漆に纏わる話 2014年版

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12月28日(日)

青い空 梢に光る 雪桜
昨朝出勤時、福岡岸度川桜並木を見て、今朝思いつく。
今日は冬には珍しい好天。
渋柿が霜柱と空に映えていた。


生活の方は、9時10時の異常残業も多く、土曜2週続けての出勤。
漆の方は、年内に麻布貼りを終らせるつもりだったが、4枚か5枚まで何とかもってきただけ。
書類の整理もせず、すべてが停滞状態。
収入の無くなる生活を選択できるのだろうか。

11月29日(土)

随分ご無沙汰していたことになる。
残業続きやら土曜出勤やらの後、この前の木曜の10時過ぎの帰宅を除けば、8時前の帰宅もあるようにはなった。
先週の土曜日は列車で富山市へ行き、1時頃にはアートサロン コスモに行き、コンビニで買ったパン。
会場設営に6時20分頃までかかり、野村さんに送ってもらう。
23日(日)は新聞社の取材があるとのことで、列車で行き、9時20分頃には会場に到着。
第27回アミカル展、かなりの盛況。

展示作品が見える画像。
6時半からのオープニングセレモニー。
泊めてもらうことになったお宅で12時頃まで飲む。
高い酒だと二日酔いにならないという経験どおり、全く残らなかった。
一度帰宅し、夕方から片付けに行く。
利着夫君の従兄のYさんが波螺旋文紐胎杯と螺旋文椀を買ってくださる。
波の意味は、螺旋模様が上へ行ったり下へ行ったりしていることだと説明する。
昨晩と今朝は、第27Kタなどを削り、修正をしないようにしたつもりだが、、、?
他の石膏原型にアラビアゴム(離型剤)を塗る。
熱心に作ったつもりでも、あちこちに穴というか、凹みが目立つ。
午後からは、人見知りをするのを慣れさせるため、食べ物を手渡したりすればよいと言ってみたり、、、
暗くなってから、波螺旋文の付近だけ白漆を1分刷毛で塗る。

10月26日(日)

昨日の斜め螺旋の糊漆を先の尖った砥石で空研ぎ。
ドリルであけた穴を下地でふさいだが、漆分が強すぎる気がした。
夕方空研ぎすると、やはり乾き不十分。
空研ぎし、湿り強化。
昼に一緒に昼食を食べるために行ってから、出町方面に出かける。
金曜からやっと天気も回復し、晴れわたっていたので自転車で。
コメリはまだ開店していなかったので、カーマへ。
小さい町に大きいホームセンターが3つになることになるが、成り立つのだろうか?
家からすれば、どれも5キロほどなので、便利とはいえるが、、、
小学生にも追い越されるスピードだったので、サイクリングの感じ。
残る石膏を使いきろうと、また引き箆を作る。
高さ8ミリほどなので、補強に麻布を置いてみたのだが、所々石膏から顔を出している。
浅はかな考えによる失敗だが、そのまま試してみることになるだろう。
まだ石膏が残ったが、この辺で止めておく。
昨日今日と石膏原型を天日干し。
昨日の画像。

10月25日(土)

昨日だけ早めの7時の帰宅、来週からまた残業続きらしい。
生活費的には本業になり、作家的な世界からは仮の姿といわれる。
今週は石膏の仕事を帰宅後11時頃まで続けていた。
定規式引き箆の作品なら、粘土原型は不要だと思うようになる。
ただ昨夜、スッタフの補強をしていないという不安が的中し、中子の粘土を取り出すとき、一ヶ所割れてしまった。
石膏で接着し、欠けた穴や継ぎ目は埋めた。
薄い石膏原型になるので、一回目の石膏かけの時に麻布を置いた方が良いと思うようになる。
形を考えたり、手作り的な作品の場合は、粘土は必須だろう。

