漆に纏わる話 2016年

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12月9日(金)

雨の朝も多いので、傘をさして歩く方が多くなってきた。
今朝は顔雨の感じがしたが、勘違いかもと走り続ける。
暗いので、歩道のあるところを進む。
暫くして雨が降り出し、やがて向かい風になってしまうが、戻る気にもならず石名田まで。
左折し、水落でまた左折し戻る方向に。
追い風になるので、少し蹴る感じで走る。
50分ほどだが、毎日走っていた頃よりは足は楽。

胃腸炎の方はこの前の日曜ぐらいからかなり楽になっていた。
月曜にO病院へ行き、肺のCTスキャンと血液検査。
肺の上半分には影があるが、たぶん幼児の頃の名残だろうとのこと。
痰の検査の容器を預かり、火曜日の朝に届ける。
その頃には長く続いた咳や痰がおさまり始めていた。
薬も切れそうだし、検査結果も聞きたいので、今日また行く。
体温35.7度とかなり低い(月曜日も低かった)。
血液検査の方は正常値の範囲内で、痰の方は結果が出るまで一週間から十日ほどかかるそうで、電話で知らせてくるとのこと。
痰の検査代として3500円余り。
受付の名前で、こちらの二人後に50年ほど前に同じ高校にいた名が書いてあるのが目に入った。
小矢部市内の本来の校区なら中学も一緒になったはず(七社だけ砺波市の近くの中学へ行っていた)。
東大入試中止の年に京大へ。
帰宅後、買い物に。
虹がほんのわずかの間見える。

このところ漆塗りをすることが少し続く。
ニューベンゼミで霧吹きで空気中のごみが下に落ちるとやっていたので、塗る前に天井近くに向けて部屋に撒いてみている。
今日で3回目だが、霧吹き一回、床掃除(落ちてきたゴミ)、もう一度霧吹きとやってみているが、今までよりはかなり減っている。
100円ショップのしょう油スプレーだが、役に立つ。

「新エロイーズ」の方は、手紙12でかなり雰囲気が変わってきた感じになる。
少し読み、多く考える。
そう書いてあるのだが、その先へ行くと、知識で一杯になるような話になっている気がする。
考えるために一杯にするのか、衒学者のようになるのか(その道を経てから、正しい方法に戻る)、もっと先まで読まないと分からない。
学力的に読める範囲は狭くならざるを得ないので、掲載までは時間がかかる。

12月2日(金)

月曜日、酒も飲んでないのに、二日酔いの感じで、朝も起きられず昼まで。
午後からどうにか医者へ行く気になり、送ってもらう。
咳や痰が続いているし、風邪かと思っていたが、予想外に胃炎とのこと。
水分だけは一日に1リットル必要と、あと800ccとれるかと聞かれる。(だめなら点滴)
薬だけをもらって帰る。
火曜日はあまり回復せず、水曜は少し楽になり、郵便局まで往復1.5キロほど歩く。
木曜の昨日の朝、右足のふくらはぎが痙攣し、激痛に暫く耐えることになる。
昼から蓋つき椀と布貼り棗の外側の上塗りをする。

今朝も、ふくらはぎに痙攣が起きそうになったが、何とか収まってくれる。
怖いので歩くだけにした。約30分。
結局、1週間まったく走らない状態。
食事でも運動でも健康的な生活をしていたはずなのに、病気に弱い。

「新エロイーズ」の方は、今朝でやっと手紙11(ジュリィから)を訳し終える。
celuiが何を受けるのか、昨晩から考え続けていたが、正直良く分からない。
avisとして訳したが、、、?
今日掲載した分では、まだそこまでアップロードはしていない(ノートのそのページが埋まっていないので)。
漆より、その本を読み、少しずつ訳している時間の方が長い生活になっている。

11月20日(日)

今朝暗いうちに走り出した時、道が濡れているのに気づく。
暖かい空気に包まれてはいたが、途中で小雨。
そのままだるい感じのまま能越道まで行き、それに沿って東へ。
調子が良い日は、一時的でもスピードが上がるのだが、咳と痰の続く日々で、ただ苦しいだけ。
8時半から宮の草むしりと雪吊りの予定だったので出かけると、雨が降り出す。
合羽を着ての作業になった。
雪吊りの頃は雨も落ちなくなったが、滑りやすい。
参加人数もすくなく、造園に詳しい人は3人ほどしかいなく、出来栄えは、、、
終わりにキャベツをもらう。
かなり小玉。

漆の方は、摺り拭ききり8回で、摺り落とし。
は〜と椀は、石膏原型を壊し、端に麻縄を一周させ、今日その隅を埋めた。
金曜日には1か月ぶりに電話があり、少しずつ進みそうな感じを受けるようになる。
今日の午後に来客。
アミカル展を介して知り合う機会が生じた山本さんで、利喜夫君一家の法事が昨日あったとのこと。
丁度摺り落としが終わる直前だったので、残りの1分ほどの磨きを見せる。
乾漆素地の断面とか麻布を見せたりする。
継続することの大切さなどを話してもらう。
思いもしなかったのに縄文杯を求めてくださる。

「新エロイーズ」の方は、手紙9を何とか訳し終える。
意味の正確に取れないところが多く、その都度停止する。
少しぶらぶらしたり、漆をしてからまた読み直したり、日本語で本文と関係なく考えたりして、やっと進んでいる。
愛情は必要だが、恋人は必要ないという、たぶんカトリック的な解釈は二百数十年前の記述なのに新鮮に感じる。

11月16日(水)

今朝は4日振りに走る。
昨日は雨気味で歩き、その前はマゴチャンがとまっていた。
スーパームーンが初めて顔を出していた。
寒月や 進む影さえ クッキリと(orあざやかに)
日の出は雲に隠れ、傾く月は画像の左に、西の空に日の出の輝き。

漆の方は、朱塗と白塗りの鉢の摺り切りを重ねているだけ。
胴擦りをせず、摺り重ねだけで艶出しまでもっていき、朱が黒っぽい影のように仕上がっていた支部展の作品。
この機会に磨き直そうかと取り出してみると、黒っぽさがほとんど消えていて、朱の蝋色仕上げのようになっていた。
先週の小矢部の作家展に出した乾漆盛器も摺り重ねで仕上げていたが、蝋色研ぎの傷がまだ残っていた。
摺りでかなり余計な漆を使うことになるから、作品としては良いのかもしれないが、完成度的には表面に滑らかさが足りなくなる。

Julie ou La Nouvelle Heloiseの方は、手紙8まで終わり、手紙9に入った。
手紙8でまた、男の方がスネル感じ、脅す感じで、気を引こうという策略を使っている感じ。
それに対し、手紙9でジュリィはその挑発に乗らなかった。
原文だけの感じでは、男に反発しているのかと思ったが、訳していくと、男(先生)を諭すという心が余裕の立場らしい。
親し気なtuではなく、丁寧な対応のvousを使いだし、呼びかけもami(友)に変わっている。
関係ないが、喫茶店の名でモナミというのがあるが、mon ami(私の友達)のこと。

11月4日(金)

日の出が南に移り、6時頃にやっと明るくなるようになり、早起きできなくなっている。
昨日は雨、今朝は通勤する車の邪魔になるからと、二日続けて走らず。
午後から自転車でクロスランドおやべ、アートハウスへ小矢部作家展の準備に行く。
行く途中までは、何か辛く、よく毎日走っていたものだと感じていた。
展示を終えて、クロスランドタワー。


