漆に纏わる話 2018年版

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12月18日(火)

後5日になったので、坂下直大先生回顧展を見に金沢美術工芸大学へ行く。
11月初旬は、自転車で石動駅、列車で金沢駅、バスで石引と行ったが、今回は車に乗せてもらう。
図書館2階にある部屋に入ると、ビデオが流れていた。
棗の合い口合わせで、ぎりぎりに下地を付けたのを擦り合わせて、動くようにする(蓋が被る隙間を作る)。
内側を基準にし、隙間にスズ金貝を巻き、外を研ぎつける。
その時、グラインダーを改良した轆轤が役に立っている云々。
25年前に初めて訪れた頃に、一度私の持って行った棗に切合い口をしてもらったが、思い出して自分でやってみても上手くいかなかった。
修行をしていないまま漆をやりだしたので、道具の事もほとんど知らないし、技術も未熟。
私の仕事が余りに下手なので、逆に目の前でいろいろ手本を見せてくださった。
妥協のない仕事ぶりは見習わないといけないのだが、自分の甘さを感じるばかり。
座り仕事から、椅子での仕事に変わられた雰囲気が再現されている。
回転風呂とか熱処理の装置の再現はない。
新しくはない家の、狭い部屋で塗立てをされているのに接したとき、設備の所為ばかりにしたがることの誤りを知った。


アートハウスおやべでは11月初め頃に「富山県 今日の工芸展」というのがあった。
隣の部屋では「小矢部作家展」が同時開催されていた。
前者は、NHK朝ドラの「半分、青い。」で、鈴愛が律を呼ぶ笛の作者の谷口さんにお世話になる。
日展中心だったが、小矢部というか、富山県でもめったに見ることができない作品がならんでいても、市内から来る人は少なかった。
口で文化やら何やら言いながら、票集めだけに熱心なようだ。

その後、中学校の同窓会が磯はなびであった
各人が順に自分の報告をする。。
去年の砺波市美術館でのと、今年のアートハウスおやべでの作品展に来てもらったお礼を述べた。
7年連続落選で、回顧展のようになってしまった云々。
終活に入っていないのは珍しいのかも。
中学の時、走り高跳びで(女子に)5p負けていたという話をしたり、、、

砺波市美術館では、入場料を払って、中学の時の先生だった「堀田清 塑造展」。
「松尾敏男展」では、白い牡丹の作品が、繊細で上品な感じがした。
冬牡丹 かたみに知らぬ ・・・・・
庄川美術館では、野村修三さんのギャラリートークに何とか間に合った。
その後、1時間ほど話していた(「二人展」以来、「今日展」で少し話した程度で会っていなかった)。
その版画展が、県内各地からの作家の作品だと、招待はがきを貰うまで気づいていなかった。

9月8日(土)

6日(木)朝5時過ぎに北海道で地震があったらしいとは聞いたが、久し振りのジョッギングに出かける。
1時間ほどして戻り、テレビをつけると胆振とか石狩という懐かしい地名とともに震度6強・弱、5強・弱、、、
テレビやラジオをつけっぱなしにしていた。
全道の295万戸が停電で、北海道ではテレビの情報が伝わらないからラインなどで個別に伝えてほしいようなことを言っていた。
充電もできないだろうし、見舞いなどの連絡は迷惑になると考えた。
厚真町では震度7との報道があった。
停電の原因を聞いて、周波数の維持という事を初めて知る。
昨日かなりの地域で送電が再開したというので、今朝札幌に電話してみる。
毎日5時に家を出て、学校の対応にあったっているとのこと。
電氣は昨晩の7時に回復したが、冷蔵庫の中はかなり悪くなりかけているとのこと。
道路の向かい側は煌々としだしても、こちら側は星が見える状態だった。
水道だけは出ていたので助かった。
ラジオはあったが、電気が来てテレビを見て、自分のところよりひどいところがあったと分かった。
NHKのテレビで言っていたことも伝える。
去年砺波市美術館に来てもらったことを伝える間もなく、話し続けられた。
昼過ぎに、学校から戻ったからと電話が来る。
体育館や図書室にかなり被害があったそうだが、月曜から再開するそうだ。
お大事にと言うしかなかった。
この前、名古屋からきてくれ、東江君の本を貰ったことは話す。

白老、北吉原などと聞くと思い出すことはある。
Tu me sembles aine.(eにアクサンテギュ)
Je pourrais te faire raser.
il y a presque quarante-neuf ans depuis ・・・

