漆に纏わる話 2011年版

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12月31日(土)

片付けばかりをしている感じの日々。
今日は午前中に麻布貼りを久し振りにすることができた。

画像は蚊帳を貼ったものが見えている。
こんなに作業が遅れるとは思ってもいなかった。
帰宅が9時10時のようなところで消耗させられて、来年は、、、

12月25日(日)

何をしているのか分からないうちに時間が過ぎていく感じ。
金曜夕に乾漆盛器や乾漆干菓子盆に3枚目の麻布貼りなどをしたのが、このところの漆の作業のすべてという状態。
貼った直後に見直すと、もう浮いているというか、隅まできちんと貼ってないところがあった。
部屋の配置換えができやすいように板にキャスターをつけ、そのうえに本棚(小さい)を置いたり、、、
今日は天神様を出して飾り付けたり、パソコンに触れていたり、、、
先週も10時前後の帰宅が三日あったし、乱れっぱなしの生活。

12月11日(日)

昨日の射水神社での式までほとんど漆に触れることはなかった。
いろいろなことを一つずつこなしていくのが精一杯で、段取りの悪さが目立った。
その上、この一週間の帰宅が、10時を過ぎたのが1回、9時半を過ぎたのが2回という異常さ。
まだまだすべきことが残っていて、漆のほうはどうしようもないという感じ。
今夕、久し振りに麻布を貼ったりしただけ。

東京国立博物館での空海と密教美術展の図録を見ていて、の字が使われているのに11月30日に気づいた。
空海筆の「聾(この下に)指帰」(8世紀−9世紀)の「仮名乞児論」

赤い線で囲んだ上が、下が
黒髪を漆髪と書いているということは、その頃には漆は黒と見做されるようになっていたと推定できる。
漆の真塗の起源に近づく表現とは言える。
蒔絵と黒漆の関係で黒を考えていた砂田の説は甘かったと言えそう。

11月27日(日)

今日も部屋の片づけをしていた。
箱などを地袋や天袋に片付けたり、、、プリンターの置き場所がなくなる。
来客が二人ある。
夕近くに見舞いに行くも、聞いていたところに居ない。
スタッフステーションで聞くと、窓側に居るとの事。
顔色もよく、今度こそ大丈夫な感じがした。
帰宅後も片付けの続き。
何とか配置を終え、やっと麻布貼りに取り掛かる。
乾漆盛器はかなり大きいので、側面を貼るのが難しかった。
入り隅があるので、数枚に分けて貼るべきだと感じた。
少なくとも目の細かい麻布はそうすべきだろう。

11月26日(土)

漆に関係ないような日々が続いている。
12月の事であたふたとしているとも言えるし、やる気がないとも言えそう。
23日は神社の草刈、雪吊りで午前が過ぎ、午後は仕事場兼座敷の清掃、配置変更など。祭りで飲みたかったが、できず。
今日は、親戚の畳屋さんがおいで、部屋の形を計るため、部屋を空にしたり、、、
眼科に行き、目に入っている粉体塗料(勤め先で)の残りを洗ってもらったり、、、
見舞いに行くも病室は空、受付で聞くも個人情報の登録をしていないとの事。
午後から母に聞くと、相部屋に戻っているとのこと。
糊漆を作っただけで、今日は部屋の片付けも進んでいない。
空けるべき部屋を空けるため、自分の過去の所有物という箱も持ってくる。
小学校の2年の絵日記もあった。

かなり方言で書いてある。
てっころんだ  ずぼんもねれた(方言なら、のれた 濡れた)  かわであるた(川で洗った)。 びしょのれ(濡れ)になった。  とてもちぶた(冷た)かった。
未だに字は下手だが、更に読み取りが難しいとは言え、記憶は全くないに等しい。
兄妹3人とも担任されたはずだが、高卒後の唯一の小学校の同級会でおとなしかったという印象しかないと言われた気がする(上が秀才、下がおしゃべり)。
過去のことは、記憶自体がはっきりしない。
持ち帰ってもよかったらしく、北大入試の問題も残っている。
前にベクトルの問題云々と書いた気がするが、複素数の問題はあるが、ベクトルの文字はない。
今日は片づけがほとんど進まなかったとも言える。

11月19日(土)

先週の土曜日12日は、卓(ショク)の裏側に透き黒漆で上塗。
その前に塗った夫婦椀の内側はゴミが目立ったが、卓の方はそんなことより塗りあげるほうが目標だった。
数年前の塗りの縮みが研ぎ潰しきれていないことで、それが写ったりもしたが、このときの塗り自体では垂れも縮みもなく、それなりに塗れていた。

黒く見えるところを一度に塗ったが、約2時間かかる。
日曜の13日は、第24回アミカル展で富山市へ列車で行く。
昼食をとり、歩いて城址公園の近くで、県の駅伝を見る。
小矢部市がビリではなかったので嬉しかったが、走っている中学生にはどう見えたか?
アートサロン「コスモ」は、去年西村先生に会った場所だった。
Picmateに画像を16日にアップロードしたが、表示されるかどうか不明。
展覧会のページからもリンクをつけたが、これもどうなっているか不明。
何時の間にかPicmateががらりと変わっていて、パスワードもあやふや。
13日は例年通り、知事が見学においで、記念撮影。
肝心の方は健康を害されたとのことで、急遽帰京されていた。

6時からはオープニングセレモニーがあり、帰りは乗せてもらう。
昨日は、配達したが不在だったとの通知があったらしいのを、再通知で知った件で電話したり、、、
プろバいダーのパすワーどさえ、消えていたり、パソコンで夜時間が取られてしまったり、、、
今日は床屋へ行ったり、朝日チャリティーに送ったりする。
午後から6日の小矢部作家展で忘れてきた傘を捜しに総合会館へ行く。
反射テープを目立つように貼ってあるし、名前も電話番号も書いてある傘だったが、無事に置いたままだった。
安全な町であるとは言える。
夫婦椀はゴミが目立ち、塗り直すにも、部屋が壁塗りのため落ち着いていないので、磨くことにした。
摺り渡しをすると、胴擦り不足が見えてきて、磨きなおしたり、、、
部屋の整理も全然進まない。

11月6日(日)

今朝も2時間ほど壁塗りに来られ、漆の作業をする場所がなくなる日が続いた。
ベンガラ朱の塗りは、予想していたほど悪くはなかったが、ゴミだらけ。
色合いも悪くないし、使ってもよいかなと思う。潤み塗りの感じ。
午前中、3姉妹が来られ、いろいろ体験談を話される。
雨の中、車で柿をもらいに行く。
午後からは小矢部市作家展へ行く。
顔はほとんど知られていないし、伝統工芸ということもあまり知られていない。
東京の本展の主催の名を言うと驚いている、つまりそれだけ知名度がない。
片付けてから帰り、また少し外出。
夕方6時過ぎからやっと、乾漆作品に下地を付け出す。
小皿のほうはもうすぐ素地作りが終わる。
新作のほうは、離型剤のアラビアゴムがこのところの曇天・雨で湿気を吸って湿っぽくなっていた。
錆下地なら絶対に乾かないが、下地(地の粉+糊漆)なら大丈夫な気はしたけれど、用心のためファンヒーターの前に少し置き、水分を取ってかかる。
井戸ポンプの調子が昨夕おかしくなったとのことで、水の苦労も出てきている。

11月3日(木)

壁を塗ってもらう部屋を片付けたので、数年間仕上げないまま使っていた卓を研ぐ。
裏側に縮みがひどく、荒砥で研いだりする。
キング#1000。ペーパー#360、500。静岡炭などで研ぐ。
天板の朱塗りが下の黒の出ているところもあり、塗り直さざるを得ないと気づく。
ベンガラ朱を使った塗りをしたことがなかったが、透き漆に粉を練り混ぜ、また漆を塗れる感じの程度まで混ぜる。
漉し紙で漉しても、なかなか垂れて来ない。
場所を離れているうちに、挟み込んでおいた側の方が外れていて、漉すのを止めた。
垂れた分で塗ってみたが、漆が足りなくなり、染み出てくるのを箆で集めて塗るはめに。
厚みは少し不足しているし、ゴミもついてしまう。
ベンガラなので練りこみはしなかったが、漉し紙から染み出さないのは、その所為なのか?
午前中は、地区の作業(防草シート張り)。
予想外に壁塗りにおい出たので、上塗ができなくなる(夫婦椀)。
石膏原型にアラビアゴムを塗る。
もう暗くなっていたが、夕方に富山新聞からという人が来る。
小さい展覧会が続くが、顔を出す時間もあまりない。

10月30日(日)

この1週間は、干菓子盆の原型を作っていた。
少しだけ傾斜が違う二つの側面の形定規を作り、それぞれ石膏雄型・雌型を作る。
雌型の方は、粘土を取り出して、削って修正しただけ。
最近は、石膏雄型を元に、三分割した石膏雌型を作り、接着し直すというのが面倒になってきてしまった。
昨日は、伝統工芸展を見に金沢へ行く。
身体の疲れか、見て回っても集中力がないというか、何もつかんでいない。
高野さんに車を預けて昼食に行く。
尾崎神社辺りで漆展をやっているとのことだったので、探すが見つからない。
坂を下りていくと暖簾に「漆」というのがあり、そこだと分かり、閑静な庭から入っていく。
金美の学生らの「変わり兜」など、漆を使って被り物のデザインをしている感じで面白かった。
何でも漆で作ればどうなるかという試行は新しい何かを生むかもしれない。
生漆や薄手の麻布などを買う。
津幡での坂下先生の個展に行く。
漆皮を中心に曲げ輪、籃胎など、独特の独楽塗り、、、
紙胎は蕨の根から作った糊に柿渋をを混ぜるとか。
牛革を浅野太鼓から手に入れて作っているが、作品として山のような形に内側に出る(木地では溝に彫る)のを作るのには苦労したそうだ。
兄弟・妹の一家が来られ、話されているのを聞いていて、教えられる。
帰宅後は、上記の石膏の作業。
夜は二日続けて飲む。
今日も石膏の続き。
昨日の好天から今日は雨気味。
家の壁を仕上げてもらうのに頼みに行き、午後からは片付けや掃除。
テレビを移動すると、チャンネル設定をやり直さなければならなくなったり、、、

