《漆の話へ》
《2001年版へ》 《2002年版へ》 《2003年版へ》 《2004年版へ》 《2005年版へ》
《2006年版へ》
《2007年版へ》
《2008年版へ》
《2009年版へ》
《2010年版へ》《2011年版へ》《2012年版へ》《2014年版へ》
12月30日(月)
石膏原型に麻布貼りをしている。
布片に切り分けたのを順に貼っていると、次の布片を貼る目の位置で斜めから見ることになり、前に貼ったのが少し膨らんでいるのに気づくことがあった。
貼り直したが、それでも翌日空研ぎすると、軽い音がすることがある。
刃物の先で突いてだいたい取り除く。
休みになった昨日今日と半日ほど素地の仕事をした。
買い物に行ったり、今日は天神様を出したり神棚を掃除したり、、、、
この前政治的な神社のことでコメノクニのシツボウ発言にかなり動揺しているらしい。
国のためということは、共通して肯定されているが、本当にそうだろうか。
戦場(最前線)にいなかった者に共通する感覚に過ぎない。
殺し合いをさせられた者は、国なんか関係なく、戦争はしてはいけないと言う。
「チボー家の人々」でも、フォンタナン夫人は、負傷兵を何とか早く治し、戦線へ戻そうと努めていた。
ジャックのインターナショナルも無力だったが、何故だろうか。
国という宗教的な精神に支えられているものは、相対的なものに過ぎないのに絶対的であるかのように妄信することで成り立っているのかもしれない。
数学で、マイナス×マイナスをプラスとするのは、別に根拠は無い、約束に過ぎないそうだ。
そういう前提で成り立っているが、その中での世界は絶対であるのだろう。
全く分からない世界ではあるが、ユークリッド幾何学も非ユークリッド幾何学も、前提となる定理から出発するから、それぞれ絶対的な世界なのだろう。
正義なんてものはそれぞれの立場でいろいろある相対的なものに過ぎない。
数学のように出発点を定義する世界とは、生活から出発する精神世界は違うのだろう。
国でも何でも、当然の前提というか、絶対はありえないとのが生きる立場だ。
12月22日(日)
昨晩は飲んだ後、麻布を平地に貼る。
今日は、外縁に麻布を貼る。
外貼りは5枚、内貼りは10枚以上に切り分ける。
昨日一度届いたという漆を受け取りに行く。
黒いボタンを押せばよいといわれてもどこにあるか分からなかった。
判子を押す時も上下逆と気付かなかった。
老化と劣化が同時に進行している感じだった。
頒布依頼をした返事で一週間で無くなっているのがあり、返信。
どれだけ、何時届くかの案内が無く、受け取って初めて何が届いたか分かった状態。
今までに比べて納得できると感じたから、注文が殺到したのだろう。
12月21日(土)
今日も一日仕事に行き、体力消耗。
帰宅すると、来ていたが、風呂に長く入り、髭を剃ってから相手をする。
一週間、風邪で声が出なかったり、変声したり、、、限度内の労働なら普通にこなせる状態が続いていた。今も治ってはいない。
石膏に下地付けを続けていた。
自称公正の権化、ヨミウリに珍しく有益な記事が載っていた。
普段は、今日のシャセツの如く、まことにセイギの味方。
今後も原発を続ければ、100年、200年、300年、、、核廃棄物の蓄積を拡大をし続け、その処理は後世に委ねるということは、放射能に対応できるDNAを獲得できた者のみが将来の人類になるという主張と言わざるを得ない。
12月15日(日)
金曜朝の新聞で後藤先生の逝去を知る。
当日は会社の忘年会、どちらにしても夜の運転はほとんど無理だから通夜は行かず。
昨日の葬儀に行く途中も、声をかけてもらったことなどを思い出していた。
40歳頃、たまたま2年続けて「高岡の技」展で賞をもらっただけで、どこの馬の骨かも分からないものに、漆を誰に習った?乾漆は誰に習った?・・・
漆は内島さんだが、乾漆は誰にも習っていないと答えると、それでは駄目だから訪ねてきなさい・・・
人生でこの機会を逃したら、二度とチャンスは無いだろうと勇気を出して後日電話をした。
最初は誰か分からないようだったが、来なさいということになり、初めて引き箆なんかがあると知る。
それから全く無縁だと思っていた伝統工芸展へと進みだすことになった。
式場では知っている人は4人ほどに会っただけで、通夜のことはわからないが、、、?
年齢的に作品が作れないことで退会されていたので、最後にお会いしたのは、支部の50周年記念誌をお宅に届けた時である。
ご冥福を祈りますと共に、自分としても動き出さないといけないと思う。
今日の午前は、昨夕の祝いの餅を親戚に配り、そのまま高岡市美術館地下駐車場へ。
暗くてライトをつけたが、ほとんど見えず、ゆるゆる進み、何とか広く空いているところにとめる。
工芸高校の青井記念館美術館の「南砺の五人 継承と挑戦」展へ。
正面の作品のあと、仏像などを見ながら進むと、展示コーナー。
小原さんと会う。
すっきりした線の作品が若さなのかもしれないと感じた。
札幌という地名も気になってはいた。
帰宅後、糊漆を作り、蚊帳に包んで、大きい箆2本で絞って漉す。
錆だと、不乾の恐れがあるので、最初に下地と付けた。
寒いし、10年ほどの画像がどこにどうあるのか滅茶苦茶になっていたので、整理しだす。
数時間かかり、2002年から、年度別にフォルダに纏めることができた。
外付けHDDでの作業で、何度も保存のし直しというか、繰り返していて、同じようなのばかりになっていたので、かなり消す。
40ギガほど削除したが、保存忘れの恐れもあるので、不要と思っても少し残しては置く。
これで調べたいと思えば、秩序正しく探すことができるはずだが、、、?
12月8日(日)
石膏原型はまだファンヒーターの前において水分抜きの続きのまま。
子供用の油粘土をこねて形を作ったりしていて、結局、型は全く作らず、見た目だけで小さいものを作り、石膏に置き換えた。
今日はそれを削って、見た目だけで修正をする。
外輪山のような、、、?
パソコンの方は相変わらず、構成がどうのこうの繰り返し。
昼頃から晴れだしたので、軽四のタイヤをスタッドレスに交換。
風邪気味だった画像をパソコンに取り込んだり、、、
石動へ行く。今日まで1割引きとか。はがきも110枚買う。
国でも家でもいろいろあるらしい話を聞いたり、、、
生きたまま(自分が?)死んでいると思うとか何とか、生き方の話。
雲の上に剣や立山。
明日まで晴れで、その後は北陸の暗い冬に戻るようだ。
漆を塗っていなかったので、少し研ぎ足してから、小皿や杯や椀に白漆を塗る。
内紐張りの椀に、酸化チタン(2種)と胡粉を後から蒔いて見たが、乾漆粉と違い凹凸は出ないし、どうなることか?
12月1日(日)
木曜夜にはフロントガラスのワイパー付近に雪が積もっていた。
翌金曜は小雪や霰混じり。
帰宅後、翌日またぎでエクセルで集計表を、趣味の感じで作っていた。
単純にいえば、レシプロの塗料使用量の1m当りの結果が自動的に表示され(計算され)、IF関数などで不要な0が出ないようにするだけだが、3機あるし、少し計算法を変える必要があるのもあり、昨夜までいろいろ修正を繰り返す。
8年前ほどの講習で身についていた操作能力はない(エクセルなんて使うことがほとんど無かったので)から苦労しただけとは言える。
CDへのコピーも昨夜はディレクトリー名がおかしいとか出て、今日やり直す。
パソコンが休憩していたからか、コピー内容が表示されるようになる。
プログラムの構成が上手くいかないとの繰り返しも続いている。
先週の日曜日は午前中、寺の行き囲い、午後は勤め先。
何とか、石膏雌型取りまで済ませた。
翌月曜夜に3個に割り、石膏雄型を取り出し、また雌型をくっ付け直す。
その翌晩に継ぎ目を埋めたり、、、と、少しずつ修正を加えていく。
昨日は送り返されてきたのを受け取りに出かけたり、チャリティの品を送りに出かけたり、、、
今日は昼下がりからやっと、ファンヒーターの前に置いて水分を抜いている石膏原型をヤスリで、また修正するという作業に取り掛かる。
漆の作業が少なすぎるのを何とかしなければならないが、新しいデザインも出てこないし、作りかけの作品の仕上げまでのイメージも出てこない。
送り返されたのを見た第一印象は、目立たない、つまり主になるものが見えないというものだった。
一番拘った線の交差が斜め上からは見えない。
その他は元々分かっていた内側の欠陥など。
晴れた昨日、稲葉山に白いものが見えた。
11月16日(土)
乾漆素地作りのための粘土原型作りは2年ぶりか3年ぶりか記憶が定かではない。
一週間ほど、粘土原型を少しずつしていたが、今日は上下を逆にしたり、いろいろしてみたが、平面定規を見直すごとにずれている。
粘土が動く、つまり中央当たりいれた木片が固定されていないと気付いたが、同じ繰り返しばかりで嫌になる。
ガラス板の端から平面定規の一部だけを出し、粘土を削ればよいと気付く。
石膏も古くなっているのか、すぐにマヨネーズ状になる。
