くとロビーに何かの受付、人が溢れ、場所を間違えたかと感じたくらいだった。
人の集まりも悪く、予定より30分ほど遅れて開始。
50人限定の創作料理。いろいろな品を少しずつ調理してあった。
場所を変え、画像を見せてもらったり、、、
人の入れ替わりもあるようだった。
それからNさんの軽トラに乗せてもらい、落下した額の掛け直しについて行く。
丈夫なものを使い、吊り下げも3点にする作業だったが、楽ではないように見えた。
裏の茶をやっているそうで、侘び寂とは何かなかなか分からないのに、軽くそういう言葉を使う人がいて困る、汚れは侘びではない、、、
作品を見て優しさを感じてもらうNさんにはあちこちにファンがいるようだ。
自分に関しては、漆が好きというより、麻布と漆で物ができることに興味を持っているだけ。
家まで送ってもらう頃には薄暗くなっていた。
ラジオで帯広からの放送、テレビで8月20日過ぎに見逃したすいえんさーvsとうだい。
昨日塗ったベンガラ朱が乾いていず、干菓子盆に切れ込みを作る作業を少ししただけ。

10月13日(土)

その間は長くむなしいが、終ってしまえば早いという日々。
生活費のための日々が肉体労働といっても、体力が全くついていないことは、自転車で少し走るだけでも息切れがする姿で示される。
午前は、乾漆片口の研ぎ。まだひどい凹みがあり、錆。
テレビを横目に、すいえんさー、プリンと遠心力、理系でないのがよく分かった。
テストの花道、(午前)適当な数字から、7を順に引いていく、(午後)例えば兎の正面からの写真を見て、側面ではどう見えるかを描いてみる、(夕)妄想を膨らませ、それを川柳にしてみるというふうに脳を刺激する。
学校時代も日によって頭の働きが全然違うという自覚はあったが、そういう話だった。
芸術とは何か、さっぱり分からないのが本音だが、分からない間は、言葉によってと言うか、言葉を並べることで、何でもいいから接近するしかない。
午後から、叔母のところ、この前の骨董をみせてもらった話、夢で見たという松本の叔母、、、
母のところで、医者通いとか、運転免許のはなしとか、、、
自分の事に関しては、今まで通っていた道が、あちこちで工事の所為で通行止め。
白線のある県道でやっと夜間に運転している状態だから、右折が極めて難しくなっている。
実際、左目の歪みは残ったままだし、視力は悪いまま。
頭の上の方から聞こえる話で、手術してもしなくても、黄斑の見える所がジリ貧ということだった気がするが、その通りな感じ。
ちょうど二ヶ月前の日に、1時間半ほど、目の中でグルグル青っぽい光、白い光が回っていた。
元々分かっているように、失われた視野が回復するわけでもないし、結局、特定疾患に指定されているのから派生したのが、更に悪化するのを阻止したというにすぎないようだ。
夕から、午前の錆を研ぎ、ベンガラ朱で乾漆片口に塗る。

10月8日(月)

午前中は干菓子盆などの地研ぎ。
片口の形作りで錆付け。
午後は、内側にラミー紐を貼り、亀裂が目立つようになっていた椀の紐を彫刻刀ではぐる。
浮きも無い感じでも、紐の間で亀裂ができることがあるようだ。

昼下がり、石動の親戚宅へ。
40年ほど骨董で遊んでいると話され、主に漆の品を見せてもらう。
碩学に聞いたりもして、室町時代頃のものといえる瓶子。

高さは37センチほどで、中は四角くなっているそうだ。1升。
漆椀も日常使っているそうで、いろいろとみせてもらう。
知っている人、聞いたことのある人が次々にでてきた。
新認定の人間国宝と30年来の知り合いだそうで、香合を置く台を利休の再現的に作ってもらったりしていた。古い蔵の栗の床板が、多分神代ということで早めに作ってもらえたようだ。
夕方、nhkラジオを聞きながらベンガラ漆を塗っていると、6時半過ぎにノーベル賞の速報が入った。
過去の業績に対してではないので、これからも研究を続けるという意欲が見える。
Y君の脊髄損傷にも希望があるかもしれない。
黄斑変性が一番可能性が高いらしいが、原因が加齢でないものには?

10月7日(日)

朝6時からクリーン作戦。庄川では、昨日やっていた。
ベンガラ朱を作り、乾漆干菓子盆と紐胎杯に塗る。
ベンガラは混ぜただけで練らなかった所為か?漉し紙に漉せないままかなり残る。
透き漆を足して保存。
昼にクロスランドでのど自慢。sawadaさん。

瓶子やヒガンバナ、、、
枝を下ろす。
木漏れ日の中、読書。
さびをとぐなど、、、
飲む。

10月6日(土)

朝、40年以上前に役割を終えた地区の施設に関する法要へ。
手作り工房であり、「ものづくり」がこの国を支えていると言うのとは違うとは思っても、人から認められなければどうしようもない。
乾漆片口の側面の形の不揃いを修正するため、錆を渡し、引き箆を使ってみる。
美術館への返事を書いて、午後から庄川へ。

アミカル会で初めて見たとき、・・・では日本最初と自分で言って人のは、絵画のように枠を区切る意味が分からなかった。
靴と焼酎を買い、帰宅後研ぎ始める。
疲れで寝転んだり、、、錆を見て、漆は終わり。
飲んでいるだけ。

9月30日(日)

当地では台風17号が少しずれ、雨や風の影響があるだけのようだ。
今朝のヨみウりの書評。
この前、nhkでも陸軍や海軍の情報握りつぶし(数通の電報)を放送していた。
T先生が戦死した夫のことに関連して、何も語らずに死んでいって卑怯なやつだと言っていた当市出身者の名が出ている。

片口の側面につける模様、昨日のは太すぎ取り除く。
戦時中に配給されたという麻糸で紐を作ってみたが、なかなか太くならず、結局、ほとんどラミー紐を使うことにした。
干菓子盆は地研ぎをして、中塗りを入れたり、凹みを直したりと、品によって作業をいろいろ、、、
今は何をしたいのか、自分でもよく分からない状態。

9月29日(土)

日の予約だけで、時刻の予約が取れていなかったので、8時半過ぎに家を出たが、待ち時間だけで2時間弱ほど。
盆に読んでいた本の第3巻をかなり読み進むことができた。
時代背景が100年前なのに、そんなに差を感じないのは、読み手の無能力の所為かも?
担当医が休みだとは予約時点で知っていたが、視力の回復は余り期待しない方がよいとか今日は別の意見を聞かされた感じ。
2週間ほど前は、勤め先の暗いところで吊ってあるものが眼鏡にぶつかり、レンズが割れてしまった。
ゆっくりした動きだったが、ガラスレンズだったので、割れてしまった。
目に破片は入らなかったので助かりはした。
割れたまま眼鏡をかけていても、誰一人左目のレンズに径1センチぐらいの穴に気付かなかった。
網膜の黄斑前の水を取り除いてもらっても歪みが少なくなったとはいえ、残っている。
次回の予約を何とかとって、乗せてもらって新湊方面へ。
海王丸パーク、それから最近開通した新湊大橋を通る。

夕方、糊漆を作り、乾漆片口の側面に麻縄などを貼る。

9月23日(日)

昨日は午後から、市制50周年記念(芸文連も)の小矢部市芸術祭というのを回る。
クロスランドでは、昨年急逝された方関係の展示や県内からの招待の彫刻展など。
インド風の修行僧の感じのがあった。
運慶・快慶的でないということが独自性を保証するのだろうか?
道の駅メルヘンおやべに行く。
陶芸の造形性が目立った。
乾漆干菓子盆に関しては、サッと前を通り過ぎただけ。
収入以上の支出に対応するため、キャッシュコーナーのある店へ。
プリンターの黒インクが切れていたので、買う。
昨日、今日と乾漆片口の中塗りを黒でする。
持ちやすいよう、端に角度をつけ、交差させるところと作ってみる。
模様がいるかどうかも、恥ずかしながらよく分からない。
紐胎盃も黒で塗る。
古い黒漆なので粘りすぎ、ムラ塗りになるので、灯油で柔らかくしてかかる。
夕方から、作家展の搬出に行く。
こちらがほとんど顔を出したことが無い所為もあるが、知っている人は数人だけ。

9月17日(月)

三連休はすぐに終ってしまう。
今日は台風に吹きこむフェーン現象で35度を超えたようた。
給油と酒券などの用事で出かけた以外、3日とも家にいたも同然だった。
昨日は朱の上塗。今日縮んではいなかったが、刷毛筋が少し目立っていた。
乾漆干菓子盆の同じような形のを3個、地研ぎをしたり、、、
乾漆水指、紐胎杯の作業も少しずつ、、、
LES THIBAULT(山内訳)も、2巻目から3巻目に入る。
父親の中の、宗教(カトリック)的な確信とその裏にある偽善かなという不安。
「老い」にあった未来がないという姿が描かれていた。
別のものに立つ世界を求めての対立、、、