10月23日(日)

この1週間は、石膏原型の入り隅の形を作るため、薄いアルミ板で型を作る。
その線を鉛筆で石膏に写し、刃物で削る。
あまりきれいにならないので、小さい砥石で大体研ぐ。
あとは水分が抜けるまで待つ。
その雄型を作った雌型の底と腰付近が壊れずに残ったので、皿の原型にすることにした。
端の高さを揃える為、平面を基準にして鉛筆を滑らせて高さの線を書き、鋸で切る。
これで原型が二つになる。

夫婦椀の方は、貝を貼って浮いた隙間を朱漆で何度か埋める。
外側に透き漆で小中塗り。
今日は、貝剥きをしてから、熱湯を注いでみる。
気泡も発生せず、塗り重ねても大丈夫なので、内側に透き漆で小中塗り。
時間的に余裕を持って完成できそう。

乾漆小皿の方は、今日、薄めの麻布を貼り、5枚になったので、麻布貼りは終了。
雄型の1個と雌型の4個で、大きさも違うし、立ち上がりの高さも違う。
どんなセットにできるか、まとめるのが難しそう。

前日の消印のDMが木曜日に届いていた。
刷毛の切り出しの長さなど、高岡で習ったのとはかなり違う技術を教えてもらった方。
狂わない漆皮を作るため長年研究を重ねてこられた。

詳しくは展覧会のページを見てください。

昨日は、午後から母と見舞いに行く。
それから小杉での茶の湯釜展を見に行く。
DMの地図だけではなかなか分からず、行ったり来たり、、、
細い道に入ってみたりしてやっと見つける。
裏千家の茶をしているという方がいて、話を聞いていた。
釜は幾つも持っているそうだ。
食籠はほとんど使わないが、干菓子盆なら欲しいとのこと。
乾漆の抹茶椀にも興味がないことはない話。
釜の使い初めの漆の臭いは湯を3回ほど沸かせば消えると釜師の方が語っていた。
私がしている熱湯注ぎの臭い抜きと同じだった。
今日は片付けたり、寝転んだり、上記の作業をしたり、、、
夕方からまた話し合いで外出。

10月16日(日)

天気があまり良くないと、出歩きたい気が起きないので、やっと二日続けて漆の作業ができた。
石膏の作業を何とか進め、雄型まで行く。
いくつか展覧会の話があったが、実際に対応できるのは、自営業の者でしかない気がする。
搬入・搬出は必ず平日。

10月15日(土)

昨夕は、私より2日遅く入社した人の送別会兼2名の新入社員の歓迎会。
多少飲み足りない感じがしたので、今日は酒が残らなかった。
自衛隊にいたという人は今の方が厳しいという。???
漆は趣味かと聞かれたが、「感動した」という一言で首相を勤めた人がいたのと同様、「趣味」という言葉で人生を対応させられては堪らない気がする。
趣味とは違うし、漆を始めた頃のような人生そのものという気もなくなっている。
たまたま出会っただけだが、生きてきて唯一やってもいいかなと思うのが漆だっただけ。
4年目の夏、博物館の学芸員になる為の集中講義があるという掲示を見、心が動いたが、自分に適性のない世界で何ができるかというのが、自分の進んだ道だった。
生きてきて、漆と博物館、収入の面では極端に違うが、結果は似ている気がする。
漆の伝統技法の限界を、ラミー紐による新しい表現で切り開けるかどうかが自分の課題だ。
まず無理だとは思ってはいるが、そこへ進むしかない。

ずっと手付かずのままだった乾漆盛器、粘土原型を作り出す。
油土は少し硬めだし、濡れタオルで覆っておけば柔らかくなる彫塑用粘土で作る。
2,3面ずつ作り、順に作業を進めた。

引き箆の腰辺りを少し歪めたのはあまりはっきり見えない。
石膏雌型取りをしたが、5回に分けてするほど、かなり大きめの器。
相変わらず石膏は苦手。

10月10日(月)

土曜日はなかなか行くことができなかった眼科へ行く。
カーマで珪藻土の壁土を見たりしてから、病院へ見舞いに寄る。
帰宅後、椀を研いだりしていた。
まだ見ていないという話だったので、写真を印刷し、持っていったり、、、
外側に透黒漆を塗っただけ。
日曜日は、夕方の来客に対応するため、ガラス窓を外して拭く。
次々と汚れが気になり、5,6時間外したり、拭いたり、はめたり、、、
漆のほうは、椀の端外回りに巻いたラミー紐のところに残る段を切り子地で埋めただけ。
今日は、乾漆小皿に麻布貼り3枚目(蚊帳布)。
もうすぐ88歳の母が車で、絵手紙で届いた’Trick or treat’とはどういうことかと聞きに来た。
ハロウィンという言葉を思い出せなかったが、手紙にあったのか母からその言葉が出てきた。
天気が良いので、外に出たくなる。
自転車でムサシへ。
珪藻土の壁土を買い、廊下の端の壁に付けてみる。
少し柔らかく合わせすぎたが、漆の箆付けよりは簡単な感じ。
ムラが目立つが、壁の下地が中塗りが入っていない所為もある。

右側が塗った方。
漆をしないで、関係ないことばかりしている。
「老い」は上巻を読了。
定年後、経済的に安定しない多くの者は生きる気力をなくす。
40年以上前の本なのに(訳はまだ40年経っていないが)、あまり違いを感じない。
自分の肉体労働に関して考えれば、10キログラムぐらいまでなら、急激に動かない限りは、かなり続けられるとは言える。
15kg前後で、心臓に動悸が走るかどうかの境があるようだ。
25歳の頃は、米袋に麻袋をくっ付けた78kgものを一気に床から肩まで上げることができた(そんなことをして腰を痛めたが、、、)から、身体の中心で重さを受けとめる限り、今でもかなりのことはできるだろう。
しかし、体力的に無理だと、動悸が速くなるのは、15kgほどになってしまった。
若い頃この本を読んでいたら、どう考えただろうか?

10月2日(日)

1週間少し前のことが、ずっと以前のことのように感じられる。
飲んでいたときの話で、ボランティアに2回行った事とか、被害にあった実家に月に1回車で帰っていたとか(新幹線が全面的に回復して助かる)、、、
昨日も勤めで、何時の間にか彼岸花も咲いていたというか、枯れかけ始めているのに今日気づいた。

早朝のゴミ拾い、配布物で担当地区周り、銀行、見舞い。
1週間前のデジカメ画像を見てもらったりする。
高岡での硝子二人展(夫婦)のギャラリーを探すが、分からずぐるぐる回る。
目印らしいトウフ店があってもよく分からず、帰ろうかと戻ると、何となく感じる建物。
結局、トウフ店の道路向かい。入り口にさえ迷う。
看板を立てないということは、口コミに自信があるということなのかもしれない。
四角い硝子の器は、吹き硝子を板で押えてアバウトな形を作り、後で削って整えたのだそうだ。
給油し、従姉のところで話す。
帰宅後昼食、昼寝。不幸の連絡。
チャリティ用の漆椀の上塗り、夫婦椀の方は中塗り。
2週間ぶりぐらいで、乾漆小皿に麻布を貼る。
こんな感じで漆のほうは全くといっていいほど進んでいない。

9月25日(日)

平日はほとんど漆の仕事をしない(ができない)のに、金・土と上京。
朝、石動発の特急が直江津で61分遅れ。
越後湯沢からの新幹線、少し遅いのにすると、がらがらだった。
上野で降り、さぬきうどん、40年ぶりぐらいで北千住に行ってみるも、ツリーは全く見えなかった。
すっかり都会のようになっていた。
神田まで戻り、歩いて三越へ。
7Fの日本伝統工芸展へ行く。
探さないようにしていたつもりだが、すぐに自分のが目に入る。
会場にふさわしくないような感じがし、あまり見ないで他の作品を見ていく。
さらっと全部ぐらいを見て漆芸の付近に戻ると、そんなにひどくもないか、、、?
6回の画廊の方も見る。
アートビートの関係だろう、花輪があった。
三津五郎のも。

4時の待ち合わせで、久し振りに会う。
暫く別々に見て回ってから、3人で東京駅方向に歩く。
どさん子という店に入り、生ビールから。
ジンギスカンなどもつまみに、北海道の酒を生で飲んだり、、、
2,3年前にカムバックしたK君のマラソンの活躍など、、、
8時頃の中央快速で行き、9時過ぎに電話をし、迎えに来てもらい一泊。
土曜日は一緒に行き、途中で別れ、4キロほどを歩いて新宿へ。
列車で行き、上野公園を歩くと、人人人の流れ。
そのまま東博まで。
かなり待った後「空海と密教美術展」
混んでいて、書などは見ることができないし、図も剥げたり薄かったりでよく見えない。
ガラスケースの中にある黒っぽい大きな箱も、塵居がある感じがするだけで、暗くて蒔絵らしいものがはっきり見えなかった。仁和寺という説明は目に入っていた。
*今夕、買ってきた図録を初めて見ると、「宝相華迦陵頻伽蒔絵冊子箱」だった!
私が麻布2枚造りに挑戦したきっかけになった作品。
東博のところに話を戻すと、仏像を眺めることを重点的にする。
平面とは違い、表情豊かなのもあったし、肩や腰前の、噛む獅子などもよく見たりした。
かなり早めに会場を出、本館の方へ展示を見ながら進む。
途中疲れすぎで、椅子のところで30分ほど寝た感じで休んでいた。
かなり回復し、また少し展示を見てから、国立新美術館へ。
何とか地下鉄を乗り換え、乃木坂まで。
新制作展で野村さんの作品を探す。
温かい感じのオウムか何かと語らうような子。
絵画の方にはなかった。
ここも速めに回り、また地下鉄に。
どこで降りればよいかよく分からず、日比谷で乗り換えようかとしたが、そのまま出る。
地図などを見ながら、日比谷公園で昼食のパン。
帝国ホテル前を通り、探すも分からない。
広い道に出て、印刷していった地図を見ていると、助けることができるならと声をかけられる。
教えてもらったとおり、銀座6丁目の信号のところを左折し、セブンイレブンのところへ行くと、やっとギャラリーが見つかる。
繊細な銀平文の作品が並ぶ。
ギャラリーの人も名前を何となくインターネットで見たことがあるようなはなし。
歩いて三越に向かったが、日銀があり、あれっという感じ。
そういえば東京駅のすぐ前を歩いていたのを思い出し、少し戻る。
図録や土産を買い、また歩いて東京駅に。
土産やパンなどを買い、休憩室で過ごした後、新幹線へ。
10時過ぎに石動に着く。
今日は、昼少し前に出かけ、儀式。
帰宅後、いろいろ、、、
夜にやっと椀に黒漆を塗る。

