漆に纏わる話 2015年版(8月まで)

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8月30日(日)

先週に続いて、いなみ国際彫刻キャンプを見に瑞泉寺へ。
雨にけむる境内で会った野村さんによると昨日まで制作をしていたとのこと。


代わりの人が決まらないまま、ずらずらと勤めに行っている。
人よりは早めに帰っているとはいえ、9時半過ぎが2回の上に昨日も勤め。
漆の方は全然進まない。
北陸新幹線に乗ることもなくなったし、このままでは潰れるしかない悪い予感。
同じ形で、雌型から作った素地の狂いがひどい(原因は石膏原型がひどすぎたこと)のをどう削るかが問題。
ヤスリでも、切り出し刀でも、ノミでも、ほとんど削れない。
持っていた安物のハンドルーターを使ってみることに。
彫刻キャンプではチェーンソーなど電動工具をかなり使っていたのもヒントにした。
先につける工具を、空研ぎ用の円筒形の研ぎ布から、中砥のようなのにと変えてみたり、、、
かなり効果はあった感じ。

8月16日(日)

盆休みの13日(木)は、9日の帰りに寄るのを忘れていた富山県埋蔵文化財センターへ行く。
縄文時代の朱漆が残る土器。
人物の埴輪の腕が極めて短いと初めて気付いた。
14日(金)は、やってくるのに合わせて、玩具を買いに出かけたり、そうじをしたり、、、
夜はかなり飲む。
昨15日(土)は、墓参りの後、顔をみせに行く。
91才差を抱いて嬉しそうだった。
帰ると、途中でキャンプして来た子が帰省していた。
夕方から、福光美術館へ「第3回ザ・セッションartの俊英展」を見に行く。
螺旋状の感じの乾漆作品が印象に残った。
棟方志功、石崎光搖(手偏を王偏に)、松村秀太郎の常設展示。
帰りは、更新はやめるべきだったかと感じるような運転も少ししていた。
いつものようにまた飲みすぎに。
今日は、天気予報を見ていたらしく、突然の感じですぐ帰ることに。
小矢部のアウトレットの傍を初めて通ると、駐車場は埋め尽くされている感じだった。
運転はしていなかったが、トンネル内はよく見えず、こんなスピードでよく走れるなと感じていた。
墓参りの後、カーマでキャスターを買う。
回転風呂の裏に2個付け加え、6個にすると、かなり楽に動くようになる。
作業机の裏に、少し小さめのをつける。
ねじ穴を電気ドリルであけてかかるようにして、何とかなる。
風通しの悪いところで作業していたが、机や風呂が楽に移動できるようにしたので、季節とか作業に応じてレイアウトを変えられるのでは?と期待している。

8月9日(日)

迷っていたが、結局、最後の免許更新に行く。
数年前から多い、勘違いをし、どこを走っているかわからなくなる事態に陥る。
太閤山団地を過ぎ、交差点で右折して進んでいくと、道路の下を走ることになった。
呉羽へいつものように向かっているつもりが、標識では八尾へ向かっていることになる。
途中で左折車が多そうなのでついていくと、ファボーレの前を通る。
そのまま走ると、6月に通った交差点に出、新庄という標識に従い、直進を続けた。
携帯も地図もカーナビもないので、どのあたりが旧8号線に向かう道か見当がつかず。
横道に入ったりしてはまたもとの道に戻り、走っていくと、右手にアルペンスタジアムが見えた。
予想では左のはずだったが、球場の近くとは分かっていたので急な進路変更で右折。
予定より20-30分遅れで着く。
いつも盆頃に行っていて、大変な混雑との記憶があったが、駐車場でも手続きでも楽に過ぎた。
30分の講習では、信号のない、時計回りをする交差点(左折する直前に合図を出す)ができている話など。震災で信号機が使えなくなったことから考え出されたとか。
長期間無事故無違反の者が死亡事故を起こしやすい傾向にあるとも。
帰りは今まで通り、旧8号線を呉羽まで走る。
黒川あたりで、ラジオで長崎の黙祷。

午後は、昨日の、半分だけの鉄錆塗りとでもいうのの粉を掃除機で軽く吸い、昨日と同じ組み合わせの生漆を薄めて塗り、固める。
もう少し漆の作業をしてから、家の掃除。
やって来たが、余り元気がない感じがした。

8月8日(土)

昨日までは、どれだけ水分をとっても渇きを感じる日々だった。
勤めで引継ぎの応募がなく、定年の延長を考えているのか、人より早めに閉ってよいということもあり9時過ぎの帰宅は2日間だけだった。
木曜夜に、鉄鉢の補修の途中経過を見てもらおうかと電話する。
底が大きく抜けて無くなっていたこともあり、そんなに気を使わなくてよいとのこと。
ガタガタを刻苧で埋めたり、錆で埋めたりし、昨晩は生正味漆+生漆で固める。
輪島漆芸美術館でのパンフレットの変り塗りの説明を取り出したのは数日前。
今日、「近代日本の漆芸」(東京国立近代博物館)を見ると、説明がないし、、、
現代の百工比照という高野松山の手板見本50と同じものだと初めて気付く。
増村先生の解説を参考に、生漆(生正味漆+盛漆)を薄く塗り、炭粉とベンガラ粉を混ぜた粉をかける。