10月30日(日)は、富山マラソンを見に出かける。
高岡大仏前で待っていたが、人の波で全く分からない。
適当に連写で撮る。
有森裕子さんが応援に来ていた。
館川町では動画も撮ったが、自宅専用。
富山行きの列車まで30分以上あり、富山で行こうと思っていたギャラリーへは行かず。
富山駅の南側を少し歩いてから、立山そば。
北口への地下道の入り口を探さねばならないほど、かなりボケてきている。
環水広場という待ち合わせ場所が分からず、関係者の帽子をかぶっている人に聞く。
環水公園を抜け、ゴール少し手前で待つ。
結局、八重樫さんと分からないまま、適当に連写をする。
1時半の待ち合わせなので、環水広場へ向かう。
夫婦連れできたそうで、榊さんとも一緒になり、暫く時を過ごす。
福岡駅からは走って帰り、パソコンに画像を取り込んでみる。
連写で170枚ほど撮ったのをよく見ると、4枚だけ写っていた。
トリミングや逆光の補正をして、自分のFBと八重樫さんのFB、そしてメール。

31日(月)は、金沢へ。
小矢部市内のトンネルで、運転が無理を分かり、代わってもらう。
東山1-9-3へ行くのが難しく、1/16だけご先祖の故郷の旧御徒町の細い道を抜け、美術館へ。
大和の美術サロンへ寄り、高野漆行で生漆など。
駐車場も見つからないままグルグル。
自分だけ歩いてギャラリーへ。
細い道でも駐車場はあったようだ。
句集の礼を言って、観て回る。

11月2日(水)は、真生会富山病院へ書類を受け取りに行く。
トクテイシッカンのシンセイ用。
視野検査の結果は、2003年からコピーしたり、パソコン保存したりと、纏まっていないことに気づき、パソコンに纏める。
30センチでの視野に関してはかなり、、、

「新エロイーズ」(ルソー)の方は、今日手紙7を訳し終える。
途中までは昨日アップロードしたが、残りはノートの方が埋まるまで出来ない。
手紙では、相手の記述に対応するように返事をしている形式になっている感じ。
どの手紙も、書きだしと終わりでは勢いが違う感じ。
学力不足で、勘で訳さざるを得ないところも多々ある。
若い頃一番したかったのがふらんすごなので、今の生活も悪くはない。
原書講読でないと、回りくどく複雑な感じは伝わらないのでは、、、?

漆の方は、乾漆を細々と続けているだけ。
漆を買う余裕もないほどだし、いよくもわいてこないのが現状。
自分の思い(考え)通りに作るという世界には馴染めない。
壇蜜のでていた大雪山の天上のお花畑に惹かれた。
短い夏に受粉を促すための姿、何万年も続く生命の営み。
蜂さそう 陽のあたたかさ チングルマ
(半ば 花さそう 嵐の庭の ゆきならで ・・・のもじり)
形形を言うが、人間的に抽象化されたものが、数学の最終的な公式に対応できるのか?
50年後に消えていれば、単なる幻覚に過ぎない。
コスモスが寒さとともに丸っこくなるのは見えてきたが、受粉できたかどうか全く分からない。
自然から学ぶなんて、今の自分にはまだまだできていない。

10月26日(水)

今朝は体調がよくないのか、ノロノロとしか走れず、全然だめだった。
雨上がりで、水たまりに入ってしまうこともあったが、何とか75分走る。
午前中から晴れ上がり、夕方にはまた雨。
昨日は寒く、55分で戻ったときは手が凍えるほどになっていた。
走り出す前

一昨日に塗った弁柄朱が昨日全然乾いていなくて、加湿シートに通電。
今朝見ると、まだ触ってもくっつく。
ダイソーで買った醤油用の霧吹きに日本酒を入れて、風呂に吹いてみる。
加湿シートにも通電して、昼ころに見ると艶は落ちていたが、まだ柔らかい感じ。
3時半頃には乾いていたので研ぐ。
それから外側にまた弁柄朱をぬる。
少し練ったのを足し、たぶん普通に乾くと思うが、、、?
ルソーの「新エロイーズ」の方は、「手紙6ジュリーからクレールへ」を何とか訳したが、まったく読み取れないところがある。
手紙の途中で、こちらが予想していることと全然別の考えが出てきて、かなり混乱する。

10月18日(火)

昨夕といっても、もう暗くなっていたが、小矢部市芸文連の会報の配布を持っておいでる。
そのうち役が回ってくるとは思ってはいた。
雨の止んでいる間に自転車でまわる。
3軒は、昨日の内に住宅地図で探しておき、内一軒は見当がつかず、コピーを取り、一緒に持っていく。
そこで寺の権現さんに会い、紹介してもらう感じになる。

昨日は砺波市美術館へ行く。
市展を見てから、長岡さんの工芸の秀作の展示室へ。
全体的に落ち着いた感じの作品が多かった。
漆の方が合う気がするのもあった。

土日と走らなかった(歩いた)ので、今朝は暗いうちから走り出したが、雨が降り出す。
戻り、傘と長靴にして、走り出す。
途中で雨はやみ、傘を手に、足を壊さないようなペースで45分ほど走る。

土曜日の新聞に正倉院展の漆胡瓶の記事が載っていた。
籃胎ではなく、テープ状なのを巻いたという話が書いてある。
説として成り立つためには、薄いテープを当時の技術で再現する必要がある。


「新エロイーズ」の方は、手紙5ジュリィへを今日訳し終え、掲載した。
読み取れないことが多すぎる。
昨日は、ニューベンゼミでやっていた接弦定理の照明を考えていた。
接線に近い、中心角とその円周角を、三角形の角から円の中心を結ぶとできる3つの二等辺三角形で考えて、やっとできる。
中学レベルの事も、普段考えていないので、なかなか解けない。
昔から公式を使うという勉強は嫌いで、その公式を証明できないと、意味が分からなかった。
今日の午後電話があり、やっと少し光明が見えてきた気がする。

10月6日(木)

台風18号は昨夜、足早に通り過ぎた。
昨夕はまた青空が残っていたが、8時ころから暴風に変わる。
昨夕の日の入り。
今朝、シャッターの支柱が外れているのがわかる。
屋根瓦も、よくあることだが、南西角のがまくれあがっていた。
二段梯子を借りてきて、二階屋根の瓦を元に戻す。
挿し木をして、今まで葉をつけていたもののうち、風の通り道にあったのが萎れていた。
シャッターの方は、板の間に油を付けてくれていたので、横から叩いて歪みを直し、何とか巻き上がるようになる。
支柱も何とか差し込み、固定して、何とか40年前のも使えるようになる。

今朝は小雨だったので、30分ほど歩いただけ。
3日(月)、スロージョギング中、どこかから「お早いですね」と声をかけられる。
きょろきょろと見まわして、やっと姿が目に入る。
走りながら、Tさん(その人の娘)と同級生と話すことができるほどのスロージョギングではある。
昨日は出町の入り口当たりの新しい歩道を走っていると、反対側の歩道を強い足音が近づいてきた。
見ているうちに先へと中年の人が進んでいった。
家までまだ5キロほど残っているし、対抗心は全く起らなかった。