8月19日(日)-26日(日)アートハウスおやべでの「砂田正博・野村修三 二人展」(小矢部異芸術文化連盟セレクト展)はたぶん250名ほどの入場だった。
第20回記念アミカル展で知り合いになった野村さんとの作品展だったが、砺波北部中学の同級生以外は、小矢部市芸文連を始め来ない!!!
どうしても来てほしいと思っていた一番と二番の方は来てくださった。
元々販売用には漆の仕事をしていないので、個展的なものは今回が最後だろうとは思う。
というより、昨年の砺波市美術館の「工芸の秀作」と今回の二人展で一つの展覧会(個展)と考えている。
全作品違う作品だったし、周辺の展示もポイントを変えた。


奥にウルシノキ

北陸中日新聞記事



乗っても良いとのことで、、、

5月28日(月)

乾漆を作っているが、上(端)と下(高台)の位置を線で結ぶ線がずれていってしまう。
どうしようもなくトースカンを取り出す。
角の位置もずれているし、出入りも狂っているし、高さも狂っていると分かる。
直し始めると、足りないところは刻苧を盛り、削るところも多い。
結局、重すぎるようになる。

夏風邪か、今日は走る気がしなかった。
今年は息切れがひどい感じだが、すべて鼻呼吸にして、無理はしないようにしている。
5月10日ジョギングから戻ってくると、虹。


「新エロイーズ」は原書のp140まできたが、
Veux-je...という形で疑問文ではなく、仮定を示している感じの文が出てきた。
そんな例文は見つけられず、勘で訳すしかない。

5月5日(土)

何をしているのか分からないうちに時が過ぎていく感じ。
ジョッギングは、軽い感じの日と全く動かない日と極端に差がある。
呼吸を安定させられないのが課題だろう。

漆の方も進まない。
錆絵で少し盛り上げたのに、古い箔下漆を使ってみた。
粘りすぎなので、灯油を少しずつ混ぜ、練って何とか塗れる状態にした。
結局、箔下漆は、短時間でクロメた黒素黒目漆が経年変化で粘りを増しすぎたものだと分かる。
乾けば艶があり、黒漆としては使い物にならなくなったのを、金箔を光らせるのに有効だと転用したのだろう。

錆絵のガタガタがひどいのでまた研ぎ、朱漆を塗る。
浄法寺の初漆を薄く友禅用の筆で渡し、金箔を置いた。
不要な場所に付いた金箔で剥がれないことろがあり、名倉砥で研いだりもする。
必要なところをはがしてしまったりし、部分的に貼り直す。

「新エロイーズ」は、進み方が遅い。
少し前の事も覚えていない状態だから、仕方がないともいえる。
ルソーに熱中しているわけでもないし、漆に熱中しているわけでもない。
この中途半端さがすべての進行を遅らせているのだろう。

4月5日(木)

3月27日(火)の朝に3か月半振りにジョギングを再開。
今朝まで10日間続いている。
二日目は脚が重苦しく、左の腰痛も激しくなり、どうなる事かと思っていた。
ガッテンで足をパカパカ開くように動かすだけで治る腰痛もあると言っていたので、真似てみると走るのを妨げる腰痛ではなくなった。
健康診断では肺の上部に白い影があるとのこと(同じ年代では幼児の時にそうなった者がかなりいるそうだ)もあるのか、呼吸は安定しない。
チューリップが咲く。

乾漆は形合わせで、だんだん重くなる。
紐胎杯(小)が最後の2個だけしかなく、それが無くなることになる。
裏に銘を入れるついでに、内側も薄そうなので塗っておく。
漆の仕事を余りしないので、作っていないことにさえ気づかなかった。
殆どチャリティに回しているだけ。

「新エロイーズ」は原書のp127で、止まったままという、時々起きる意味の取れない状態が続いていた。
今日何とか意味が取れた感じがして、訳が進んだ。
もう少しで第一部が終わる。

3月19日(月)

石膏原型に離型剤を塗ったとき、3回重ねたら剥がれるところがあった。
石膏雄型を土曜に壊したが、石膏は残る傾向にあったが、何とか素地を取り出すことができた。
昨日の事だが、雌型を前夜より風呂に浮かべておいたのだが、朝になっても浮かんだままだった。
手で沈めて少ししてから石膏を壊し始める。
石膏の剥がれが悪く、途中2時間ほど水をかけ流しにしたままにした。
それでもはがれにくく、ノミで削り始める。
5時間ほどかかって何とか石膏分を取り除く。