後は粉を固めるだろうが、磨くつもりはない。

8月2日(日)

また長時間残業が続くようになり、水曜夜は12時頃漆の作業を終える破目に。
昨日は床屋へ行き、午後からはイオンモール砺波へ行き、キャッシュコーナーへ。
大きくなり、MITSUKOSHI ISETANの小さい店舗もあったが、店内の配置図が見当たらず、困った。
子供の玩具の店舗だけが目立つ気がした。
屋上の駐車場の出口もチェックしていなかったので、車を探す破目に。
知っている町のことなので、多少迷っても大したことはないが、、、
帰ると車が来ていて、エアコンをつけた部屋で二人とも寝ていた。
25歳で亡くなったという母方の祖父が育てていた十弁の桔梗と普通の五弁の桔梗の写真を撮っていると、脱皮したばかりらしいセミを見つける。
皆帰った後だったので、見せることはできなかったが、、、

夜、パソコンの調子がおかしく、クリックというよりポイントに反応がなくなり、強制終了はかり。

今日は、昨晩の大量飲酒の影響を醒ますためと、連日の疲れを取るため、8時少し前に起きる。
いつもよりは楽になっていた。
昨夕見つけたセミはいなくなっていて、抜け殻だけが残されていた。
一ヶ月ほど作業を停止していた鉄鉢の修理をする。
麻布貼りのところに薄い和紙(たぶん美濃和紙)を貼る。
午後は疲れで、風の通る廊下で浅い眠りの昼寝。
夕方から、素地のまま作業停止していた乾漆の凹み埋めなど。
今日はパソコンが動くようだ。
風通りの悪い日だったが、暑くてもエアコンはつけないで過ごす。

7月20日(月)

庭を吹き抜ける風は涼しいが、家の中は暑い。
金曜から4日連続、朱、黒、朱、黒と塗り続けてはきた。
まだ塗り足りないが、時間がないのでどうしようもない。
残業ばかりのところに勤めてきたが、失われた10年になったといえる。
来年からは、そういう言い訳がきかないことになることにほぼ決めた。
分かり易くいえば定年退職するということ。
今後の生活をどうするかは分からないが、漆をする時間は大幅に増えることになろう。

湿度が高いのか、乾きが速すぎるので、浄法寺の漆だけを使うことになった。
それでも数時間で乾いてしまう。

100年前の第一次世界大戦を背景に書かれた「チボー家の人々」と何ら変わりないことが今も繰り返されている。
自分は常に正しい(悪いのは相手だ)、自分に合わせれば全てが上手くいくのに、、、
「国のため」とか「平和のため」とか「英霊」とか「命をかける」、、、
こういう発言をする者に責任を取ってもらい、前線に送り戦わせるようにすれば、よぼよぼなので戦死者は減るし、年金も減らすことができる。
小説にはこんなことも書いてあった。
いざ殺戮が始まれば、憎しみの連鎖しかない。

6月28日(日)

金曜は久し振りの長時間残業で帰宅は9時35分。
食事、風呂の後、研ぎを少しだけして、すぐ黒漆塗りにかかる。
乾きが速すぎ、0時半頃に片付け終わった頃には、ガラス板についた黒漆がもう硬化していた。
昨土曜日は、8時半に歯医者に着き、終ってから高岡に直行。
小森先生を招いての漆芸部会研究会。
能越道はトンネルが多く、出口で風にあおられ、かなりひどかったとのこと。
形のバランス、美を表現する技術・職人的技術・用の美のバランス、、、
具体的な指摘など、4時間半ほど(昼食時間は除く)。
網代に使っているという刷毛は、まさにきれいな砲弾形。
各自持ち寄った刷毛、私の刷毛が極めて短かった。
前夜塗りに使った3本を持っていく(泉清吉8分、特選5分、大極上2分)。
以前高岡であった講習会で塩多先生が、切り出した後、縦の4角を丸くしておくという話も出る。
小雨で風の強い中、広小路経由で帰る。
指摘のあったところを直すため、定規を直したりする。
粉多目の下地で少し直す。
今日は朝から蓋の修正前の研ぎを少ししてから、錆多目の切り子地で形直し。
それから身の地研ぎ(金曜夜に黒漆を塗ったが、地研ぎは不十分)をかなりする。
内底、立ち上がり端の幅揃えを主に、作業できる部分はその他のところも、切り子地付け。
4時過ぎにやってきたので、テレビを見たりした後、散歩に。
寒いほどの日だった。
絵本ではなく、本物の猫を見て、後ろに隠れたり、、、
50日ぶりぐらいに会うと、少し人見知りの感じになっていた。
すぐいつもの調子で動き回った。
パズルを解いていたそうだが、家に戻ると寺からもらってきたという冊子があった。