漆の方は、この2か月、無気力状態といえる。
せいぜい半日作業しているだけ。

読書の方は、かなり熱中しているといえるかもしれない。
テレビを見る時間は確実に減っている。
辞書を繰りまくるので、進み方は遅い。
ジュリィへの3通目の手紙は、かなり責める感じになっている。
ジュリィのほうは、感想をメモしていた感じ(書付)。
時々かなり感情が高ぶったようになっている。
ジュリィからの手紙は、まだ途中だが、それまで信じてきた道を妨げられ、かなり苛立っているようだ。
「女たらし」とかいう言葉も発している。
「毒」と見做さざるをいないほど、どこかで惹かれていることを示唆している。(まだそこは掲載していない)
今日、ノート3ページ分を掲載

9月26日(月)

今朝も、わずかな雨粒を感じる中を走り出す。
パラリンピックでピッチ走を見てから、足への負担が少ない感じがして、それをしてみることにしている。
多少は負担が減る感じはするが、呼吸は辛くなるし、接地の回数が増える分の足への負担が増える感じ。
結局、ユックリのスロージョギングに、多少ピッチ走を加えるしかないようだ。
今朝、大谷中近くですれ違った女の人もピッチ走で、こちらより少し速そうだった。
漆の方は、は〜と椀の麻布3枚目と、相変わらずの形直しだけ。
停滞状態と言える。
いつか始めたいと思っていた読書は、「新エロイーズ」だけをしている。
9月13日から、日本語に訳すのを始める。
今のやり方は、数行を辞書を繰りながら、単語などをノートの右端にメモをして読む。
少し時間をおいて(例えば、漆の作業をしてから)、訳を書いていく。
少し前のメモの事はほとんど覚えていないので、原文を読んでも、どう意味を取っていたか、最初からやり直しの感じ。
普通なら、そうすれば多少記憶に残りやすいことになるのだろうが、年の所為か、なかなか思うようにいかない。
何日か前に、訳しているページを作った
訳しているノートの1ページが埋まったら、順に載せていく予定。
原書の画像は、今後は載せない。

9月16日(金)

昨朝は、走り出した途中から雨が降り出す。
空はそんなに暗くなしし、そのまま走ることにした。
小島を過ぎると、雨も弱まり、そのうち乾いた道路に出る。
砺波市は工事中のところが多いので、それを避けるように田の間を走る。
今朝も、昨日同様、ノロノロというよりは少し速く、ユックリ走る。
いつもその時々の思い付きで道を選んで進むので、日によって長く走ったり、短くなったりする。
14日の朝、トンボがとまっていた。


今日は午後から、アートハウスおやべへチャリティの作品を持っていき、会場設営もしてくる。
漆の方は、形直しを繰り返しているばかりと言える。
マゴチャンむけのしんさくのは〜と椀は、下地の乾きが悪い。

「ジュリィ ウ ラ ヌーヴェル エロイーズ」(「新エロイーズ」)の方は、読解も曖昧というか、かなりいい加減で、頭に残らないままだったといえる。
13日から、小説の部分を翻訳することにして、序文から始める。
漆をするより楽しい感じと言えなくもないが、読解は難しく、何度も止まってしまう。
長いときは5行ぐらい文章が続き、その中に条件法や接続法の表現が混じったり、関係詞が絡み合ったり、、、
訳す以上は、、間違っていても、何らかの意味がつながっているようにしなければならない。
そうした努力のおかげか?曖昧だったところも何となく分かった気になる。
自分の事を「一人の正直な男」と表現したり、かなり回りくどい(文学的?)表現が多い。
こんな小説を翻訳で読むと、時代に挑戦したルソーの姿が見えるのだろうか。

9月9日(金)

朝の雨で、二日続けて速歩き25分余りのみ。
自分が走るときの最初の25分とどれだけ距離が違うか?
たぶん15分くらいまでは同じぐらいかもしれないが、、、?
火曜日に、去年の10月20日まで勤めていた会社から電話がある。
おかげで高齢者何とかにひっかかる感じになる。
そのせいもあり、一段と漆をあまりしない日が続く。
技術的に一番問題のある見込みの面のガタガタ直しに苦労をしている日々。
凹み気味のところに錆をつけているつもりでも直らない。
全体に付けて、あまり力を入れないように研いでみても直らない。
付いた下地でひたすら重くなっていくばかり。

人生で1回だけ行った昨年の正倉院展の展示で、なんでこんな落書きをしたようなものがあるのかと思った古文書。
図録の解説とすりあわせてみると、長年の未解読文字の秘密がわかった(気がする)。
昨年の記述は、、、
解説と正倉院古文書を対比すると、「於」がこの文字と同じだと思う。
角川の漢和中辞典の「於」を見ると、於いての他に、対比とか接頭辞(フランス語の虚字neに当たるかもと感じていた)とかの使用もあるらしい。
漢文の読解は不得手だが、何となく漢字で感じている。
 鉛筆の矢印の先が当該文字。
漢字の読み取りは難しい。
ルソーの方でも苦労しているが、その件は後日。

8月27日(土)

木曜日の朝に腰痛が始まり、インドメタシン入りの湿布薬ですます。
金曜朝は、悪化した腰痛で走るのを中止。
サンマッサー(低周波治療器)で1時間。
午前中は、寝転んだり、何もしなかったり。
午後から「新エロイーズ」のintroductionをやっと最後まで、辞書を繰り繰り、読む。
飛ばして読む人もいるし、ルソーの意図を汲みながら読む人もいる。
エロティックを求める人は前者で、エステティックを求める人は後者と言えるというようなことが書いてあった。
約600ページを読むことになるが、生きている間には無理だと分かる。
夕方、傘をさして、何とか1キロ余りを歩く。
夜はまたサンマッサーなど。
今朝も走る気にはならず、雨風の中、傘をさして2キロほど歩いただけ。
サンマッサーと湿布薬でまごちゃんのあいて。
夕方、参考書籍のところを読む。
ローマ数字に関して、良く分からない。
XLIは、XLだけに注目し、L(50)の左にX(10)があるから、50-10=40と考えてよいのだろうか。
41ページから44ページと書いてあるのだろうか?
まだ下に紹介されているのに「ジュリーまたは二枚舌」としか読めない論文(書物)もある。
introductionにあった読み方にはいろいろあるということの一つかもしれない。

8月23日(火)

こちらには回りまわって僅かの雨という影響しかなかった台風9号。
今朝、富山湾の形に広がる雲の北側は青く澄んでいた。
海の上と陸の上では気流が違うのかと考えながら、不眠で疲れが抜けていないこともあり、ノロノロと走り出す。
戸出近くまで行ったが、県道は車の往来が増えていて、できるだけ避けることにしている。
5月20日に走り始めた頃より、夜明けが1時間ほど遅くなっているので、車と出会う機会が多い。
55分ほどノロノロ、ゆるゆると進んでいると、戸出の町並みがなくなるあたりで、もう6時を知らせる音楽が聞こえる。
1キロぐらいは少ないだろうが、あまり変わらない距離を戻るのに25分ほど。
雲の富山県の地形の感じは、かなり消えていた。