9月19日(月)

天気予報では降水確率午後80パーセント(能登)となっていたが、出かける。
給油、射水神社付近を小雨気味の中を歩いて後、大野、熊無、羽咋経由で。
高岡から輪島まで2時間ほどで着き、パンなどを買い、駐車場で昼食。
漆芸美術館の四柳館長の講演「漆 悠久の系譜 −縄文から輪島塗、合鹿椀−」
漆漉しの布が乾漆技法の発想の元になりうるかなとも思った。
縄文時代に生漆から水分を抜くのに、天日ではなく、加熱した跡が見つかっているとか。
ベンガラ朱と精製漆の関係だけで、漆塗り技法の完成にはならない(砂田の見解)。
水銀朱は漆ではなく、膠質のもので塗られているそうだ。
日本で漆塗りが完成できなかったという砂田の説は、水銀朱は精製漆と混ぜるだけでは艶のある朱にはならないという作り手的な経験を基にしている。
充分に練りこむ必要がある。
3:30pmからの、友の会会員20年の人への感謝状贈呈。
こちらが知っている人2名、名前は知っていた人1名、つまり知人はいなかった。
図録も一緒にもらうことができ、メモさえ取らなかった講演を思い出すことができた。
強い雨にはあわずに帰宅できた。

9月18日(日)

平日は遅い帰宅と疲れで漆の方はほとんど進まない。
金曜夜に久し振りの雨、蒸し暑くなる。
昨日は眼科へ行くと、駐車場が空。休み。
見舞いに行き、1時間ほど。
麻布貼りを久し振りにする。
一度渡し、1分ほど待ってからまた渡しなおし、貼る。
BD録画してあった番組(蒔絵と結城紬)を見る。
今日は、地図を印刷したりしていた。
午後から用で出かけると、またもめる。
急な話で、もたもたになっている感じ。
帰宅後、透き漆塗りを少しする。
そのあとは、盛器を作るための側面定規作り。
腰の辺りで丸みを帯びるように熱をかけてしてみる。
夜はまた地図を出し、印刷。

9月11日(日)

少しずつではあるが、漆に戻りつつあるとはいえる。
作業を始めれば何とかなるという程度だが、、、
石膏がガタガタなので、下地は4回目を付けることになる。
盛器のほうは、型がまだ十分にはできていないが、面を水平に作るための準備をする。
電動糸鋸で数ミリ厚のベニヤ板を切り、石膏とはがれるようにアクリル板も切る。
アクリル板のほうは、円形からは程遠いほどガタガタになり、その上一部割れる。
重ねて使うつもりだが、それの高さを揃える為、棒を枠が組める感じに切る。
夫婦椀は、ラミー紐の片側に下地を付ける(埋める)。
貼り具合がきれいでないので、片側ずつ盛り、線をきちんとなるように直すため。
午前中は、水引のことなんかを聞いたりしていた。
午後は自転車で見舞い兼相談に行く。
帰りにカーマで棒とアクリル板を買う。
蒸し暑い日である。

9月10日(土)

先週は腰痛で悩まされながら、土曜日も勤め。
日曜には訪問など。
今週は会社のラインが動かなくなったのを引っ張っていると、フックが外れ、転倒し、怪我。
すぐに冷やしてもらったためか、一日ごとに回復する感じで、昨日は右腕(肩)で約15kg以内なら痛みが走らなくなった感じ。
打ち所が右肩甲骨の下を僅かに外れていたので、みみずばれ程度で済んだのだろう。
今日も疲れが抜けないまま、パソコンで忘れたIDなどの件や文書作り。
宛名を筆ペンで書いたり、書類整理など。
午後はオイルフィルターの交換、休日の移動の予約、投函など。
帰宅後、やっと漆の作業。
昨日、今日と展覧会の案内が届く。
アミカルの方と、以前Oさんに三越で紹介してもらった方。

8月28日(日)

たまっていた書類や新聞記事を片付ける。
下をむいたひまわりに何か力強さがあり、それから作品ができないか。
cadで作図してみる。
実寸ではA4に印刷しきれないので、1/4ずつ印刷する。
線をあわせて、セロテープで固定し、塩ビの板に糊で張る。
糸鋸盤や糸鋸で切り取り、ヤスリで削って、形を整え始める。
テレビで世界陸上や北海道マラソンを見ながらの作業。
多分構内を3人の同期の人が走ったはずだろう。
読書は少々という感じになる。
p188「もっとも偉大な芸術家たちは、自分の時代の証人であるというよりはむしろ時代を形成するのだ。」
p189「民衆的表現から遠ざかって個人的創造になるにつれて、図像的表現は大部分その証言としての価値を失う。・・・」
Simone de Beauvoirの「老い」からの引用。
古代から中世などにかけての分析だが、逆に考えれば、今の図像的表現も個人的創造・時代の形成とならざるを得ないのではないか。

8月27日(土)

素地を作らないと漆の仕事をすることができない。
作品のアイディアが煮詰まらないというより、出てこない。
ノートを前に少し手を動かしただけ。
朝、水曜の新聞を見せてもらいに行く。
帰国中の姪、あと実習のようなのをつめば、資格が取れるまで来たとのこと。
米寿の話から、97歳でまだホームページを更新している話へ。
爆撃の間をぬって硫黄島へ行き、問題のある水を希硫酸に変え兵の下痢を治めたとか、、、
我が家の桔梗は、数えで26歳でなくなった母の父(私の祖父)が育てていたものからきているそうだ。そんな由来は知らなかった。
自転車で出町へ向かう途中、夏と秋が同居していた。

約2週間振りに行くと、杖をついて歩く練習をしたりしているが、内出血の方はまだだとか。
テグの世界陸上の女子マラソンのゴールを見ていた。
ジャスコで買い物をして、帰る。
午後は寝転んだり、読書をしたり、、、

早出の当番の一週間で、朝は6時45分前後に家を出ていた。
月曜の帰宅が10時55分は異常だったが、9時台が2日、後は8時台。
水曜朝、ローソンで朝日新聞を買い(150円!)、駐車場で見ると、(小矢部市)というのが目に入り、自分だと気づいた。
会社の駐車場で全国版のところも見、知人の方の受賞も知った。
その日は8時半少し前の帰宅だったが、丁度家の前に車が来て、止まった。
新聞の勧誘の人で、どうして手に新聞を持っているのかとか、、、
市境にある我が家が小矢部市と分かり、担当地区ではないらしく、新聞を置いていかれた。
一緒に探している時は見つからなかったが、後で見ると、片隅に小さく伝統工芸展のことが載っていた。
今年落ちたらもう二度と入選できないだろうと思っていた。
こんな書き方をすれば、国語の問題なら、「作者は自信作と思っていた」などという答えが正解となるかもしれない。
文脈の中で判断できない文章は、私の書き方同様、未熟というしかない。
体力的に無理(今の会社でこの1年、40前後4人、20代後半2人、不況という中、新入社員全員続かなかった)、時間的に無理(終業時刻さえ分からない残業)、、、
作品の仕上げから言えば、剥げている所もあるし、落とされても文句は言えない程度ではあったが、自分の力量から言えば、この程度ともいえた。
何か新しいことを見つけ出さないといけないとはいえる。

8月21日(日)

石膏で葉(スイレン?)の形を作ったのを削って、形を少し直す。
まだ上巻を読んでいるはずなのに、後で気づくと下巻だった。
その程度しか読み取る力がないのかも。
シアンスでは、いつか自分の思考法が新しいことを認めないようにしてしまう。
上巻を取って、続きを読もうとしたが、どこにもない。
それでさっきは下巻を読んでいたと気づいた。
何か作品を作り出さないと、本当に漆をしなくなってしまいそう、、、
昨日はパソコンでDVDを作ろうとしたが、CDとかBDとか区別ができない状態。
何とか作ることができたが、3時間ほどかかったか。
今日はラベル印刷をしてみたり、、、
あまりパソコンを開かないので、使い方をすぐ忘れてしまう。

8月16日(火)

今日も同じ本を読んでいることが多かった。
乾漆用の刷毛先を切ったり、作ったりしてから、叩く。
この前、ハスを探しに行った頼成の森にあった水草の葉を思い出しながら粘土で形を作る。
厚みは漆桶のプラスチックの押さえを両側に置き、大体揃うようにした。
周囲はプラスチック押さえを丸めたりして、多少揃っているぐらいにした。
一ヶ所入り隅みたいなのを作り、その反対側を少し凹み加減にしてみた。
石膏を掛け、雌型を作る。

8月15日(月)

歴史的には敗戦の日なのに、平日営業の日。
引き出し手数料がかからないので、郵便局へ行き、それを銀行に入金。
帰りに顔を見に寄り、歩く練習を始めたことなどを聞く。
自転車で帰ると、少しして雨が降り出した。
La Vieillesse(朝吹 訳)を読み出した。
39年前の初版本と初めて気づく。
昼寝に役立つかと思ったのだが、寝付かれず、かなり読む。
序に仏陀がまだシッダルタ太子のとき、「、、、わたしは未来の老いの住家なのだから。」と述べたとある。
老人がどう扱われるかは、その部族の考え方次第といえるのかもしれない。
死は年齢とは関係なくありうる。
老い方は、環境や遺伝など、人それぞれ。
(16日)p100「人間たちが自己の存在に附与する意味、彼らの価値体系の全体こそ、老年の意味と価値を決定するのである。逆に言えば、ある社会は、老人をどう扱うかによって、その社会の原理と目的の―しばしば注意深く隠蔽された―真実の姿を赤裸々に露呈するのだ。」