後から見ると、石膏が行き渡ってなく、かなり緩めのを上から注ぎ、隙間を埋める。
後からの修正が必要と実感できる程度の作業。
この前の日曜の夕方。
教室で陶芸を習っていたらしい人が、前日頃まで平常どおり会っていた話をしているのが聞こえた。
亡くなる前日まで作りかけていた大皿が残されていたとの息子さんの挨拶だった。
春には上手くいった手術だったが、今回は意識の戻らないままとのこと。
全て新作だけで、もう一度個展を開きたいと制作に励んでいたとのこと。
お通夜が終って外に出ると、「久し振り」と肩を叩かれる。
灯りがついているところとはいえ、近いところでは視野があちこち無いし、予想外の出来事でもあるし、一瞬詰まる。
1秒ほどして「西島さん」と無意識的に声が出る。
アミカルでは東京展で一緒だったことなどを語りながら、小雨の中、車の方まで歩く。
通り慣れない夜道の運転はできないので、行きも帰りも運転してもらう。
11月9日(土)
今朝の新聞で思いもしない方の名をお悔やみ欄でみる。
9時半頃にファックスが届き、10月28日のアミカル展のオープニングセレモニーで作陶再開の挨拶と乾杯の音頭をとられたとのこと。
グリセリンを常時携帯していることはおっしゃっていたが、、、
午後メールを見ると、工芸会の方からは9時頃連絡があったようだ。
最後にお会いしたのは、支部展の搬出日となるはずだから、5ヶ月余り前になる。
秦豊秋さん、83歳、ご冥福をお祈りします。
1週間前はどれだけ飲んでも酔わない気がしていたが、昨日今日と1合余りの段階で酔い始めた感じ。
結局3合は飲んでいるが、酔うというより気持ち悪い感じ。
6日の読売に「胡」という用語について、正倉院展の関連で載っていた。
美的なことはあまりよく分からないのが正直なところだが、言語においては具体的なことから抽出された幻想性としての個性化が美に関わるらしいことから類推すれば、ソグド人から抽出されたものが人間性として昇華されて初めて美へと連なっていくことが可能になるといえるのかもしれない。
古典として現代まで残っていることが、人間一般の生を表現していることを示すということはいえても、美の本質が何であるかを言い表していることにはならない。
今日の姿で口真似から出発しているように、学問同様、美も真似から学んでいくしかない。
ある水準に達したら、抽象化に苦しみながら単純化へと到る道を歩むしかない。
11月3日(日)
2週間パソコンの故障で、デジタル世界とは離れていた。
先週の日曜に、立ち上がらなくなったパソコンの修理に出す。
内部に埃が溜まっていたこととCドライブの容量がほぼ一杯になっていたことが原因らしい。
昨日昼過ぎに受け取りに行く。
自分では接続せず、子供にしてもらう。
アップロードがいくらかあったようだが、Cドライブの容量の拡大で余裕の感じ。
2週間ぶりの動く姿でつかまり立ちで立ち上がるなど、、、
今楽天が優勝。名前の読み方(漢字ではない)だけが同じマー君が最後に登板。
今日も漆はほとんどしていない。
オイルヒーターを見たり、CADの情報を見たり、、、
1994年の正倉院展の図録(山本さんに持ってきてもらう)で、数字の書き方にいろいろなのに驚く。
画像は筑後国の正税帳の表記。
豊後国の戸籍とは、二と三の字が違う。
略字的な漆の字が、七だと気付いたのは、豊後国戸籍でだった。
筑後国の税の表記に、略字的な漆の字が何度も出てきたときは、意味が分からなかった。
NHKの日曜美術館は今年の正倉院展の特集だった。
その後やっていた板谷波山展で「ホコウサイジ」といっていたが、1995年の石川県立美術館の図録では「ホウコウサイジ」と振り仮名にある。
真似ているつもりでも、問題外のゲイダイの人物の用語が何故か勝っていることになる。
豚汁を、何の恥じらいも無くトンジルとニュースで流すNHK、自称言葉の先生のていたらく。
ジュウバコ以外にも音訓の乱れはあるが、わざわざ作り出す事はない。
10月20日(日)
金曜夜に何日か振りにパソコンをつけると、プログラムみたいな文字の画面。
さっぱり分からず、コンセントを引き抜いてみたり、、、
土曜朝には、ピーピーとなってすぐ電源が切れるだけ。
午後から子供に見てもらうと、何やらして立ち上げていた。
内部電池とかいうものがあるらしく、それが弱化しているのではないかとのこと。
画像やホームページのデータをDドライブには割合コピーして保存はしていたが、このパソコンが駄目になると、それらも失われる可能性が出てくるので、外付けHDDにこの2か月分ほどしてなかった分を保存する。
古いVAIOでさえ立ち上がるのに、新しい方が何で劣化するのか?
今夕パソコンの電源を入れるとまたプログラムのような文字の画面。
操作してもらい何とか立ち上がり、操作法も教えてもらう。
パソコンはそんなに使わないので、余り覚える気が起きてこない。
土曜日は、眼科へ。
歪みの方は治りきる事はないまま。
それにトクテイシッカンの方も、イシャにできることは何もない現状だから、検査と次回の予約だけ。
昼過ぎに帰宅、昼食後、掃除など。
金曜夜に見ていた番組のブルーレイ録画を見直したり、、、
芸術家の中にある数学、のようなOxfordの講義。
フィボナッチ以前にインドのヘマチャンドラという人がリズムのあらゆる可能性を考えるとき、同じ考えをしていたとか、、、
ある素数を4で割って1余るとき、a2+b2の数式であらわすことができるというフェルマーの定理は、実際には何の役にも立たないだろうが、美しい。
単純に面白く美しい物が感動させる。
あらゆる可能性の中から何かを掴み、選び、意味を見つける。
それに数学的対応をするのがよいようだ。
文学の中にも、有限の中で無限に動き回るという考えが出ているものがある。
黄金比、白銀比(Silver Ratio)、シンメトリー、、、
半ば昼寝状態でもあったが、そのときやってきた。
掌を見つめていたので、パー(グー、チョキ、パー)というと、口真似をする。
今日は干菓子盆や椀を研いでから、透き漆で上塗。
縮まないように隅だしをする。
10月14日(月)
3連休。
螺旋文椀のレリーフ状の模様をヤスリで研いで滑らかにしようとしていても、なかなか上手くいかない。
地道に直していくしかないのだろうが、何か良い方法は無いかというのが悩み。
艶消し後、昨日は白漆で内側を塗る。
金髪1寸刷毛を使い、乾漆干菓子盆もそれで塗る。
今朝見ると、粘りが少し出ていた漆に負けたのか、塗り肌が少しゆらゆらしている。
今日は、別の漆椀の外側と乾漆小皿の外側に透き漆塗り。
紐胎杯は、昨日蒔き地、今夜粉固め。
素地に一度薄めた生漆を吸わせ、その後糊漆を1回刷毛付けしておいた。
これで水漏れはなくなっているはずだが、、、?
土曜日は掃除をして昼寝。開脚できるようになっていた。
昨日は、晴れたが(自転車ではなく)車で高岡市美術館へ行く。
「岸田劉生の軌跡」招待券で。
学校の教科書の写真などで見ていて、何か気味悪いという印象を持っていた。
解説文によれば、グロテスクの美へと向かったらしい。
展示を見て、普通に描けば上手だと分かる。
対象を写し取るという段階から、絵自体の世界を追求する段階へと移ることで、単に見るだけの者には分からない表現になるのだろう。
墨絵、装丁画など、多彩な表現があった。
その中にも、麗子らしい姿があった。
2Fの彫刻展も良かった。
人体を抽象化しても、楽器は写実的であったりしていた。
何のために表現しているかが読み取れないことが多いので、何も残らない。
夜は妹の家でご馳走になる。
今朝は熱気球が飛んでいた。
家の屋根瓦がずれているのに気付き、はしごを借りて元に戻す。
10月6日(日)
昨日まで六日連続で仕事に行く。
昨晩は、透き漆で仕上げるとして、下の色を黒くするための黒漆塗り3点。
この前切り出した竹内製の1寸2分刷毛(日本文化財漆協会より送付されたもの)を初使用。
最初に塗った乾漆小皿1枚の裏に縮み。
今日の午前は、艶消しなどをした後、透き漆塗。
泉製の金髪1寸刷毛を初めて使用したが、結果はまだ見ていない。
前回の塗りで端付近に溜りができ、縮みがかなりあったので、今回は少し薄めにした。
柔らかめの刷毛なので、仕上げの刷毛捌きで力を抜き気味にすれば、刷毛目はつきにくい。
刷毛を切り出した後、叩いて軟らかくする前に、毛先の角を丸めておけばよいということを20年ほど前に高岡で行われた講習会で塩多先生がおっしゃっていた。
研修所では教えないが、、、と、箆を切り出す前に所々の硬軟を刃先で確かめてかかる。
午後から買い物、家の掃除、昼寝。
一人で坐るようになっていた。
今日の新聞に、けんきゅうとかいう破廉恥きわまるきじ。
線を引いたところさえも原因(副次的とつけて)だとか。
9月29日(日)
今朝は酒の影響も無く、椀などを研ぐ。
椀の外側などに透漆を塗る(上塗、中塗り、下塗り)。
高台などは麻布や麻紐で補強してあるが、側面は木地のままで塗る。