よく見ては来なかったが、91歳の母は全部解いていた感じだった。
3番は、粗と筋と分かったが、意味が分からなかった。
そんな変な筋肉があったか?訓読みすればよいとやっと気付く。
4番も、余と斗の結びつきにやっと気付く。
5番は、免とくっつくのが日だろうとは予測できた。
十と十がよく分からず、草冠の旧字なら、萌になるが、、、?
十の下に日を置いてみて、やっとその下に十をくっつければよいと気付く。
91歳より知能が低かったようで、困ったものである。

6月21日(日)

昨日は歯医者に行った後、となみ野美術展の開会式へ。
主催ではない今朝のヨミウリに記事が載っていた。

後は乾漆の空研ぎと下地付けによる形直し。
今朝は空研ぎした後、家の掃除。
予想より少し早くやって来た。
父の日ということで刺身。
サッポロのノンアルコールビール。
少し前のためしてガッテンで糖尿病についての番組があった。
食べる順が大切で、ごぼうなどの水溶性野菜や納豆、次に魚、それから米。
まず腸内細菌に、次にインスリンの分泌を促す働きの大きいもの、、、
昼は野菜がなかった。
夕方から今日の主役の「お喰い初め」。
箸は麻縄で作ったものを使ってもらう。
2年数ヶ月前の、表情を変化させたのとは大違いで、口をあけた。
人それぞれ、人生もそうなっていくのだろう。

6月14日(日)

昨日は昼から給油し、高岡駅南口へ。
あいの風とやま鉄道とJP西日本が同居するが、特急列車がなくなった駅。
駅周辺がかなり整備され、どこに車を止めればよいか分かり難くなっている。
何とかとめて階段のところへ行くと、降りてくる。
旧8号線で行くつもりが、瑞龍寺付近に行ってしまい、太閤山を抜け、ファミリーパーク前。
トンネルに入ると見えなくなり、壁に急接近したらしい。
小泉町で右折することは、前夜インターネットで調べていた。
少し間違えそうになったが、布市駅前の信号、そこを右折して何とか到着。
動脈瘤破裂から本人の回復への強い意志と努力で奇跡的に回復(途上)。
最後の翻訳本が持ち主に戻る。
昨秋来るといっていた鯨のkatohから連絡がなかったので、3年ぶりの再会になる。
5月の連休明けの頃、静内でもう葉桜になっていたそうだ。

目の前で並んで坐っている夫妻の姿が、二人いるとははっきりとは見えないと言うと驚いていた。
帰りはトンネルを通ってくれるなというので、旧8号線まで北上し、呉羽で左折。
緊張と狭い道で、前が消えかけたりとぼんやりした感じに見え出したが、何とか家に着く。
送ってもらい、3年前と同じ砺波駅前の店で飲む。
富山での時と一緒で、昔のことや今のことが話題になる。
夜高を見物した後、城端線で高岡へ行くのを見送り、迎えに来てもらう。

今朝は起きるのが億劫で寝転んでいたが、人が来て起きる。
乾漆の素地の狂いを研いだぐらいでは直りそうになく、丸ノミで削りまくる。
空研ぎで研ぎ減らす。
外の形は定規で狂いを確かめ、荒砥の水研ぎ。
昼寝転びをしていると、市報などを持ってくる。
素地固めをする。
鉄鉢は、久し振りの作業で、内側の凹みを切り子地で埋める。

6月7日(日)

昨日は歯医者に行った後、倶利伽羅駅まで車で。
2両編成の列車は異常な混みよう。
名鉄エムザまで歩く途中、金沢の地酒の試飲。
石川の伝統工芸展では、陶芸の解説。
九谷焼のゴタゴタした中から、色を絞ったり、技法を絞ったりして各作家が制作している話などを聞く。
近江町市場を通り抜け、人通りの少ない道を尾山神社方面へ歩く。
金沢百万石祭の所為で神社前は人で溢れていた。
間を抜けて、チャーシューメンを食べる。
漆を買うために高野漆行へ。
一度に大量に使うことはないので、100匁の桶を二つ買う。
中国産の漆の値上がりがひどいときいていたが、思ったほどではなかった。
橋本さん作の地の粉も買う。
珪藻土でできた七輪はいくらでも売っているが、それを壊して焼けば地の粉ができるのではないのだろうかなどと話す。
以前売っていたのに近い麻布もあり、3メートル買う。
その他にも買うと箸の木地をおまけに下さる。
それを手に持って駅方面に戻る。
百万石パレードが始まるまで、駅のコンコースの柱に掲示されている伝統工芸のパネルをデジカメで撮る。
遠回りをさせられて駅前に戻り少ししてパレードが開始。
早めに帰るため、少しだけ見て駅に戻る。
今日の新聞を見せてもらうと記事が載っていた。

帰りは横に乗せてもらい、4時少し前に帰宅。
電話して、暫くして4人でやって来た。
4人の生活も一月になると安定したのか、以前のような姿に戻っていた。
金曜夜は、工芸会のHPに支部展のことが掲載されないので、自分で受賞作の画像を載せた。
昨日の夜は顔本に記入など。
今日は蓋と身を合わせるための水平研ぎ・上下研ぎ。
連日の立ち上がりとの隙間を見ながらの、狭い部分削り。
蓋の形の狂いを定規で見て、荒砥で研ぎこむ。
身の定規は、高台をつけたことで、粘土原型のでは間に合わなくなり、作り直す。
それに合うように荒砥で研いでいたが、狂いがひどすぎ、削り始めたり、、、
夕方になり、作業をやめ、少し薄めた生漆を吸わせる。
削りに使い切れが悪くなった刃物をすこし研ぐ。
手についた生漆を乾かしたり、取り去るための作業(研ぎ)ともいえる。