9月15日(土)

小矢部関係の作品を何とか仕上げるために今日は裏の上塗(のつもり)。
盆頃から復活した読書の習慣で、かなりの時間を過ごした。
32℃以上だったらしく、夕方豪雨。

9月9日(日)

昨日、今日と乾漆干菓子盆の、内側の花弁模様をきれいに作るために苦労している。
ヤスリで削ったり、小さい彫刻刀の先で削ったりして、塗ってみると、ガタガタが残っている。
小さい形砥石で研ぐのも今までやってみてはいても、きれいにならない。
膨らみの部分を中心に研ぎ、境の溝を研がないように、砥石のその部分を研ぎ減らしてかかる。
ヘッドルーペで拡大してみたりもして、塗ってみるとまだ直らない。
もう余り時間がないので、今日の午後は静岡炭で研いだだけ。
理屈では、溝をきれいに作り、その間に膨らみを彫刻のように作ればよいのだろうが、できない。

不眠症が続くので、昨日は朝5時、今日は5時半に起きる。
生活を朝型にすれば、夜疲れるとかいう話なので、、、
寝つきが悪い、眠りが浅いというのが症状。
平日は筋肉労働がきつい生活だから、年齢的な意見は通用しない。
早朝に漆をし、途中で乾かす時間を取り、また漆の作業をするという方針。

9月2日(日)

昨日は掃除の仕事で一日勤めに。申し込んであった件は欠席に。
疲れもあり、帰宅後は読書さえせず、飲んでテレビを見ていただけ。
今朝も熟睡できないまま朝の6時から宮の草刈、祭の準備関係など。
疲れを少しでも取るための水シャワーを浴びる。平日もそうしている。
戸出へほぼ直進で10分余り(信号が多すぎてもう少しかかったか?)。
二日続けての奈良からおいでての講演会(自分は昨日欠席)。
「漆工品の復元・模造について」
頼朝と重源による東大寺の復興にはその時代の考え方、創作、技術が使われた。
明治期以降は、正倉院の復元模造を通して学んだ事を通して修理に生かした。
レントゲンによる透視が技法の解明の助けにもなり、布貼りが接着の角(隅)に行われていた、、、
春日大社の蒔絵筝の流水模様には銅粉も使われているそうだ。
貝が繊細に切れるようになると、毛彫りは必要なくなった、、、


Tさんが、10分程なので家の仕事場を見学に来られる。
作業中の品を机に出しっぱなしの状態。
手作りの回転風呂やら、数は持っているが使うのが限られている刷毛など、、、
金髪刷毛はダミ刷毛に適しているのではとのこと。
砺波インター付近まで先導し、こちらはキャッシュコーナーへ。
浮世絵と江戸の地図かなんかの本が面白そうなので買い、総合病院へ。
面白そうだと言ってくれる。
申請はしたが、認可はまだとの事。
車の運転をしようという意欲がわいてきているようで、車椅子を軽いものにするつもりとか。
帰宅後、テレビで今日受け取ったDVDを再生。
手の動きがすばやかったが、録画してない技法があるのもわかる。
疲れで耐え切れず、夕寝。
夜、ヤスリで削って形直しなど少々しただけ。

8月25日(土)

この前の日曜以来でパソコンを立ち上げる。
昨日届いた二人展案内。


「月曜から仕事に行きましたか?」
日曜の朝の質問を覚えてもらっていたのかもしれない。
ほとんど動くことの無かった一週間のあと、階段を上るだけで極度の息切れ。
汗をかきまくるしかなく、何とか動けるようにはなった。
太股に極度の筋肉痛。
火曜日には痛みは残ったが、日を経るに従い、痛みは少なくなった。
年齢の割には元気なのかもしれない!
水分不足は勤めに行っている限り、変わりない。
今日は朝、検査予約の時刻に着くも、同じ時刻の予約が多いのか、かなり遅れる。
昼頃に一週間前の支払いも済ます。

ドウセミエナクナルナラジブンナラナニモシナイというありがたいことばもきかされた。
トクテイシッカンノオカゲデジコフタンガホトンドナカッタからというかクニノホジョヲワスレテハイケナイトハオモウ。
高校の時の本の再読、生き直せない以上、どうすべきか、、、
漆的には、技術があれば落選数が少なくなっているといえるとはおもう。
作家的には40過ぎで始めた漆の世界、まだまだのびしろがあると勝手に思ってはいる。

8月19日(日)

真夏日、猛暑日、雷雨などとは無縁の日々を過ごしていた。
漆とも離れ、久し振りに読書ができた。
ほぼ45年ぶりに再読しだした LES THIBAULT
全く筋さえ覚えていないと気付く。
翻訳が何故読みにくいかと考えると、漢字の使用が少ないためだと分かる。
明橋さんの本も読んだが、所謂問題を起こす子供の育ち方は時代によって違う。
翻訳の第1巻の3/4ほどまで読んだのだが、カトリックを基準に善悪が決まる。
プロテスタントが出てきて、小説の時代には無宗教的な考えが出てきている。
否定し、その上に新しい世界を作っていく。
愛の不足、否定に対する反抗など、深いところでは時代を超えているとはいえよう。
存在することを認めてもらい、自らの生き方を見つけていくというのも共通点だろう。
高校のときはどう読んでいたのだろう。
表情の細かい描写など、頭がフル回転している感じ。
ほとんど片目で見ている感じの日々だったので、遠近感がはっきりしなかった。
左目には今も空気が残っているので見えにくいまま。
真夏の中に出て、雷雨もあり、また晴れる。

8月12日(日)

石膏雌型に麻布7枚目を貼るまでの作業を第一にしてきた。
原型を、壊した石膏の平面部分を主に利用していた乾漆大皿は、外回り自体が狂っていた。
平面定規を素地に当て、ガムテープで4箇所固定し、下地を渡し、幅定規を引くことを思いつく。
4回引くことで、見た目には大きな狂いは見えなくなった。
紐胎の方は、新しい良い方法が見つからないまま、今まで通りの作り方でやっている。
母が、25歳で亡くなった父親が育てていたのを受け継いでいると言っていた8弁の桔梗が家にも生っていた。10弁か?

夕方からは部屋が広くなるようにし、そうじ。

8月4日(土)

紐胎杯の作り方を考え直していた。
型にそのまま麻紐を巻いてみると、それだけで型から抜けないと気付く。
離型用に細いビニール紐を、今まで通り巻くことにした。
その上に麻紐を巻き、糊漆を上から渡す。
麻布を貼り、更に麻紐を巻く。
2回麻紐を巻くことで熱の伝導を押さえようと考え訳。
水曜日に作ったのを昨晩(金曜)型から抜こうとしたが、ビニール紐さえ引っかかり、その上内側に巻いた麻紐まで外れてきてしまう。

結局、今日は今まで通りの作り方に戻る。

7月29日(日)

平日は汗が噴きだし、水分をどれだけとっても不足感が抜けなかった。
帰宅後も、西瓜を半分ほど食べてみてもまだまだ飲みたかった。
その所為もあるのか、寝転ぶ時間が6時間ほどなのに、熟睡できない日が3日以上続いた。
昨日今日と、暑さが続いているとはいえ、水分不足は感じない。
夏のコスモス。

庭のほうは水分不足らしく、今日もう枯れていた。

7月15日(日)16日(月)

この1週間は割合早めに帰宅できる日が多く、朱を練った後、その日のうちに塗りをすることができる事もあった。
黄口15g、赤口5gを出し、浄法寺素黒目漆6gと混ぜ込み、練る。
それに四十沢と浄法寺を混ぜ、古いのを混ぜた。
黒田本朱も同様だったが、比重が重い所為か、秤が狂っているのか、何か変だった。
夜塗り、朝見るともう乾いていた。28℃くらいで、湿度は60%−65%ほど。
エアコンは電気が通らなくなっていて、コンセントをさしても、反応が全く無い。
今見ると、夕方7時頃塗った黒田朱、もう乾いていた(9:40pm頃)。
(16日)平日に研ぐと塗る時間がなくなるので、昨晩2時間半ぐらいで乾いてしまった黒田朱を大体研ぐ。
今日塗る予定の表側(外側)を、静岡炭で研ぎ上げる。
その間に受け取りに行き、買い物も。
来客までの時間に、散乱していた書類を少し片付けたりする。
フェーン現象との事だったが、ここは昼頃雲がかかったりしていて、35℃には届かなかっただろう。
勤め先の暑さに比べれば、今日ぐらいでもそんなに暑いとは感じない。
実際、汗の出方が全く違う。
エアコンが故障しているので、漆を塗るための湿度調整ができない。
漆風呂の中が33℃、54%だったので、何とかなりそうな、、、?
摘み付近の塗りが難しく、どうなるか、その方が問題かも、、、
黒田朱の乾きが異常に速いので、古い日華朱の本朱(赤口が混ぜてあるかも?)と混ぜる。
今日の塗りの漆風呂の中に付けを置いておく。

