漆に纏わる話 2018年版

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1月23日(火)

降り積もった雪もかなり減る。
今夜からまた古そうだが、、、
一週間ほど前の氷結。

昨日でこの木もなくなってしまった。エゾ松のはず。

漆の方は、石膏作業をしている。
形を作るためのアクリル板を糸鋸で切るのだが、刃にたわみがあるから、思うように切れないのだと今初めて気づく。
逆に言えば、普通に切ればずれていくことも少ない。
ホームセンターには替え刃を売ってないようになって久しい。
もう一つ気づいたことは、素地に高台をつけるのだが、後からつけるので、最初の形を違ってしまう事への対処法。
裏底への繋がる線を高台の底に一致させるため、高台の高さ分、石膏原型の段階で擦り減らしておけばよいと気づく。
最初から高台の形を石膏に作っておくと、後から素地を埋めなければならなくなる。

「新エロイーズ」は手紙57という長い手紙の訳がやっと終わる。
決闘という事を通して、死を恐れるのは自然の感情であるとか、生命をかけることの愚かしさとか、恐ろしさ(影響が残り続けて消えない)とか、、、
あらゆる事を他人の所為にし、勇ましいことを唱え、自らの命は絶対に賭けない平和ボケが蔓延している。
決闘ならそれこそ当事者同士の自己責任だろうが、戦争は平和ボケが煽り、そうでない者が殺し合いをさせられる。
小説の中の世界は何時の時代にもつながる。

1月13日(土)

昨日はブルドーザーが3回通った。
深夜、午前、午後。
朝6時、玄関から道路まで60センチほどの新雪。
1時間ほどかかって何とか歩ける道をつける。
その間一台の車も道路を通って行かなかった。
朝の内に太陽が顔を出したが、朝刊が届いたのは午後2時過ぎ。

午前、午後と車庫前や庭に車の入る分の除雪をする。
今日のところ特別の筋肉痛は無い。
10キロのリュックサックを担いでのスクワットのおかげか、明日にでも症状が現れるのか?

漆の方は、錆を見たり、黒漆塗りをしたりしているだけ。
平面を出すため、カッターの刃の未使用ので削ってみたりしたが、それでも直りきらない。
荒砥では研ぎ作業中に凹凸を感じられない。研ぐ前にチェックしておき、そこを狙って研ぐしかない。

「新エロイーズ」は手紙57が長く、その訳を少しずつ続けている。
決闘は男の理屈で、自然の生の原理とは違うとの説得。
戦いは職業軍人に任せればよいし、彼らの名誉は尊敬に値しない云々
最初に手を出す方がすべての原因となるから一番悪いというのが前提となっているようだ。
死を恐れるのが自然であり、殺すのは最も悪い。

1月3日(水)

いつも片隅で漆の仕事をする座敷が年末から正月用に片づけられているので、全く漆は停止中。
珍しく飲み続けていたのは今日から休止。
朝、西の空に満月かと見ているうちに雲の中に吸い込まれていった。

1日は午前0時から長岡神社の元始祭、身祝い、厄払い。
2日は羽生八幡宮、倶利伽羅不動尊鳳凰殿、帰りにアウトレット小矢部の前の8号線を通るとすごい渋滞。

「新エロイーズ」は「手紙57ジュリィから」の意味が分からず、数時間で数行しか進めない。
前の手紙では酒の飲みすぎ、今のは穏やかになると言っていたのにジュリィへの侮辱に腹を立て暴れたような話。
かなり理屈っぽいことが、絡み合うような文体で書いてあるので、なかなか解読できない。

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