5月31日(日)

いつもだるいのは熟睡時間が3時間程で、疲れが抜けきらないからだろう。
昨日も一日勤めで、今日は一日、美術館の会場当番。

開館前の会場の一部。
日曜の所為か、入場者が切れ目なく続いた。
私が知っている人は午前中いなかった。
昼食時、保さんに鉄の修理などについて聞く。
壊れたところは切り取り、同じ形を作り、鉄粉と生漆を混ぜて耳たぶぐらいに練る。
焼付けなら200℃ほど、自然乾燥なら1-2ヶ月だそうだ。
接着力、強度、臭いなど、漆に優るものはないとのことだった。
午後は同じ会社のT君が二人連れで。
勤めとは別世界なので、いつしているか、、、
夕方近く、アミカルの野村さん夫妻。
食事にもいろいろおいしいものがあるように、美術の世界もいろいろある。
来るといっていた子供(とその子)が入場終了時になっても来ないので、コレクション展を観に上の階へ。
金工と漆芸で、招待券は一応持っていたが、会場当番の名札を見せると、そのまま入室できる。
10年ぶりに展示された、自分の作品「乾漆食籠」(所有は美術館)。
制作時、乾きが速すぎ、朱の発色が悪かったのだが、17年も経つとかなりいい色になっている感じがした。
帰宅後、少しだけ漆の作業(削りと下地での直し)をする。

5月24日(日)

睡眠時間が6時間前後でも熟睡できない日々。
年をとっても肉体労働、それでも不眠。
鉄鉢の方は、裏側が乾漆で大体形ができたので、剥がれていた鉄板を貼る。
鉄板片の形に近づくよう、乾漆を削り込んだりし、こくそで貼る。
両端に石を置いて浮きを少なくしようと昨日した。
今日は内側を、厚みを指で感じながら削り込む。
光をすかしてみると何箇所も穴があいたり、布目が埋まっていなかったりしていたのを埋める。
夕方帰宅してから、裏側の隙間などを少し埋める。

今日午後から、支部展の研究会。
着物は、平面でも、立体でも美しくなるようデザインし、着ての演出もできる。
イチョウの実の生命感を葉でどう表現するか考える、、、
スケッチを通して、線や色を知る。
デッサンよりは、線で平面的にとらえる方がよい。

5月17日(日)

ゴールデンウィークも含め、ほとんどどこにも行っていない日々。
先週の日曜は、美術館で事務的な作業。
また残業生活が始まり、睡眠時間が6時間をきる日もあった。
昨日は、10日ほど前に魚の骨を噛み、横方向に割れた歯を診てもらいに歯科へ。
神経を抜き、仮固定してもらい、楽にはなった。
蝋色研ぎをしていたが、午後からやってくることに。
10日も過ぎると、どこかかみあわない感じになる。
今日、家の周りを少し歩くとさくらんぼが1個。

蝋色研ぎをしてから、黒のところを胴擦り。
蝋色炭とか、クリスタル砥石を余り使わなかったからか、摺り渡しをしていて、胴擦り不足があちこちにあるのに気付き、磨き直しばかりしていた。
鉄鉢の方は、出ている所を削ってまた穴があいたり、麻布片を貼って埋めたり、、、
凹み側に麻布片を貼り、必要な形に近づけようとしている。

5月4日(月)

50日ほど続いた同居も今日で終わり。
残業が減っても漆の時間がなかなか取れなかったとはいえ楽しい日々ではあった。
土曜日は、帰省中の子が描いた絵の上に、そっくりだという感じで人形を置いたりした。
日曜の午後は、盛器の内側に朱塗り。
今日の午後は、書類の片付けや、申込書探しなど、、、
夕方から、29日に預かった鉄鉢の底の麻布の歪みの修正の続き。
こくそで足りない側(逆方向に膨らみすぎた側の反対側)をかなり埋めたつもりだったが、膨らみすぎを削ると、穴があいてしまうところもあった。
2枚重ねで貼ったつもりのところでかなり隙間ができていたところもあった。

石膏原型作りが下手なので、こんな感じの修正はいつもしていたとはいえる。
その点焦りは全くないが、仕事上手とは全く言えない。

4月29日(水)

日曜に内側を塗ったが、また少したれているところがあった。
朱の3段階の差も分からないし、見た目にも面白くなかった。
外側から塗ることにし、今日、腰の辺りで黒と赤口朱で暈し塗りにし、返しも取っている。
浄法寺漆は薄く塗っているつもりでもかなり刷毛直りがよい。

昨晩帰って少しして、この前漆塗りの瓶子を見せてもらった石動の親戚関係の人から電話。
今日10時頃においで、底が抜けた鉄鉢の底を埋ることができるかどうかとの相談。
室町以前のものかもしれないし、外側はできるだけ残したいとのこと。
形が丸っぽいのは古い時代のものだとのこと。
夕方から麻布を2枚重ねで貼ってみる。
残っている底の部分と隙間ができないように貼ると、布だけのところがかなりガタガタになる。