午後、買い物少々、掃除など。
読書をしていると電話。
前へ這ったり、一人で持って飲んだりと、1週間ですごい進歩。
9月28日(土)
最終週の最終回をBSで7時半から見て、8時からまた見、9時半からの最終週を見る(聞く?)。
「あまちゃん」は、休日を除けば、昼に何分か見られるだけだったが、フランス語ならgggのままでよい驚きの表現など、面白い番組だった。
作品なら典型的な人物を作り、それらの交流を通して、作者の世界を展開するということになるのだろうが、東北の大震災・津波を絡め、細やかな思いやりも描かれていた。
石膏を削った型に、離型用のビニール紐を巻いておいたのに、蚊帳布を糊漆でくっつけ、ラミー紐(太い)を1周ずつ刷毛で巻いていった。
多分1年以上していなかった作業だし、隙間ができないよう全部刷毛で押さえていったので、2時間近くかかってしまう。
ぐい飲み用のも一つ作る。
昨日午後頃からひどくなった腰痛に悩まされる。
伸ばせない腰のまま母のところへ行った後、キャッシュコーナー、買い物。
螺旋文椀をヤスリ研ぎしている途中、眠くなり昼寝転び。
熟睡できないのは古い脳が活動しているそうで、脳の回復が妨げられるらしい(ためしてガッテン)。
類人猿以前の生命体の脳と同じ世界に侵されているらしいことになる割には、つまり新しい脳が回復半ばで働いているに過ぎないとすれば、m.sunataの潜在能力はかなりあったのかも。
実際、負けず嫌いとか、競争心とかいうものは余り無かった。
起き上がってから、ヤスリ研ぎをして、椀4個に黒漆を塗る。
ほとんど晴れ続きで、漆にとっては余りよい気候ではない。
今日はもう4合以上飲んでいる。
9月23日(月)
昨日は螺旋文椀の紐目のところをヤスリで研ぎ、生漆を吸わせる。
迎える前に家の中の掃除。
夜は理解できないがNHKの「神の数式」が面白く、録画しながら同時に見ていた。
秋分の日の今日は晴れわたり、少し暑さを感じる日だった。
テレビや録画を聞きながら、椀や小皿を研いだ。
白漆で小皿・椀10個ぐらい・干菓子盆を塗る。
それで7時間ほど。
背戸で少し読書をしてから、以前使っていた石膏の紐胎杯の型を削って変形をしてみる。
少しほっそりさせようかと考えたこともあるが、それ以上に新しい素地の仕事を全くしていないという体たらく。
何とか脱出しようとしたのだが、明日からまた疲労しか残らない日々だろう。
9月21日(土)
3日連続帰宅が9時20分前後。
何もしないで消えていく日々。
台風18号通過直後にした階段の手摺と柱の摺り漆、予想外に湿度が低下したのか、漆がほとんど乾かなくなった。
晴れ続きで、漆が乾く条件にはならないので、ついに湿らせた布を直接、柱と手摺に被せる。
それでやっと乾いたが、蚊帳を巻いておいた柱に、緑の染料がくっ付いてしまう。
よく失敗を逆転の発想で活かすというが、吸い上げの変種程度。
今朝、油砥の粉で磨くと取れ、超微粒子コンパウンドで油気を取っておく。
午前は母のところ、午後は叔母のところ。
チャリティーと特疾のアンケートの返事を投函。
10日振りの読書と昼寝転び。
研いでから、中塗り。
9月16日(月)
漆椀の螺旋文の糊漆の乾きが悪く、今朝になってもあまりよくない。
昨日は箆を削ったり、塗師屋刀などを研いだり。
今日は台風18号で雨が降っていたので、階段の手摺と柱に拭き漆。
竹内製の刷毛の切り出しをする。
塗りに入っている椀の内側を研いだり、小皿を研いだり、、、
黒漆で中塗り。
昼寝1時間程していたが、割合、漆関係の作業をした一日だった。
9月14日(土)
休みといっても何もしないに等しい日を繰り返してばかりいたので、午前中、漆椀の螺旋模様を考える。
大体の感じを鉛筆で書き、彫刻刀で全体のバランスを見ながら彫り進む。
刃を研ぎ直しながら、4個の下準備をする。
顔・本で案内を受けていた二人展と麦屋祭(前夜祭かとおもっていたのだが、、、)を見に城端へ行く。
麦屋祭の初日らしく、有料駐車場へ、500円。
織り館がなかなか見つけられず、知らない人が教えてくれる。
小原さんと誰かの二人展。
既作の白漆の作品や装飾品。
暗い照明でよく見えなかった。
照明の作品は優しい光にしていた。
駐車料を払ったこともあり、踊り手らしい人が歩いているだけだったが、少し見ることに。
音がするAゾーンの方に行く。
激しい音量に汗を飛ばすような踊り。
戻ろうとすると小原さんの顔が見える。
羽織に襷掛けの姿。
善徳寺前の会場で麦屋踊りを見る。
小学生とか園児の踊りもある。
菅笠を回す動作に優雅さは感じるが、どこから出てきた踊りか想像がつかなかった。
幼い時から習ってきた動きを繰り返すことで、何か別世界を感じるようになっているのだろうとは思う。
遠くのステージの踊り手が4,5人でも、見えているのは2,3人。
デジカメでは4,5人、ちゃんと写っている。
暗くなる前に帰宅。
午前中に目印と、ラミー紐の出すぎを防ぐために彫ったところに、少し下地粉を混ぜた糊漆を渡し、ラミー紐を貼る。
9月1日(日)
時々豪雨になったり、やんだり。
今日はしとしとと降り続く一日。
ラミー紐で仕掛けをした螺旋文椀の紐目を埋めたり、生漆で固めたりを繰り返している。
水指の身の内側をきれいな面にするため、下地を渡し、プラスチック系の薄板を変形させて引いたりしている。
漆関係はほとんどその程度。
昨日仕事から帰ると、郵便物。
少し見ていると、鑑三と稲造に関する昨年の講演会の記事があった。
Michelle La Fayという方の講演。
子供に優しい人とそうではない人のところが面白かった。
後者の子は後にプロ野球のコミッショナーにもなっている。
今日は下書きにも少し時間を使ったが、休み一日では何もできない感じ。
granddau-とはすごせなかった。
8月25日(日)
金曜日は雨時々豪雨。
土曜日は雨も上がり、家の中の掃除。
ツクツク法師の鳴き声にも平気な様子だった。
曇りガチの今日は、夕立。
寝転んで読書をしていて、2度Readerを落としてしまい、少々昼寝。
何もしない生活を少し変えようと、糊漆を作る。
この前、紐の段をこくそ+下地で埋めたのが、不硬化で取り除いていた。
今日はまた紐の段を埋めてみた。
水指の内隅がガタガタしているのをヤスリで削って直しているが、なかなか上手くいかない。
手で触って、麻布が膨らんでいる感じのところを削っているのだが、ひどいところは丸ノミで削ってみる。
8月18日(日)
漆関係は、昨日と今日、椀の内側に螺旋状にラミー紐を貼っただけ。
二日続けて猛署日らしいが、身体を動かす生活で無いので、大したことはない。
昨日は、電子書籍でgubijinsoを読み終えた。
終わりから1/3は、二日程で読んだので、筋は辿ることができるようにはなった。
漢語の読み取りも困難な上、描写のイメージが湧かないし、いつものようにすぐ頭から抜けていく。
NHKの日曜美術館やBS日テレのぶらぶら美術館博物館でやっていた、芸大の漱石関連の絵画展の虞美人草の推定(創作)画と小説内容とのかかわりも読み取れない。
高岡塗の硯箱は、錆絵か(勇助塗?)はっきりしないが、北枕の許、違棚に藤尾の拘っていた品(壊された金時計など)を納めて置かれているということは、対比という意味で高岡塗は道理の側の象徴の一つになるのか。
虞美人草(ひなげし)の屏風(抱一の落款という小説の記述)が上下逆に置かれているということは何を意味するのか。
虞美人ということもクレオパトラということも、藤尾の美貌を連想させるためだろう。
自分の思うままに人を操りたい人と、人のことを想像でき、道理や真面目を実行する人との人間模様が数人のかかわりでえがかれている。
欲望の人の世は、死によって突然悲劇になる。
迷いながらも自分自分という生き方を捨てることか。
今日の新聞に載っていた。
恵迪寮へ移りたいと言ってきたことがあった。
南18条あたりへMさんにあいにいくなど、行動的ではあった。
8月15日(木)・16日(金)
乾漆像「雪国の少女」の作者名がなかなかよみとれない。
堀田先生は「たるたにしょうたろう」と言った気がした。
さんずいに青と読めなくもない。
はばへんに占とか長と見えなくも無い。
子供がインターネットで調べると、「樽谷清太郎」という作家がいたと分かる。
北九州市にも像があるらしい。
高岡工芸高校の名簿を見ると、富山県立工芸学校の大正11年3月金工科の卒業。会員数6名。
その当時の金工科は、彫金分科・鋳金分科・原型分科・用機金工分科に分かれていたとある。
「高岡市美術館 所蔵品図録 2011年度版」によれば、1903(明治36)−1973(昭和48)とある。
3点所蔵されていて、全てブロンズ像。「寒山拾得像」「蝦蟇蛙」「弥勒菩薩像」
経歴から推定すれば、原型分科で彫刻(彫塑)を学んで彫刻家になった感じがする。
金属類が軍事的に供出させられ、ブロンズ作品制作ができなくなり、彫刻の能力を生かし、まだ手元にあった漆を利用し、乾漆像を作ったと考えられる。