15日夕、あまりにも漆をしなさ過ぎるので、糊漆を作る。

8月14日(日)

漆のほうは完全に止まっているのになぜか不満はない。
1週間乾かしておいた(放っておいた?)研ぎ破りの朱の痕は少し見えるようになっていた。
懸け子をはめても、蓋とともに持ち上がることはなくなっていた。
盆前は、残業続き、12日は帰宅が11:40pmという異常さ。
バイクがあり、子が帰省していたとは気づいたが、遅いので水分摂取、食事、ビール少々、風呂。
寝つきが悪く、疲れが取れないまま、6時台には起きる。
インターネットで調べたり、ビールを買いに行ったり、、、
午後から石川県側から白山スーパー林道に入るようドライブ。
夏の特別料金で2500円(秋よりは安い)。
駐車場で車を止めて、たぶん後高滝を渓谷の下のほうに見る。
深緑が目立つだけの道を後部座席で見ながら進む。
露天風呂があるという蛇谷園地駐車場は、下まで降りている時間がない気がして(スーパー林道の閉門時間が決まっているので)、止まっただけ。
インターネットでルートを調べる以外、計画性のないのが我が家のドライブ。
ふくべの大滝は高低差が大きく、動画撮影もした。
岐阜側から来た人は、ここは暑いと言っていた。
山の上には雲がかかったりと、遠くを見渡すこともできなかった。
光が雲の中を抜ける濃淡が一つの表情をみせていた。
最初の滝より700メートル以上上になる岐阜境はかなり涼しくなる。
100メートルで0.6度差が出るので、1450メートルの三方岩駐車場は金沢より8度ほど低いかも。
紅葉の季節はきれいだろうとおもう。
蓮如茶屋では、アジサイがみずみずしく咲いていた。
白川郷が望めるというので、階段を上る。
ブナの小道というのがあり、樹齢300年の木があるというので登っていくも、どれがそうか分からず。
画像はPicmateに載せる。
白川郷インターからは、高速で。
明るいうちに帰宅でき、夜はビールなど。
今日は墓参り。子供は帰っていき、こちらは昼寝。

8月7日(日)

支部展の懸け子の方は、朱のムラには見えるが、何とかなりそうなので、それでよいことにした。
漆の仕事で頼まれていることは全く無いし、することが無いわけではないだろうが、する気が無い。
昼前に昼寝をし、午後から蓮がどこかに咲いていないかと、車で出かける。
場所が分かっていれば自転車にするだろうが、インターネットでも分からない。
以前、大賀ハスか何かが咲いたのを見たことがある桜町縄文パークに行くも、瓢箪だけ。
石動の城山公園へ行くも、花自体がほとんど無く、人もほとんどいない。
砺波の頼成の森へ向かうも、道路工事中のところでどう行けばよいか分からなくなる。
信号を直進すると、案内板(観光)があり、そのまま行っても行けそうな、、、
どんどん山の中に入っていくし、左折する所を通り過ぎたと、戻る。
狭い道だが、案内板の道のような所へ入っていくと、千光寺があった。
子供が小さい頃何回か行っていたのに、入り口でまた通り過ぎたり、、、
水生植物園の近くに止めようと、第2駐車場へ行く。
少しは人はいたが、ここも終ったショウブばかりの感じ。
徒労だったかと思ったが、逆方向に歩いてみると、ハスのようなのが見えた。
写真はPicmateの方に載せた。
咲く直前の感じのは無かったが、見ないよりはまし。

8月6日(土)

支部展の、塗り直した懸け子の摺り重ね6回で、見た目には剥げたところが目立ちにくくなる。
仮摺り落としをすると、目立たないとは言えないが、多少のムラと見えなくも無い。
裏がゴミや刷毛筋だらけだった上に、朱の摺り渡しで汚れてしまったので、磨くことにした。
刷毛塗ムラがなかなか静岡炭で研ぎきれず、蝋色炭では更に研ぎきれない。
クリスタル#1500,2000で研ぎ、油砥の粉で胴擦りし、全体に摺り。
梅雨に逆戻りした感じが、やっと夏らしくなった今週。
前の異常な暑さまではならないが、睡眠時間を多めにしていたつもりだが、回復は不十分。
自転車で出町を往復。
夕には支払い。
なかなか先へ進めない感じ。

7月31日(日)

散乱状態だった部屋を片付ける。
見つからなかった桐箱も出てきた。
廊下の窓も、ひっかるものを整理し、何とか多めに開くようになる。
金曜は会社のバーベキューで約2週間ぶりに飲むことになる。
昨日は床屋、自転車の前輪タイヤの交換をその間にしてもらうよう頼む。
午後はキャッシュコーナーによってから、見舞い。
顔色は良かった。
帰宅後、配布物を配って回る。
太陽が出ているのに雨が降ってきた。
疲れが抜けないまま、支部展で引っかかり、研ぎ、塗り直してあった懸け子を少し研ぐ。
静岡炭で力を入れないように研ぐ。
夜はまた飲みながら、放送大学のCS放送を探したが、見つからない。
インターネットで番組を放送していたので、見ていた。
数ベクトルというので、集合的にとらえる感じだった。
高校の基礎的な話に思えたが、問題を出されたら多分解けないのだろう。
今日も疲れが抜けない感じだが、ろいろ研ぎの続きを静岡炭でする。
ろいろ炭で力を抜いて研ぐも、なかなか刷毛筋が消えてくれない。
クリスタル砥石#1500,#2000でごまかそうとしても少し残る感じ。
そのままモスリンで胴擦りをすると、はげてしまう。
今仕上げる必要は無いので、そのまま全体(朱塗り)を磨き上げる。
最初にはげた所以外ははげなかった。
かなり漆分を少なくしたので、摺りこみ・拭き切りをしておく。
それから片付け始め、夕方までかかる。
クロネコで配達情報を見ると、完了となっていた。
木曜夜に荷造りしていて、新聞を折り、捻ってクッション代わりにしていた。
2月19日のをたまたま使ったのだが、原子力の記事があった。

大震災・大津波の後では、思い上がりがあったことを示している。

7月18日(日)

昨夕の塗りは、朝光ったまま。
取り除いておいた湿り用のスポンジに水をたっぷり含ませて置く。
10時頃見ても湿度が55%ほどにしかなっていず、約1時間通電。
昼頃に見ると、やっと少し艶が落ち始めている程度。
また暫く通電し、2時頃見るとやっと艶が落ちていた。65%ほど。
それまで行ったり来たり、、、自転車の前輪から空気漏れ。
外のタイヤに穴が開いていて、チューブが擦り減っているためと気づく。
パンク修理をして、穴の開いている付近にの内側に、使っていない自転車のタイヤを切って当て、補強してみた。
パンクは収まったが、内側に当てたタイヤの段のところでガタンガタンとするようになる。
後輪に続いて、前輪も専門店に新しいタイヤにしてもらうしかないかも。
ホームセンターにはチューブは売っているが、タイヤは売ってない。
夕方頃から、静岡炭で研ぎ始める。
内側の乾きが不十分な感じだし、ところどころ乾いていない所もある。
ビンツケ油の跡が見えたり、、、アラビック糊で膜を作らなかった手抜きが分かる。
角がすでに透けている所などにつづくりも。

7月17日(日)

朝見ると、予想外に、もう昨日の朱・黒とも乾いていた。
あまり見るとショックを受けるだろうと、サッと見て縮みが無い感じなので、戸を閉める。
書類整理、申請書書きなどをしてから、サンダルなどを買いに行く。
錆び始めたタンクに塗る水性塗料と刷毛も買う。
平日の水分補給用のスポーツドリンク2L148円だったので4本買う。
偶然いとこに会い、話を聞く。
帰宅後、錆びているところなどにアイボリー色を塗る。
ファックスで支部関係の訃報が届く。
朝新聞で見ていたのは住所が違うし、別人かと思っていたのだが、、、
午後から、付くを外し、内側を静岡炭で研ぎ始める。
少しでも形直しができないかと、力を入れ気味に研いだが、結果は?
内側or裏側に黒を塗る。
エアコンはつけないまま、遅口を少し混ぜてみる。
内脇塗りに専用の斜め45度くらいに切り出してある刷毛を何年かぶりに使ってみる。
毛先のほうが少し乱れていて、境に筋が残るようになっていた。
刷毛は定期的に使うようにしないといけない。
ほとんど出品作に漆を塗るだけだから、そんな機会はないとしかいえないが、、、

7月16日(土)

昨晩の続きで、涼しい朝5時頃から静岡炭研ぎ。
睡眠不足で途中少し寝転んだりしたが、午後には漆塗りに入ることができた。
ロクロを使った暈し塗を付くに移してから見ると、縁からの位置がずれているのに気づく。
中心が合っていなかったためだろうが、手回しで直すことにした。
なかなか上手くいかず、どうなることか、、、
平日の労働に比べると、汗もかかず、水分不足も感じない日だった。
一応30数度で、漆塗りのために今年初のエアコン使用だったが、ゴミを取る掃除機と一緒に使ったことで、ブレーカーが落ち、途中からエアコンなしで塗る。

7月10日(日)

雨も降らない日に梅雨入り宣言、九州とは違い雨の余り降らない梅雨、昨日か一昨日かに梅雨明け宣言。
何年か吊っている簾を東側の窓に。
窓を開けられるよう隙間を作り(キャスターつきの整理棚を移動し)、何とか風が通るようになる。
名倉砥や静岡炭で研いでいる間はそんなに暑くは感じなかった。
戸を閉め切って漆塗りにかかったが、思ったより暑くないのでエアコンは今年未使用のまま。
陸上のアジア選手権をBSで横目に見ながらの作業。
平日の汗だらけになる労働に比べれば、暑さは気にならないくらいの日だった。

7月9日(土)