埋めたり、削ったり、貼り直したり、時間がかかりそう。

正倉院の「螺鈿紫檀五絃琵琶」背面を筆ペンで写したりしていて気づくことが多い。
茎が立体交差していて、更にそこに模様があるのもあった。
茎がガクとつながるのと別に、裏側を通ってつながっている感じのもある。
花の裏から出てくるのは、奥行きを示している感じがするのもある。
花芯の回りの細い螺鈿にさえ、細かい毛彫りがある。

葉の毛彫りで細かい線で埋めているのには、立体感を出すためと思われるのもあるが、よく理解できないところもある。
後から補修したのは、貝の色が鮮やかのことで気付くことも多い。
貝の切り方も違う
後補は、線がシャープになっていて、自然な柔らかさに欠ける。
細い線部分に毛彫りがない。

中心線で左右に分けてみると、左右対称的に見えるが、全て少しずつ違い、生命感とか柔らかさをかもし出している感じがする。

4月25日(土)

この前の日曜に塗ったのは、月曜夜に見ると、息もかからないほど、全く乾いていなかった。
見事な垂れがあちこちに見られた。

金髪刷毛を使って、垂れの上を撫でて、溜りを消すと、縮みは発生しなかった。
この前、赤口はほとんどなくなったので、赤口を粉40グラムほどを練る。

日華11グラム、金華30グラム。かなり色が違う。
その後、日華黄口を40グラムほど練る。
午後は、筆ペンのインクがなくなっていたので、替えカートリッジなどを買いに砺波市へ。
夕からは研ぎや錆付けなど。

4月19日(日)

昨日の午前、自転車で床屋へ行く。
西南西方向からの風が強く、立ち上がりこぎで何とか進む。
約2キロで呼吸が戻るまでかなりかかる。
もしこういう運動を続け、そんなに苦痛でなくなるほどの体力がついても、全体的な体力からいえば、そんなに向上していないだろう。
NHKの「まれ」で、輪島塗があんなに何回もぬりかさねているとは知らなかったとのこと。
10月にロケがあったという漆器店の場面を録画していたので、その場面は見ていた。
修理がきくから、下から丁寧な仕事がしてある輪島塗などが良いのである。
木魚の下仕事はひどいものだったとも話す。

その前の土曜日は、半年振りに眼科。
視野とか眼底とかいろいろ検査はしても、診察は前年と余り変化していないということぐらい。
毎年同じことを言われても、5年ほど前と比較すれば、すごく進行している。
2月に輪島に車で行った帰り、前方の道路の線がX字に交差して見え、ずっとそのままだったと話しても、他人よりはひどい状態というだけで、どういう段階にあるときに起きる現象なのかについての説明がない。
仏法の教えに云々とうたっている病院、かなり不信感を持つ。
治療法のないというのはさびしいものではある。

今日は午後から塗りをする。
別にロクロを使う必要のない作品だが、持ち続けるのが辛いので使う。
朱を練りもせず、今までのを使ったのだが、3段階の色の差が出るかどうか?

4月5日(日)

午後から支部の総会。
今年の支部展の情報に誤りがあると美術館から指摘されているとの話。
開催年が平成26年と昨年になっているとのこと。
夜になって、元のワードの文書を見ると、確かに平成27年ではなく、26年になっていた。
前年度の文書を、必要なところだけ変更して使っているので、月日とか曜日には注意しているが(1年365日は7の倍数に1日多い)、どこかで抜けてしまう。
PDFに変換し、上書き保存。
工芸会のホームページの情報を編集(変更)。
Informationのところも、展覧会情報のところも、平成27年になっていた。
昨年の受賞関係の表示の件で、連絡法が分からないことを話すと、名刺のことを教えてくれる。
その名刺は自分ももらっていたので、後から何とかすることにする。
この半月以上、普段は立ち上げないのに、毎日パソコンをチェックしていたのは、連絡があるかもしれないとの思いからだった。
別の方面では連絡が取れている会社だが、工芸会の支部ホームページ担当としてはつながっていない。

このところ帰宅は早かったが、相手をしなければならなかったので、漆の時間が取れないままだった。
内側は砥石で直すが、外側は時間がなく艶消しのみで黒漆塗りをしている。
蓋と身の合わせ物では、合わせ錆をしているが、今までは数分後に切り分けていた。
一昨日は切り分け忘れたが、少し外から刺激を与えると(要するに押すと)、割合簡単に分離。
今朝は、くっ付いたまま合わせ研ぎをしていると、終わりごろに自然に分離してくれた。

3月29日(日)

昨日も仕事で一日、今日も午前中江浚いと、漆の時間が取れない日々。
盛器の内側の線が何度研いで塗り直してもゆらゆらしたままなので、テープを貼って基準にしてみることにした。
面の凹み気味なところも同時に位置を決めることができるのではないかと考えた。