堀田先生によれば、今の高岡郵便局の近くの辺りに住んでいたらしい話だった。
骨董市で安く手に入れた話だったが、ひょっとしたら、大変貴重な作品なのかもしれない。
前夜、NHKで放送していた作家と戦争の番組に登場した一人。
国というものは精神的にも人を狂わせる。
被害・加害もその時々の力関係に過ぎないなら、人間の思考の本質ではありえない。
日本文学全集 52 火野葦平集(新潮社)昭和35年発行 昭和41年十六刷
「麦と兵隊」p162
奥の煉瓦塀に数珠繋ぎにされて居た三人の支那兵を、四五人の日本兵隊が衛兵所の表に連れ出した。敗残兵は一人四十位とも見える兵隊であったが、後の二人はまだ二十歳に満たないと思われる若い兵隊だった。訊くと、飽く迄抗日を頑張るばかりでなくこちらの問に対して何も答えず、肩をいからし、足をあげて蹴ろうとしたりする。甚だしい者は此方の兵隊に唾を吐きかける。それで処分するのだということだった。従いて行ってみると、町外れの広い麦畑に出た。ここらは何処に行っても麦ばかりだ。前から準備してあったらしく、麦を刈り取って少し広場になったところに、横長い深い壕が掘ってあった。縛られた三人の支那兵はその壕を前にして坐らされた。後に回った一人の曹長が軍刀を抜いた。掛け声と共に打ち下ろすと、首は毬のように飛び、血がささら(竹冠に彫)のように噴き出して、次々に三人の支那兵は死んだ。gubijinso夏目漱石 Readerでの表示で全703ページの時のページで、漆用語が出てきているところがあるが、漆について書かれているのではない。
私は目を反した。私は悪魔になっては居なかった。私はそれを知り、深く安堵した。(昭和13年)
p309不忍池の表現で・・・「藍を含む黒塗に、金を惜しまぬ高蒔絵は堂を描き、楼を描き、廻廊を描き、曲欄を描き、円塔方柱の数々を描き尽くして、なお余りあるを是非に用い切らんために、描ける上を往きつ戻りつする。
p318・・・朧に薄紅の螺鈿をえる(金偏に、旁の上が焦から点4つ〔れんが〕を取り除き〔ふるとり〕、その下に、凹から下の横線を取り除いたような形)。えると云うと硬過る。浮くと云えば空を離れる。この宵とこの花をどう形容したらよかろうかと考えながら、小野さんは二人を待ち合わせている。
14日(水)は昼前、庄川美術館へ行く。
堀田先生が開催しているといっていたので、現代美術展の富山展へ。
ステンドグラスのとか、漆のでは知っている方の作品があった。
新人か、パネル的なのは、別の会派の漆芸パネルを勉強した方がよいと感じた。
偶然、昨年アミカル展であったYさんに会う。R君の墓参りにも行くとのこと。
15日は皆が集まり、墓参りの後、エアコンの部屋で過ごすことが多かった。
デングリ返るのをみたり、、、
16日は、それぞれ元に戻っていく。
暑くないことはないが、勤めでの汗をかく仕事に比べれば、大したことはない。
今でも冬よりは夏の方が良いと思う。
8月11日(日)
昨日は、壊れてしまった電子レンジの買い替えに行き、設置し直す。
今日の朝は、この前のとなみ野展のとき、見てほしいとのことだったので、出かける。
汗をかいたほうがよいと考え、礪波へ自転車で横風を受けて進んだ。
美術館近くのコンビニに寄り、電話を探したが見つからず、お茶などを買っただけ。
インターネットで場所を確かめていたが、以前一度連れて行ってもらっただけなので、すぐには家が分からなかった。
記憶と少し違っていたが、表札で確かめ、チャイムを押す。
今の時代、携帯を保有していないと、突然の訪問になってしまう。
「雪国の少女」「乾漆」と墨書のある桐箱から作品を取り出す。
戦争末期に、こんな作品を作った思いなどを語る。
戦意高揚の正反対、そもそも漆が手に入ったか、、、
兎を抱いて、優しく素朴な表情。藁の表現も細かかった。
樽谷という方の作品で、乾漆で軽かった。
陶よう(踊の足偏を人偏に換える)などいろいろと、骨董市で、一部壊れているものを修理するからと安く手に入れているそうだ。
2時間ほどいて、帰ろうかといってから、まだ40分ほどいろいろ見せてくれる。
昼下がり、新聞に載っていたので高岡の地場産センターへ県の伝統工芸士展を見に行く。
堀田先生のところで、工芸はちょっとした欠陥でも目立ってしまうと話していたが、そのようなのもあった。
ベテラン勢は、ほとんど不出品の感じだった。
8月4日(日)
昨日梅雨明けとかのことだが、こちらは最初から余り雨が降らなかったので、梅雨ということ自体がはっきりしていない感じだった。
豪雨が西日本で何度も繰り返している。
昨日も昼過ぎまで勤め、といっても今日やる気が溢れているわけでもない。
修理の椀2個の内側を黒(透混)で上塗。
内紐巻き椀の内側もついでに薄く黒漆塗り。
余り動かないので、そんなに暑いことはなかったが、風が通るところでないと過ごしにくい。
電子書籍でgubijinsouの続きを休み休み読んでいただけ。
漆に戻ることが無い日々が続いている。
8月3日(土)
このところは内側に麻紐を巻いて、亀裂が走った椀の修理のみ。
この方法を思いついた頃は、これで丈夫な椀ができると信じていた。
自分で使っているうちに、紐目に沿ってあちこちに亀裂が走り、完全な失敗だった。
貼った麻紐が浮いている所為とは必ずしも言えない点に問題がある。
輪島で買ったゴミ山を潰す道具というL字形の先で、亀裂を削る。
次にヤスリで削り、紙砥で空研ぎ。
生漆を灯油で薄めたのを吸わせ、布で拭き取る。
今日まで、この吸わせ・拭き取りを4回ほどする。
どこまで隙間が続いているか分からないので、生漆の染み込みを繰り返してみている。
以前勤めていた漆器問屋で、多分ダイダイで作った棗というか茶器(何代目か忘れたが中村宗哲作)の内側にできた亀裂を修理する時にした方法。
画像は昨日の拭き取り直後のもの。
家で見るテレビはほとんどNHKと言える。
遅い放送は、テレビ内臓のブルーレイで録画し、後から見ている。
金閣寺の録画は途中までしか見てないが、「古代出土漆器の研究」の著者の岡田文男氏の分析で、木(ヒノキだったか?)を漆の仕事(布、下地、黒漆)で補強し、金箔で紫外線による漆の劣化を防ぐという2重の工程で作られている合理的なものらしい。
この前のためしてガッテンでは、緑内障について放送していた。
視野がなくなっているのを脳が補ってくれるため、見えていないと気付かないということは経験的に自分で分かっていた。
盲点というのがあり、そこも脳が補っているというのは考えもしなかった。
患者としての出演者の症状は自分に比べれば軽いとは思ったが、自分にしても日常生活で不都合なことはないと感じている。
暗順応の異常な遅さ、街を歩いている時、前を歩いているはずの人が消えたりすること、1m以内で人と話すとき、相手の目がどこにあるかなかなか分からないことがあることなどが色・変のために苦労する点。ゆがみも残っているか。
すイエんサーは、サイエンスの語順を変化させたものとは言える。
この前も、重心やY字の安定を利用し、イチゴケーキを倒さないで食べる方法を考えていた。
昨日、日本文化財漆協会から会報などとともに竹内光輝作の漆刷毛が届く。
まだ漆をほとんど知らない頃、どうすれば刷毛が手に入れられるか分からなかったので、塗料屋さんに頼んで手にしたのが竹内製だった。
今はほとんど9世泉清吉製。
先週までの作業は、本朱の蝋色が上手くいかなかった。
塗り立てに適している本朱の扱い方が間違っていたといえる。
7月15日(月)
夜明け前の雨も止み、曇りから晴れの日になったが、暑くはならなかった。
朝、昨日の朱塗りが光ったままだったので、下に湿らせたスポンジを置く。
書類などを片付け、買い物に出かけ、スダレを買ったり、注文したり、、、
帰宅後、スダレを吊り、針金で補強。
午後見ると、30℃ほどで、65%、ほぼ乾いていた。
予想より急に乾いたので、縮みは無いようだったが、艶が消えてしまっていた。
Readerでgubijinsoの続きを読む。
本ではないので、読みにくい感じではある。
漢語が多いし、知らないのが正直なところだが、Readerの辞書機能も上手く使えない。
蒔絵とか、昔なら気にもならないだろう言葉もでている。
甲野さんやら宗近君やら小野さんやら、関係さえ頭に残らない状態。
夕方から、黒田の本朱10gを不乾漆で練る。
この前、何を思い違いしたのか、盛漆で練っていた所為か、異常に乾く漆になっていた。
今日のと混ぜ、付けをとる。
7月14日(日)
晴れ続きだったが、昨日から梅雨に戻った感じになる。
勤めの間の暑さは、百葉箱の中の気温よりひどいので、水分をどれだけとっても満足できない日々だった。
20年ほど前に買ったエアコンに電気が通らなくなっていたのを買い換えることにし、昨日午後、量販店へ行く。
工事が一週間後になることになり、漆の上塗の湿度調整ができないことになってしまう。
今日塗った漆は乾きが遅い方なので何とかなると思うが、それ以外はどうなることか?