昨日は猛暑日らしく、11時半頃まで黒漆を塗っていたが、全く寝付かれず。
不眠状態のまま、塗る前に気づいていた凹みなどに錆。
自転車で眼科へ行くも、待ち時間が長い。
何回も読んでいる「うるしの話」で、期限内に仕上げることとか、剥がれないこととか、基本的なことの大切さを再確認。
目に電極を当て、視野が回復した例があるとのこと。
くも膜下出血で視野が狭くなった人に効果があったらしい。
色変でも試しているらしいが、まだ分からないようだ。
アクエリアスなどを買い、帰宅。
内側を研ぎ始めるが、疲れで暫く寝転ぶ。
名倉砥や静岡炭で研ぎ終えたあと、日本産漆で塗る。
昨晩までは1時間でかなり乾いていた(中国産)が、遅口をかなり混ぜた所為か、乾いていない。

7月3日(日)

昨年は月・水も休みが多かったようだが、今年は休みなし。
昨日も一日勤めで、思っていた溜塗の仕上げでは、全く仕上がる見込みが無いと気づく。
毎日数時間以上作業ができるなら、仕上げられるだろうが、、、
昨晩は黒塗り(その前に研ぎ)で、今日の午前0:45。
また不眠症気味で、だるいというより、辛い感じ。
キャッシュコーナーへ行く用など、雑用も多く、11時半頃よりやっと研ぎだす。
午後3時頃から1時間ほど来客。
研ぎ終え、朱を塗ってみる。

6月25日(土)

支部の漆芸部会研究会、豪雨と小雨が繰り返す中、開催された。
わざわざ輪島からお越しいただいたのに、出席者が少なかった。
自分を満足させるだけではなく、人にも訴えるものが無くてはならない。
食籠の素地を二つ並べるという事態にもなる。
懸け子の端を丸くして、引っかかりを防ぎながら、形を柔らかく見せるとか、、、
切合口のように仕上げるが、切合口とは違う方法をとっているとか、、、
持つ時に痛くないよう、僅かに角を落として仕上げているとか、、、
今の段階では、角にも甘い所があり、形の違いが目立つだけだが、仕上げに向かっていくにつれて、どうしようもない差になっていくとは予想できる。
自分の事に関しては、何故漆をしているのかという点が曖昧になり、スランプが続いているとは自覚している。
今の勤めになり、単なる肉体労働で消耗が激しい状態が続き、漆が続かない。
今日のため、午前1時半頃まで、研ぎ、中塗りをした。
その前の日々も、熟睡できないままだったが、今朝までも浅い眠りで、疲労感が抜けない。
それでも、3時まで図案を考えていたとか、4時まで仕事をしていたと聞くと、1時半では楽なほうなのかと思ったり、、、
夕方、耐えられず1時間ほど寝転んでいると、その後は何とか作業ができるようにはなった。
合口の幅揃えとかいろいろの作業を一度にすませた感じだが、上手くいっているかどうかは別。
時間がない時には、無駄をなくすよう考えるしかない。

6月19日(日)

セントウによると、月・火53キロ、水・木52キロ、金51キロ余り。1日に430円。
昨日は朝から地区の排水路の矩面に防草用シート張り作業に。
降雨で中止になり、昼寝後、やっと漆の仕事に取り掛かった。
合口(蓋・身)擦り合わせ研ぎ、懸け子と立ち上がり端の擦り合わせ研ぎ。
蓋と身の外形(特に入り隅)合わせのための研ぎ(ガムテープで固定)。
その他、外側をほぼ研ぎ、内側はさらさらと研ぎ、全体に灯油で薄めた生漆を吸わせ、布で拭き取る。
今日は、朝6時から宮の草刈。
午前中は、研ぎ不足の外側を研ぎこみ、かなり布が顔を出したまま、黒で中塗り。
午後から、また排水路のシート張りに出る。
夕、梅雨とは言ってもほとんど雨は降らないが、塗りのほうは乾いていた。
研ぎの悪い所が目立ったので、研ぎなおし、またかなり布が出る。
形直しと布目埋めに錆を見る。
以前は、一日を二日にして仕上げていたが、今の勤めになってから週に3,4日仕事をするという程度しか、作業は進まなくなっている。
この二日のシート張り作業をひどいといっている人がいたが、平日の勤めに比べると楽で仕方が無い程度。
漆で生きる道を見つけるしかないとはいえる。

6月12日(日)

平日にはセントウに寄る日が暫く続きそうで、更に時間がなくなる。
木曜に久し振りにパソコンをつけると、引越したとのメールがあった。
何やかやとあり、土曜日は疲れが抜けきらないままだった。
今朝はまた土曜夜の飲みすぎの影響が少し残った。
形を作るための研ぎをして、布をかなり研ぎ出してしまう。
午後から自転車でクロスランドへ。
別の行事で非常に混んでいたが、こちらは事務所へ。
市展の品を置いて、行きとは違う道を帰る。
また地研ぎの続きを、テレビをつけながらする。
昨日は北海道関係の人が3人優勝していたが、今日は多分1人だけ。
6時からはチャンネルを換え、ながら仕事を続けた。
自分の製品の悪い所を洗い出したり、どうしようもないという商品を使ってみて、何か一つでも良い所を見つけるようにするとか、、、
物語を作る。時間を区切る。
創造性という点で、似ている点が多いようだ。

6月5日(日)

支部展の片付けの日にアミカル会関係の写真を受け取ったのに忘れてきてしまう。
いろいろ迷惑をかけてしまったが、昨日、受付で受け取ることができた。
午後から、向かい風の中、自転車で石動駅へ。
高岡駅の信号故障で、特急列車が4本通るのを待って、18分遅れで金沢へ。
13:55の予定の列車だったが、予想外にすいていた。
駅前からは混んでいたが、武蔵のエムザへと歩く。
石川の伝統工芸展。
きちんとした仕事がしてあると思った。
坂sita先生がおいで、富山支部展に行ったとのこと。
懸け子がひっかかり、隙間ができていたと話す。
蓋と身だけなら合っているし、懸け子の外縁を研ぐと、嵌るようにはなった。

帰り道に百万石祭りを見学。
昨日はあまり漆の仕事をしなかったが、今日は研ぎをしていた。
入り隅の線を直線にするため、漆桶のプラスチックの押さえを2本並べてガイドの位置をきめ、入り隅に置いたのをはずし、小さい砥石で研いでいた。

全体を見ると、入り隅どころか、面の所も合っていないと最近気づいた。
入り隅をできるだけ合わせた状態で、面の所も合っている所をガムテープで固定し、研ぎ合わせることにしてみた。
直線の目安に鉛筆で直線を引き、それに合わせて小さい砥石で研いで見た。

これだけずれていたが、研ぎ合わせてみた。

かなり合うようになった。
全体のバランスを見ながら、ガムテープで固定する方法のほうが合わせやすいようだ。

5月28日(日)

行こうかどうか決められないまま、朝少し漆の作業をする。
曇りがちで、9時25分頃、今なら間に合うかもと自転車で砺波市美術館へ向かう。
市街地に入ってから何度か信号待ちになったが、着いたときもまだ会場に入る人がいた。
座ろうと見ると、世話をする感じの人が見え、例年と向きが左90度変わっていると気づく。
30周年記念とかで、開会が安念知恵子さんのソプラノで始まる。
合併前の砺波市の歌、カルメン、石川啄木の初恋と、マイク無しで歌声が響き渡った。
誰の作品かすぐ分かるのもある。モチーフが同じか、表現法が同じ。
日本画、洋画、彫刻、書、工芸、写真と見ていき、工芸あたりで、どこに作品があるか聞かれたり、、、
チケットでコーヒーを飲みながら、アミカルの3人で話していた。
今年は会場が変わるらしい。
Nさんが年金を早めにもらおうかと考えているとか、、、
4月に新館長になった方が、Nさんに誰か紹介してほしいとおい出る。
名刺を持っていたので渡し、それから皆で工芸の展示の所へ行く。
子供の頃漆にかぶれ、怖い感じを持っていると話される。
昔の紙に漆がついていて、文字が残っているとかいう話もされる。
そんな記事は何となく覚えているが、詳しくは思い出せなかった。
阿修羅像とか、乾漆の話も詳しそうだった。
Nさんの彫刻、気づかなかったので、また一緒に戻る。
いつものボリュームのある感じの作品が無く、気づかなかったと話していた。
アミカルで見るかわいいというか、暖かみのある作品を大きくした感じの作品だった。
自転車でまた帰る。
昼食後、刃物を研いだり、箆先をつけたりしてから、懸け子の修正にかかる。
すると新館長の名前がどこかで見た感じがしてきた。
出身校の校長の名のような気がし、同窓会報を取り出してみると、4年程前のに載っていた。

5月21日(土)22日(日)

無理を重ねていた気はしてはいたが、ゆっくりと砺波市美術館へと自転車を進めた。
若い頃から信号にあわせて、スピードを変える傾向にあったが、今日は止まれにあわせたい感じだった。
眼科に寄り、ホームセンターに寄り、帰宅。
昼食後、腹痛もあり、横になる。
2時間余り、熟睡とはいえないが、かなり回復。
叔母の所に記念誌をもって行き、2時間ほど過ごす。
帰宅後、排水路横の草刈をする羽目に。
漆の方は、朝少しと夕少しという感じでおわりという感じになる。
同じ会社に勤めている20歳とか30歳以上若い人が休日は疲れを取るためかなり寝ているということを聞く一方で、こちらは平日夜にさえ漆の作業を少しとはいえ続けている。
それでも作家的には妥協が多すぎると指摘されている感じを受ける。
結果がすべてというだけのことだろう。
蓋と身の合口に関しても、そこが面として仕上がっているというということだが、外から見てピタリとあっているだけでいいのでは、との思いはある。
それでも、となみ野美術展に持っていったのは、隙間の面では不十分だが、合口端の面仕上げに何とかしようという努力はした。
静岡炭で塗りなおす前にかなり研ぎこむ。
それでも研ぎ込み不足が気になった。
(22日)懸け子の形直しを少ししていると9時を過ぎていて、慌てて高岡市美術館へ向かう。
会館10分ほど過ぎていて、もうかなりの来客で、写真を撮ろうと思っていたのができなくなる。
雨が降っているせいで入場者が多いのかと思ったが、何時の間にか曇り空になっていても、ひきもきらずという感じで夕方まで続いた。
知っている人もかなり来たし、毎年見かける磯noさんは半日近く鑑賞されていた。
茶道具展の会場に行くと、水曜の新聞記事があり、昨日の茶会で使う予定のものが出ていたらしい。