その後、テープをハグリ、反対側にも錆をつけ、軽く研いで、生漆固め。
昨晩は、黒漆を塗ってみる。
その後飲んで、マッサンの最終回をBSで見たりする。
今朝見ると、今まで鉛筆で線を書き、それに合わせるつもりで研いでいたのとは違い、稜線ができている感じに見えた。
今日の午後は、玄関の外灯が点滅状態になっていたので、100満ボルトへ蛍光管を買いに行く。
キャッシュコーナーに寄ったり、買い物もする。
イチゴにしたって税抜きで500円近く、余りに高いので手が出ない。
見切りで、半額で売っているイチゴを買う。
逆に甘かった。
夕方からは、研ぐ時間が取れないので、少し研いだ後、艶消しで済まし、外側に黒漆を塗る。

3月21日(土)

春分の日、梅が咲いていたが、デジカメのピントがずれていた。
昨日は10時7分の帰宅と、格別に遅くなり、結局、漆はしなかった。
小学館の正倉院の図鑑で、細部にばかり目が行く。
沈香金絵木画水精荘箱。
市松模様(モザイク模様)に見える蓋の左側は、他の部分と比較すると、明らかに後補。
他の部分は、縦幅に差があり、それなりのデザインで作られている。
市松模様の出現や、そのほうが優位(?)となった感性の変化を論ずれば学問になるのかもしれない。

小さい正方形に見える各辺の長さは、実際は1ミリ未満だから、画像の半分以下が実寸。
一番外側の斜めの木画で、蓋と身の幅が違うのは分かるが、全体の細密さからいうと問題にならない。
枠で区切られた外側に広がっていく感じを与える彩絵、日本画と呼ばれるものの原型かもしれない。

分かりもしないことを分かったつもりでのぼせることの浅はかさを教えてくれるのが正倉院宝物かもしれない。
2月22日付の花形盆の「段」にしたって、線描による錯覚(そうさせる線描)かも、、、

今日は11時過ぎに金沢に向かう。
通勤時間帯以外は列車の運行がないに等しいことが時刻表で分かり、車で行くことに。
トンネルとスピードが出そうなところでは、2月初めの輪島行きの悪夢の再来を予感させられたが、短距離だったので何ともなかった。
案内を受けていた工芸展と生漆を手に入れることが目的だった。
新幹線開業効果か、人の姿の目立つ中を通り抜けていくも、漆屋さんはシャッターが下りていた。
輪島に続いて金沢でも振られてしまい、ばかばかしくなった。

この前の日曜日夜。
ピチピチチャップチャップランランランの音感が好きなGD。
天気予報で関東地方が雨といっていたのでアメアメフレフレカァーサンガ・・・と始めると、「チガウ、ピカピカ」と言う。
テレビの画面を見ると、全国的には晴れマーク!
2才3ヶ月、知らないうちに進歩している。

同じ繰り返しとしか言いようがない盛器の塗りを夕方する。
工芸会のHPにしても、何の案内もないので対処のしようがない。

3月15日(日)

この木・金は7時過ぎに帰宅できたが、それ以外は長い残業続き。
金曜の夜に電話があり、急に預かることに。
昨日もずっと相手をしていたが、漆が進まないので、見ながらも作業を少しした。
今日は手が離れ、盛器の数度目の研ぎ直しをしたりできた。
昼前に初めての対面。
午後は、まだ少しだけ残る雪を踏んだりさせてから、お散歩。
朝は氷が張っていた。

帰宅後、研ぎの続きをして、黒漆塗り。
盛器の外側と乾漆椀の外側2個。

2月22日(日)

昨晩アップロードした画像が表示されていないと気付く。
スキャンするためにパソコンを立ち上げた。
復元模造が勉強になるとおもうのは、一生懸命観ているつもりでも、気付かない点が多々あるからだ。
原物を作った人の気持ちが分かるとまで行くかどうかは、なかなか難しいだろうが、、、
自分では復元をしてみたことがないが、ノートに筆ペンで一部ずつ書き写したりを少しだけしている。
それだけでも、気づかなかったことがあり過ぎるほどあると分かる。
花の内脇と身付けの境に段がある感じだし、天という文字もあった。
脚を取り付ける表側に金具があるようだ。
内側の花とのつながりにも、よくは見えないが、細かい配慮がありそうな感じ。
漆彩絵花形皿(「原色日本の美術 正倉院」小学館)

2月21日(土)

今週は割合早めに帰宅できたが、昨日は9時59分になり、結局、漆はせず。
今朝は、石膏雄型につけたままの素地に高台用にラミー紐を巻く。
風邪をひいた石膏で作っていた乾漆素地、昨晩風呂に入れておいたのを、型から抜く。
すぐに型が壊れてくれ、楽に素地を抜くことができた。

電話すると今日は来ないと言うので、高岡へ行く。
GEIBUNの卒業制作展。
正倉院の螺鈿の一部復元、宝相華迦陵頻迦塞冊子箱の蒔絵の一部復元など。
卒業制作も、鳳凰の立体の線など、非常に水準が高かった。