10弁の桔梗の蕾の先が紫に色づき始めている。

漆は1,2時間する程度。
「新エロイーズ」のintroductionがあと1ページほどになった。
今日は最初から読み直してみたが、3時間余りで、意味の取れないところが相変わらず多い。
意味が反対になってしまうところが、どちらか良く分からない。
ルソーの立場の話ならどうかと感じることはできるが、それがどちらの立場の事か良く分からないことが多い。
直訳すれば、「存在することを導く状態を愛しなさい」というところなんか、citoyenに関連して出てくるので、どっちの言葉?
文脈から推定すれば、不平等を悪の原因と考えるルソーとは相容れない表現になる。
この小説は、抽象的ではない表現で、フランス革命前の貞節の事なんかを扱っているらしい、、、
今の学力では、読み切ることは考えられないが、翻訳を読む気にはならない。

8月17日(水)

この二日、小雨よりは強めの雨が時々降る。
早朝のスロージョギングの調子は日によってかなり違う。
飲みすぎた感じの翌朝は、心臓に負担がかからないよう、意識してノロノロと進むようにしている。
今日はそんな感じの日だったが、芹川まで跨線橋を上って、行く。
帰りの方が多少速くなる。

昨日、以前、桐を削って作った匙の欠陥を直す。
裏側が丸すぎて、浚えることができなかった。
削って、先を鋭い感じにしてみる。
その後、生漆を吸わせる。
側面の写真。

8月12日(金)

この3日間はわりあい過ごしやすい。
今月に入って7日まで80分以上走る日が多かった。
日曜は石動まで行き、100分。
足が動かなくなるし、日中もだるくて仕方がなくなる。
肉体的に無理だと思い、月曜からは60分以内に家に戻る方針に変えた。
少しは楽になったのか、よく分からない。
1年後には、40数年ぶりに札幌に立ちたいという夢想を持ち出しているが、今のままでは無理。
時間を伸ばせばよいのか、今のまま7,8キロのスロージョギングを続ければよいのか。


今年の10弁の桔梗、思うように咲いてくれない。
漆の方もそれに対応するように、思うようにはいかない。
読書の方も、意味がよく取れない。
政治という用語も、その当時の人々とルソーでは違うらしいが、はっきりしない。

7月29日(金)

走る方向は、東(戸出)、北(福岡)、西(石動)、南(出町)と順に2,3日ずつずらしている。
昨日、今日と西方向だったが、石動までは行かない。
昨日戻るとき、大谷中から25分だったが、今朝は走り出しから始めた所為か、40分かかっていた。
金屋本江、西中、狐島、東中経由で戻ったが、距離は大谷中までより長いのに、その間は35分だった。
二日前、石名田、大滝方面からもだどったとき、10弁の桔梗の上に水玉。

漆の方は、朱を2回続けて塗った後、黒(内側)を塗る。
今日は蝋色研ぎをして、生漆を摺り込んでおく。
読書は進まない。
音読しても意味が全く分からず、辞書を繰るばかり。
百科全書派とひどい喧嘩をしているようなことが書いてある。

7月24日(日)

いつもより遅く、5時に5分前にゆるゆると進みだす。
横越から先まで行き、途中で左折し、福岡方面へ。
80分後の帰宅まで、日差しがかなり強いと感じた。

今日も来るとの話だったので、研いで朱塗をする。
読書は時間の隙間に少し。
教会と国家が一致していた18世紀では、著作の中で、三つの枝が幹と不可分になっているようなことが書いてある感じ。

7月23日(土)

有明の月を見上げ、ゆるゆると進みだす。
小走りになるまで1キロほどかかる。
汗をかくのだけが走る動機かも?

朝の内に研いで、黒漆を塗る。
明日また来るかもというので、夕方には外側を静岡炭で研ぎ始める。
朝の黒は、十分乾いていた。

読書の方は、数行を何度か読む(音読)ことで、多少見当がついてくる気がする。
うろ覚えの感覚と、英語からの類推で見当を付けたつもりになるのだが、辞書を繰ると、かなり違っている。
ラ ヌーヴェル エロイーズが受け入れられたことに関して、その時代の全体的なことが含まれているようなことが書いてあるようだ。
括弧付きの形容詞に定冠詞leがついているのは、contenu(内容)が省略されているのだと気づくまでしばらくかかった。
それに続く長い文章はまだ辞書を繰っていないが、英語で言えば、not only   butにあたる部分が主語で、montrent(montrer示す)が動詞。
道徳的、政治的、宗教的の区別をはっきりさせないのがルソーの意図のようだ、、、?

7月20日(水)

雨の日は速足で歩くことにしているが、あまり降らないので走る方が多い。
土曜日に石動まで距離を伸ばし、泉町で左折、小矢部川を渡り、小神経由で戻る。
中学校の時計では5時48分頃、そこから家まで4キロほどに40分ほどかかるほど足が動かなくなる。
10キロ以上はまだ無理だとわかり、60分ぐらいに止めることにして、新しい道を探してノロノロ走っている。

漆は研ぐのがいつまでたっても上手くいかず、塗ったり研いだりを繰り返しているだけ。
朱は薄く塗っているせいか、コブシが目立つ。
日中数時間作業をしていてこの体たらく、勤めていたら仕上がらないのは当然だったとは思う。
昨日、イッピンでやっていた乾漆まがいのは、大丈夫なのかと心配になる。
目の粗い麻布を木綿で両側を覆う形で一度に接着する(地の粉をまぜて)そうだが、工程的には自分でもする(使う布は違う)ことはあるし、問題とは思わない。
問題は、目の粗い麻布や木綿は、芯まで漆を吸い込み、弾力性を失い、おそらく手で裂くことができる状態になってしまう点にある。
ラミー紐で補強するとかしない限り、壊れた場合、修理不能になると思われる。

読書の方は、あまり時間が取れない感じ。
その上、意味もなかなか取れない。
savoir aimer(愛することを知る)という点が、フランス革命前に名士ルソーの著書が世に出ることを邪魔される原因のようなことが書いてあるような、、、?
教会とか王権の秩序を乱す。

単語の意味は文脈で変わり、nettementあからさまに発行を遅らされたというようなことが書いてある。

7月12日(火)

朝の4時台に走り出す生活は続いている。
今朝は薄い青に、緩い円弧が薄紅色に染まっていた。
知らない道を見つけては進んでみることもある。
走りに値するような走りはほとんどできないまま。
75分ほどして帰宅。挿し木などに水をやる。。

漆の方は、形を作ったり直したりで余りすることがない。
やろうと思えばいくらでもあるとはいえるが、漆が減っても返ってくるものがない。
暇になったらやろうかと思っていた読書を少しすることにした。
少し前Eテレの「100分de名著」でルソーをやっていたので、古いのを探しだした。
ルソーの小説だとテレビで言っていた。
1972年に新宿の紀伊国屋本店で540円で買ったらしい。
まだェアントロデュクシオンだが、読み始めの頃よりは、辞書を繰る回数が減ったとはいえる。
貴族の女性が好みだったらしい、それでも満たされないようだった。
amourとattachementのニュアンスの違いが判らないが、子供を産ませたテレーズ・ルヴァスールにはattachementを感じていたらしい。
その子らを捨てたのが、最も小さいことではないと読める気がするのは、最大の問題だったという意味だろうか。
そこで改心して、成功を諦め、小説に向かったらしい。
想像で二人の少女、その一人の友達がもう一人の恋人に設定する小説を考えていたらしい。
ところが、事実は小説よりも奇なり(ラ レアリテ パッサ ラ フィクシオン)の出来事で、昔の悪い虫が動いたり、、、