今朝、螺旋模様が上下に移動する感じを表現する方法を思いつく。
ブログの方に記述。: 
http://blogs.yahoo.co.jp/u_ru_4/36175973.html
月食の記事もあります。http://blogs.yahoo.co.jp/u_ru_4/36144731.html

だんだん我が強くなりだした感じがする。
89歳上の手を引いて歩き出したり、、、
てろのあったかなだへとみょうちょうしゅっぱつとのことだしのこるみにげんきをと

申請の書類とともに添付する必要のある視野検査の結果も来る。

上段が右目、下段が左目。
右が2011年、左が今年の7月。
黄色部分が、極僅か光を感じる部分を含めた見えるところ。
左のほうが検査の精度が高いし、視点が中心からずれたり、誤差はある。
歪みだした左目のやせ細りが目立つ。
外側限界部分は60度(右)のところもあるし、70度(左)のところもある。
内側(鼻側)は80度から90度近くと損傷は少ない。

10月19日(日)

先週、石膏雌型を壊す時、雄型の一部を壊してしまい、石膏を渡して引き箆を3回ほど引いて直さざるをえなくなった。
雄型の形を修正するため引き箆で狂いを見ることになるのだが、アクリル平面定規に沿わせて何度も石膏を擦っていくと、滑らかな面ができていきながら、もともとの形に近づいていった。
下手の粘土原型しかできないから、こんなことになったのだろう。
安易なことを考える、浅はかな者であるので、粘土原型なんか不要でないのか?と思いつく。
石膏だけで一度に原型ができるかも?との思いつきで、やっと制作意欲が数年ぶりに戻ってきた感じがした。
昨日で、器の蓋と身の、石膏雄型・雌型ができたので、今日から思いつきを試すことにした。
サークルカッターで、丸い形をいくつも切り抜く。
径32ミリから117ミリぐらいまで。

小さめの椀を作るため、径100ミリの型を使うことにし、側面の形を作る。
午後から給油、見舞い。来年夏には勤めをやめようと思うが、生活ができるか?などと話す。
今のままでは、漆ができず、駄目になっていくだけだし、目の事もある。
帰宅後、また出かけるが、どこにいるか見つからず、家の周りをほぼ一周して、日を浴びながら読書しているのを見つける。
帰宅後、石膏原型作りを試す。
厚みは1センチほどは必要なので、それより内側を粘土で埋める。
石膏を掛け、少し締まってから集め、引き箆を引く。3回ほどで形ができる。
石膏が古くなっているので、使い切る必要があるので、別にもう一つ試す。
以前のアクリル平面定規を利用し、引き箆もそれに合う既成のを利用する。
これも割合きれいな感じで石膏原型ができる。
明日以降でないと、安易な思いつきなのか、簡易な方法になるのか、分からない。

昨日は、予約が取れないので、遅めに出かけた。
11時過ぎについて、終わったのが1時40分頃。
歪みを直すための手術の時の退院時以降、舘先生のところへは回されない。
どれぐらい視野があるのかと聞くと、数字ではなかなか言えないとのこと。
外回りに残るところを外周の基準にすると、かなり残っていることになる。
外回りの損傷がないことが前提なので、実際はどうなのか分からない。
中心が損なわれると見えなくなると言われたが、自分の場合は中心だけは残る病気だ。
網膜色素変性症について知識の無い医者に回されても、、、
視野というものは、極僅かしか光を感じられないところも、何の損傷もないところも同じ扱いにある。
白か黒で、病気に応じた扱いは無い。
帰宅後、昼食。
やってくると早速、DVDを見たがる。
動き出したり、線を描いたり、、、

10月13日(月)

昼頃は、多少風が吹いている程度で、小雨も弱かった。
4時頃には雨風が強まり、ひどくなる前に帰ってもらう。
台風19号は今までよりは風が強く、雨はこれからかもしれない。

昨日の石膏で、外側を壊し、雄型を取り出す。
集中していなかったのか、雄型をかなり壊しているのに気付かなかった。
アクリル平面定規を当て、形を合わせ、ガタガタを削る。
削って壊してしまったところも含め、緩めの石膏でつづくり。
直りきらないので、3回する。