車を含め、生活でエアコンはほとんど使わないで生きてきた。
今日の上塗に使う前の刷毛(金髪3分、先尖り、大極上8分)、鯨べらなど。
午後からは暇になり、gdの相手もできた。
7月7日(日)
豪雨かと思えば晴れたりと、連日天候が不安定。
昨日も勤めで、疲れが蓄積していくばかり。
七夕の日の来訪は、蒸し暑さに悩まされたようだ。
漆の方は微調整が上手くいかず、同じところで何度も繰り返しをしているばかり。
どうなることか、、、
6月30日(日)
昨日昼、今日の午後と、クロスランドの市展を見ていると、豪雨。
家へ帰ってみると、途中で道路が乾いていた。
洗濯物はほぼ無事だった。
今日は再度石動方面に向かうと、五社で豪雨との境が見えた。
買い物を済ませて家に戻ると、家の辺りも豪雨になった。
今日は朝から、支部漆芸部会の研究会。
腰痛とのことで、椅子席の会場に変更。
写生と模様は違う。
模様にきちんと生れば、自然な感じに見える。
2Dの図面と3Dの立体は違う。
detailが大切ともいえる。
毎日図案を描いていれば、いいものができてくるようになる。
具体的に指摘できる点と問題があるとまでしかいえない点(後は自分で考える)があるようだ。
行きも帰りも、途中、能越道を通る。
夕方、水指の修正作業をやっと始める。
削ったり、錆を盛ったり、、、
6月23日(日)
昨日は、額や洗濯干しなどを買いにムサシへ。
パソコンで印刷したA4の写真を2枚上下に並べて両面テープで貼る。
今日クロスランドに持っていって、作品規定に合うかどうか聞く。
写真部門の人がいて、大丈夫だというので、置いてくる。
委嘱の方は、申込書をもう一枚もらい、乾漆干菓子盆を置いてくる。
漆の方は、まだ素地の水指は地研ぎとか、ロクロを使った下地付けとかをしている。
同心円的に揃えやすい陶芸用のロクロ(母からもらった)の方が、下地付けには向いているようだ。
曲面にしても、自分の感覚にこだわるような者=芸術家ではないので、しなりをつけやすい薄板が自然に作る形に従うようにしている。
細かい形というか線とか溝の交差を表現しようとしている方は、上手くできず、何度もやり直している。
研ぎでも直せないし、下地による造形もうまくいかない、つまり技術が無いことが原因。
6月16日(日)
雨上がりの朝、宮の草刈。
朝のうちに裏側の黒漆(実際は、透黒漆)の上塗。
干菓子盆と椀2個。
もう少し修正の仕事をしてから、新聞の続きなど。
少し買い物(アルカリ乾電池やパンなど)に出かけた後、読書と掃除。
父の日ということでご馳走になる。
夕方、朝の塗りを見ると、27℃、60%ほどでほぼ乾いていたが、椀の隅に縮みが発生しているところもあった。
この前作った先尖り刷毛を使ったが、今回初めて縮み。
隅だしに2分とか3分刷毛の使用はやめている。
6月15日(土)
晴れ続きだったが、16日振りの雨。
気分転換のため自転車で行こうと思っていたが、車で行く。
早く着きすぎたのか、2番目だったが、目録で制作意図なんかを読んでいると、席は埋まっていた。
開会式の挨拶を含め、耳が遠くなったのか、声がなかなか聞き取れなかった。
日本画を見ていても、何となく見え辛い感じがし、眼鏡を外してみたり、、、
堀田先生が、昭和19年の乾漆作品を骨董で買ったのを見てほしいと話されたのも、なかなか聞こえなかった。
支部展の時もそうだが、20歳ほど上の人から、私が体調が悪そうだと心配される。
目を除けば、肉体的な過労に過ぎない。
野村さんと一緒に会場を回った感じだったが、美術の作品をよく知っていて、それと比較(対照)することで、判断している感じがした。
砺波地方の総合美術展なので、こちらとしては対応できない世界が多い。
結局は、好みか、自分の頭に反応することかで対応するしかない。
普通の感覚では、絵を描く人が一番、図工や美術が得意だったとはいえる。
誰かから認められないと自分を支えるのが難しいなどとも話す。
暇になっても、意欲は回復できない感じだとも話す。
写真のカラーは、業者任せという話も聞く。
帰宅後、昼寝転びすると、外出する気が消えていた。
自分でプリンターで印刷してみると、物足りない感じがしたり、、、
漆に関しては、乾きの遅い朱を何とか乾かす。
夕方から、朱を練る。
雨を受け、やっとツツジの花が、、、
6月9日(日)
昨日、今日と、乾漆水指の形の修正の続き。
入り隅の形が、研ぎと部分塗りを何度繰り返してもできない。
隅の中央線を鉛筆で書き、垂直な感じのステンレス板に砥石を沿わせて研いでも、狂っていた。
先を尖った感じに作った名倉砥で研いでみて、何とか近づいた感じ。
もう一つの素地は、摘みの中心にラミー紐を通し、裏側で5本の糸にほぐす。
糊漆で接着していたのを、刻苧で埋める。
その上に薄めの麻布片を貼る。
あとは干菓子盆などを少し研いでいた。
このように漆の仕事は余りしない上に、遅々として先に進まない。
昨日は昼頃叔母の所へ行き、酒を買う。
午後は玩具を買いに高岡へ。
今日はそれを口まで運べるようにつとめているすがたを見たりしていた。
読書の方は、電子書籍(SonyのReader)で、青空文庫からのgakumonnosusumeとgubijinsou(この前の日曜美術館で漱石と絵画について放送していたので)を少しずつ。
本では、人が自然と対立するようになり、再現としての宗教的儀式、芸術行為の構成としての表出となっていったというような話。
今は漆以前に、自分が何をしようと思っているのかというかべにぶつかっている。
加齢は、若き日の可能性の多くを捨てながらも、何か一つのことを深め、それを通して全体を知っていくなどと40年前の就職試験の問題に書いていた気がするが、自分の人生がそうだったのかという疑念の中にある。
漆を通して何をしているのだろう。
作業でも、細かいことや線などを見るときは、左目をつむり、右目だけに頼るしかない。
6月2日(日)
昨日は、金沢へ列車で行く。
エムザの石川の伝統工芸展。
昼食後、生漆などを買いに行く。
帰り道、百万石行列を長時間見学。
法螺貝を吹いていた。
今日は研ぎを少々。
午後から1週間振りにやってくる。
鏡を見てもそんなに驚かなくなっていた。
5月26日(日)
朝6時からゴミゼロの活動で、ゴミ拾い。
いつもある空き缶はなく、ほとんどタバコの吸殻だった。
第52回日本伝統工芸富山展の当番で朝から高岡市美術館。
前に務めていた会社の社長が来、少し話す。
目のことを覚えていたようで、どうかなど、、、
途中、隣の高岡工芸高校青井美術館で開催中の第42回伝統工芸日本金工展へ行く。
すごい充実振りに感じた。
400年ほど前に、銀に3パーセントほどの金を混ぜると、銀が黒くならないことが分かっていて、今も白いままだという話(解説)を聞いたりした。
蒔絵の銀でも、そういう合金を作ってかかると良いのではというようなことも聞いていた。
2階のコレクション展「原点 ー工芸家たちの若き日」も観に行く。
充実した展示の気がした。
午後、正得の良成さん夫妻が来、分かる範囲で説明しながら会場を回る。
会場係の人が手袋を渡してくれたので、3点ほど蓋をまくって見せてあげる。
周りにいた人も集まり、中も精緻な仕上げ(底に螺鈿なども)に驚きの声。
本日当番の列品解説もかなり早く終わり、一緒になってしまう。
夕方、第2室から戻ると、見たような姿。
また従弟の喜一さん夫妻。
途中からまた説明をしながら回る。
閉館時刻になり、受付に戻ると、他の当番の人は帰ってしまったとのこと。
帰宅後、少し研いでいたが、疲れで横になっていると30分ほど過ぎていた。
私の作品に関して、高岡の彫刻塗の暈しも使っていると気付かれる。
5月25日(土)
工芸会のホームページに支部の情報は月曜にほぼ掲載されたが、目録の表紙画像に何か問題があったらしく、かなり手間取る。
勤めでは午後からは足が重くなりすぎ、連日疲れが残り続ける。
2日とか3日遅れの筋肉痛は無いが、疲労が抜けきらないのは年の所為とは言える。
上記の二つを言い訳に、本当に漆から身の心も遠ざかっている。
先の尖った隅塗り用の刷毛は、2本とも何とか形にはしたが、思ったほどの効果は無い感じ。
使えないことは無いから、無駄ではないとは言えそうだ。
家の周りの花は、スズランもリラも枯れ始め、あまりなくなった。
ハマナスに蜂が来て、蜜を吸っていた。
明日は美術館の当番(換わってもらう)なので、今日2週間ぶりに来てもらう。
その少し前に義妹・甥が、高岡まで行って観てきたと寄っていく。
鏡に映る姿に不思議さを感じたのか、緊張していたようだ。同じ顔が二つ、、、
5月19日(日)
昨日も仕事に行き、帰宅後、届いていたデータを送信用に変え、8時40分頃送信。
今日、久しぶりという感じの休み。
形が整わない線の交差をまた研いだりする。
午後から、出品目録の表紙の画像が必要なこともあり、支部展会場へ。
はじめて展示を見、解説を遠くで聞いていた。
解説のあと、興山さんが気持ちで負けたらいけないと話したりしてくれる。
その後、研究会。
野生の植物などを詳細に観察し、違いを知る。
人を観察(スケッチ)し、どうしてそう感じるかを考える。
毎日描くことで、どのような形や線が良いか分かるようになっていく。
意図を優先するか、売れる(人に認められるとか、好かれる)ことが大切か、、、
技術優先を、他の分野の作品に接したりすることで、もっと広い目で見られるようになった。
伝統工芸でどんな作品を作ればいいか、、、
結局、皇室の調度品では、というような話を聞いたとか、、、
好きなことをしながらも、ほんのチョッと足りないかなというぐらいが良いのでは、、、
積み重ねの訓練と感動、、、
伝統工芸を始めるなら、ずっと続けること。
帰宅後、目録の表紙をスキャンし、縮小後、送信。
この前から摘みの裏とその付近を同時に塗れるように刷毛を切り出していた。
中央を尖らせてはみたが、刷毛筋が残りすぎた。
腰のしなりを手で確かめながら、毛をそぎ落としていった。
木部を少し丸めに落とし、中央付近の毛が少し長くなるように工夫してみた。
90度くらいの隅を塗るには丁度良いぐらいになる。
摘み裏にはもっと鋭角である必要があると気付く。