有徳の人(ルソー)が、林の中、月明かりの下で、、、
結局、途中で逃げられたが、その後友人たちとも別れたというところまで今日は読む。

7月3日(日)

アキレス腱やふくらはぎに多少の痛みがあるし、疲れも抜けきらない日々。
猛暑の昨日のあと、雨の音がする朝。
走るのは止めにして、傘と長靴で歩き出したのは5時半を過ぎていた。
歩幅を広く、速足で歩き出すと、いつもの走り出しよりかなり速く進んだ。
足に痛みもなく、速足での呼吸も荒くはなっても体力的には楽だった。
スロージョギングをしていて、朝散歩している人になかなか追いつかないとは感じてはいたが、本当に遅かったと気づく。
速足で歩くのと比べて、走り始めの500メートルぐらいは足の痛みで、明らかに遅い。
その後はせいぜい1.2倍ほど速い程度で、走ることに関心を向けないときで2倍ぐらいだろうが、脚も呼吸もそんなに続かない。
マラソンを走る人がいるということは、今の自分には信じられない段階。
昼前には雨が上がった。

絹を貼ってみたのは、内側が硬化しなかった。
素地に生漆をわたし、吸い込んだ後、もう一度生漆を重ねて渡し、光ったままで絹をくっつけたのが間違いだったのかもしれない。
重ね渡しをせず、絹を置き、上からの生漆でつなぐ感じにすれば良かったのかもしれない。
鉢の見込みが狂いっぱなしなのを直すため、何回も下地を付けては研いでいるが、これも石膏原型が下手なため。

7月1日(金)

昨朝は傘をさしていたが、途中からは傘無で大丈夫になる。
今朝は晴れそうなので、4時5分頃に、まだ少し薄暗いうちに走り出す。
紺色の空に逆さ三日月が浮かんでいた。
長岡神社のところから岸渡川沿いに進む。
月は白ずむ空に溶け込むように小さくなっていた。
そこを離れて少し行くと、郷社林神社の前にで、出町の入り口になる。
高波方面に戻るとき、雲間から白い光が昇り始めた。
山際からの日の出は赤っぽいはずだが、仰角の問題か?
80分弱で家に戻る。
四葉のクローバー

この前の土曜日の研究会で聞いた、生漆で絹を張るのをやってみようとした。
霧吹きを持っていないので、水につけて水分を吸わせる感じにしてみたが、うまく馴染んではくれず。
今日空研ぎしてみると、剥がれてしまう。
内側が硬化していなかったようだ。
不要のところは切り出し刀で削り取り、湿り風呂へ。
夕方、絹の上を空研ぎしても変化は起きなかった。

6月28日(火)

今朝は雨。
傘をさし、長靴でよろよろと走り出す。
クッションがないので、足が痛くならないように注意。
いつでも戻れるよう、500メートル掛けるルート2以内の範囲にある道を選ぶ。

漆の方は、箱と鉢などを修正しながら作っている。
立ち上がりの設計の計算ミスで大きく作りすぎたので、使い物にならないのは、底用に麻布を貼り重ねたのを使い、盛器にしようとしている。
同じ形で、石膏雌型で作った立ち上がりを利用して、雄型からのにつける。
その余りの部分の内側に麻布片を貼り重ね、雌型用の立ち上がりを作っていた。
今日それを余りの部分から取り外そうとしたが、くっついていたので、型として使った余りの部分を壊してしまう。
それでも身に嵌らないので、嵌るまで布をはがしたり、削ったりする。
かなり狂ってしまったが、何とか嵌る。

6月21日(火)

早朝ジョギングは今日まで続いている。
毎日コースを変えるのも続けている。
夏至なので日の出を見たかったが、曇りでたまに雨粒。
昨日は70分、若林方面まで。
今日は65分、岸渡川沿いに出町手前まで行き、戻る。
足に痛みを感じたら無理をしない、鼻呼吸が続けられるスピード。
シャワーを浴びて、何とか6時には少し時間が残る。
昼ころからたまに日が照る。
漆の方は、昨日の弁柄朱が乾かず、夕方まですることがなかった。
ラ・ヌーベル・エロイーズのアントロディユクシヨンを読み出したりしているが、意味がなかなか分からない。
無神論の夫と敬虔な妻とか何とか、、、今でも新しいとか何とか、、、

6月14日(火)15日(水)

土曜日午後から服部氏と待ち合わせ。
新湊大橋を見たいということだったので、海王丸パークへ。
橋を往復して遠望を楽しむ(と言っても、こちらは運転で見ていない)。
昔、高岡高校があったところに駐車し、歩いて古城公園。
横切って高岡大仏。1メートルぐらいずつ鋳込みを積み上げて作っていったそうだ。
観光地図を見て、蔵のある町を少し見て、戻る。
自宅に寄ってから、出町へ送ってもらう。
生ビールの後、焼酎のボトル1本。普段飲んでいないので、こちらは少なめに飲む。
夜高で賑やかなのを見て、駅まで送る。
迎えに来てもらう待ち合わせの場所に行こうとしたが、道に迷う。
人に聞いて何とかなる。
日曜日もいつものように朝の4時半ころからジョッギングへ。
足の痛みと風邪で楽ではない。
10時からは小矢部市展の開会式、講評。
小学校同級の正君が市展大賞。
講評の方は、なかなか上手くできない。
苦手な表現は対応できず、もう一人の方に頼む。
バオバブとのことだが、伸びる生命感になじめないというか、ばらばらにしか見えないというか、、、
多分、全体としてみるべきなんだろうが、伸びる部分にしか目がいかない。
*6月15日にインターネットで画像を見ると、本物の方がはるかに整っている感じ、、、
午後からは疲れで昼寝。
昨日は朝雨で、20日以上続けていた早朝ジョギングを休む。

今朝は、小雨だったが走る。
いつもなら誰かが作業をしたり、歩いたりしているのを見るが、今日は誰もいなかった。
漆は研いだり、凹みを埋めたり、黒漆を塗ったりと細々としている程度。

*6月15日のNHKラジオの4時半のニュースで報道していた。
6月16日ヨミウリ

6月7日(火)

5月31日(火)に木工の斉藤さんが亡くなったのではないかという電話があった。
会場当番を代わってほしいと頼まれなければ、同じ日の予定だった。
Aさんに聞くと、丁度当番を代わった日に亡くなっていたらしい。
自宅の2階ででも作っていると見せてもらったことを思い出す。
6月3日に金沢へ行くと、もう一部交通規制が始まっていた。
支部展を見に来ると予想していたかのように、25年ほど前の写真が出てきたと、渡された。
金沢で行ったところでもらってくる。