昼過ぎにやって来たので、相手をする。
指の爪でクレヨンを削ったり、関心が少しずつ変わっていくようだ。
昨日に続いて机の上を片付けたりしてから、石膏雄型をキング#1000で研ぐ。
まだ凹みや足りないところがあり、またつづくり。
夕方から油土で蓋の原型を作り始める。
なかなか形が決まらず、かなりできたと思うところで石膏を掛ける。

10月12日(日)

11時頃からやっと油土原型作りの継続(再開)。
重力で粘土が暫くすると、へたり込む感じで形が狂ってしまっている。
裏返したり、定規の周りのはみ出しを削りなおしたり、、、
できた感じの後すぐ、石膏を掛ける。
4年ほど前の石膏の所為か、すぐトロリとした感じになってしまい、周りを覆うことができず、平らにしたスプーンで後からぶちかける。
2回目は水分を多めにし、軟らかい石膏で作業。
その後石膏雌型を完成させ、乾かすまで母のところへ。
やはり来てほしいようだったが、、、
家に戻り、油土を取り出したが、最初の石膏がけの失敗がそのまま残っていた。
ひどすぎるところは粘土で埋める。
カリ石鹸をぬり、石膏雄型取り。
その後、机の上の書類を片付ける。

10月11日(土)

今朝は少々二日酔い気味。
三連休の予定なので、その間に申請書類を書いてもらおうと眼科へ行く。
本日休診との旗、入り口に行ってみると、急患と見舞いだけを受け入れるとのこと。
電話で予約しようとしたが、10月中は予約が一杯とのことで、予約なしで10時半頃家をでる。
運転してもらっていたが、昼頃に帰宅。
電話を何度してもつながらないので、来ないのだろうと、粘土原型作りを始める。
粘り気が減っていたので、棒で叩きながら、大雑把な形を作る。
何年か振りに油土を使ってみる。
余り熱中できないし、また電話してもつながらないので、乾漆水指を受け取りに行ってもよいかとTELしてから出かける。
道に迷い庄川の向こう側に行ってしまったりしたが、何とか到着。
修理を頼まれた品が一部パカッと外れかけてきた、、、
艶上げがなかなかできなくなった、、、
日本産漆だけではなかなか難しいことがあるらしい、、、
ピリッとくる漆が元気がある、、、
1時間以上話していたが、暗くなり始める前に帰ることに。
スーパーで買い物をしているうちにかなり暗くなる。
帰宅すると車が止まっていた。
クレヨンで直線を描くのがまとまった感じになっている。
言葉より動かすほうが好きなようだ。

10月10日(金)

火曜日夜、ラジオがつまらなくテレビをつけたのが9時20分頃だった。
ノーベル物理学賞、日本人3人が受賞と伝えていた。
青色 Light Emitting Diode研究関係らしい。
今日の9時のニュースで、平和賞のことを知る。
銃撃されても教育の大切さを訴えるMalalaさん。
世界が動かない限り、長い長い道が続くしかないだろう。

休学中の学生がいすラム酷へ行こうとしたというニュースもあった。
私等の若い頃、40年以上前も、戦争中は幸せだったと発言するものがいた。
生きる指針が与えられていて、生き甲斐を持てたという妄想(夢想)である。
幸せになるために生きているのだと言うのも強い発言だった。
個人的な情緒が第一というのが未熟さを示す。
知りもしないし、何の恨みも無い者を「敵」だと思い込まされて、殺し合いをさせられる現実の中で、「国」やら「清い心」なんていう嘘っぱち(やすくに)が、なぜ力を持ち、生き続けるのか?
生きてきたことが、自分の道を一般化し、肯定するだけという、生の倒錯の意味しかもっていない。
若くても、人生を長く過ごしても、Malalaさんの道の険しさを解決することはできない。
男女でもなく、経済でもなく、人間そのものに基盤を置く世界は、あり得ないとは思わないが、権力志向の強い者が指導的である限り、無限に遠いと思わざるをえない。
美辞麗句を並べる、口達者なものを信じないと言うだけでは、自己満足に過ぎない。
weaponが本や言葉と言う信念を支えられる人間にならねばならない。