切り出し直さねばならない状態になった刷毛がないので、自分で作ることにした。
以前頂いた毛板を幅4から5分くらいにし、刷毛を分解した時の板を利用してみた。
クサビ代わりに竹箆などを差し込んでおいた。
5月12日(日)
昨朝8時半に歯科へ行き、前夜に取れた治療歯を付け直してもらう。
少ししてから射水市の病院の眼科へ。
連休明けの所為か、最初の受付から混んでいた。
視野検査や眼底検査をしてから医師のところへ。
病院としてはもう何もできることはないというような話しだった。
執刀医のところへ昨夏以後、一度も回されないのはそういうことの所為なのかもしれない。
日によって左目だけで見る場合、文字が判読できたり、できなかったりと安定しない。
こちらにすれば、分かっているような顔で対応してくるセミプロに相談したいとは思わない。
午後2時頃帰宅。
開いていた瞳孔が戻ってから、自分で運転し、叔母のところへ。
母のところへも行ってから、隅というか、隙間を塗るための刷毛の切り出しにかかる。
5分刷毛の真ん中ぐらいを尖った感じにすればどうかと数日前に思いついたのを作ってみた。
塗ってみなければ使い物になるかどうか分からない。
今日は名倉砥の代わりにヤスリで端を削って形直し。
会費など、かなり必要なのでキャッシュコーナーへ。
眼鏡の3ヶ月点検に行く。一つの方が汚れているので洗うのに時間がかかる。
その後、買い物。(以上一箇所で)
午後は金髪刷毛の刷毛先の角度を変えてから、切り出し作業。
昨日2回薄めた生漆を吸わせておいた。
石鹸で3回ほど洗い、水にゴミが出てこないようにする。
その後来訪を待ってパソコンの前に座っていた。
今朝のスズラン。
早めに帰っていったが、手を絡ませたりしていた。
風呂の蛍光灯のカバーを洗うと、かなり割れていたのに気付き、テープで塞ぐ。
摘みを作るために丸い棒の中央に穴、高さ分を糸鋸でかなり切り込み、周囲に麻縄を巻いて貼る。
5月6日(月)
朝は欠席などの返信を書き込む。
書類もファイルし、机の上をすっきりさせる。
風の強い中、家の周りで枝(葉)が伸びすぎている日光ヒバを切り込む。
切り落とした枝が途中で引っかかり、下に落ちないということもあった。
脚力はかなりあった方だが、腕力は元々無いので、かなり疲れる。
午後から、摺り落とし。
3日に届いた電子書籍リーダーの設定(特に登録)に時間がかかった(3日の事)。
青空文庫から無料のをダウンロードしたのを取り込み、少しずつ読んでいた。
風の強い日だったので、家の中の日の当たる2階で「学問のすすめ」の続きを読む。
途中でつかれ、昼寝も。
実学で他人や国家に頼らない独立の人を作り、人間・国家の平等に反しない生き方をするというような内容なのかもしれない。
夕方になり、2回目の摺り渡し。
石動からという筍をもらう。
5月5日(日)
晴れわたってはいるが、風は冷たい感じがする日々。
今朝は6時から宮の草刈。
家にまた二人だけになり、乾漆盤の裏側の胴擦りをする。
手の動きが何時ものように緩慢な所為もあり、数時間かかる。
朱の摺りこみ6回のを摺り落とししてから、全体に摺り渡し。
剥げやら蝋色研ぎ不足も見えてくる。
ライラックが咲き始める。
3日は賑やかな日になり、朱の拭き切りだけ。
4日は、母のところで皆が揃う。
昼下がりに小松へ向かって出発。
封筒で招待扱いになるので、加賀赤絵展へ。
チラシの地図ではよく分からず、暫くぐるぐる回って結局、市役所に止める。
博物館に入ってのが4時20分頃。
一箇所で終わりだろう(5時閉館)と、繊細な絵を時間まで見て回る。
絵と周辺の模様の関連をどう考えて作ったのか、なかなかわからない。
模様には何か意味があるのだろう、、、長寿とか、、、
富山県から来たというシールを貼る。
外へ出ると、19時まで開館しているという張り紙があるのに気付き、本陣記念美術館へ行ってみる。
景徳鎮とか初期の赤絵の素朴な感じの作品など。
形の上では、針金か糸で支える必要のある無理なのはなかった。
錦窯展示館の場所も見当がつかなかったが、子供がスマートフォンで導いてくれた。
現代の作品が多く、細字の説明をビデオで見たりする。
本当に地理的感覚がなくなったようで、自分だけではどう車のところに戻れるかよく分からなかった。
高校や図書館、その他公共施設の多いところから、駅近くを通って帰ると、店などが目立ってきた。
8時頃帰宅。
4月29日(月)
朝から外出すると、一日何もしないで過ぎてしまいそうなので、胴擦りを始める。
何時ものことだが、油砥の粉で磨いたが、磨けているのかどうかよく見えない。
超微粒子コンパウンドで油砥の粉を取り除く感じに磨くと、磨けているかどうかやっと分かる。
裏側も磨き始めたが、刷毛筋の消し方が足りないので、蝋色研ぎをし直す。
帰省してくることもあるし、お金を下ろしたり、買い物をしたりと、少し外出。
二日前より随分近いが、自転車ではなく、車で行く。
痛みが翌日とか二日後に出てくるという症状になったことは今までに無い。
腕が肩より上に上がらないという症状にもなったことはない。
買い物のとき、人とすれ違がったのだが、直前まで子供が歩いてきているのに気付かなかった。
歩いていて、こんなことは初めてということはない。
帰宅後、先述の蝋色研ぎなおしをしてから、朱に摺りの拭き切り1回目。
地研ぎを少々するまでが今日の作業。
4月28日(日)
神像は髪で耳を被って見せないなどを日曜美術館でみてから、母のところへ行く。
この前の西行の歌を見せてもらう。
いつかわれ昔の人といはるべき かさなる年をおくりむかへて
人生は結局自分の中で終るということを知るべきだろう。
乾漆盤の裏側の蝋色研ぎ。
午後から叔母のところへ行く。
回復していると聞いていたほどではなかったが、それなりにはなっていた。
立山と缶ビールを買う。
もう来ているかと思っていたが、まだだった。
蝋色研ぎの続き少々、疲れたので寝転ぶ。
2週間ぶりにやってきて、一緒に日にあたったり、、、
トラクターを運転していたMuさんがチューリップを掘ったのを持ってきてくれる。
4月27日(土)
雨が上がった感じだったので、自転車で高岡に向かう。
追い風で楽だったが、変わった道を行こうとしたためか、かなり遠回りになってしまう。
1時間15分かかり、美術館に入ったのは9時55分ころ。
支部展関係の作業。
開催中の市展、目録を見ると中学の同級生の名が例年通りある。
どれか探していると、絵なんて見ていないと気付くほど。
2回ほど回って、何時もの感じの作品がこれか?赤系統が主の作品は違っていた。
緑と水色系統のがそうかもとみると、そうだった。
目録で「生活」とあったので、どんな感じかと考えていたのだが、まさに「生命」という感じ。
海底火山付近での生命の誕生というか、8ヵ月半ほど前の手術中の左目の世界をイメージさせ、全く[生活]という感じは無かった。
帰りは半分は向かい風だったが、今までと違う道を通ってみようとした所為もあり、行き同様かなりの遠回り。
1時間半余かかり、足もかなり脱力した状態でやっと帰宅。
普通で片道15キロほど、今日は2キロほど無駄にした感じだが、マラソンに比べれば、10キロほど短いのに、すごく時間がかかった。
生活費のための肉体労働なんて少しも健康に役立たないということかもしれない。
コーヒーを飲んだりして休んだ後、乾漆盤の蝋色研ぎの続きをする。
研ぎ破りが一番怖いので、静岡炭でどこまで研ぎ、蝋色炭でどこまで、クリスタル#1500、、、
消せない刷毛筋をどう処理するか、、、
朝、古城公園付近の桜。
花の散ったのと咲きほこるのの対比。
4月21日(日)
午前中に乾漆盤の裏側や乾漆干菓子盆などを研ぎあげる。
午後、透き漆を乾漆盤の裏側、椀の外側に塗る。
白漆を乾漆干菓子盆の表側、水指の修正部分、輪島でもらってきたスプーンの一部に塗る。
冷たい雨の一日だったので、コタツで夕寝。
塗師屋刀(切り出し)を研ぐも、裏刃がなかなか真っ直ぐにならず、中途半端でやめる。
日頃から小まめに研いでいないとこんなことになってしまう。
4月20日(土)
昨夕は勤めて7年余の会社の40周年記念関係
社長が「○田」の「田」は、「た」か「でん」なのに、何故「だ」と呼ぶことがあるのか不思議ではないかと話してくる。
リズム感の上でも、語感のうえでも、確かに必然性は無い。
飲み足りない気がしたのに、今朝は少しの頭痛。
帰りは番屋街に寄り、新鮮そうな烏賊を買う。
Fさんの左目の歪みは高血圧からの静脈血管の異常発生というか、黄斑の変性とのこと。
手術でも歪みは残ると聞いて、手術はしないと伝えたとのこと。
母のところで話していて、昔ということにしたって、自分の知っていることだけを基準にしているという意味のことを言う。
すると西行の句のことを言ってくる。
そこにあった百科事典では、平安時代後期の人らしい。
何時の日か自分も過去のことになってしまうという意味の句だった。
後からインターネットで調べてみたが、さらさらと見た所為もあり、見つからなかった。
例えば日文研。
家の庭にチューリップ。
4月14日(日)
昨日、富山支部展のポスターを車庫に貼る。
正得公民館、小矢部総合会館、クロスランドオヤベ、工芸きたじまと親戚に掲示を頼んで回る。
2階の常設展の観覧もできるようになる代わりに観覧料は高くなる。
(公社)日本工芸会のホームページの開催要項に詳しく載っている。
昨夕、乾漆盤の表側に朱などを塗る。
8分刷毛1本、5分刷毛を4本使う。
暈しがなかなか思うようにできず。
今日も晴れたが、風が強く、暖かくなる。
枯れかけているように見える紅梅の幹から芽が出始めていた。
4月7日(日)
天気予報よりは荒天ではなかったが、咲いたばかりのピンクの花びらが地面に散っていた。
昨日も仕事に行き、夜やっと朱塗り。
今日は午前中、支部総会の準備作業。
総会まで時間があったので、刺繍展を500円出してみる。
畳3枚ほどの広さ全面に刺繍で絵画してある作品が少なくなかった。
空間を残し、鷹が雪の積もっている木に止まっている鷹図は、日本画にしか見えないほどだった。
花と鳥や龍、鳳凰、麒麟などの組み合わせの意味は何だろうか?
空間を残すのと埋め尽くすのと、深みが違うのか?
抽象性が空間の持つ意味だろうか?