4日(土)は午後から、芸文の総会と講演会。
90歳の方の講演で、大宇宙や自然との無私の交わり、小さな発見の感動の中に大宇宙を見つける、、、
今日は午前中、富山展の片づけ。
午後から小矢部市展の審査。
専門分野の方の話を聞くと、見方が多少分かるようになる。
骨格がしっかりしているというような意味のことを聞くと、後ろから見た姿が優美な線であると気づく。
首の向き、足の指の力の入り具合などに注目すれば、具体的にはなっていないが、何か未来を見ている感じとか、意志の強さのようなことを感じる。
一般応募には漆がないし、パッと見に何かを感じるのを話題にし、話を詰めていく。
大体の設営までしてほぼ5時。
帰りにUSBにコピーしたのをまたコピーしてもらい、渡す。

早朝のジョッギングは、珍しく今日まで休みなく続いている。
ふくらはぎやアキレス腱が痛むので、効率的な走りより、長年の癖のついた足の向きに任せることにした。
少しでも痛みを感じたら、無理をせず、極端に小股にする。
一時的にしばらく走ったことはあったとしても、実質的に40年ほど走っていないといえる状態なので、まずゆっくり走ることのできる足を作るしかない。
距離を延ばすことを主眼に、毎日別の道を走っている。
調子が悪ければ、30分ほど、多ければ60分余りをノロノロと走っている。

5月29日(日)

早朝のスロージョギングは10日間続いている。
接地の仕方が正しくない所為か、右足のアキレス腱からふくらはぎにかけてかなり痛い。
指の付け根全体が同時に接地するように意識しているのだが、足裏全体の方がよいのだろうか?
毎日コースを変えているので30分から45分ほどを息が苦しくない程度で。
シャワーを浴びてから牛乳を少し飲むなど。
ためしてガッテン(かガッテンになってからか?)でやっていた10回ほど限界に近い動き(運動)をして、30分以内にたんぱく質を取るのも意識してやっている。
太股も少し太く筋肉がついてきている感じがする。
朝、花が咲いているのに気づくことも多くなった。

漆の方は、地研ぎというか、形直しというか、形作りのようなことを繰り返しているばかり。
一度で直せないというか、無駄な作業を繰り返している感じ。

5月22日(日)

昨日は、支部展のデータを受け取りに美術館へ行く。
まだ渡してくれる人が来ていなかったので、タイジュさんと話したりしていた。
おいでたので受け取り、帰宅。
富山支部展をわざわざ石川県から見に来てくれた三姉妹、暫くして4人で出かけて行った。
休憩した後、第55回日本伝統工芸富山展の出品目録作成に取り掛かる。
美術館からのデータがメモ帳だったが、エクセルに貼り付けると、うまくセルに分かれて入ってくれた。
それをPDFに変換して、工芸会のHPのお知らせ情報に載せる。
後で受賞作品の一つの掲載を忘れていたことに気づき、アップロードをし直す。
次に富山県関係だけの画像の掲載関係の作業に取り掛かる。
エクセルで作品と作者を決まった順に並べる作業。
受賞作品、各部会の名簿順(受賞作品は外す)
それから番号を振った別のシートに作り変え。かなり手間取る
朝受け取ってきた画像データをまず別のフォルダにコピー。
そこで画像一つ一つを作者名に「名前の変更」。
作者名のついた画像をエクセルで作った番号に一致するよう、画像の前に数字を追加(名前の再度変更)
これで目録(エクセルのシート)の番号と画像の番号が一致し易くなる。
この二つのデータ情報を本部の担当者に送信。
パソコンの前に座りっぱなしで、エコノミークラス症候群のようになる。
今朝も3日連続で早朝ジョッギング。
走っているときは超スローなので何とかなっているが、休んだりするとアキレス腱痛がひどい
日中も歩くのがやっとという感じになる。

朝戻ってきて、紫の花が咲いているのに気づく。

5月20日(金)

早起きしたので、5時少し前にジョギングに出かける。
接地の仕方が悪いのか、ゆっくり走っても足に負担感があった。
日の出前、ブドウの葉に露。


「第55回日本伝統工芸富山展」の開会式で、高岡市美術館へ行く。
中で話を聞いているときにそばにおいでる。
図録を帰宅後見るともう20年も前になるらしい林忠正の企画展にかかわっていた武沢さん。
まだ作品を作っているのかとの質問に展示されているところまで移動。
朱が黒っぽいムラに見える仕上がり。
初めての試みだし、地味な色の場合は使えそうと感じたと話す。
縄を使うのも試しているようなことも話す。
隣へ図書館長という方がおいで、与謝野晶子に初日の出が見られなかったとき、高岡塗りの火鉢の赤を日の出に見立てたという歌があると、、、
頑張ってくださいという感じで、また別々に見ることに。
私の作品は、黒っぽい感じが問題になったそうだ。
搬入のときも、こりゃヤバいかもと感じてはいた。
朱に胴擦りをせず、摺り重ね10回で仕上げた所為ではある。
加飾は形と調和させないと芸術全体の中で評価されないのではないかとN先生。
帰宅後、本部のHPに受賞作品を掲載するため、ワードで作成、PDFに変換。
掲載されるようにすると、夕にはなる。

5月15日(日)

金曜日は、修理の終わった縄胎杯2個を届ける。
以前使っていたジュート麻の一部が壊れたので、端周りにラミー縄を巻き、麻布で補強。
そのあとは全体として仕上げ直した。
午後からは、黒漆の調合をし直してから塗る。
少し厚いと泡というか点々が残り、何度も刷毛についた漆を浚える感じでムラを切っていく。
昨日は、何度も塗り直している蓋つき椀と乾漆杯の外側を静岡炭で研ぐ。
午後は相手をして過ごす。
今日は椀と杯の上塗り。
柔らかめの金髪刷毛を使う。
いつも問題はゴミがつく点にあるので、どうなることか?
午後からはポイント交換でもらったSDHCに、今使っているのをコピーしてみたり、、、
こぴーはできても、デジカメでは表示されない。
昨日に続いて今日もフォーマット。
何日か前、文化面のみまともなヨミウリに載っていた。

東博での図録にもある。

人の短を道(い)うことなかれ、己の長を説くことなかれ。
今の時代、特に後半は、反対になってきているようだ。

5月12日(木)

昨日までは何かを塗っていた。
今日は主に静岡炭で研ぐ。
錆を見るために新しい生漆に手をつける。
粘っこいのから汁っぽいのに変わったが、何となく砥の粉と生漆の混ざり具合が滑らかになったように見える感じに錆を合わせる感覚は同じようだ。
交代です。
午後からエルフ金沢へ。
基本を守った蒔絵のように見えた。
コーヒーを飲んでから戻る。
インターネットの外国向けへの誘いの郵便物が届いていた。
昼前にはイギリスで伝統工芸云々というような電話があった。
売れもしないことに経費をかけても無駄というしかない。

5月8日(日)

昨日一日預かるためにかなり丁寧に掃除したので、今朝は杯の上塗りをすることにした。
この前、刷毛先が折れたらしく、ごみとして3本の毛が入り、塗り直しになった椀も研ぐ。
浄法寺素グロ目漆は汁っぽいので、上塗り刷毛はもっとしなやかなのにすべきだった。
杯は内側の上塗りだから、その刷毛でも塗れる。
午後からはついでに黒漆もその刷毛などを利用して塗る。
普通の粘りの漆を塗るのにも何の問題もない。

20年ほど前に仕上げていたが、蓋の被りが良くないので、まず外側から塗り直すことにしていた。
蓋と身を擦り合わせて、ほぼぴたりと合うぐらいに直してかかっている(塗りはまだ)。