水曜日の読売新聞に加藤君の寄稿が載っていた。

「科学的」ということが説明不足だと思う。
浅薄な学習しかしてこなかったので、短絡的に「科学とは再現可能なこと」と反応してしまう。
数字の比較(統計)の意味はどこにあるのだろうか。
捕鯨に反対するものは戦争には寛容な気がする。
自分は正義漢、戦争も相手が悪で自分は正義、単なる自己肯定の世界である。
どんなことであれ、人類にとって悪であることは多々あるが、悪に対応するのが正義だという保証は無い、ということに耐ええない限り、自己肯定の連鎖の中にあるしかない。
被害者面すれば何をしても許されるという甘えを認めてはならない。

10月5日(日)

早朝のゴミ拾いの後、すだれを外す。
雨が降り出す予報でも、砺波市では住民運動会を各地区で開いているようだった。
少しアクリルを削った後、小雨の中出かける。
聞いていた部屋にはいなく、尋ねると部屋を移ったとのこと。
よく分からず消去法で多分と近づくと、気付いてくれたようだ。
丁度そのときキュウィズィーヌが来て、いろいろと話してくれる。
帰るとき、いつものように手を振ってくれた。
ノートなどを買うためにカーマによる。
午後から、そのとき買ったファイルで箱を作る。
何とか盆が入る。
アクリル定規をまた削り始める。
中心に2ミリの穴をあけると、中心線が狂っていたようで、作図と合わない。
アクリル板に直接針で線を描いてから、切り、削り始めたのだから、そんなに狂うはずが無い。
そう考えて、外形を作図に合わせ、中心の位置を決め直す。
中心の穴を丸ヤスリで削り、何とか中心が合う(穴は楕円になったが)。
偶然裏から中心線を引き直していたので、生漆を渡し、黄口朱の粉を摺りこみ、拭き取っておく。
側面を作る定規の形を紙にいくつか描いてみた。
25歳で亡くなったという、母の父が育てていたという十弁の桔梗の内側の蕾を意識している。
細マジックでアクリル板に描き、糸鋸で切る。
替え刃が見つけれなくなって久しいが、一つ折れてしまう。

10月4日(土)

まだ遠いはずの台風の影響らしく、昼頃から冷たい感じの風が吹いてきている。
朝から預かり、DVD、絵、散歩など。
昨晩は図録を買う必要が無いとHPで知り、今日の昼、GalleyJapanが表示されているのを知る。
Gallery Japan (Sunata Masahiro)それに工芸総合情報サイトGallery Japan
やって来たので、一緒に運動会の画像を見ているうちに眠ってしまう。
キャッシュコーナー、買い物、申請書の記入など。
起きた後、相変わらずの旺盛な食欲。
夜少しだけ、アクリル平面定規を削る。

9月28日(日)

昨日は取れてしまった歯を付け直してもらいに行く。
北日本茶会へ出す「乾漆水指」を預けに行き、部屋で1時間主に漆関係の話、帰ろうと外に出てまた1時間ほど主に健康に関する話。
ストレスと睡眠不足が最も悪いとのこと。
平面定規用の作図をしていたら、ラジオで御嶽山の噴火のニュース。4時40分頃だった。
6時過ぎから、地区の人のお通夜に行く。