タバコ盆の見立てとして、使われたらしい。
ピタリと蓋と身が合うように作ってあれば香合になるとのことだったと勘keiさんが言っていた。
物づくりのヒントになる話。

5月15日(日)

月曜に翌日の搬入の準備をしていて、懸け子が蓋の内に引っ掛かり気味と気づく。
ガタ直しに手間取り、何時の間にか縁が少し外に出る感じになっていたのだろう。
13日に始まった富山支部展の展示でも、欠陥のせいで合口が開いたようになっている。
揺すれば収まるとはいえ、無い方がましだったともいえる。
開会式前に美術館関係の招待客に支部50周年記念誌を配るところにいたが、写真も撮れということになる。

午前の研究会などに続き、午後からは講演会。
島崎石川県立美術館館長は、明治以降に純粋美術という考え方が西洋から入ったが、それまでの日本では、調度品とか使う道具の形で美的な世界があったというような講演をする。
パネルディスカッションで川北先生が、漆器を煮沸した湯の中に入れて壊れないものだけを売る店がある(山田・)とか、生木を煮沸するのは樹脂を抜いたり、狂いをなくすために必要だとか話される。
その後は、記念誌をまた受け取ったり、本部のホームページ関連への作業のために少し回ったり、、、
昨日は午後からデータを受け取りに行くついでに、列品解説を聞いたりしていた。
展示を見るのはそのときが初めてというくらいだから、忙しかったとはいえよう。
帰宅後、受け取ったデータを見ると、思っていたのとは違っていた。
美術館にまた連絡しようかとも思ったが、出品目録を全部自分で打ち込むことにした。
画像を添付してみると、大きすぎると気づき、縮小したり、、、
0時半頃までかかって、データを送信。
今朝パソコンをつけてみると、文字化けとか、解説文が必要とかのメールが来ていた。
漆をしようと思っていたのに、特殊な文字の説明とか読めない木の名前を美術館へ電話して聞いてみたり、、、木偏に旁の上が山で下が今という字は、トネリコとのこと。
受賞者リスト、受賞作の解説などもすべて自分で打ち込み、結局、文字の情報はすべて自分で作成し、送ったことになる。
午後からは、列品解説を聞き、それから研究会。
帰宅後、やっと小箱の塗をする。
ほんとに仕上がるのだろうか。

5月1日(日)

南風、後西風。一時的には吹き荒れる。
我が家で色づいているのは数本のチューリップの黄や赤のみ。
午前中、横風を受けてポストまで自転車で往復した以外は家の中にいた。
上塗りの終わった作品の蝋色研ぎを静岡炭で開始した。
ゴミだらけに近いので、かなり苦労をする。
入り隅という凹みにゴミがこびりついた感じなので、かなりやばそうな、、、
内側も予想外にゴミが目立つが、たぶんそのままになりそう。
黒なので粘りが出ていて、思うように流れてくれなかったが、艶だけはよい。

昨日は美術館での支部展関係の作業の後、展示会場に行く。
絵画を見ていったが、作品を見る前に作者名が目に入ってしまい、見た瞬間の感想がなくなる。
今までのような荒々しいタッチではなく、緑の変化が細かめに表現されていた。
題は「碧」で、紺碧の海などというから青っぽい感じを指す字かと思っていたが、緑的らしい。
抽象的な画面なので、自分勝手にイメージしたのは、山の方から谷間を流れていく川とか滝が見え、外先遠くに平野が明るい感じで見えるような景色。
左下から右上にかけて動きがある感じの絵だった。
後は工芸、写真、書などを見てから、ロビーで彫刻。

今夕の白熱教室は、スタンフォードのブレイン・ストーミングの第1回だった。
頭がなかなかついていけないが、広すぎず狭すぎないテーマを決める。
立って行う、小道具もイメージを膨らます、メモを全部取る。
人数も数人、いろいろの立場からの意見。
とっぴな意見とか実現可能かを考えない意見も大切。
人の意見を聞き、yes ,and と意見を広がるようにすべきで、yes ,butは駄目とのこと。
テーマを中心に関連が分かりやすくなるようにまとめる工夫も役に立つが、方法を自分たちで見つけていくことも大切とのこと。
漆のある生活などに関して、どうテーマを立てられるかがまず問題になるだろう。

4月29日(金)

この前の日曜夕から腹痛、食事もとらず、結局、寝た。
そのまま昨日まで小食、ひどい二日酔いよりは楽だったので、肉体労働は何とかなった。
漆の作業は、小箱の合口合わせをしていたぐらい。
簡単なはずなのに、隙間が残り続け、どうすればよいかと悩んでいた。
出品作の食籠の場合は、基本的に蓋と身(立ち上がりをつける前)それぞれ擦りガラス上で水平を作っておく。
蓋は問題ないが、身は立ち上がりをつける作業で、合口端に下地がついたり、刃物で削ってしまったりと、いつの間にか水平が無くなっていく。
その合わせ方は、蓋の端を定規に、身の端を擦り合わせ研ぎを繰り返すことで行っている。
小箱は、同じ作業をしても、隙間が残り続ける。
何故そうなるのか分からないが、楕円形の端をすりガラスで研いでも、水平になりにくい。
長径側と同じ方向に研ぐ時だけ、何とか水平が出る。
擦り合わせ研ぎをしても、思うように合わさっていかない。
蓋の方は、研ぎ方さえ気をつければ水平が出る。
1.身の端に錆地をつけて、蓋を押し付けてみたりしたが、蓋にも錆がついてしまったり、、、
2.錆の上に薄い和紙片を並べてから、蓋を押してみた。
翌日和紙を取ると、水洗いでなくなったり、余計に段がついた。
3.錆の上に地の粉を蒔いてはどうかとやってみると、今度は蓋に余り錆を移ってこない。
2回繰り返すと、地の粉が錆に埋まった黒っぽい所が増え、何とかなりそうな感じ。
白っぽいのが山科地の粉。
4.築地さんのブログに載っていた方法だが、同じ道具を持っていないので、卓上万力に水平を保つために木片をつけてみた。

身の合口端に錆地を渡し、万力の左につけたアクリル板を定規に高さを一定に作る。
円柱を立てて、水平面でどこかを切るとき、底と平行な面の時、円になる。
切り取り方が少しでも斜めになれば、そこにできるのは楕円になる。
この方法は、円柱に発生する問題に類比すれば、底面と合口端面が平行になるようにすることになる。
つまり、正確な形を作るのに適している方法といえる。
結論としては、3.と4.が使えると言えそう。
3.の方法は波形の合口などを作ろうとすれば、役立つのでは?

今日は、葬儀(託児所・小学校・中学校の同級の人の叔父に当たる人)、証書配り(役割の)、上塗り(内側の)。
夕、支部展の招待券を届けに行くと、中学の同級の人が高岡の市展で大賞だったとのこと。
明日は美術館に行かねばならない日なので、何とか鑑賞できそう。

4月24日(日)

画集を見ているだけでは気づかなかったが、手を動かしていると目に入ってきた。
観にはいけなかったが、子供に画集だけを買ってもらっていた「興福寺創建1300年記念 国宝 阿修羅展」(東博)。
いろいろな角度からの写真が載っていて、実物を見ても見えないだろう部分が見える。
肩付近にどう見ても木片を思えるものが見える。

中の粘土を取り除いた後、入れ直したらしい(そうではない説もあるらしいが)心木にしては、あまりにもピタリとしすぎているのが気になった。
今日、p121のコラムに「衣文の盛り上げには木片を用いて厚みをつけ」云々とあるのを読む。
麻布は5枚ほどで、厚み6ミリほどとの記述もある。
五部浄像残欠では、厚みのある目の粗めの麻布がはっきりと見える。

布目もきちんと埋められている(たぶん木クソ漆で)。
今、自分たちが作っている乾漆作品のような目の細かい麻布(まだ無かったのかもしれないが)を使ってはいなかったから、1メートル50センチ以上のものを5枚の麻布で作ることができたのだろう。
素地の狂いの面と複雑な形による布の浮きの面で、それを防ぐためには厚く目の粗めほうが適しているとはいえる。

昨日は、1週間前にした上塗りに小さい縮みが少し発生していたのを塗りなおす。
静岡炭で研ぎつぶれるくらい(破れはしない程度)の縮みが、平面部分に発生していた。
その後、形を揃える定規を薄いアクリル板で作ろうとしたが、内側のカーブを写すことができない。
外側は基準にしようと思う(見た目にきれいにできている)辺に沿って線をアクリル板に写すことはできる。
漆を塗ってアクリル板を当てて写すのは、手が汚れるし、、、
チタン白を水で溶いて端に薄く渡し、それをアクリル板に写せばとやってみた。

まだ作り上げていないが、何とかなりそう。

今日は、支部展関係に宛名を書いていた。
住所録を作っていない人がかなりいて、バラバラにある住所録とか、電話番号、住宅地図を調べたりと、時間ばかりが過ぎていった。
今後のためにと、パソコンに追加し、印刷して使えるようにした。

4月10日(日)

人間の生き方として、原発が絶対安全だと言い張るのとか、危険性を指摘していたとか、いろいろある。
浄土真宗的には絶対安全と言っていた方が、誤りへの反省が強くなりうる可能性が高い。。
危険性を指摘すれば責任は無いにしても、無力だったとの自覚が残り、モヤモヤしたままになる。
曖昧に生きてきた方が、結局、宗教的には救われないままになるだけ。
土曜日は、午前中に支部展のポスターの掲示を3箇所に頼んで回る。
昼寝をしてから、朱を練ったりしていた。
今日は午後から総会があるので、午前中から研ぎなど。
公民館によってから、高岡へ。古城公園の通りの桜は咲いてはいたが、これからというところで、道路は混んでいなかった。
今は庭になっている、45年前に入学した頃にあった建物を思い出したりしてみた。
早く着きすぎ、青井アナの祖父の寄付で作った美術館に入る。
昔の卒業制作という掛け軸になっている日本画はレベルが高かった。。
少し電器店で時間を過ごしてから帰宅、少し研ぎ、黒漆塗り。
7日の読売新聞に漆を続けられるかもと感じさせる記事があった。