5月5日(木)

2日(月)は、朝から預かることになり、一日一人で相手。
3日(火)は、力が入らなくなり、一日寝ていた。一日でコップ1杯程度の水分を取っただけ。
午後から風が強まったらしい。
4日(水)は、朝は頭痛も残るし、力も入らなかったが、昼ころからは動けるようにはなる。
午後からゆるゆると杯の内側に透き漆を塗った程度。
今日は、多少頭痛は残ったが、生活する体力は戻り、研いだりしていた。
「あさが来た」の総集編を途中から見たりと、体力の温存に努める。
黒漆を塗ったり、杯を研いだり、艶消ししたり、、、
外は連日強風が吹きまくる。
スズランの香りがしてくる。

4月28日(木)

縄胎杯の塗に合わせて、普通は黒を塗るものも同じにした。
昨日は黄白漆で内側。同じ色で蓋の外と身の内から外脇まで塗る。
今日は紫漆で外側。同じ色で蓋の裏側と身の外側。


パソコンの設定で、ポインタの何とかを遅くし、精度とかを上げないように変えたら、多少ましになった感じ。
キーボードを押すのが遅い者に、反応が良すぎるのは扱えない。

4月24日(日)

昨日は、アートハウスでの「美の波動」展の開会式に行く。
出品は関係ないが、小矢部市の芸文連の関係で行く。
市長代理の副市長の挨拶があり、テープカットの後、展示室に入る。
傍へ行き名前を言う。
高校1年の時の同じクラスで、40数年ぶり。
昔に比べると、少し痩せたのではとこちらから話す。
そのうちに出品する展覧会はある、、、


今日は、修理に預かっている縄胎杯の布目摺り。
水指の黒漆塗りなどをする。
摘みの裏側の塗が難しい。

4月22日(金)

画像ソフトの切り取りは形の相似形しかできない感じ。
ポインターが異常な反応を繰り返すのも面倒。

昨日は、富山県の日本橋のアンテナショップに関するセミナーに行く。
参加者が100から200にんほどで、「縄文杯」で一応「採用候補」になったとはいえ、なかなか厳しそう。
「首都圏向けの商品開発のポイント」(中込進氏)
今のトレンドは、地元産、自然のまま、手作り感、、、
どの生活者をターゲットにするか決め、地域のイメージを膨らませたストーリーをつくる。
高くても「割安感」があれば売れるそうだ。
小矢部の桜町の縄文遺跡をイメージさせる麻縄で云々と応募していた。

修理に預かり、ラミー縄で端を補強したところに麻布片を貼る。

上塗りをしたり、地研ぎをして、薄めた生漆を吸わせて固めたりしていた。

4月20日(水)

画像ソフトのチュートリアルがあるとインターネットで調べてくれたので、ダウンロードしてみる。
200ページもあるので流し読み。
切り抜きもできるらしいし、メール云々ともあり、縮小は書き出しというののなかにあるらしい。
いろいろやってみて、やっとなんとかなる。

インターネットエキスプローラは、相変わらず白紙のページにリンクが飛ぶ。
グーグルやエッジではPDFのページは普通に表示される。
アクロバットリーダーをダウンロードしてみても白紙のまま。

風邪がやっと治ったので、叔母のところへ行く。
以前作っていたタイプの縄胎杯が欠けたというので、修理に預かる。
ジュート麻のは一部腐っていたので、ラミー縄で埋め、端にラミー縄を一周させた。
硬化後、麻布片を貼る予定。

4月17日(日)

画像が思うようにならない状態は変わりがない。
ポインタが勝手に飛ぶのは、設定でよく分からないままだが、あまり反応しない設定と思われるのをオンにしてみたら、少しは直ったか?という程度。
熊本の地震、ブラタモリでやっていたことが破壊されたことになる。
出身地を雅号にしておられたところの被害がもっともひどい。
白石さんの故郷でもあり、何かつらい。
こちらは今日嵐が吹き荒れる感じで、車庫のトタン屋根が捲りあがり、風上側(南)から釘を打つ。
西側のトタンもめくれていると電話があった。
雨は一時的で、あとはビニールシートが破れてなくなった。

写真だと単に好天に見える。
今日は主に蝋色研ぎをしていた。

4月10日(日)

3月27日夜パソコンを立ち上げようとしたが、修復モードで行うと表示しながら、立ち上がらないまま。
翌日修理に出すと、ハードディスクが損傷、新しいのを買ったほうが良いとのこと。
数日後に買ったが、今までのソフトは消えるし、バックアップをしていなかった半月分のデータは消滅。
画像の修正法がわからないし、縮小の機能がない。
付属のソフトは、画像を変化させたい者には面白いのだろうが、トリミングと画像縮小以外に関心のない者には無用の長物。
縮小専用のソフトを見つけ、やっと少しは2週間前のようにできるようにはなる。
ポインタが勝手にあちこちに飛んでいくので、面倒くさくてしょうがない。

3月21日(月)

昨日今日と漆は半日だけ。
今朝は、昨日できなかった透き漆塗りなどを行う。
たぶんまだ自分の仕事だろうからと作成したPDFのリンクができるか確かめてみる。
第55回日本伝統工芸富山展開催要項・応募要項

3月20日(日)

クロッカスの花が開いたり閉じたり、気温に敏感なようだ。
日中はラジオを聞いていることが多いので、情報もそこから来ることが多い。
昨日のKNB高原兄のながてながて・・・で言っていた。
富山移住
https://youtu.be/PhAh90pACvE

3月4日(金)

下に書いたPDFのアップロード、余り上手くいかない感じ。
インターネットエクスプローラの方は自分の名、グーグルの方は会の名。
制限もあるようだし、何のことかよく分からない。
不便で仕方がない。
29日にアップロードしようとして、できなかったPDFファイル。
アクロバットリーダーは、サポートが停止していることで、アップロードできず。
検索しても、何やらごちゃごちゃ書いてあるだけで、よく分からない。
グーグルの方は、会のが登録されていたらしいが、使うのは憚られる。
携帯は持っていないし、、、
料金だけ支払っているのを使い、何とか個人のを確保。
手グロメ講習

文化財漆協会に送ったもの。
最近はラミー縄に関する作業が多い。

2月29日(月)

雪が降ったり晴れたりと日毎に変わる。
「漆文化」が少し前に届いたが、研修報告書が載っていなかった。
会員漆芸展の写真には、3点出したうち戻ってきた方の作品が写っているような?