今朝は地域の防災訓練だったが、正確の時刻を知らなかったので、1時間早く一人で歩き出したことになった。
一度会場まで行き、また地元の地区に戻り、皆と一緒にまた会場まで歩く。
消火器の使用訓練にも参加し、また歩いて家まで戻る。
計7キロ以上は歩いただろうが、散歩みたいなものだから、少し膝が痛くなった程度で気楽だった。
作図をアクリル板にセロテープで固定し、中心と角に当たる点に、針で穴の印をつける。
その点(穴)に1/10定規を当て、針で外形を写す。
糸鋸で外形の線の少し外側を切り始める。
少しして5日振りに顔を合わせる。
多少人見知りをするので、少し元気に動き出すまで時間がかかる。
夕方、雲間から光が差す。

と言っても、ほとんど晴れの日だったが、、、

9月23日(火)

昨日10時過ぎに会社を出たとき、まだ半分以上の人が働いていた。
寝ているかと思っていたが、ジィージ
2合半ほど飲んで寝たのは0時半頃。
二日酔いにはならないと感じていた。
今朝は散歩でまた訪ねる。
お気に入りの部屋へ勝手に行き、遊んでいる。
こんなのが飾ってある部屋。

家に戻り、線を描いたり、DVDに合わせて踊ったり、、、
こちらは近所で不幸があり、その世話の話に出かける。
2時間半ほど後に戻ると、もう少しという感じで、クレヨンで線を描く。

漆の方は盛器をまた研ぎ、リグロインで薄めた生漆を吸わせる。
椀の亀裂のことを反省すると、漆分の補給が大切だと思う。
その亀裂の入った椀は、主に刻苧で埋め直し、やはりリグロインで薄めた生漆を吸わせ、空研ぎ粉を蒔いてみた。
漆は素地の動きに対応できるが、下地はできないから、できるだけ薄くする。
漆塗りの前に充分艶消しをし、剥がれを防ぐ。

9月21日(日)

久し振りにかなりひどい二日酔いの朝。
量的には普通より少なかったと思うが、缶ビールとワインの組み合わせが悪かったのかも。
BSが受信できたりできなかったりするので、パラボラの前の枝を下ろしたりしたが、効果なかったような、、、
昨日も仕事で、ヤスリ研ぎを少々してから、初めての運動会の動画などを見ていた。
11時からのBSでの再放送を見たかったのだが、果たせず。
悪酔いの原因の一つかも。
新聞を見ていると9時からEテレで伝統工芸展の放映とある。
作り方を聞くと大抵フーンと思う程度のことが多いが、ガラスの中に截金をとじこめるというのは驚きだった。
たぶん江里さんと富山ガラス工房での修業をもとに、ガラスと金の融点が近い問題を1000回ほどの実験で解決した事とあわせ、日本初の作品。
ガラスのもつ透過性やカット面を通しての変化など、誰も真似できない上に、多彩な表現の作品が期待できる。
自分の欠陥は漆に専心していないことだと感じた。
89歳差の対面、筆記具による線描きなとに付き合う。
40日ほど続いた同居ももう終るようだ。

漆の方は、盛器の研ぎ(ヤスリや荒砥)と凹み埋めをしているだけの感じ。
新作はまだ始まらない。側面の線を鉛筆で描いては消したり、残したり、、、
夜は寒いくらいになったが、昼はそうでもない。
ヒガンバナ

9月15日(月)

段を上りたがるのに注意しながら、そうさせたりした。
無謀なところがあるので、かなり危なっかしい。
寝転んだり、会報を読んだりと、漆になかなか向かわない。
布が出たところを空研ぎし、下地を薄く付けるなど。
亀裂が入り、削り、昨日生漆を吸わせたところに刻苧。
無料のCADで作図したりしているが、オフセットも一応できるし、線の延長も線分の作図でできるとわかる。
位置の目安の作図に利用するだけ。

9月14日(日)

金曜夜11時頃のNHKテレビでiPS細胞での、加齢黄斑変性患者への手術のことを放映していた。
数年後には網膜色素変性症にも試すということは以前から言われていたが、今回のことで現実味を帯びてきたとはいえそう。
いつみえなくなる?というアリガタイ反応にちんもくせざるをえなかったが、光明が届くかどうか、、、
視野が欠けるということは、近ければ近いほど見落とすということ。
そんなのは理由にならないと得意そうに言う人もいるだろうが、逆にそういう人物が事故を起こしたらどういう言い訳をするか?
攻撃型の人物は、悪いことはすべて他人の所為にしたがる弱虫だから、信用ならない。