4月3日(日)

休みが今日だけという一週間だった。
普通なら7日間に必要な作業ができ、作品も順調に完成に近づくことになるのだろうが、今の状態は必要な作業をする時間がないと言うか、体力が無いと言うか、無理がきかない。
漆の作業は、遅々として進まないで、日付だけが7日過ぎてしまっている感じ。
今日は午前中、タイヤ交換、銀行にお金を下ろしに行くなど。
午後からは美術館へ会合に。
帰宅後、皮が張ってひどい状態の黒漆を布で漉してかかる。
灯油で薄め、少し粘りを取ってから、紙で漉し、黒漆塗り。
縮まないと分かる塗りにはなった。
懸け子の、懸かりの外縁からの位置や形を揃えるための定規を作る。
2週間前に買った、どの方向にも切れる糸鋸を使ってみる。

前に日曜美術館だったかで北村先生が、貝の隅が丸くなるように切る鋸が針金をところどころ叩いてギザギザをつけているミャンマーだったか(?)ので可能だと知ったと言う放送があったが、これは螺旋状に刃がつけてあり、発想の出発点としては似ている気がする。
子供が遠くに行かなければならなくなるらしい話もあり、生活がどうなるか、、、
証明できない公理から出発する数学や絶対神とは違い、科学というものは条件が同じなら再現できるというだけで、条件が出揃っているなんてことは証明されえないものである。
福島の放射能の放出事故が想定外という意味は、そういう科学の限界を示しているのだろう。
危ないという可能性を指摘していたとか、今までに無い大津波がくる可能性をある作家が予想していたとかいう記事が出てくるが、ピントがずれている感じがする。

3月26日(土)27日(日)

昨晩の帰宅は、いつもの通りと言う感じの9時過ぎ。
飲んだまま、届いていたゲラ刷りを読んで、0:40am頃になっていた。
今朝も睡眠不足のまま、ゲラ刷りの校正を続け、昼過ぎになって200ページ余りを見終えた。
読んでいるともいえるが、感じているともいえる。
難病にかかっているらしいので視野が思いもしない所で失われているらしいが、若い時ほどではないにしても、何となく変だと感じるところがいろいろあった。
感覚は衰えているのははっきり分かるが、変だと感じるのは直感的である。
何に関することかは、支部のことと言うしかない。
事実関係とか、日時の詳細は、感覚では分からないので、調べ直してはいない。
午後はその報告と言う感じで、2時間あまりかかってメール作成。。
叔母の所へ行き、2階建ての家の屋根の2倍以上の高さの津波が来たらしいことを話したり、、、
話はしなかったが、東日本で地震があっても富山県が余り揺れないのは、北アルプスの下にマグマの層があり、それが揺れを吸収するからだとラジオで富大教授が言っていた。
蛍光灯ランプがちかちかし出したので、買いに行く。
肩を叩く人がいて、見るとnomuraさんだった。
大学と専門学校、二人の子が同時になったらしい。
同じ年でも、子供の年齢は大分違う。
帰宅後、漆を少し塗っただけ。

(27日)午前中は江浚い。最初は晴れていたのに、終わり頃には雪が舞ったり、、、
帰ると、江波の人たちも終わったところだった。
市の名前は違っても、親戚やら顔見知りやらとたくさんいる。
たまっていた書類を整理するのに1時間ほど。
昼寝少々、届いていた会報を読んだり、、、
漆を使ったものづくりをいろいろ工夫しているようだが、一人でしているのではないところが自分のやっている世界とは大違いと感じた。
実際、一人でやっていても、何も開けてはこない。
明日からまた9時過ぎの帰宅が続くような状態になるだけ。
何かを作り始めるべきだとは感じ始めた。

3月21日(月)

大津波の凄まじさの中、昨夕に祖母と孫が9日ぶりに救出されたニュース。
生命力と脆さ、人それぞれで人生はどうなるか分からない。
羊蹄会でも一人連絡の取れない人がいるそうだ。
久し振りの3連休で、土曜日は地区の環境事業に参加。
昨日は、主に地研ぎ。夜にミニ集会。
今日は、主に漆塗り。
昼に、土曜に柄を折らしてしまった角スコップを買いに外出。
JISマーク付のは良さそうには見えたが、必要ないので安い方を買う。
方向を選ばない鋸があったので、ついでに買う。
以前、テレビショッピングでやっていた感じのを安っぽくしたようなのだったが、金切りの糸鋸を売っていないようになったので、代用にならないかと考えた。

3月13日(日)

金曜の夕に、東*とか神戸の地震とか、よく聞こえなかったが、地震があったらしい話を聞いた。
9時過ぎの帰りの車の中で、東北地方で大地震があり、東京では地下鉄が動き出したとかいうニュースを聞いた。
帰り道は道路を白いものが覆い、窓には大粒の雪がむかってきて、どこが道路か分からないくらいで、右側通行をしていたり、20キロぐらいで進んでも、何度もブレーキを踏んだり、、、
帰宅後、テレビをつけると大地震と大津波で甚大な被害状況が放映されていた。
子供に電話するも、最初は繋がらなかった。
自転車なので帰宅していたが、道路は混んでいたとのこと。
ビルが揺れてぶつかるのではないかと思えるように見えたそうだ。
昨日、今日と被害状況が分かるにつれて、行方・安否不明の人々が1万人ではすまないらしい。
岩手出身が3人いたし、従兄弟の奥さんが仙台郊外出身だし、、、
M9.0に変更になったが、0.2違いで2倍、1.0違いは2の5乗で32倍の大きさになるらしい。
原発も炉心溶融など、全てが想定外。
100年に一度の災害に耐えるものを作っても、それが100年後にやってくるなら、その頃には耐久性は十分ではなくなっているかもしれない。
自然の力は測り知れない。
一人一人の人生がありながら、大津波に呑み込まれ、時代が数十年経ったような錯覚に襲われる。

必要以外は外出せず、漆の作業をこの2日間していた。
今まではヤスリと目の粗いペーパーで空研ぎしたりしていたが、ほとんど使っていなかったハンドルーターで削ってみた。
素地の修正には予想以上に役立った。

3月6日(日)

ほぼ2週間、パソコンに触れなかった。
平日には、遅い帰宅でも漆をし、睡眠時間を6時間ほどにしていた。
一週間前は、土曜も半日仕事、日曜は支部展関係で美術館に一日近くいた。
la salle de bain のけんはつぶされてしまいやるきにもならない。
そんなこんなで漆の方は、紐胎杯の製作以外は、全面的に2週間停止状態だった。
紐胎杯の素地の柔らかいというか、弾力性が残るものに端付近に亀裂が発生。
以前にもあったことがあるが、端幅を揃えようと下地で作ったことが原因だろう。
端の内側付近に、麻糸を貼ってみたが、数個分が上手くいっただけで、残りは剥がれてきた。
そっちの方は、刻苧で補修した。
一個は、端の内側付近にラミー紐を貼ってみる。
それらを下地や錆で被い、その付近に朱塗り、透き漆塗り2回。
外側が汚れてしまい、結局、17個全部の上塗りをしなおす。
8時台に帰宅できた日に、裏底に何のための品か分かるように朱で書く。
昨日は内側と端を3Mのmediumなどで研いでから、透き漆で上塗り。
乾いて完成となる。

昨日は、眼科へ行く。左眼は、矯正視力があまりよくなくなっていた。
その前日に横吊りのL型の鉄柱にまったくきづかないままぶつかったきず。
1センチずれていたらほおぼねにきれつがはしっていたかもしれない。
いまのところうんがよいとしかいいようがない。
銀行によってから、記念誌の校正担当部分を届けにいく。
自分の説明文が、部会が違うのに、何故か吹き分けになっていたり、、、
原稿自体がおかしいと思うのもかなりあったし、、、
飲んだ後に校正作業を2種類したので、抜けている所があるかもしれないとは言っておいた。
今日は地区の役の仕事で、包んだり、必要事項の印刷をしたりしてから、自転車で回る。
田圃にはまだかなり雪が残っているが、道路には残っていない。
紐胎杯につける添付文の印刷や切り取り。
午後からは、桐箱の箱書きを16個。落款。
最初のを上下逆に押し、急いでやりなおしたり、、、

ずっとファンヒーターの前で熱処理していた、雌型から作った素地用の懸け子を石膏原型から外す。
麻布7枚貼りだから狂うはずが無いと、すぐ身の立ち上がり端に合うように削り始めた。
大きくは金切り鋏、それから切り出し、空研ぎで、何とか蓋が大体嵌るように調整。
問題は、厚みがありすぎ、見た目の厚ぼったさをどうするかにあるだろう。

2月20日(日)

週5日に戻っただけでなく、帰宅が早くて9:05pm、遅い時は10:20pm。
それが収入に反映するわけでもない。
帰宅後、意地で漆をするので、かなりふらつく。
金曜深夜にした紐胎杯の透き漆塗りで、またも小さい縮み発生。
また仕上がるかどうか、危なくなってきた。
昨日は、桐箱を受け取りに行く。第1・3土曜は営業するとのこと。
帰宅後、葬儀へ。
帰宅後、輪島へ出かける。
氷見北インターから海岸沿いで、約2時間20分。
漆芸展を見る。
日本画を感じさせる作品は良かった。
自分の発言で「日本画の真似の感じ」と言うのは悪口だが、漆の表現になっていた。
抹茶のサービスがあった。
漆店へ寄ると、「富山でしたね」と言われる。
年に1回生漆を買うだけなのに。