こんな失敗は初めてといえる。
今日は形直しを少ししてから、リグロインで薄めた生漆を吸わせた。
熱処理でひどい亀裂が入ったり、ひどい仕事が続く。
15日(木)は強風の中、自転車で砺波市美術館へ行く。
高波で投票用紙をポストに入れ、向かい風の中、ゆっくりと進む。
砺波市美術協会会員展。
テーマを持たないままの自分に問題を感じるばかりだった。
昨年夏に40日余世話になったから、この美術館には毎回顔を出すことにはしている。

3月13日(火)

今年に入って1キロを超えて走ったことはまだない。
道路の雪は消え、暖かい日だったので、自転車でJAの支店に行く。
用を済ませ、近いついでにアートハウスおやべへまた行く。
10日(土)は「アートの今」の開会式に行き、2016現代造形展の受賞作家3名の、一部屋毎の個展を見る。
作家の解説を聞いて、大体見たことで終わっていた。
今日は一人で一通り全部を観て回る。
会場当番の人がいて、いろいろ話してくれる。
燃やして水をかけて消した紙を使って作った像は少し動くという。
よく見ていると、確かに空気の動きでかすかに動いた。
中にある棒に像が乗っかっているのと、像が紙でできていて軽いせいらしい。
テープの枠のようなのが数メートル並んで吊ってある間を通ると揺れ、反射の動き、下から見上げると水の中から空を見上げる感じに見えるとか、、、
その人はいろいろ想像できるから、そして作品の一部にもなれるから、インスタレーションのようなのが好きだとのこと。
漆の玉を絹糸に作ってある部屋は証明が薄暗い。
視覚に障害がある者にはかなり厳しい展示法とは言えるだろう。
高さに変化を与え、大雑把に言えば平行な感じに1メートル余毎に空間が仕切られている。
霧と考えれば、その中を彷徨うのかもしれない。
色があると考えれば、木漏れ日の小さな森を散歩しているのかもしれない。
波だと考えれば、泳いでいるのかもしれない。
東北の大震災で被災後、いろいろ迷った末、線で世界をとらえたい、線で表現しよう、、、
ピカソの線や形のリズムから詩を作るようなことを書いたのも貼ってある。
そういう楽しみも必要かもしれない。
余り車とすれ違わない道は無いかと、知らない道を選んでみたが、やがて昨年ジョギングしていた道に出る。
普通に帰るよりずいぶん遠回りになったが、かなりの強風の中、良い運動にはなった。
夕方紅梅を見ると、まだ咲いてなかった。

3月7日(水)

乾漆作品の熱処理の距離が近すぎたのか、ひどい亀裂が入る。
同じようにしたつもりだが、こんなことは初めてだった。
3回薄めた生漆を吸わせ、昨日刻苧で埋めたが、今日は乾いていない。
昨日は高台を作るため、段ボールを切る

それを裏に貼り、周りに細いラミー縄を貼る。
その付近の乾きも悪い。

3日(土)は福光美術館の、こころを織る山下郁子展の開会式に行く。
40作以上が並び、自分にはテーマが欠けることを自覚させられた。
月曜には申告に行く。
昨年の砺波市美術館の工芸の秀作での出会いで人手に渡ったのに関するものだったが、逆に還付となる。
老後破産を予告しているのかもしれない。

「新エロイーズ」の方は、展開が極端から極端に展開している。

2月23日(金)

積雪量はこの家だけが少ない感じ。
1メートルほど積もっていたこともあるが、影になる木がないせいか、日や風で減りやすいようだ。
今月の5日に福井からおいでた漆屋さんは、二日間だけ富山県にいて帰るとの事だったが、北陸自動車道が通行止めになったり、無理だったろう。
まだ除雪による雪の壁が高いところもあるが、何とか出かける気になる日が多くなる。
18日(日)は小矢部市芸術文化連盟のセレクト展の話があり、クロスランドへ出かける。
賛助出品があってもよいというので、インターネットで地図を出し、野村さんの新しい家へ向かう。
すぐ着いたが、仕事場にいるとのことで、電話を貸して下さる。OKとのこと。
その二日後に野村さんがおいで、高岡の漆屋を教えたりする。
21日は高岡市美術館の芸文の卒展を見に行く。
彫刻など物理的大作が目立つ気がした。
素黒目講習の時に漢字だけ覚えた(読み方が頭に残りにくい)7月7日に関連のある人の作品もあった。
その翌日は天候が良い間に砺波市美術館へ行く(コメリで買い物をした後)。
駐車して歩いていくと館長にあう。
横山丈樹展。具象と削り取った感じが内面の二重性を類推させる。
彫刻一般で感じることは、トルソ的表現は無いところはどうであるか想像してほしいのか、主題には不要なのか。
顔を出し、今後の展覧会予定の話などを聞く。
半年ぶりに学芸員の方にも会い、アートハウスの話などもする。
小矢部の芸文報はいくつかの美術館に送ってあると聞いていたが、ここでは読んでいないとのこと。
井上靖の石動の詩のコピーを半年前に館長からいただいていたの最低限生かしただけになるが、、、