7月8日(日)

先週は早めに寝ようと思っても、結局、睡眠時間が6時間余りの日が続いてしまった。
凹み加減のところが上手く修正できないことが主な原因。
ロクロの利用はかなり有効ではあるが、使えないところは箆の撓りが大切だと理屈では分かる。
ベンガラ朱塗りにより、黒漆が透けてくるというのを避けている。
昨日も半日ほど会社へ。
夜は久し振りに飲みまくり、危ないと思い、胃薬を飲んで寝る。
今日は午後から来客予定で、かぶれてもらっては困るので、昼からは漆を触らず。
車の中で眠っているとの事で見に行く。

返しに頂いたものだが、海外生産で廃れたのから復活したことで有名なタオル。
日曜美術館では浅井忠の工芸の図案をやっていた。
日本古来の図が右上から左下にデザインされているのは、絵巻がそういう風に見るからだと言っていた。
躍動感を与えるようにしたり、大津絵を更に簡略化してみたりもしていたそうだ。
漆の生きる道は、人をひきつけるデザインと真似のできない水準の表現を併用できるかどうかというところにあるのかもしれない。

7月1日(日)

帰宅はまた早くはなくなってきた。
昨日は部会の研究会。
技術がよいのは当り前で、どういう意識で考えているかが大切。
素材を生かして、たとえば波の揺らぎをどうすれば表現できるかと考える。
終った後、不眠症が続いているなどと話す。
作品作りでは他の人のほうがはるかに全力を尽くしているだろうが、それに取り掛かる前に自分より肉体的に疲弊している者は誰もいないだろう。
年をとったら睡眠時間が少なくなるという説は、若者さえ辛いという収入のための仕事をしている自分に当てはまるわけが無い。
今日は久し振りの雨の中、法事へ。
漆のほうは、ロクロを使っての形の修正が主。

6月24日(日)

不況になったのか、かなり早めに帰宅できる日が多くなった。
水指の作業を優先的に進めているので、他の品は停止状態。
干菓子盆の内側の盛り上がりの線の作り方が(研ぎ方が)分からず、停止状態。
今日搬入すべき市展への作品が完成できなかった。
木曜夜9時55分頃のNHKラジオのニュースで訃報を伝えるのを聞いた。
土曜日は、床屋、見舞い二人。かなり動けるようにはなっていた。
社会復帰、どうなるのかなとふと一言。
今日は葬儀で金沢へ。
出会いからして叱られたというものだから、怖いという印象が強い。
作品作りに限らず、自分にはあまりはっきりした主張というものが無い。
もっと根源的なこともあろうが、書く気は無いので、意図ということで続ける。
作品の意図というのがはっきりしないのは、作りながら考えるからだとはいえる。
今の水指にしても、何か硬すぎるというか、生命感が無いというか、、、
角を丸めたらどうかと思いつき、そうしてみると、別の方も変化させた方がよいのではと感じ、削ってみた。
そこの部分にベンガラ朱を指で塗っておいて、今朝見ると、少し広めの方が良いと感じる。
学校の勉強と一緒で、どこかで引っかかって止まっていて、ふと何かを思いついて解いてみる。
最初から仕上げのイメージなんて、いつも無い。
葬儀の間、研究会の思い出などをそういう風に考えていた。
他の人はいろいろ考えていることを口にしているが、自分の場合はいつもふと思いつくかどうかしかない。
作品作りは、数学で言えば、公式を考え出すことではないか?
独りよがりではいけない、人に何かを感じさせないといけない。
帰宅後は疲れて横になっていたが、寒く、途中で長袖を着る。
そして朝思いついた線の修正など。
金曜夕の画像を一つ。

6月17日(日)

金曜日夕から会社の歓送迎会でビールと日本酒をチャンポンにして飲む。
土曜日は二日酔い気味だったが、朝食は普通にとる。
小雨の中、開会式へ。
漆のSさんと久し振りに話す。
こちらからはラミー紐のことなど、あちらからはインダストリアルクレイとかスクレーパー、、、
帰りはまた道を思い違いし、遠回りになる。
菓子舗に寄るも、札を持っていないことに気づき慌てる。
小銭をかき集め何とか支払いし、給油へ。
午後1時頃駅で再会し、車を走らせ約1時間後、何とか到着。
腱鞘炎など、皆いろいろ悪いところが出てきているようだ。
あのKがよくテレビに出ているとか、病状のこととか、、、
孫の写真も飾ってあった。
1時間半ほど話していた後、また戻る。
こちらの運転時の見落としに時々アドバイスしてくれる。
まだ閉まっていないようなので、朝行ったところへまた行く。
カードを持っているはずなのに、なかなか見つからず焦ったが、出てきた。
一回りして、家に帰る。
夕にかけて送ってもらい、3回目の訪れとなる店で生ビール。
3000円でキープした銀座のすずめを飲み干したところで終る。
ラーメン屋を探し、そこでもついでにビール。
テレフォンカードで電話し、迎えに来てもらう。
今日は、朝6時から宮の草むしり。
やっと水指の地研ぎと、漆の仕事の取り掛かる。
電話があったが、今度の土曜日はまた会社で掃除(滓をドラム缶に)。
午後は久し振りに顔を見る。

講演会を聞きに行き、帰宅後、下地を付けたり、透き漆を塗ったり。

6月9日(土)

水曜夜にした予約が別の用事(会社)の為に不都合だと気付き、朝予約のし直しに行く。
違う道で帰ろうかと走るも、方向感覚がなくなっている所為で、反対方向に走り、遠回り。
写仏のようなものを書店で探そうかと思っていたが、何もせずに帰宅。
母が持っている書物などを見せてくれたが、初心者には不向きな感じ。
何について書いているか、分からなければ前回の記述を参照に。
午後からは水指に摘みをつけたり、あまりすることが無い身を研ぎ、リグロインで薄めた生漆を吸わせたり、、、
干菓子盆や大皿の作業も少しした。

6月2日(土)

漆でY君の生活に役立つものはないかと考えても何も浮かばない。
医学も無力なら伝統工芸も無力かも。
昼前に出発し、金沢へ。
列車も駅も、それに道も混んでいた。
昼食後、メムザの石川の伝統工芸展。
陶芸は富山支部とは別格と感じた。
用の美という言葉にいつも違和感を持つのは、これは何に使うのかという質問を聞く時だ。
用という限定の中での発想が美につながるというのが本来の意味であるのに、逆倒して何かに使うことが美とは別な条件としてあると思っている感じがする。
家元制に合わないとか、人間工学的に不自然だという指摘をしたいのなら分かるが、説明を聞いて納得するというのでは、、、そうかと感心するのはあってもよい。
裏道がすいているので人通りを避けて高野漆行へと歩く。
生漆や目が細かい麻布などを買う。
駅方向に戻りながら金沢100万石祭りのパレードを見学。
半年振りにPicMateにアップロードする。
開き方が不便になっている。
漆カブレ 正会員」のところ(アイコン?)をクリックし、アルバム名を探し出してクリックし、スライドショーをクリックするのが良いようだ。
利家役が川野太郎さん、松役が横山めぐみさんと夜のNHK全国ニュースで言っていた。
帰るとアミカル展関係のDMが届いていた。

ギャラリー名は「またねー」というような意味だろう。

5月27日(日)

石膏雄型に貼り重ね、石膏に作ってあった盛り上がりが消えたのは、いろいろなヤスリで削ったり、形に合わせた砥石で研いだりして、素地の外側に作り出そうとしている。
布が出たので、生漆を吸わせ、拭き取っておく。
昨朝、庭に咲いていた。

昨日昼過ぎに母より、又聞きとして、中学の同級の大工のY君が松から落ちて怪我をしたらしいと聞く。
別の友人に電話するも出ないので、直接Y君の家へ行く。
お母さんがいて、病院を教えてくれる。
病室へ行ってみるも見当たらなかったが、同室の人が談話室かもと教えてくれる。
最初に行った方にはいなかったが、別のにむかうと車椅子に座る姿が遠めに似ている感じがした。
完全に別な人生になるしかないという重すぎる話だった。
今日は、美術館の当番で一日いたが、、いつも展覧会を見に来てくれて一緒に回ったこと、その姿が見える気がした、、、
今日に関しては、4姉妹、K夫妻、N夫妻、Sさんと話をする人が訪れた。
帰宅後、切り子地を少し付けたりした。