2月26日(金)

高岡へは13日(土)に漆を買いに行ったのと、昨日GEIBUNと工芸高の卒展を見に行ったぐらい。
梢に雪を載せた朝が続く。
麻縄に関する作業が多い日々。
今までは全てぶっつけ本番でやってきたが、今日は試しにやってみた。
自分で繋いだ縄をきれいに巻いていくことができるか、矢筈的な表情がでるか。
縄胎杯のようにはできず。
一周の長さが違うし、無理なのかもしれない。

早寝することが多いので、9時過ぎの番組は録画することが多い。
最後の職人は偶然、番組紹介で見つけ、録画。
漆掻きの鎌(カンナ)、後継者を目指し、弟子が入ったが、教えはしないとのこと。
半年以上行っていなかった床屋でも、いつも使う手ではなく、もう片方の手の動きを見たりすれば、学ぶことが多いとの話だったし、目で盗むにもあらゆる方向からということだろう。
女子の800メートルの期待の星というのでも、体全体のバランスで欠点を直す教えだった。
欠点を指摘してもダメで、どうすれば良いかという方向性を示す指導だった。
全く知らない子だったが、小学生の時の記録自体が驚異的。
4回り下の寅年、怪我を克服し活躍しそう。

2月18日(木)

梅の花 つつむ綿毛に ほほえんで
昨日までは弱い雪が降り続いていた。
今朝は氷の中に光が散らばった。

漆の方は、あまりうまく進まない。
径33センチほどの縄胎の高杯は、大きすぎてふらふらする。
一昨日、脚を取り付けたが、少し歪んだこともあり、水平に見えないような、、、
昨日は、巻くために残してあった麻縄で脚と皿(?)部分をくっ付ける。
今日は、裏の残りに麻縄を巻いていく。
これでゆらゆらがおさまるか?
もう一枚麻布を張る必要があるかも。

午前中に還付申告に行く。
パソコンの画面は家にいてもはっきり見えているわけではないし、どこに入力するか探すのも面倒くさいので、全部やってもらう。
待ち時間の一時間さえなければ、すぐ終わったともいえそう。

2月11日(木)

9日に立ち上がり用の素地が大きすぎる原因に気付く。
計算ミスというか、考えが足りなかったというか、、、
蓋と身の合口で、素地の厚み2mmと遊び0.5mmほど内側に立ち上がりが付く。
ところが粘土原型を作るときは、立ち上がりの(上)端がアクリル平面定規に接する状態で作る。
作図では、その位置は更に内側に3mmずれていた。
X座標で更に−3mmとなることに気付かず、−2.5mmだけで作っていたわけだ。
石膏雌型で作ったのは、2mm内側に素地ができることになるから、1mm分まだ厚い。
外側から布を3枚剥ぎ取ってもまだ嵌らないので、内側に麻布を貼り足している。

今日はアートハウスおやべでの「小矢部作家展」、「富山県洋画展」「小矢部市中学校作品展」(名称が正しいかは?)の会場当番に午前中行く(午後1時頃まで)。
昼頃にやっと入場者が少し増えたが、余りに少ない。
出品している中学生が親子で二組来る。
その作品を観にいくと、抽象的な感じで宇宙の中で変化して流れていくような世界を表現しているようだった。
小矢部作家展の展示会場の様子。

乾漆・縄胎高杯が砂田の作品。

2月8日(月)

この前石膏原型を壊して取り出した乾漆素地で、立ち上がりが嵌らないのに気づく。
雌型で作ったのは嵌るのではと、昨日盥に入れ、今朝素地を取り出す。
載せて見ると大体合っているようで、粘土原型を作る計画通りには作業をしていなかったのだろう。
使い物にならないのは、何かに変えて利用するしかないだろう。

土曜は電話にはめられたようなことをしてしまい、うつうつしていたが、日曜には断る。
今朝は用があり、頼みを伝える。
今日で今までいろいろやっていた作業が大分終わり、次の作業へと移っていく。
ぬけるような青空が広がり、立山連峰を際立たせていた。
夕方はかなり薄く。

2月4日(木)

冴え渡る空に三日月形の月が残る立春。
連日の寒さに漆は光ったまま。
ファンヒーターと加湿シートでの調整で何とか乾かしているが、丸1日以上かかり、暇な日が一日毎にやってくる感じ。
昨日は朝から乾漆素地を石膏原型から外す。
前日の晩から風呂の中に浸けてあったので、水分を抜くために並べる。

午後からは漆塗りをしたが、乾いたのは今日の夕。
夜は斑で飲むことになっていたので、一キロ余りを走っていく。
背筋は痛いし、足は重いし、情けない状態だが、春までは無理な感じ。
乾漆素地は動きが収まるまで何もしないことにしているので、することがない。
白漆を練り、今までのと混ぜる。
紫を練り、粘りを落とすためカンフルとかいうのを混ぜることにした。
蒔絵の講習の時、漉し紙の上にのせ、上から熱したスプーンなどで熱くすると、下に細かい粉になって落ちるのは習ったが、面倒なので練るように潰してみたりする。
上手くいかず、灯油を垂らして溶かす感じにしてみたが、多少ましな気がした。
昼過ぎに電話があり、1時過ぎに野村さんがおいでる。
乾漆に使っている麻布や地の粉や何やらと見せてあげる。
日本産漆は匂いが良いと渡し、嗅いでもらう。
個展のことなどを聞いたり、展覧会のことなど。
フォルムだけではなく、物語が必要という話だった。
麻紐は、荷造り用のではなく、ラミー紐であると実物を見せてあげる。
上から貼っている極薄の和紙も見せる。
4時間ほどして帰っていかれる。
夕食までの間に空色を練る。
明日の午後はアートハウスへ行く予定。

1月22日(金)

深き霧、照り映えそめし空の梅。
大寒の朝、冴えた空気が自然の命を包んでいた。

乾漆素地作りの作業が少なくなり、昨日午後は刷毛を立てかける仕切りをアクリル板で作る。
今日は、刷毛を幅などで仕切って並べたのが、どういう種類か分かるように書き、箱の蓋に貼り付ける。
未使用も含めて持っている漆刷毛の全て。
使うのは限られているし、整理して並べると、これからどうするかのヒントにはなる。

クジラ箆、刃物(塗師屋刀、切り出し刀、彫刻刀)などを研いで一日が過ぎた。
塗った漆の乾きは悪いし、乾漆素地は熱処理中と、継続的な作業が一時休止というところ。

1月14日(木)

ザラメく雪を載せていた葉も、今朝は雨に揺れていた。
昨夜電話をしようとしても、音がしないし、インターネットも繋がらない。
午前中に修理依頼をし、午後からおいでる。
原因は外にあるようだと、200メートル先へ。
更に300メートル先で、古くなったソケットを交換したとのことで、電話が鳴る。
待っている間、漆をするわけにもいかず、外を見ていると、桃色の固まりに気づく。
紅梅が膨らんでいる、明日の寒さを知るや知らずや、、、

乾漆素地の布貼りはかなり進み、早い方は500Wの熱処理(サーモスタット三十℃設定)開始。
くるっと回ってすっと立つような椀を作ろうかと考えていたが、今普通にある椀もそうなると、やってみて気付く。
空回りにならないように、また何か浮かぶのを待つことに、、、

1月11日(月)

乾漆の素地作りが主な仕事。
使う麻布に関して、古い蚊帳は沢山持っているが、平面的なところは良いが、形が変化するところはなかなか上手くいかない。
布が重なるところの処理が上手くできず、ボロボロになってしまう。

部屋の一部を使って仕事しているので、人が来ても狭い。
作業机と漆風呂をキャスターで移動できるようにはしていたが、下が引っかかったりして面倒だった。
昨日新しい床シートを買い、今までのを通路として利用することにした。
5分ほどで片付けたり、元に戻したりできる感じになる。
下が新しい床シート。

1月2日(土)

漆は明日からの予定。
天気予報が外れ、昨日の初日の出のパノラマ写真。

今日は初詣で、長岡神社、安居寺、倶利伽羅不動尊。
年末から飲み続け。

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