漆は石膏雄型と雌型に麻布貼が8枚まで来たところ。
側面は幅7,8センチで細かく貼る。
色紙に漆絵を描いたりもしている。

「新エロイーズ」は手紙62まで何とか訳してきた。
何の苦労もなく読めるところもあるが、少し複雑な文章構造になると、その部分で一日止まることもある。
学力がついてないことだけはよく分かる。
人間の本来あるべき生き方と、社会体制にがんじがらめになっている生き方。
今も昔も同じ軋轢に悩まされている。

昨日のヨミウリにこんな写真が載っていた。
どうしても道産子を応援してしまう。

1月23日(火)

降り積もった雪もかなり減る。
今夜からまた古そうだが、、、
一週間ほど前の氷結。

昨日でこの木もなくなってしまった。エゾ松のはず。

漆の方は、石膏作業をしている。
形を作るためのアクリル板を糸鋸で切るのだが、刃にたわみがあるから、思うように切れないのだと今初めて気づく。
逆に言えば、普通に切ればずれていくことも少ない。
ホームセンターには替え刃を売ってないようになって久しい。
もう一つ気づいたことは、素地に高台をつけるのだが、後からつけるので、最初の形を違ってしまう事への対処法。
裏底への繋がる線を高台の底に一致させるため、高台の高さ分、石膏原型の段階で擦り減らしておけばよいと気づく。
最初から高台の形を石膏に作っておくと、後から素地を埋めなければならなくなる。

「新エロイーズ」は手紙57という長い手紙の訳がやっと終わる。
決闘という事を通して、死を恐れるのは自然の感情であるとか、生命をかけることの愚かしさとか、恐ろしさ(影響が残り続けて消えない)とか、、、
あらゆる事を他人の所為にし、勇ましいことを唱え、自らの命は絶対に賭けない平和ボケが蔓延している。
決闘ならそれこそ当事者同士の自己責任だろうが、戦争は平和ボケが煽り、そうでない者が殺し合いをさせられる。
小説の中の世界は何時の時代にもつながる。

1月13日(土)

昨日はブルドーザーが3回通った。
深夜、午前、午後。
朝6時、玄関から道路まで60センチほどの新雪。
1時間ほどかかって何とか歩ける道をつける。
その間一台の車も道路を通って行かなかった。
朝の内に太陽が顔を出したが、朝刊が届いたのは午後2時過ぎ。

午前、午後と車庫前や庭に車の入る分の除雪をする。
今日のところ特別の筋肉痛は無い。
10キロのリュックサックを担いでのスクワットのおかげか、明日にでも症状が現れるのか?

漆の方は、錆を見たり、黒漆塗りをしたりしているだけ。
平面を出すため、カッターの刃の未使用ので削ってみたりしたが、それでも直りきらない。
荒砥では研ぎ作業中に凹凸を感じられない。研ぐ前にチェックしておき、そこを狙って研ぐしかない。

「新エロイーズ」は手紙57が長く、その訳を少しずつ続けている。
決闘は男の理屈で、自然の生の原理とは違うとの説得。
戦いは職業軍人に任せればよいし、彼らの名誉は尊敬に値しない云々
最初に手を出す方がすべての原因となるから一番悪いというのが前提となっているようだ。
死を恐れるのが自然であり、殺すのは最も悪い。

1月3日(水)

いつも片隅で漆の仕事をする座敷が年末から正月用に片づけられているので、全く漆は停止中。
珍しく飲み続けていたのは今日から休止。
朝、西の空に満月かと見ているうちに雲の中に吸い込まれていった。

1日は午前0時から長岡神社の元始祭、身祝い、厄払い。
2日は羽生八幡宮、倶利伽羅不動尊鳳凰殿、帰りにアウトレット小矢部の前の8号線を通るとすごい渋滞。

「新エロイーズ」は「手紙57ジュリィから」の意味が分からず、数時間で数行しか進めない。
前の手紙では酒の飲みすぎ、今のは穏やかになると言っていたのにジュリィへの侮辱に腹を立て暴れたような話。
かなり理屈っぽいことが、絡み合うような文体で書いてあるので、なかなか解読できない。

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