自分だけの生活を過ごしてきて、長い間会わなかった(見なかった)人や物事の変化に驚く。
季節の移ろいも早い。
6時前に日の入り。

遅々として進まぬのは漆だけ。
盛器を一応研いで、生漆を吸わせる。

8月31日(日)

昨日午前は勤め。漆は何もせず。
今朝新聞を見ると、札幌で開催されるはずのマラソンのテレビ中継は無いよう。
家の周りを散歩できるよう鎌で草刈。
フリーカットのダイヤシート(ヤスリ)で、既成のヤスリにはない用途のヤスリを作ってみた。
裏に両面テープが付いているので、木片を形に加工して、貼るだけ。

僅かに凹曲面・凸曲面を木片に作り、そこに貼っただけ。
二つの内側に貼る。
椀に合わせて凸曲面を強めに作ったのは、ダイヤシートに弾力性がなく、余り上手くいかなかった。

8月17日(日)

午後から雨が弱まった感じだったので出かける。
チラシの地図を頼りに進むと割合楽に着く。
新湊博物館の「秦豊秋展」
受付がなかなか分からず暫く見回す。
310円を払って第一展示室。
第二展示室の石黒信由関係の展示は、以前から見たいとは思っていた。
文政8年(1825年)に作成した地図が展示してあり、探すと「七社」も載っていた。
第三展示室で「秦豊秋展」
口作りのことをいつも言われていたので、締まり具合などを見る。
静かな雰囲気の作品が並んでいると感じた。
また入り口のところに戻ると地図が展示してあった。
さっき見たのもあり、展示品よりはかなり小さいが800円で砺波郡・射水郡の西半分のを買う。
(三)の標記がついているのは、若林組となっていた。
七社、五社、石名田、水落、道明、柳原など正得の地名。
若林には「砂田」というのもあったらしい。


漆の方は、高台に麻縄を巻く。

8月16日(土)

昨日は来客予定があり、片付けなど。
午後から墓参りかとも思っていたが、雨で中止。
夜は飲みながら、ペリリュー島の中川州男大佐のドラマを見ていたりした。
その二日前にNHKで、アメリカに残されていた実戦フィルムを基にした番組を見ていたので見た、とはいえる。
ドラマは実際の残虐さを表現しきれないし、切腹なんていうありえないはずのシーンもあった。
信長やヒットラーではあるまいしとおもうのだが、、、?
今日は朝から豪雨、昼過ぎに雨が止んだので、墓参り、89歳差の対面などに行く。
お盆休みが始まった14日には、破れていた網戸の張替えをする。
ムサシに買いに行く。
大阪屋にも寄ってから、外から見えにくく、内からは見えやすいというのを台所と茶の間の窓のに使う。
外が銀、内が黒になっていて、黒が見えにくいから錯覚するのかもしれない。

廊下用のが足りなくなり、今度はカーマへ行く。
同じものでも、こちらのほうが安かった!
廊下用には安い製品にし、グラスファイバーのを買う。
左が貼り替え前で、かなり大きな穴がある。

その日は張り替えた意味はあったが、昨日今日は雨が降ったり涼しいと、余り役に立っていない。

漆の方は、盛器の高台をダンボールを型に、麻布を巻いた上から麻紐を巻いて作り始めたところ。
漆椀の内側に亀裂が入り、削り取ったりしている。
こちらの方に記述した。

8月10日(日)

台風11号の接近のニュースを聞いていて、簾を外したりと準備していた。
各地の豪雨も、上陸で水分の補給が弱まることで、勢力は落ちていくとは思っていたが、ここでは風雨とも弱かった。
少し離れたところでは風雨が強いとのニュースだったが、、、