5月20日(日)

朝からメールをチェックすると、少し不備があったらしい。
片付けてもすぐにいっぱいになってしまう書類などを整理したり、、、
石膏雄型に麻布を貼り重ねるうちに消えてしまった盛り上がりを作り直すため、ヤスリで削って線を作ろうとした。
夜、アクリル定規を素地に嵌めて、作った線の位置を見ると、かなり狂っているところがあった。
どう作業を続けるかも不明の段階とはいえ、こんなことをしていては駄目だ。
昼前にまた不備があるらしいメール。下書きをする。
展覧会の画像をスキャンするためのパンフレットが必要だし、研究会もあるし、初めて美術館へ行く。
陶芸の解説では、やりすぎる者が将来伸びるとのこと。
引き算する前にはたくさんの物事が必要ということだろう。
最高賞の作品はエイをモチーフにしているとの事。
盛り上がりの形など、自分にはできないだろうと技術的に思う。
自分の作品は、ヒマワリの裏からの姿が力強いことに刺激を受けたのだが、似ても似つかない姿に変わっている。
内側の鎬の線の下のほうとか、内腰の形、端幅、外のくびれとか、技術的に造形できず、何度も研いだりしたが上手くいかなかった。
先生の方では、腰辺りと高台に少し問題があると仰っていたそうだ(開会式の日だろう)。
技術が無いから工夫すべきなのだが、なかなか思いつかない。
勤めに行っていて、作る時間がなく、出品できなかったという方もいた。
作品作りを主にできない悩みはよく分かる。体力と時間が前提になる。
帰宅後、下書きにファイルを添付し、送信。
素地をヤスリで削ったり、片口の高台作りの続きをしたり、、、
漆のほうはぜんぜん進んでいかない。

5月19日(土)

今日は午後1時20分頃まで勤め(肉体労働)。
帰宅後、風呂、昼食。メールを見ると、画像が昨晩届いていたようなので、その関係の作業。
くるくる変わる天候だが、今日は晴れ渡る。
自転車で出町へ。美術館への投函。
駅前近くの和音というギャラリーへ。
優しい感じは人柄をあらわしているのだろう。
昨年お会いした館長がおいで、少し話したり、、、
新聞記事で見たという人や昨日に続いて人を誘ってきたという人など、、、
帰宅後、メールを見るとデータを頼んだ方から届いていたので、本部の掲載形式に合わせて改変する。
結果も初めて知ることにはなった。
画像のサイズを縮小したりして、送信。
お礼のメールをおくり、ほぼ役割は果たすことができたというか、あと少し残しているというべきか、、、

漆のほうは、乾きが悪かったのが、今晩も乾き不十分。
失敗するとかえって遅くなってしまう。

水曜日、残業をせずに帰り、何とか7時前には行く病院の眼科。
見える感じではかなり歪みがなくなっているのに、黄斑の断層画像では水が残ったまま。
視力表の中央辺りは歪んだままに見えるとはいえた。
このままにしておいてはどうだろうかというと、放っておくわけにはいかないでしょうとのこと。
アバスチンに続いてケナコルトという2度目の注射。
約10秒ほどかかり、眼球を動かしてはいけないので、かなり負担だった。
週に1回の病院通いが続く、何も生み出さないのに。

5月13日(日)

昨日の透き漆塗りは12℃、55%で乾いていた。
朝、縮みは無いようなので、下向きになるよう回転させ、湿りのスポンジに近づけて置くようにする。
金沢へ行くも、道を間違えたり、、、
帰宅後、盛器の内側を静岡炭で研ぎ上げる。
外に傷が付かないようにゴム板の上で研ぐ。
乾きが速過ぎる気がするので、少し浄法寺の素黒目をチューブから足す。
刷毛筋の方向をそろえるための目印を内脇に付けておくのを忘れていたのに気付き、漆をチョッとつけているうちにゴミだらけになり、鯨箆で浚えて、塗り直すことに。
ゴミ上げが上手くできず、刷毛先で取り除き、均しなおす。
返しはとらないし、どうなることか?というか、どうなろうがどうしようもない。

5月12日(土)

小雨よりは弱い中、寒さを感じながら、自転車でコンビニへ。150円で朝日新聞を買う。
さらっと見ても気付かなかった。大阪本社版の所為かも?
少しして見直すと、載っているのを見つける。

一週間前には画像は用意していたが、載せる時間(気力?)がなかった。

石膏雄型に貼って作った素地の余分なところを糸鋸できっているところ。

庭で白いライラック(リラ)が咲いていた。
上塗のつもりが大きな縮みを発生し、取り除いた跡を薄く2回塗って埋め、高さをほぼ揃えた。
内・外・内と3回連続で縮みを発生させ、今日やっと再挑戦の上塗。
粘りすぎの感じがしたので、少し灯油で緩めたり、遅口らしい浄法寺のを混ぜてみたり、、、
失敗しても、時間がないのでどうしようもない。
1日に左目にした注射で、歪みが減ってきたのは感じる。
小さい文字が、右目だけでも読めたが、左目だけでは文字としてさえ認識できないほどだった。
多少歪みは見えるが、小さい文字も読むことはできるようにはなってきた。
ただでさえ視野が少ないのに眼圧をあげることになる注射をするのは気にかかると医者に言われ、歪みか視野か迷うことになる。
T先生の3段階の治療法の話のときは、眼圧を下げる薬を服用するとのことだったが、、、

5月4日(金)

吹き抜ける西風に震え続ける二枚の葉を少しでも守ろうと、石を並べてみる。
数センチの高さでも葉の揺れが少なくなった気はするが、、、?
雨は少ないが、気温は二日前と10度以上下がったはず。

盛器を静岡炭で研ぎこむ。
午前中に終わり、縮み跡を少しでも乾かそうと、湿りの中に。
欠席という返事のはがきを3枚投函。
叔母のところへ行くと、入浴中との事で91歳の義叔父と話していた。
叔母からはころころ餅の話がすぐ出る。
従姉とは光の話。1000円ほどは安くなっている。
帰宅後、透き漆の小中塗り。
まだ明るかったので、米糊を作り、糊漆。
下地で水指の高台付近の形を作る。
この連休はどこにも出かけないまま過ぎていきそうだ。
歪んで見えるのがどうなるかということでこのところかなりの時間が消えていく。

5月3日(木)

乾漆盛器の方は、ベンガラ朱も、昨晩の黒も、縮み発生。
急激な加湿をしてしまった所為もあるが、塗り斑があったことも間違いない。
縮み跡は何回かに分けて、研ぎ潰そうとはしているが、研ぎ破りをしないために無理はしない。
黒の方は、研ぎ破るしかないほどの縮みなので、削ってしまう感じにする。
水指を石膏雄型を壊して取り出す。
溝を丸ノミで作り、ドライバーを当てて叩いたりして、取り出した。

1日午前、2日夜と眼科通いだった。
どうなっていくかは分からない。
午後は、少し見舞いに。
夕、K議員の妻の実家からという筍を、更に分けていただく。

4月30日(月)

暖かくなってきたが、庭にはチューリップが少し咲いているぐらい。
買ったスズランは葉が伸びだしたり、まだだったり、、、
例年咲く白い方は、何時の間にか丸っぽく葉を伸ばしていた。
土曜日は、美術館で支部の作業。
昨日は、日光ヒバなどの枝を切り落としたり、、、
今日は珍しく朝から錆を見たり、研ぎ始めたりと、漆だけをしていた。
キング#1000で研いでも、名倉砥で研いでも、凹みを研ぎ潰せない。
地研ぎが甘かったせいもあろうが、何時間もかかって研いでいる。
夜になってしまい、やっとベンガラ朱を塗る。
他の作品は完全に止まってしまっているし、いまやっている盛器もどうなることか?

4月22日(日)

このところ土曜日に漆があまりできないことが続いている。
昨日も午前中は仕事に行き、いろいろあり、夕方からやっと漆の作業。
かなり大きめの盛器なので、研ぐだけでも時間がかかる。
先週の続きのNHKの高校野球の女子マネージャの癌との戦いのを見ていた。
「思い出になりたくない」、「ドラマみたい・・・」、、、スィグニフィカントな記入をしていた。
3合飲んでいたが、、、盛器の外側の黒漆塗りをする。
今日も朝から研ぎ直しというか、研ぎで形を作っていた。
夕方頃にやっと内側から外脇にかけての黒塗りの準備にかかる。

1寸刷毛を使う。斜めの強いのは内脇用(外脇も仕上げたが)。
先週まで半年近く塗っていなかったが、今日も大丈夫だろう?