総会前、ノンアルコールを飲んでいるとか、ノムアルコールかとか、、、
高齢化しているということか。
今朝2時間ほど加湿すると、帰宅後見ると黒っぽく乾いていた。
要項を今年用に書き換え、送る。
少し研いでから、錆。
そして一日が終る。
3月31日(日)
昨日は午前中に乾漆盤を研ぎあげ、白漆を塗る。
今朝になっても乾いていないので、加湿シートに通電。
午後には発色悪く乾いていた。
昨日午後は、まずキャッシュコーナーなどへ。その後床屋など。
夕方は乾漆水指の懸かり受け用に麻紐を貼る。
夜は3合を限度に飲む。
今日は、昨日の漆の作業の乾きが悪く、以前の水指の蓋を研ぎこんで形直しなど。
布まで出たところがあったので、生漆を吸わせる。
研ぎを少し続ける。
午後から顔をみせに来たのに合わせて時を過ごす。
夜また少し研ぐ。
3月24日(日)
朝から晴れわたる中、江浚い。
川の中での作業中は汗をかくほどだったが、風はやや冷たかった。
昼までの間にタイヤ交換をする。
午後は、書類をファイルしたり、本を読んだりしていた。
夕方、射水神社に行ってから来たが、余り機嫌がよくなかった。
夜、少し盤の裏側をキング#1000で研ぐ。
3月23日(土)
錆などを研いでから、乾漆盤、乾漆干菓子盆、椀に黒漆塗り。
使う刷毛を毎回変え、刷毛の内部に塊ができるのを防ごうとしているのだが、何時の間にか洗い不足の漆が固まってしまい、使いにくくなっていることがある。
今日使ったのはそんな感じのだったので、思うような塗りはできなかった。
平地には箆で漆を配ってかかったが、その点はうまくいった感じ。
乾漆水指の地研ぎというより、布貼りのムラを研ぎ潰す感じで内側を研ぎこむ。
#180のペーパーの水研ぎで、見た目に残る膨らみを研ぎ潰す。
厚過ぎる素地のときは全く動かなかった素地が、かなり緩くなってしまったので、生漆を吸わせる。
春分の日に行った美術館の常設展示。
棟方志功の板画、釈迦十大弟子、頭に手をのせたり、かなり俗的なのもあった。
入場券にある光搖(手偏ではなく、王偏)の画。
初めて見るというのでは無い所為もあろうが、どうとらえるべきか分からなかった。
斜めに朱系統の花。同じ方向に雨。
下向きに飛ぶ白い鳥。孔雀が2羽、上を向いて佇んでいる。
雨を避けているという感じは無い。
対比という見方から朱:白。下向きの小さい鳥(動)と上向きの大きい孔雀(静)。
分析しても、南国的な世界の明るさで何を表現しているのか、分からない。
3月20日(水)
10時間近く寝て、何時もよりは多少疲れが減っている気がした。
家の中を少し片付けたりしてから、乾漆盤・乾漆干菓子盆の裏側と椀の内側に黒漆を塗る。
午後から、福光美術館へ向かう。
何回か行ったことはあったが、右折する交差点まで予想外に遠かった。
駐車場には除雪して集められていた雪が残っていた。
「第2回 ザ・セッション!Artの俊英展」
「となみ野美術展」でお馴染みの人も多かった。
作品の意図を皆持っているようだ。
書や彫りが自分とは遠い世界なので、注目する感じで見る。
帰りは砺波方面に向かうとすぐ見覚えのあるささらやがある。
買い物をして帰ると、青い車が来ていた。
相手をしてもらいたいようだ。
3月17日(日)
昨日は午後の帰宅のあと、母と叔母のところへ行く。
夕には疲れで少し寝転んでから、盤と干菓子盆に黒漆を塗る。
夜は休日の前日の例通り、かなり飲む。
暑いくらいになったり、冷え込んだりと気温の変化が激しい日が繰り返される。
紅梅はまだ咲かない。
新聞の読書欄に紹介されている本の訳者が目に入った。
盤と干菓子盆の裏側を研ぐ。
夜、凹みが残るので、塗る代わりに錆を見る。
お礼に回ってきた後来たので、また時を過ごす。
3月10日(日)
午前中は、乾漆盤のしのぎの辺りを研ぐ。
それから身付を研ぐと、まだ周辺部が低いので、また錆をつける。
夕方に帰宅後、裏側に黒漆を塗る。
午後は支部展関係で美術館へ。
常設展観覧も含めるとはいえ、かなりの値上げになるとか。
その後、GEIBUNを見る。
絵画を含め、大作が目立つ一方、繊細な技術に驚かされるものもある。
普通なら刺激を受けるところだろうが、対抗する気力も無い感じ。
工芸会の会報では、ひとりよがりではいけないとか、時代性とかが必要だとの記述が載っているが、100円ショップに対抗できるわけが無いから、心が豊かになると現代人が感じる品物を創り出さなければならないことになる。
食器自体が、形の上で、そんなに変化しているのだろうか?
素材的とか、食器洗い機とか、電子レンジとか、、、そんなことが時代性?
買うより自分で作りたいとか、自然と触れ合いたいとか、生命体としての本来の姿を取り戻したいというほうが現代的なのでは?
企業が物づくり物づくりというような嘘っぱちではない、人間の生命体としての活動を復活することの方が現代的なのでは?
入場料の話に戻るが、無料の今の展覧会の方が生命力を持っているのでは?
3月9日(土)
午前は、新聞社の支社へ野村さんの絆展を見に行く。
動きのある大作は、二人掛りでの搬入だったそうだ。
繊細な染織との対比も面白かった。
午後は見ていてほしいというので、預かる。
ゆっくり揺すって何とか寝付かせたり、、、
すイエんサーの方は、火曜日と今日の再放送と見る。
すイガールズは、勝負に勝って、試合に負けた(?)という感じだった。
加速度という先入観を持っていた身には、初速のまま落下させるという発想は新鮮だった。
できるだけ直線に近い感じで通り道を作るというのも、物事をわざわざ複雑にする無駄を排除する良い方法と思った。
ピンポン玉でなく、ビー玉とかパチンコ玉だと違いがあるのだろうかと考え出すと、分からなくなった。
重ければ、摩擦が大きいだろうから、動き出すまで余計に力が必要だろう。
動き始めるためには、ピンポン玉より傾斜が大きい必要があるだろう。
同じ問題でも、数学なら解けても、物理なら解けないという、理系の人には信じられない高校生だった人には、難しすぎる。
3月3日(日)
蕨の粉かと思っていたら、蕨餅粉で蕨は1割だけとのこと。
煮て透明になったところで火を止め(蕨餅の場合はもう少し煮詰め飴色だったかにし、、、)、生漆と混ぜて糊漆を作ってみた。
麻布片を貼ったり、刻苧を作り、手板に付けをとってみた。
今までの糊漆でも付けをし、比較すると、蕨餅粉からの方が乾きが悪かった。
耐久性や強度は分からないので、修理に預かった椀に使ってみることにした。
昨日までの一週間は帰宅が早くて7時を過ぎていた(勤め)。
マラソンを完走する人を何人も知っているので、耐えねばと思って行っている。
65歳のFさんは、走るのは違うとは言っていたが、、、
今日は石動に向かっていくと、丁度親戚から車が出てきて、帰国中(来日中?)のDさんに手で挨拶。
キャッシュコーナーに寄ってから、買い物。
250グラム498円のコーヒーもあり、ついでに買う。
午後から電話があるまでパソコンの前にいたり、テレビでマラソンを見ていたり、、、
ひなまつりといっても、ねたりないたり、、、
夜、乾漆盤の錆を少し研いで、生漆を吸わせただけ。
ついでに修理椀にも吸わせる。
椀は塗るまでに、何度か生漆を吸わせ、隙間を無くしておくべきなのかも知れないと思う。
この前の「すイエんサー」は、ブルーレイ録画で見た。
A3の厚紙一枚で、ピンポン玉ができるだけ遅く下に着くようにする。
制限時間は1時間というもの。
自分なりに考えてみた。
1.坂をジグザグに動くようにし、できるだけ距離を長くする。
2.方向を変えるとき、ピンポン玉が外に飛び出ないようにする。
3.方向を変えてから、少し丘を登る感じにし、加速度が加わるのを押さえ、初速に近い程度まで落とす。
実際は、多分弓なりの緩い丘を作ることになるだろうが、ピンポン玉が停止しないよう調整しなければならず、かなり難しいだろう。
大学生の方は、30分間考えているだけだったので、今回もすいガールズの勝利濃厚?