帰り、黒っぽい能登の山の上に、3000メートル級の立山連峰が薄く、白い山並みを見せていた。
この週は、近所で4回不幸が続く異常さ。
最後は同級生で、11月に定年退職し、医者に行くと末期癌だったとのこと。
病気のことはしらされていなかったらしい話を弔いに行くとお母さんがしてくれた。
たぶんまだ心が現実に対応できていないのだろう。

2月13日(日)

寒風を背に受けて歩いていくも、車輪のあとが出かけていると感じさせ、更に進むとトラックも無かった。
そのまま散歩を続けると、川沿いの道が全く除雪されていないことに気づく。
その内、西の方の山の半分を白く隠していた雲(?)がだんだんと広がり、雪が降り出した。
スロージョギングで残り道を帰る。
紐胎杯の塗りを3日連続できたので、仕上がらないかと恐れていたが、何とかなりそうな感じ。
ファンヒーターの前に漆桶を置き、漆を緩くしてから塗るので、塗り斑とか厚過ぎを防ぐことが出来る。
夕に来てくれ、見積もりをしてもらうことにする。
まだ問題は残るが、ふろのほうがすすみだすかんじになる。

2月12日(土)

今日も昼過ぎまでは薄曇気味。
la salle de bain の件で回ったり、、、
昨日塗った紐胎杯の内側をヤスリで研ぐ。
外側をどう研ぐというか、艶消しをするかで考える。
ボンスターを売っている店が見当たらなくなった。
似た感じのに洗剤が塗りこめられているのはあったが、洗剤を洗い流すと、錆びて使い物にならなかった。
以前あったボンスターより少し固めの艶消しの似たのも見つからない。
動物の毛を撫でる金ブラシ(西ドイツ製)を使ってはいるが、なかなか艶が消えてくれない。
前から持っていたサンドボールを使ってみることにした。
以前使ってみた時は、紐状に何本かで艶消ししただけだったが、今日は袋から全部取り出し、ひと塊で使ってみた。
予想外に柔らかく当たり、艶も楽に消えてくれた。
内側も研ぎ直すと、ムラ無く艶が消えた。

2月11日(金)

日本全国(?)とは違い、今日は晴れ気味だった。
積雪の方は随分減った。
飲み始めると止まらない、、、
最近は二日酔いというひどい症状にはならないが、肝臓が丈夫になったわけでもないような、、、?
先週は土曜の午前まで勤め、今週も昨日まで休み無く、帰宅は早めで8時半過ぎで済んだのが多かったのが救い。
漆的に新しいことと言うのはなかなか出てこないだろう。
砂田的には、乾漆誕生の私見とか注ぎ口からの裏漏れ(ゆっくりと注ぎ止めた時の)の解消とか、世の中の誰一人、何の値もないと言う以外の対応をしたことがないことが、本当に歴史的に何の意味の無いことの証左?との疑念を感じざるを得ない。
敗北者的に言えば、偉そうな面をしているが、歴史的にどんな意味があるのか?と思うことがほとんどだ。
自分自身に関しては、たいていのことはそれなりにこなしてはいくが、どれをとっても一流ではないということがいえるだろう。
と言っても、学力的には、平均的に各教科をこなせたというのとは大違いで、出来不出来が極端に違う状態だった。
小学校以来のことなので、甘く考えれば、思い付きがポッと出てくるテンサイハダ?

2月6日(日)

昨日というか、今朝というか、外で飲む予定がこれで終わる。
山中温泉の湯畑など。jeunes fillesもみかけた。
昼に戻ると、晴れていたので、歩いて帰る。
bainに関しては相変わらず確定しないが、妥協しないことに決めているので、そう進める。

朱塗りの乾きが悪すぎた反省で、透き漆を少し混ぜ、金曜夜に紐胎杯の外側に塗る。
今日の午後には乾いていた。
時間的には追い詰められているが、異常な世界に敗走する訳にはいかない。
漆とは何なのか?

2月2日(水)

思い違いでなければ、今年になって初めて朝から晴れた気がする。
月曜朝には1mを超える積雪になり、道路も除雪してあるとはいえ、ガタガタ。
今朝も冷え込み、ガタガタ道が続いていた。

帰りは多少道路状態が良くなったが、30キロ余りのスピードで帰る。
昨晩なんかは、霧がひどく、歩行者でもいようものならどうなるかと思う凍結道路だった。
普段は嫌な対向車がありがたいと思った、光が届くので。
漆のほうは、乾きが悪く、せっかく早めに帰宅できた今日はあまるすることがなかった。
ミニファンヒーターで温度を上げる所為か、湿度が全く上がらない。
今晩は、加湿シートだけで何とか日曜に塗った朱を乾かそうとしている。
この前の日曜夕で、外で飲むのも後1回になる。
昨日と今日を除けば、異常に遅い帰宅が続いているが、それに生活法を合わせるのは止めた。
時間的には1時間半程度だろうが、兎に角11時頃になっても漆の作業をすることにしている。
体がつぶれた時はその時だと思うことにして約2週間。

1月29日(土)

言葉で降り続く雪を表現すべきなのだろうが、積雪量の変化が余り感じられないながら、積雪が増えている状態。
約1週間ぶりにパソコンを立ち上げたが、漆の仕事の方は進んでいない。
休みがなかったし、いろいろあって勤め先の方の終業が9時頃が当たり前と言う異常な雰囲気。
漆をしたいということと、生活源を漆にしたいということは厳密には対応しない。
商売向きではないので、生活のことは考えないことにしている。
bainの件も異常なカンカクのヒトのせいでていたいしている。

今までは紐胎杯の塗りは5分か6分刷毛でしていたが、今日は8分刷毛でしてみた。
刷毛のずらしを五分刷毛と同じくらいにしてみると、ムラ均しがより多く行えると気づく。
冬は熱で漆を柔らかくして塗るしかない。

個人的な感想は、経験的に人生の無駄だと思うので、余り書かないことにしている。
砂田正博的に「正義」と「被害者面」を信用しないとだけは言っておく。

1月23日(日)

積雪的には大したことはないが、毎日ひたすら降り続ける雪。
太陽が顔を出すことがこんなに少ない年はないくらい。
今日で外で飲むのが、後2回になる。
昨日の日中は、風呂の水抜けで、作り直すかどうかへの対応で見学など。
夕からは新年会と、全く漆をできなかった。
校正をしてほしいというCDが全く読み込めないし、、、

17日でちょうど1年たったことになる。
正常な判断力があったのか今となっては不明としかいえないが、ヴィをmauvaiseと見做さざるを得なくなったことの意味は何なのだろう。
cruelというしかない。
ジュスティス病なら全く別の人生がありえただろう。
自分はどう歩んでゆくのだろうか?

1月10日(月)

窓の外が明るくなると、外に出てみたくなる。
葉の上などに、雪の結晶のようなのが見えたりする。
漆のほうは、寒さの所為で乾きが悪い。
温度は何とか上がっても、湿度の方が思うようになりにくい。
土曜日は、昼頃から新年会。
夕方帰宅のつもりが、付き合う羽目になり、半ば眠り始めかかった頃、迎えに来てもらう。
日曜は、朝から普通に食事は取れる状態だったが、一日中、何となくけだるかった。
夜になると、また飲む。
これからもまだ4回ほど外で飲む機会がありそうな感じ。
酒に絡んで、自損事故だけでも、骨折1回、眼鏡破損2回、それ以外にも数々の、、、
昨晩は、立山3合といいとも少々だったので、全く残らなかった。
作品に関しては、相変わらず、素地を見ながら考える方式(改変を重ねる)という非合理的なやり方が改まらないので、なかなか進まないし、どんどん重くなる。
一日中漆をしていれば、もう少し色んなことができるとは思うが、サボりたくなるし、、、

1月3日(月)

駅伝のテレビをつけながら、紐胎杯の作業をした。
天気予報がまた外れ、途中から青空が広がった。
神社の片付けの後は、そのままの帰宅になる。
1年余り前に五箇山和紙に墨で主に書き、朱と紺は漆で書いた御簾の掛け方が年末に見つからず、今日も見当たらなかった。
前回の班長の時に墨で書いた幣殿の飾り方(位置)のも、戸棚ではない所にあった。
資料を大切にしないで、どうして伝承できるのだろうと、感覚を疑う。
帰宅後、食籠の入り隅の研ぎができた。
相変わらずだが、非効率的な仕事をしていると我ながら思う。

1月2日(日)

思い出せば、30年ほど前は同級生が何人も集まっていたが、今は来客は無い。
出かけることも無いので、必要だという作品の写真を撮ったりしていた。
年末のプロの撮影はストロボをたかないが、こちらは赤め補正で撮影。
天気予報が全く外れ、曇りから晴れになり、部屋の中も暖かくなった。
駅伝をテレビで見ながら、今日の事ながら何をしていたか思い出せない。
5区の山登りは3年連続、驚異的な強さ。
脚力と心肺機能が特別に強いのだろう。
と言うか、足への酸素とか何かの補給が上手くいく身体構造なのだろう。
休みの続く今しか漆をする時間が取れないから、乾漆食籠の蓋と身の合わせ研ぎ。
作図にあわせて、入り隅の位置をチェックしてかかる。
夜はまた飲む。
明日は神社の片付けの後、また飲むはずだから、5日連続となりそう。
漆を始めてから、こんなに続けて飲むのは、正月ぐらいだろう。
テレビも余り見ないし、正月と感じることもほとんどないが。

1月1日(土)

昨晩から長岡神社の大祓い、午前0時からの元始祭と続き、帰宅は2:30amほど。
7時過ぎには目が覚め、写仏、、、
年賀状が届いたが、こちらが出したのは早くて3日か4日に届くだけと思うので、多すぎる感じ。
出していなかったのを郵便局に投函してから、倶利伽羅不動尊へ。
雨が雪に変わっていった。
帰宅後、漆の仕事に取り掛かる。
途中、疲れが出て、ファンヒーターの前で寝転んだり。
熱湯注ぎで失敗があったが、雌型に麻縄を貼る試みをしてみる。
以前も、高台付近の修正に、下地に麻紐・縄を埋め込むことをしていたが、それを踏襲する。
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