4月15日(日)

昨夕、車庫のトタン屋根の修理をしたが、一枚足りず、買いに行っていた。
今朝、残りの一枚をはり、修理完了。
11時頃から7時過ぎまで、乾漆盛器の地研ぎ。
直線を出すのに、自分で作っていたステンレス板の垂直定規に沿わせて、小さい砥石で研ぐ。
外側を研いだのだが、側面と谷と端幅を一緒に見ながら研いで行ったので、時間ばかりかかった。
1/3弱は時間がなくなり、かなり手抜きになってしまう。
腰、裏底、高台などは荒っぽく研いで済ましてしまう。
灯油で薄めた生漆を吸わせる。
漆分の少なめだったところは、吸い込んでから、また吸い込ませる。
布でべたべたに残ることが無いように拭き取る。
形定規をきちんと作り、それに合わせて研ぐというのが苦手というか、面倒というか、かなり目測で研いだ。
蓋と身の合わせ物なら、合わせ作業によって形が揃うようにせざるを得ないが、、、
夜は会合。自分としてはあまり意見はない。

4月14日(土)

朝9時少し前に自分で紹介状を受け取る。
集中力が無いというか、普通なら気にかける地点を見落とし、通り過ぎてからおかしい、、、
受付で申込書の記入、紹介状の手渡し。
眼科への行き方を教わり、そこで少し待つことに。
問診、視力検査など。
10時半頃から待合室でテレビを見ていたが、詰まらないので「老い」を少し読んだり。
予約優先らしく、結局声がかかったのが午後の1時半過ぎ。
単純に言えば、たまたま業界で健康診断が50才頃に2,3回あったとき眼底撮影で指摘される機会がなければ、そして病気の国際大会でサッカーの釜本選手の姉が日本の会長云々の記事を見なければ、未だに眼科なんかに行くことはなく過ごしていただろうと思う。
よく物にぶつかる不注意な人間だと思っていただけだろう。
紫外線が降り注ぐ世界が好きというか、太陽光線の下で過ごしたい傾向があったので、多分今よりも病状は進行していただろう。
視野が急になくなったわけではないので、今の状態を普通と感じているだろう。
実際、その方が気持ち的に楽には違いない。
眼底と断面撮影の後、また診察室へ。

もともとの病気と関連はあるそうだ。
手術すれば良くなるが、それに耐えられるかどうかの検査が必要とか。
気持ち的には少し楽になり、朝のようにぼーっとしていることはなくなった。
3時過ぎに帰宅し、昼食。
先が見えたので、母にも話す。
車庫のトタン屋根の修理をしだすも、横幅が3枚分ほどあり(2枚かと思っていた)、途中までで作業休止。
カーマでもう一枚買う。
7時近くになってやっと乾漆盛器を研ぎだす。
出品に関しては、支部展以降のことになりそうで、やるしかない。

4月8日(日)

昨日まで6日連続仕事(腰痛にインドメタシン入りのパップ)に行き、帰宅も早くない日が多かった。
昨朝は積雪、昨夕は降雪と、寒い日が続いている。
3日(火)の急成長の低気圧で、瓦が1枚割れたり、ずれたり、、、トタン屋根も被害。
今日気付いたが、傾いた木もあった。
今朝は6時から、班の排水路の防草シートが捲くれたのを皆で直す。
晴れたので、やっとタイヤ交換。
車のライトが切れているので、日曜に修理(交換)してもらえるオートバックスへ。
待ち時間で1時間以上、店内を見て過ごす。
昨晩は乾きの悪かった切り子地を空研ぎすると、乾いている感じ。
支部の総会へ向かうも、急に渋滞。交差点で事故があったようだ。
本人出席者は予想外に少なかったが、短時間で終了。
ポスターなどを受け取り、帰宅後、掲示を頼んで回る。
き・た・じ・まへも初めて行き、喜んでもらえる。
今回は完成できないかもしれないことがでてくるかも。
叔母のところでもあまり喋ることがないのは、今の自分の感情さえはっきりしないでいられるような何もないあたまのせいのきがする。
外堀を埋めるような表現はありうるかもしれないが、内側からのことばがない。
1週間後になにかがはっきりしてくるのかもしれない。

4月1日(日)

いろいろ行事や目の件で金沢にいけるのは、今日か15日だけなので今日にする。
雨が時々降る中、助手席に座り、トンネル内で片目で見てみたり、、、
頂いた招待券で石川県立美術館・金沢21世紀美術館の現代美術展。
書は、同じような感じの縦長の作品が目立つ。硬い感じのかすれとやわらかい感じのかすれがあったが、筆の違いか墨の違いか?
日本画の展示室、ウインドウショッピングしているような顔がガラスに映っている絵が目に入る。受賞作だった。
工芸は、見せ所となるところが、きれいにできていることが必要だと感じた。
外は曇っていたが、寒い中を歩いて坂を下りる。
洋画・写真・彫刻と回るが、通路がいりくんでいて、地下にもあったし、彫刻の委嘱の部屋は見ていなかった。

こんな写真を撮っていると、見ていない感じの彫刻作品が隙間から見える。
判子を押してもらい、そこへも行く。
表情が何を考えているか分からない、神秘的なのに惹かれる気がした。
何となく気分が分かる感じのは、深さが足りない?
角間に移転したという金大の間を抜けて山道をグルグルして359号線へ。
全く運転せずに帰宅後、盛器の形作りの作業。

3月31日(土)

腰痛が始まり、午後から夕にかけてどんどんひどくなる日々が続いた。
木曜は帰宅が10時を過ぎる残業。
昨日は、会社の歓送迎会。飲み足りないと思ったが、帰宅後は飲む気になれなかった。
今日は、帰宅後飲まなかったにもかかわらず、二日酔い気味。
薬が少なくなっていたので、眼科へ行く。
11時過ぎに着いたときは52番だったか?これほど混んでいるのは多分初めて。
1時少し前に声がかかり、視力検査など。
2ヶ月前と視野が欠ける感じが少し変わっていた。
左目の歪みで瞳孔を開くことになり、眼底検査。
網膜の断面撮影、眼底撮影。
今の病気が悪化したのではなく、別の原因のせいらしい。
悪化したのでは?と弱気になっていたが、水がたまったせいらしく、別の病院に紹介状を書いてくれるとの事。
贅沢病と勝手に思っていたのに、、、
支払いは2時半過ぎで午前の部で最後になり、午後からの患者も10人ほど来ていた。
瞳孔を開いたので、少し曇ったまま銀行により、帰宅。
降り続く雨の中、床屋へ。
叔母の所に寄る。以前は話題豊富だった叔母もそうではなくなっている。
ベッドの横に座ることはでき、回復はしている感じ。
湿布薬を買い、帰宅。
木・金と何もしなかった漆のほうは、夜にかけて少ししただけ。
木曜に届いた菓子。
多分初めて行ったホテルであるはず。オキツさんに連れて行ってもらった、バイキングに長靴で。
離れて39年、いつか行くことはできるだろうか?
昨晩帰宅して気付いた記事。
中学・高校と一緒で、最近は会っていない旧友の名。

自分の方には何の話もない。
いろいろありそうで、漆の仕事はどうなることか?

3月27日(火)

今週になって、帰宅が早くなる。
帰りのラジオで言っていた三日月と金星と何とか星(木星?)が見えるというので、空を見る。
昨晩なら並んで見えたそうだ。
デジカメで夜空モードで30秒撮影。

露光時間は15秒で十分だったようだ。
明日からまた荒れるとか。
昨朝は数センチの積雪があった。
今日は晴れ。

3月25日(日)

雷鳴、雪、急な降雨、曇り、晴れ、、、荒天で江浚いは延期との連絡。
昨夜は4合半ほど飲んでしまったが、予定が終らないとそのうちにまた時間をとられることになる。
その分今日漆をすることにし、乾漆盛器の切り子地で形を作ったところのヤスリで削る。
乾きがあまりよくなく、かなり絡んでくる。
充分乾いているはずなので、乾漆小皿を取り出してきて、ヤスリで削り始める。
石膏雄型から作った素地に、雌型から作った素地(4個)が嵌るようにしてみる。
何度か使った粘土原型が歪んでいたのか、同じ箇所に狂いがあった。
水指(石膏雌型)の身の内側に貼る麻布を、もう手に入らなくなった中の目のにする。
漆を吸わせてもあまり脆くならないし、形にも馴染みやすいし良かったのだが、数年前から高野さんに、作る工場が無くなったと聞いている。
といっても失敗してはいけないので、6枚に切り分ける。
前回も一ヶ所浮いていた!
一日というか、昨日と二日続けて漆の作業を主にしていたが、干菓子盆にしたって手が回らない。
歪んだ大皿は、なべに水を入れて重しにしたまま。

3月24日(土)