火曜夜に後半の放送がある。
2月24日(日)
ウィルス対抗ソフトが何故か活動を停止していたので、一週間パソコンを立ち上げなかった。
入れ直してもらい、ウィルスチェック、不都合は無かったようだ。
昨日は乾漆盤の表側を塗り、今日は裏側を塗る。
お椀に浮きや亀裂、欠けがあるというので、修理に預かる。
浮きを削り取ったところ。
水分が抜けてから、薄めた生漆を吸わせた。
2月16日(土)
迷ってはいたが、あと二日なので、輪島へ向けて9時過ぎに出発。
雪が舞っていたり、晴れたり、、、北陸全体のことか、地域ごとに違っているのか分からない。
トンネルでは左側の白線だけを見ながら、それに合わせるように運転。
灘浦まで延びた能越道の最後のトンネル、輪島前の最後のトンネル、何とかクリア。
スーパーで昼食用のパンなどを買い、美術館の駐車場で昼食。
収入のための今の勤めでの肉体疲労と時間不足、その中で地元の寺の木魚の修理でやめてしまった出品、そのまま不出品が続いている。
一般出品は、本展の入選が厳しくなった所為か、水準が高くなっている気がした。
言外の意味は、そうでない出品は作り手がどう思っているか、、、ということになる。
松園の絵(「虫の音」とか「初蛍」)を連想させる蒔絵があったが、日本画には勝てないからやめたほうがよいと感じた(ではどうすれば良いかと問われても、分からないから、小さな声で言うしかないが)。
ツキジさんのシノギ表現の変化のようなのが多かったが、真似ととらえるべきか、多様な表現がなされているととらえるべきなのか、これも歴史が結果として示すというしかない。
輪島塗の器でぜんざいをご馳走になる。
柚いりというが、それで良いと言う。
例年通り、生漆を買いに寄る。
向こうも覚えていて、雪の話など。
輪島からの最初のトンネル前で運転を変わり、七尾、氷見と回ってから、帰宅へ。
2月11日(月)
昨日の午前から掃除や片付け。
夕方にかけて、89歳違いの対面など。
今日は、親戚を少し回ったりした以外、蒔絵紛いの研ぎ出し。
もう少し金が顔を出すようにしたいが、なかなか出てこない。
乾漆盤の裏側に黒漆を塗る。
夜電話をかけようとしたが、音がしない。
説明書を読んだり、コンセントを抜き差ししたりしても、電話線をつなげてくださいと出るばかり。
引越していく時、むせんランの接続を外していったのだが、そのときの接続からの変更が必要だったのだろう。
差し込む場所を変えれば直るだろうとまでは分かったが、全然抜けてくれない。
何とか抜いてくれる人がいたので、電話線のところに接続でき、後は電話機の方で自動的に設定してくれた。
無事回復。
2月9日(土)
今週は乾漆小椀の内底に名前を書いている。
朱で書き、貝粉を蒔いた。
翌日、朱で貝の周りを固め、翌日、貝についた漆を剥くと、貝が取れてしまうことも多かった。
翌日、貝の周りに朱で縁取りし、12号の金粉を蒔く(名前の部分を抜く)。
そのまま梅の感じの形で囲み、12号粉、10号粉と蒔く。
翌日、盛漆を灯油で薄め、粉固め。
今日、粉固めのところを静岡炭で少し研いだ後、炭粉胴擦り。
夕方、内側を浄法寺素黒目漆で上塗。
乾漆盤の内側には、黒漆を塗るも、粘りすぎでガタガタの面になってしまう。
今日は予想に反して晴れる。
紅梅の芽に雪。
2ヶ月前に予約してあった射水市の病院へ。
眼鏡の視力合わせ、視野検査、眼底検査など。
また新任の先生だったが、今回はいろいろ比較し、まともな対応だった。
2パーセントほど、前回より安定してきているとか、、、
担当医の姿は少し見えたが、今の自分の状態は別の医者でも対応できるということだろう。
夕方少し前に眼鏡の処方箋を持って、ミキへ行く。
医療用のレンズのと、作業用の視力と乱視矯正だけのと二つを注文。
思ったほどは高つかなかった。
2月3日(日)
昨日は午前中は仕事へ。
午後は来るという話になり、キャッシュコーナー、買い物少々、帰宅後掃除少々。
初めて我が家で時間を過ごす。
夜になり、こちらは飲んでいた。
今日は乾漆盤の地研ぎなど。
画像を見せたり、、、
貝粉を蒔いた後、乾漆盤などに生漆を吸わせ、拭き取る。
乾漆干菓子盆の模様のところを細長い砥石で研いで、形直しなど。
晴れた日だったが、割合家の中で過ごす。
雪もほとんど融けてしまった。
1月27日(日)
昨夜から10センチほどの積雪になっていた。
大皿のつもりが、高台をつけ、裏底から曲げ輪の高台内までに麻布を貼り、乾漆盤に変えた。
高台の外隅には刻苧、下地付けをしていた。
今日午前は、端、裏底、高台底などに下地をつける。
夜は高台の内と外、外縁周りに下地をつけて、形を整えた。
乾漆干菓子盆2つと乾漆小皿を形直しを主目的に研ぎこむ。
表側に黒漆塗り。
年賀状をファイルしたり、書類を整理したりと、二日連続ほとんど外出せず。
1月26日(土)
0℃を超え、僅かに緩んでいる雪もあるが、冷風が吹き抜けるところは気化熱を奪われ凍っている。
積雪は2,3cmほどで、昨日からほとんど変わらない。
木曜は9時20分過ぎ、昨日は8時半過ぎ、漆はしなかった。
今日は少し刻苧などで素地の形直しを少ししただけ。
午後は余りに乱れているので、台所のカビ取りなどで1時間半ほど。
パソコンの前でズラズラと時間を使ってしまった。
やり方がなかなかつかめないこともあったが、、、
火曜日の夕(夜?)のすイエんサーで見てしまっていた(ブルーレイ録画も)が、今日の再放送も見る。
2連敗の後、1勝した東大はすイエんサーガールズの方法を応用したが、京大理は、高校生が主体の人が考え付いた利点を真似しないで、それに勝つ方法を見つけようとして、結果として惨敗。
1月13日に載せた私の工夫はどうなのだろう(画像で上になっているところが、落下させる時の下側)?
予告では2月に北の大地の大学からの三つ目の挑戦状との対戦が放送されるらしい。
略称は、文部科学省では東北大学を示し、それに従えば、「海大」となる。
明治40年に東北帝国大学は発足したときは、仙台は本部だけで、札幌農学校が東北帝大農科大学になったそうだから、元々は同じ大学ともいえる。
何時から見出したか記憶に無いが、他にも多くのファンがいるこの番組は面白い。
1月20日(日)
昨日、今日と台東区方面に送る準備。
ポツポツや縮み、その上、裏漏れが少し残るが仕方が無い。
金曜に大皿と名づけていたのを盤に変更した作品の、高台内と裏底に一枚の麻布を貼る。
今日はラミー紐(麻紐)を盤の端や水指の高台に貼る。
端に丸みを持たせようとしていたが、見た目にはっきりしないので、盛り上げるための仕掛けとして。
当然強力な補強にもなる。
昨夕は二度目の対面。
この前より1キロほど増えていた。
帰宅後、更に1.5合ほど飲み重ね、インターネットでなにやらしていた。
悪酔いもせず、今朝を迎えることができた。
昼下がりから、地区の総会・新年会。
役を換わってもらったのが行くところは、婚戚関係のできたところらしい。
1月14日(月)
関東では雪が積もっているそうだが、こちらは雨で雪がほとんど融けてしまった。
片口の朱はほぼ乾いていたが、注ぎ口に縮み!
曲げ輪を削った高台を取り付けるために下地を箆で渡す。
水指の方は、厚紙を円型カッターで切り抜き、両面テープで貼り、その周りに下地を渡し、麻縄を埋め込む。
BSで3ヶ月でフルマラソンというのや、日本の先端的ロボットの番組を見ながら、地研ぎ。
丁度一ヶ月目の画像を見たりと、漆の時間は相変わらず少ない。
1月13日(日)
赤口朱は全く乾いていなかったが、外の塗りでポツポツができたので、加湿シートの通電を少なくしている。
昨日の、すイエんサーの続き。
8角形の形に折り、角四つを下に向けてみた。2メートルほどの高さから落とすと、2秒ほど。
回転を与えられないかと、辺に少し斜めになるように紙片をつけてみたが、2秒半ほど。
風が無い状態で落とすのだから、凧の感じでは駄目な気がする。
回転を与えられるなら、斜めに移動し、時間が延びるはずだが、回らない。
グライダーが落下状態から水平飛行に移るように、A4の紙一枚で作れるならと紙飛行機を作ってみたが、下向きでの落下から少し横に飛んだだけで2秒ほど。
下に垂れる紙が鳥の羽のように動くようにすればどうかと、細かく切れ目を入れてみた。
3秒強となった。
駅伝を見ながら、上の記述をしていた。
関東方面への宛名書き。
完全閉店らしいので、砺波店へ行く。
クラリーノの靴を商品券で買う。
最初に就職したところの感覚で言えば、安いとしか言いようが無い。
39年前の上代25000円の、裏底を含め総革の靴は今も健在である。
今年初の買い物。
帰宅後、刻苧や下地付けを少々。
翌日が休みの日の通り、飲んでいる。
1月12日(土)
今朝は乾漆片口の内側を研ぎ、赤口で上塗。
すイエんサーで、A4紙一枚で、落下速度が遅くなるようにせよ、、、
午後母と話していて思いついたのは、カエデの種か竹とんぼのような形がくるくる回り遠くまで届くのでは、、、?
どう切り貼りすればよいか、余り思いつかないので、適当に折り曲げてみた。
結果は、何もしないA4の紙のほうが遅く落下したというもの。
今度の火曜、土曜(再放送)に京大理との対決の結果が放送される。
亡くなってしまったがR君なら考えられるだろう。
彼がライバル視していたらしい同窓生は医学部長(院研究科長)。
S先生から頂いた曲げ輪を削ってみる。
R君からもらっていたルーターが見つからず、外側をカンナで削り、内側を輪島で買った切り出し刀で削る。
思ったよりは楽に削りこめた。
夕にスキーに行っていた子供が脚の痛みを訴え、医者に。
30年近く前に亀裂骨折で行ったところだが、肉離れ程度とのこと。
1.5(土)
昨日まで降り続き、今朝の冷え込みでソラに乗れるかと思っていたが、細かい雪で長靴が沈んでいくだけだった。
高原に霧がかかっているのではなく、我が家から日の出を待っているところ。
昨日塗った片口の塗り面にぽつぽつが全面にできていた。
低温と湿度の低さで乾かないだろうと、早めに加湿シートに通電したため、水蒸気が水滴になったのかもしれない。
錆をつけておいたのは、部屋に置くしかなく、乾きが悪かった。
今日は、昨日つけられなかったところに錆をつける。
まだ気分が乗っていかない。
1.3(木)
箱根駅伝で、自分らが学生だった頃連覇していた日体大が総合優勝するのを見たりして過ごしていた。
テレビの前ばかりでは時間が勿体無いので、ラジオで聞いたりもしていた。
来客の予定も無いので、漆の作業ができるように机などを戻した。
地研ぎなどをしただけ。充実していたかどうか?
五日連続飲んでいたので、今日は飲まず。
1.1(火)
半月ほど前に比べれば、粉っぽい雪が重い水分を含むのに変わっている。
地デジの方は、昨晩からモザイク模様とか受信できないとの表示。
BSの方は、多少ましだったが、夜間に録画しておいたのは、かなり横線が入っていて駄目。
今朝は全く受信できなくなっていたが、アンテナの表面を拭くと、きれいに入るようになった。
見たいと思う番組はないし、郵便局へ走った以外、何もしていないのと同じ。
部屋を片付けていなければ、漆の作業をするだろうが、机など全て廊下に移動したので、今の状態では何もできない。
専用の作業部屋を持ってないので、座敷を使えるようにするためには、漆を諦めるしかない。
年末は三日連続4合以上飲み続けているが、大丈夫か?と我ながら思ってしまう。
今日は抹茶を立てて飲んでみる。