声をかけられ、冊子箱のことを話すと、被せ蓋なので、身の側面の蒔絵がきれいに残っていて、その写真を元に作った、線がきれいに描けるまで苦労していたというような話を林先生がしてくれた。
青井記念美術館での、工芸高校の卒業制作展も見る。
多分中島敦の小説をモチーフにした虎の絵が印象に残る力作。
そのまま帰宅すると、車がいた。
来ないと言っていたが、来たようだった。
体調不良のようで、そんなに元気は無かったが、少しは動いたりした。
帰っていってから、パソコンを見る。
ほぼ一週間ぶりの立ち上げ。

2月15日(日)

2週続けて土曜日もラインの仕事の上、9時前後までの残業続き。
昨日も7時半過ぎまで残業で、漆の世界が消えていきそうで苛立つ。
頭にきてぶっ飛ばして帰ったといきたいところだが、逆にブレーキを踏み踏みのやっとの思いの帰宅だった。
糊を煮てから、これも肴に1週間ぶりに3合飲んで、やっと気持ちも治まった昨晩。

11日に雛飾に来たときにもらったもの(別のもある)。
今日は午前中に糊漆を作り、乾漆作品の最後の下地付け。
地の粉はほとんどなくなったし、生漆とともに在庫がなくなりそうなピンチ。
椀の3点底は、ひとつが安定しないのが120度毎に配置していなかった所為だと気付くのにも時間がかかった。
午後からやって来たので、北風が冷たかったが、一応太陽が顔を出していたので散歩に出かけたり、、、
歌に合わせて身体を動かしたりと、夜まで眠らないままだった。
平日は帰宅後、空研ぎするか、下地で形直しをしたり、下地付けかを交互にすすめてきた。
「ストーナー」を読むことで復活した読書も寝る前に少々するようになり、睡眠不足と疲労の蓄積が続く。
2年前にもらったマフラーをして寝るようにして数日だが、覚醒状態が続くことに悩まされることが無くなった。
単なる偶然か、首や肩を冷やさないことが良いことなのか、暫く観察する必要はある。

2月8日(日)

急に土曜日も仕事になったが、こちらは半日で帰る。
午前中に電話があったそうで、風邪で土日とも飾り付けに来られなくなり、水曜に来るとか、、、
予定を変更し、今日輪島へ行くことにした。
日曜なので、漆屋さんは休みかもしれないと思っていたが、その通り、プラインドが下りていた。
朝8時半頃出発し、能越道で高岡インターから灘浦インター、後は下道を七尾経由で進む。
七尾手前の坂の急カーブでかなり横滑り。輪島手前の暗すぎるトンネルでは前が見えず、ブレーキを踏むと、中央線を越えていた。登坂斜線からの合流に全く注意しなかった。
事故を起こしても不思議でないことを3回し、視界が何か変な感じがするようになり、輪島手前10キロ程で、運転を交代してもらう。自分で約110キロの運転。
横で道を教えても、通り過ぎたりで、まず漆屋さんを探したわけ。
漆芸美術館で、漆芸展を鑑賞。
表現に僅かの差をつけたり、精緻な作品も目立った。
数年出品していないとはいえ、出して通るのか?などとも思ったような、、、?
フランス語らしい作品名、ジュは見た気がするがジュワと関係あったか、、、?
オにアクサンテギュなんてあったか?ドでは?水の楽しみか?
帰宅後調べると、ジュは遊び。そういえば「禁じられた遊び」は、レ ジュ ザンテルディ
オは、オーデコロン(オ ドゥ コロニュ)のオであることは美術館で分かっていた。
ファミィでパンなどを買い、昼食。
1時頃に輪島を出、30分ぐらいはよく見えている感じだった。
その後視界が狂いだし、左の路側帯堺の白線と中央線の黄色の線がX字のように交差して見えたり、前の車が半ば消えるようになったり、対向車がぶつかってくるように感じたり、、、
横に坐っているだけなのに、道路がはっきり認識できなくなっていた。
雨の中、途中で道の駅による。

能登上布をいうのは、ずっと以前輪島で買った麻布と同じのもあると分かる。
休憩したので、目が回復したかもと思ったが、そうはならなかった。
景色を見ていても、視界の狂いは感じないが、動的な物事に対処できない感じ。
片目をつむって、一方の目で見てみると、視界の狂いが無いことに気づく。
左目だけの時はかなりひどい見え方。
結局、脳が左目の情報と右目の情報を上手く合成できない状態に陥っていると気付く。
寝れば治る(回復する)と思うしかない。
夜、漆が買えなかったと電話する。
自分としても生漆が余り残ってないし、困っている。

1月25日(日)

朝のうちに空研ぎしておけば、夕には次の漆の作業ができるだろうと考え、そうしていた。
11時頃のラジオで人質関連のニュースが始まったが、よく分からずテレビをつける。
殺害された写真を持つ動画が半日前に出ていたらしい。
味方以外は全て敵、奴隷と言う狂気。
日本の戦国時代など、戦争は人を狂わせ続けてきた。
昼に天神様を片付け、午後は「ストーナー」を読んでいた。
途中少し外出し、コンセントからの出火痕を見せてもらい、奥まできちんと差し込んでおくべきことと蛸足など電気の使いすぎになる接続はよくないと話す。
また読書の続きで100ページは超えたが、まだ2/3残っている。
夕より麻布貼りや布目摺り。