今週は帰宅時刻では全部9時過ぎ。仕事終わりに関しても、昨日以外は9時とか9時半過ぎ。
連日6時間余の睡眠できて、今日も同じに過ごすべき?
午前中に漆の仕事を始め、午後に耐え切れず寝転んだり少しはしたが、夜8時まで漆。
大皿は歪んだが、盛器のほうは、今のところ歪んでいないようだ。
作っているうちに最初の形の違うのがよいのではと感じ、ヤスリで修正しまくる。
下地で形直し。

石膏の仕事、思うようにはなっていなかった。

3月20日(日)

障子戸から陽光が部屋を明るくした。
昨日は、残業で9:47pmに帰宅。漆をしないで、立山を3合飲む。
浅い眠りはいつもの通りだが、睡眠時間6時間半ぐらいで起きる。
新聞に数独の問題が載っていたので、やってみるが、それしかないというのがいくつかあり、気付いた限りのところまではできた。
候補が二つとか三つまではわかっても、絞り方が分からない。
途中で止め、ガソリンを給油してから、妹の家へ集合写真を持っていく。
カーマで植木を見たり、作業台を見たりしていたが、結局、トイレットペーパーを買っただけ。
本家筋の又従姉もいて、挨拶。
また数独に取り掛かる。
必然的な数字の確定ができないので、候補二つのうち一方がそうだと仮定して、進められる分だけ桝を埋めてみる。
それでも先に進めないところは、また別の場所から進めてみ、同じ数字が二つになる場合は、やり直した。
どちらかがまちがっているか、または両方とも仮定が間違っていたか、、、
候補同士を見比べて、大体の方向性を掴むしかない。
合計3時間ほどかかり、初の数独挑戦、どうにか正解にたどり着く。
乾漆盛器は朝まで熱処理し、冷えてから、石膏雄型原型の内側に水を入れ、石膏とアラビアゴムに水を染み込ませる。
午後から、石膏に丸ノミで溝を彫り、原型を壊そうとしたが、くいつきが強く、剥がれない。
ドライバーを当て、金鎚で叩いたりして、どうにか素地が取り出せた。
洗い、タオルで水分を取り、少しガラス板上に置いた後、端からはみ出ている麻布の端の糸を切り取る。またガラス板上に置く。
日曜に外した乾漆大皿に歪みが発生していた!
水に暫く浸し、今度は重石をしてみたが、、、
アクリル板を重ね平面に近い状態にし、なべに水を入れて重しに。
駄目なら、品物にならないとは言える。
熱処理が少なすぎたというか、乾燥時間が短すぎたというか、、、

3月18日(日)

6日振りに飲んだ昨晩、立山3合、泡盛少々、ビール1本と相変わらず、、、
水曜朝に転倒した時には左肘が痛かったが、その後は左の背と腰の間ぐらいが痛み続ける。
今朝は一段と痛んだが、インドメタシン入りの湿布薬を張りなおすと、少しは楽になった。
姿勢が悪い時とか、向きを変えるときなどに激痛が走るという状態。
朝、半日ほど熱処理をしていた乾漆大皿・干菓子盆が冷えてから、水桶に入れる。
割合平たいものなので、昼下がりに石膏原型から取り外そうとして、あまり壊さないで楽に外れてくれた。
くっ付いている石膏を削り、水で洗い、タオルで水分を拭いて、歪まないようガラス板の上に置く。
このまま数日は放置する。

平面が大切なので、歪んだらおしまいという事になる。

午前中は、部屋を占拠(?)していた服などを廊下に吊るす事にするための作業。
書類の整理、読書少々など。
午後から、ポストに投函に行き、母のところに寄り、集合写真などを渡す。
帰宅後、上記の作業。
石膏雌型に目が細かめの麻布貼り。
身の内貼りに連続して失敗しているので、ツキジさんのを参考に6枚に分けて貼る。
失敗箇所は、内腰付近など、内丸の面に決まっているので、そこを丁寧に押える。
前回も、今度は大丈夫と思っていて、結果失敗だったので、どうなることやら?
片口の外回りにも貼る。
一度に貼ると、置く時に、置く台に接する部分の麻布が捲れてしまうので、昨日裏底に貼っておき、今日は裏底を下にして乾かせるようにした訳。
石膏雄型の方は、下地付け1回目。
地の粉が手に入らないともいえるので、錆下地を使うべきとは思うが、、、

3月17日(土)

依存症にもいろいろあるだろうが、R君はアルコールの方だった。
自分の場合はなんだろうと考えるが、テレビでもないし、パソコンでもない。
小さい頃から無口だったが、その理由が喋ることがないという単純なことと気付いたのは十代の終わりごろだったか?
漆と出会い、少しは喋れることは出てきたが、人との共通できる世界の狭さは変わりない。
今日は午前中、勤め先へ。
午後だけでも家にいられるというのは安らぎではある。
漆のほうは、別に目新しいことはないが、修正に時間がとられるのを何とかしたいとは考えている。

3月14日(水)

普通ならパソコンは開かないはずだが、日曜に送った要綱が掲載されているか確かめるため、月・火・水と開いている。
月曜には気付かなかったが、火曜に工芸会のトップページに支部展のことが載っているのに気づく。
支部展関係のページからはリンクが無く、3点ほど修正を依頼し、今日直っていた(メールもあり)。
昨夕は、帰り、横殴りの吹雪で、白くなった路面のせいもあり、何度もブレーキを踏んだ。
家の近くになると、雪も弱まり、バカみたいな感じだった。
今朝は晴れ渡り、家の紅梅を見ると、ほんの僅かなつぼみのようなのが少し見えた。
通勤し、駐車場を歩いていて、最初滑り、倒れそうになった後、少し歩いて本当に転んだ。
左ひじと左の腰の少し上辺りを打つ。
一日肉体労働をして、かなり痛みが蓄積した感じ。
後頭部を打たなかったのは、まだ身体が反応する力を残していたからか?
この前書いた県立高校の問題、辺の長さ、月曜日に答えを思いついた。
昔から、どんなことでも、考え続けるということはない人間だ。
時々ぽつんと考え、上手くいけば、何かを思いつく。

3月10日(土)

先週は土曜日が休みでなかったので、時間がなかった。
日曜は、壊れた車のワイパーの件でオートバックス、自分で使うことは無いが料金だけ支払っている携帯が3月末で使えなくなるということで付き合わされるハメに、、、
再放送だったが、コロンビア大学のアイエンガー教授の白熱教室の選択の講義を録画で見たり、、、
ビョー名だけは自分と同じモーマクシキソヘンセーショー、甘い自分を感じる。
平日は、収入のための今の生活に負けてたまるかと、漆の作業をし、7時間弱の寝転び(眠りが浅いので、疲れが抜けにくい)の連続。
左目の症状というか、視野のゆがみに残された時間を意識しだしたとは言える。
私の作品を手に入れられるチャンスは少なくなりましたといってもほしいというひとはいないだろうし、、、買ってあげるといってくれている人はあと二人いるが、かくじつなのはひとりだけだろう、、、
今日は午前中は県立高校の入試問題を少し考えてみたり、、、

新聞で難しかったとの感想を中学生が言っていたとの事で考えたのだが、点Dから線分ABに垂線をおろせば、全体の関係は複雑ではない。
2問目の線分ADの長さが、(4+√3)2+22のルートとまでは分かるが、ルートの計算法が思い出せない。
用語的には、中心角と円周角だったか、2:1のようだった気がするが、証明法が思いつかない。
それとは関係なく、問1は計算で出たが、、、
ボケても、大学入試問題でも、解く方向がわかるのもある。
人を潰すのはけなし続けると言うか、否定し続ければ、簡単にできる。
本人の自信を潰せばよいのである。
自分勝手につぶれるのが人生とも言える。
最大級に能力を発揮する人は、否定されても対応出来る。
それ以外の人は、人との出会いで大きく人生が左右される。
曲解に曲解を重ねる、、、極論すれば、ノーベル賞か破滅か、大きな差になる。
受験的には、今は私らの上の団塊の世代の半分程さえいない学生数で、定員が同じなら当然レベルが落ちると算数的にいえるのに、相変わらず云々と、、、
貧困の極みなら車なんて無くても生きられるのに、公共交通が無くなった田舎では車は必需品だとか、、、
こんな発想をしているから、漆を世界に売り込めないのだろうが、、、

今日は、午前中に問題を解こうとしていたりしたのち、実に久しぶりに叔母のところに。
子供が余計に焼き増ししてしまった写真を見せていると、従姉がきて、CDの画像を出してみることに、、、
スライドショーができず、結局、画像の取り込みをし、一枚一枚クリックしていくと、勝手にスライドショーが始まった。
285枚もあるので、疲れたのか、叔母はまた何時かと、、、

午後からは工芸会の会合というか、51回展の出品関係の依頼(?)の作業。
2時間ほどのあと、美術館で開催しているGEIBUNの作品展。
吹分けに関しては、いろいろな表情に見えるのは、金の含有量が極めて少ないから起こる現象らしい(と泰樹さんに聞く)。
現場的には、超一流の指導者がいない人の作品と、漆のようにいる作品では大きな違いがある。
話は飛ぶが、会にしても、図録のof weという、言語感覚のある人ならありえない、つまり、英語圏の子供なら、鳥肌が立つエイゴが続いていた異常世界、普通、of usである。
今回の応募要項、初めて見て違和感。
はっきりとは書かないが、トクセイと言う漢字が、文章とは合わない感じ。
考えてみると、どこが間違っているか気付いたが、校正という感覚では、昔から別に文字は読んでいなくて、何となく変だと感じるかどうかという世界、、、
また美術館の展示に戻るが、見て回って帰ろうとすると、林先生。
Tさんも戻り、いろいろと見直す。
異常に精緻な世界に見えるのも、斯界ではまだまだ上があるらしいとか、、、

2月26日(日)

週2回とはいえ、飲み過ぎるというか、止まらなくなるので、朝起きるのが楽ではない。
小雪の中、6年していた役の最後の仕事として、担当地区に配って回る。
新聞に載っていた入試を見ていたが、簡単には読み取れず。
寝転んで読書をしたり、、、
午後は、予定より1時間ほど遅れて子供らが帰宅。
夕方から乾漆の素地作りで、麻布貼りなど。
何年か振りで、増村先生の講習会の時の目の細かめの麻布を取り出してみた。
金沢で買っているのより、少し柔らかかった。
水指の雌型の1枚目の麻布に使ってみた。
内底と側面に分けて貼ったが、側面はバイアスに貼る。
雄型の外側と片口には蚊帳布を3枚目として貼ったが、2回糊漆を塗り重ね、手で布を馴染ませて全体に広げ渡し、余分のところを切り取ってから、布の上から刷毛で糊漆を塗って貼り付ける。
結果は明日分かる。
乾かすためにはファンヒーターで部屋を温める必要もあり、貼り終えたのを前において熱処理。

2月25日(土)

表示されるような、されないようなCD、DVD、原因は不明だが、パソコンの所為かも?
コピーのスピードも、CDに30分かかったり、4GのDVDにも30分ほどだったり。
漆のほうは、厚過ぎの感じのも乾いていることは、漆分がやはり少ないのかも?
桶の下のほうに、白い糊が残っていたので、生漆をかなり足す。
午後からは、工芸会の会合。かなり変わるようだ。
子供に勤めに行かれと言われていた方が本当にそうしているとか。
工芸高の卒業制作展による。
ガラス越しの作品は、それなりにできている感じがしたが、見る能力が無い所為もあるだろうし、若さとは何だろうか、、、?
パネルのほうは素人だったが、基本の段階では指導者が大切ということだろう。
陶芸の、熱ければ放しやすくするため突起だけにし、子供には持ちやすいような持ち手を工夫したのは、形の世界でもあるし、使いやすいのはデザインもよいという法則(?)にもかなっている気がした。
帰宅後は、午前にした漆の作業のからとぎなど。
ポイントの有効期限とかで、パスワードが何やら、、、?
登録の関係でいくつもありすぎ、面倒すぎる。
飲んでパソコンに触っているだけです。

2月19日(日)

昨晩は1.5合ほど燗ができる、ほとんど手伝ってもらったが一応自作の銚子で3回、後ビール1本。
どうなることかと思ったが、胃薬も飲まず、朝食をとることができた。
ノートに記入したり、精米に行ったり、、、
晴れ渡った日だったが、写真を撮ったり少ししただけ。

作ったCDをパソコンが全く認識しないことが起きている。
DVDの方は認識したが、何が起きているか不明。
2ヶ月近く片付けていなかった書類などをファイル。
年賀状やはがきなどもまとめる。
午後3時少し前からやっと漆の作業に取り掛かる。
石膏原型に麻布貼り1枚目が主な作業。
雌型で麻縄を貼ってみたが、、、
表現的には効果は無いかも、、、
手で押えたりで、指がかなり黒っぽくなる。
素地の完成が近いほうは、下地で形直し。

2月18日(土)

昨夕から降り出した雪で、今朝は20センチほど積雪が増えていた。
日曜の遠出は疲れを残すので、降雪の中、輪島へ出発。
スタンドで給油の後、津幡経由、つまり余り山の中を通らずに行く。
消雪の道路は楽だが、圧雪のところや轍のある道はスリップに注意が必要。
輪島に入る最後のトンネルは、中央線さえ見えず、かなり乱れた運転。
道路も側面も白一色のところは、夜なら運転不能に見えた。
いつものスーパーで昼食用に寿司パックなど。
駐車場で昼食をとって後、漆芸美術館へ。
大雑把に言えば同心円的の表現で、ムンクを感じさせる揺らぎの作品と、視野喪失者に見えている歪みを感じる作品、個人的には後者は不快だ。
現代性とは何か、時代を感じないところが伝統工芸の普遍性というか、芸術性につながるところがるだろうとは感じた。
高校の時に習った石川啄木の時代閉塞という言葉は、あの当時も感じたし、現在も閉塞感と言われ続けている。
歴史なるものの嘘っぱちは、生きているものの実感とは関係なく、何らかの視点から過去を捏造する点にある。
生きている限り、息詰まっていると感じ、それを打破しようとしている。
12月の挨拶で省略したが、というより上手く話せるかどうか自信が無かったというべきだろうが、空海が中国の崔子玉という人の座右の銘を書にした「無道人之短  無説己之長」(東京国立博物館)、人の短所を言いたくなり、己の自慢をしたいという人間の弱さを空海でさえ己の中にあるという自覚があったからこそ書にしたと思えるわけだが、誰にもあるそういう弱さを乗り越え、思いやりのある、、、
工業化というか、人がお金を使う世界とは関係なく、自分の世界の中で美を追求するしかないというのも時代性を示すのではないか。
展示品では、角を黒ではなく金(蒔絵)にしてあるのは、柔らかくみせるため?
濃淡の見えるほうが、立体感を感じさせうるのでは?、、、
アンケートに答え、漆の実のストラップ。

アルコール抜きの甘酒を朱塗りの盃でご馳走になり、図録を買う。
いつものようにぐるぐる回り、住吉神社の交差点で左折して、四十沢漆店。
生漆300匁等を買う。
富山ということは覚えてもらっていて、小矢部で津幡経由で来たと話す。
輪島は風速29メートルほどで、台風並だったとのこと。
漆芸展は5年ほど出していないとも話したが、今の生活では体力的というか、生命維持的に仕上がるわけが無い。
販売能力がゼロの人間に漆の世界を全うしろといわれても対応のしようが無い。
帰り道も穴水までは運転。
かなり除雪が進められていて、来た時よりはアスファルトが顔を出していた。
海沿いの道は積雪がなく、交通量も少なく、暗くなる前に戻ることができた。

2月12日(日)

盛器の形を直そうと、昨日端付近に下地をつけていた。
台にしていた漆桶を3個重ね、ガムテープで固定したのから盛器が滑り落ち、破れ捲りあがった。
下地を中に詰め、クランプで固定しておいた。

今日は固まって、くっ付いているようだ。
石膏雄型に麻布を貼り重ねた分、素地の方が少し大きくなったので、形定規(引き箆)を作り直す。
昨日、替え刃のダイヤのをカーマで見つけ、方向を選ばなく切れるという鋸に付け、使ってみる。
切れが悪く、結局、金切り用の糸鋸で切り、ヤスリやアクリル用カッターで形を整える。
側面の形を勘でマジックで書き、切ったりしたのだが、かなり狂っていて、3回ほど合わせ直す。

乾漆大皿のほうは、昨日の麻布貼りが乾いていた。
乾漆佛が短期間で完成できたのは、糊分の多目の糊漆を使ったかららしい。
今回の糊漆は、茶碗などで、糊と漆が同量であることを確かめていないし、多分漆が少し足りないのだろう。
乾漆干菓子盆はファンヒーターの前に置き始めた。
石膏原型のほうは、下地付け2回目。

夕方、郵便局に行くも、日曜の所為か、もう窓口が閉まっていた。
そのための準備で2時間ぐらいかかっているし、書いているほど漆をしてはいない。
漢字というものの正確な形(姿)はどういうものなのだろう?
平安時代の書で、同じ漢字のはずだが、略したあったり、何が基準なのか?
「学」という字にしても、旧字では、漢和辞典と書では違っている。
解説では両手で包むとか言う形からきているとか、、、
豚汁(ぶたじる)をトンじる(トンと言いたければ、トンジュウのはず)というのがNHKでさえ使われている。
外来語、特に英語的なカタカナ語が蔓延している。
例がすぐに浮かばないが、英語的な言葉と漢字を結びつける感覚が、重箱読みを増やしているのではないか?