右が貼ったところ、左は貼る位置に糊漆を渡したところ。

1月24日(土)

昨日だけは7時半過ぎの帰宅、残りの4日間は9時過ぎ。
糊漆がなくなったので作り直したりと、細々と漆は続けてきた。
今日は熱処理に回したもの以外の品への麻布貼りをする。
椀の3点底を作る作業も続けている。
午後から掃除を始め、コタツを2Fに移したりもする。
来るかどうか分からないので、2Fで作ったコタツにもぐり、読書。
ハットリ氏より木曜に届いていた本。
入学は1年、卒業は何年後かの後輩に当たるアガリエ君の最後の翻訳本。

小さい文字に驚きながらも、何とか第2章にはいっていた頃、下で声。
3時間ほどの交流。

1月18日(日)

4日間とも仕事が終わるのが9時をかなりすぎていて、木・金と帰宅は10時を過ぎていた。
8時間労働として考えれば、週に(4日間で)6−7日分働いていたことになる。
以前休みの二日間で20時間以上寝転んでいて、何とか回復したことがあった。
昨日は、一日預かってほしいと金曜夜の9時半頃電話があったそうで、結局早起き。
ずっと相手をしていて、午後に昼寝をしている間に、下地付けなど。
酒もなくなっていたので、今年初めての買い物と見舞い。
一日雨か雪だったので、家の中で過ごすことになった。
今朝は9時間半ほど寝転んではいたが、疲れが抜けないまま起きだす。
一日好天で、空研ぎ。下地付け。
椀の底に3点の丸みをつけて台にしようと麻布片を貼り重ねているのだが、位置がずれていて安定しない。
低すぎるところに下地を厚めに付け、少ししてからガラス板の上に置き、そっと持ち上げる。
下地が厚すぎなので、麻布片をそこに押し付ける(押し込む)。
それでも翌日ガラス板に置くとガタがあり、結局、水平研ぎでなおす。
丸い感じの盛り上がりの周辺に下地を箆付けするまでが今日の仕事。
午後2時から地区の総会と新年会。
夕方からお通夜に行くので、それなりに押さえて飲む。
帰り道、立山連峰の上の方にだけ夕日が当り、下のほうの灰色から白が浮かぶ感じだった。
家につく頃には南の方の山並みに少し見えるだけになっていた。

暗くなってから送迎バスで近所の人(同級生の親でもある)のお通夜へ。

1月12日(月)

家にいる所為か、ファンヒーターで温められるようで、昨日の麻布貼りは大体乾いていた。
余分の布をカッターで切り取り、空研ぎ。
布目摺りのも空研ぎ。
盛器の研ぎ不足を直すために、クリスタル#400砥石の先を半球形にしようとヤスリで削る。
大体できたので、内隅を研いでみると、今までより形の修正はできるようにはなった。
それでもまだ工夫の余地がある気はする、、、
細かい溝をつけてヤスリ的にするとか、、、?

1月11日(日)

正月あけも残業続き。
チョッと聞きにはブラック企業になろうが、そうとはいえないのは、経営者も現場で一緒に働いているからだろう。

昨日は、一日預かってくれというので、空研ぎ少々。
映像に任せて放っておくことはできないので、一緒に見て相手をする。
今日は麻布を切ったりしてから、麻布貼り。
乾漆制作作業を全部同じにすると、乾きが悪い時に何もすることがなくなるので、少し別の作業にずらすようにしている。
ずらしているので、布目摺りもする。
3日に刃物を研いで、狂っているのは、荒砥できちんと形を直してから、順に仕上げていくほうがよいと(反って楽と)気付く。
盛器も荒砥で研ぎ直すと、まだひどい狂いが残っているのが分かる。
黒っぽく光っているところが、まだ低いところ。


正義病が蔓延している世界だと感じる。
風刺がどんなものか分からないが、こじつけ的なでっち上げさえ表現の自由というなら、狂信主義者と同じ思考傾向という自覚が無い限り、殺戮を繰り返すしかないのではないか。
勝手に何でも結びつけるでっち上げは、正義病そのもの。
自分だけの正義を主張し、他人の正義を否定する立場なら、対立しかない。
チボー氏は、カトリックの立場から、プロテスタントのフォンタナン家に悪意を感じた。
時代は移り、ジャックは反戦活動で死に、アントワーヌはイペリット毒ガスで死ぬことになった。
多大な犠牲を強いながら、自分は安全な位置で煽る者は、正義病そのもので信用ならない。

1月2日(金)

机の回りの書類などをファイルし、カレンダーをやっと吊るす。
正月を迎えるため、31日に片付けていた作業机や漆風呂を元の位置に戻す。
昼下がり、今年初めて外出。
長岡神社、倶利伽羅不動寺西の坊。

降りしきる雪の中、帰りは駐車場まで歩いて下りる。
帰宅後、作業できるよう整えてから、下地を合わせる。
31日に空研ぎしておいた素地の布目摺り。麻布貼り少々。
酒が飲めなくなったのか、飲まない日も少なくない。
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