2月11日(土)

今週の問題は、離型剤のアラビアゴムが4,5回塗り重ねると、剥がれて来た事。
艶が出てきたように見えるかどうかが、境のようだ。
石膏原型の、片口・水指(雄型・雌型)に、下地付け1回目。
今日、米の粉と小麦粉を煮て、糊を作り、生漆と混ぜて糊漆を作る。
それに山科地の粉を混ぜて、下地を作った。

今週は、北陸地方の降雪の特徴のまま、降りはするが、溶けるので積雪は数十センチ。
水・木の帰宅時は、江波に入ると地吹雪で、右折の場所が分からず、かなり混乱した。
左目で格子を見ると歪んで見えるのを確かめたり、、、
そんなに寒くは無いが、雪の表情がそれなりの寒さを見せていた。

DVDを作ったりもしていた。
テレビを見ながらこのページを書いていると、新聞のCMに見た顔。Oさん。
メールでは、1年目の時院生だった京男の方が頭を打って、、、

2月5日(日)

この1週間で石膏原型作りを終える。
水分が抜けた感じの石膏に離型剤のアラビアゴム塗りを始める。
昨日はノーサイの研修会で和倉温泉へ。
螺鈿の菱模様を入れたテーブルがあった。
石目塗りで漆かどうか分からなかった。
食器は漆塗りとは思えなかった。プラスチックばかりだし、、、
今回で役を降りる人が何人かいるようだ。
夜、今朝、昼と飲み続けで、午後3時過ぎにタクシーで帰宅。
写経をする姿が弘法大師行状絵詞にあるが、参考までに。

一日中していたはず。
正座なるものもインターネットで調べると、約100年ぐらいの歴史らしい。
図録では、胡坐姿しかない、平安時代以来。

1月29日(日)

朝は、昨日留守だった家を回り、全部をファイルする。
盛器の高台を粘土で作り、石膏雌型取り。
12月10日の写真をやっと見せてもらう。
パソコン印刷の写真では早めに色あせてしまうので、カメラ店に追加分を頼んでもらうことにした。
石膏雌型から粘土を取り出し、雄型をとるかどうか、、、
水指の蓋の粘土原型を作り、石膏雌型取り。
記念写真のほうをデジカメで写してみるが、光の反射できれいに写らない。
画像を扱った所為か、何度もパソコンが応答なしとなる。

1月28日(土)

午前は眼科へ。
視力検査で左目が矯正で0.5、初めての感じで赤色(中に黒丸)と緑色(中に黒丸)のどちらがはっきりみえるかというので、左の赤色のマスが縮んでいるような、、、?
午後からは、役が6年目で最後となる推進の件で回る。
留守宅もあったが、かなりこなすことができた。
カレンダーの日付を右目で見ると正常なのに、左目で見ると十の位の数字が歪んで見えることに初めて気付いた。
眼科で感じなければこんなことは意識するはずは無いので、急に進んだのか単に無意識だったのか、それはわからない。
夕方から、アクリル定規や引き箆を切ったり、削ったり。
焦らないことがいけないのではないか、とさえ思う日々。

1月22日(日)

石膏雌型を慎重に壊し、石膏雄型を取り出す。
昨日、粘土で塞いだ跡と、アクリル定規とずれたところを削ったりして修正する。
それとともに形の狂ったところも修正する。
石膏雌型を作る。金貝で三つ割りになるようにする。
側面が薄くなるので2回石膏を掛け、3回目にスタッフで補強、4回目をかけて終る。
昼に母のところに行って北国新聞を見ると、漆とBrの記事が載っていた。

1月21日(土)

今年になってからは、割合早めに帰宅できている。
その割に漆の作業が進んでいないとはいえるが、母のところに行っているともいえる。
粘土原型を何とか作り、石膏雌型取り。
古い石膏の袋が無くなり、薄いなとは思っていても、木曜はそのままにした。
金曜夜に見ると、明らかに薄いところがあり、新しい石膏の袋を開け、その部分付近に渡す。
今日、平面定規を雌型の角に傷つけることで、つまり、そこから持ち上げるものをさしこんで外す。
粘土を取り出すと、一ヶ所に穴!

雌型の修正後、外から粘土でふさいで見る。
その所為で、石膏雄型取りのとき、蓋をするのが上手くいかず、部屋に石膏が飛び散る。
2回目は特に側面に石膏が残るように手で運び直し、3回目にスタッフで補強。
多分大丈夫だろうとは思うが、、、

1月15日(日)

午後から昨日の続きの粘土原型作りをする。
粘土を叩くのは形をしっかり作るのに役立つのだろうが、引き箆でなかなか削れない。
水を含ませたタオルを載せておくと、少しは柔らかくなったが、思うように作業が進まない。
午前中は新聞に載っていたセンター試験の問題を解いたりしていた。
英語が国語より簡単なのは、英語問題の文章の内容が、母国語の人にとっては小・中学校程度のものだからだ。
国語は煩わしい感じですぐ止めた。
自分らの頃の記述式問題なら、要点を押えていれば加点されていく感じだったが、今はどこが違うかを見つける方式になっているようだ。
届けを出すために、様式のひな型を探す。
見ていると、助教授に一昨年のノーベル賞の方が載っていた。
届けと転送をポストに入れに行って半日が過ぎた。

1月14日(土)

朝、頼みに行って了解してもらう。
一つ一つなら大したことはなくても、いろいろ集まると負担にはなる。
残業続きの肉体労働のほうはどうなるか分からないが、負担の軽減にはなる。
今日は、午前中に麻布貼り。
午後は叔母のところ、蛍光灯が消えたので買いに。
粘土原型を作るために、粘土を叩いてみると割合上手くくっ付く。

1月13日(金)

今年になってからは7時過ぎに帰宅できることが多くなった。
漆の作業ができるはずだが、母のところで話をすること多くなる。
雪がやみ、道路が水で車のライトを反射するので、何度もブレーキを踏む。
昨晩、インターネットで申し込んだのをコンビニで手続き。
インターネットの方も、全角・半角といろいろうるさいし、コンビニの機械の操作も初めてで、何度か店員に聞く。
最後はレシートがどこに出ているか分からず、教えてもらったり、、、
届くのは10日後ぐらいらしいが、クレジットは使う気はしない(情報漏れ)し、代引きの料金もかからないから、書店を介するよりは便利かもしれない。
コンビニはほとんど利用しない方だが、初めてconvenientと感じる。

1月8日(日)

昨日は会社の新年会。
歯医者に行って、年末に取れた治療歯を付け直してもらう。
9時半には帰宅でき、それから会社へ。
奥さんが私より一回り下の寅年の社長の飲んだときの話など、、、
最後に飲み干し続けたためか、帰宅後、みかんを食べているうちに酔いが回ってきた。
夕方頃に床に入る。
今日は空研ぎ、水指の石膏原型を削ったり、研いだりで形の修正。
午後から石膏を買いに出かけ、25キロ一袋。
麻布貼りをする。
本展向けの作業は全く進んでいない。
夕過ぎというか、夜というか、少し飲んで、新しい一升瓶の栓を抜くと、突然瓶が割れる。
白山市の金谷酒造の友白髪、今まで経験したことがない現象だ。
暫く振りにパソコンを立ち上げ、メールを見る。
学年では一つ下になるが、同い年のM君が亡くなっていたらしい。
エリートの中ではそうではありえなかったらしいことで遠ざかることに、、、?
あと9日で中学・高校の同級のR君の命日。

1月4日(水)

昨日までの六日間は、飲み続けの日々だった。
31日だけ、長岡神社へ行かねばならなかったので、3合で止めた。
外出もあまりしなかった。
今朝は雪の中、検体を持って病院へ行ったり(無料検査)、銀行などに行く。
昨日漆桶に粘土をつけて型にした片口は、石膏雌型の底が抜けたり、上手くいかず。
内側を少し削り、底はガラス板にし、隙間は粘土で埋めた。

 
内側に1回だけ離型剤にカリ石鹸を塗り、石膏雄型取り。
その後は麻布貼りをする。
大きい作品は厚めの蚊帳などを多くする予定。

1月1日(日)

午前0時からの元始祭、身祝い、厄払い。
ここ2,3日は雪はやんでいたが、道路の水は凍結していた。
テレビを見たりして寝たのは2時半頃。
8時には起きて、部屋を整えたりしてから朝食。
少しして来客、おせち料理、飲むなど。
午後昼寝をしてから夕より一人でまた飲み出す。
1年前の裏漏れなしの片口を来客の時、初使用。
もっと丸くしないと冷め易いし、扱いも注意がいると気付く。
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