薄く虹も見えた。
7時半頃から風が強くなりだした。

漆の方は、素地がガタガタの盛器を直すべく、下地の箆付けをしている程度。

8月3日(日)

日暮れも早くなったとはいえ、暑さはひいていかない。
昨日は片付けていなかった作品を段ボール箱にしまったり、机の上に2か月分ほどたまっていた書類などを整理。
掃除も含めれば6時間ほどかかった。
今日の午前中は、岸渡川の川切といって、草刈で川の中を移動。
連日の猛暑だったが、熱中症になる人はいなかったようだ。
風呂のあと、昼寝。
ムサシの資材館が別棟で増築されたところへ初めて行ってみる。
大工向けの木材が多くなっている感じがした。
一つだけ目新しいものを見つけたので買う。

内隅を削るのに適したヤスリが無いので困っていたが、このダイヤシートは使えるかも?

クロネコで送ってから、またパソコンを開くこともあるようにはなる。
プログを見ていると動画をアップロードしたとあった。
築地さんYouTube
これからも参考にさせてもらいます。
技術的欠陥というか、欠陥を見落としてしまうというか、何とかしなければ、、、

7月21日(月)

朝5時45分頃見ると、もう乾いていた。
なかなか起きる気にならず、7時40分頃やっと起きる。
朝から静岡炭研ぎを始め、昼過ぎに終える。
2時頃に塗る準備を始め、身・蓋の順に塗り、4時半頃片付け終える。
一昨日は身を塗るのだけに2時間半ほどかかっていたが、慣れたのと、刷毛を軟らかめのにすることで速くなったのだろう。
返しをとりながら、2階の窓から晴れているのを見させたり、、、

魚津あたりは豪雨だったこともあるそうだが、砺波地方は空梅雨気味で過ぎてきている。
湿度計が狂っているのか、60パーセントほどで、朱も素黒目も早めに乾いてしまう。
縮みはどこかに発生してしまう。

7月20日(日)

残業続きの日々は変わらず、12時前後までの漆の作業の後はすぐ寝るという生活。
不眠症は治らない感じで、やっと起きる。
砥石で研いで、朱を塗った後、静岡炭で研ぐとすごい斑模様に剥げてくる。

浄法寺素黒目漆を塗ってみると、余りに汁っぽいので、どの刷毛を使えばよいか、分からなくなる。
軟らかく、薄めの刷毛が適している感じはするが、少し厚い塗りなると、縮みにつながる。
自分の力量以上の作品のようで、塗りこなせない。
一ヶ月ほど前は、漆の正道を行けばよいのにというような話だったが、残る時間が多くはない(出品までのことではない)だろうし、勝手に進む。

昨朝は朱塗りの乾きが悪く、床屋へ行く。
今朝までは雷雨で、ブレーカーがかなり早めに落ちるのは知っていた。
ブレーカーを戻しても水が出ない。
説明書を探し、差し水を2回して、水が出てくるようになる。
二日続けて、午前中は漆の乾くのを待つ感じの日々。

6月28日(土)

今日は支部の漆芸部会研究会。
水曜日は10時まで残業の所為で、午前0時50分頃、木曜は11時30分頃、金曜は11時55分頃まで作業をして、地研ぎというより、地削りに生漆+黒漆を吸わせ、布で拭き取るまでもっていった。
疲れているのかどうかさえ分からない日の連続で、マクロファージの暴走が始まるかも?
工芸会10人と院生4人。
早めに中野先生がおいで、そのまま始まり、作品や図を前にいろいろな話。
漆だけは、自分の技術で全てを表現できる。
3Dプリンターの出現でも残る手仕事を見極める必要がある。
紫外線に弱い漆の展示に関して、三芝硝子がウルトラヴァイオレットカットのガラスをつくれるはず、、、
終って見送りにでると、弱い雨に濡れていた。

高速に乗らずに帰ると、来ていた。
意思表示が言葉ではなくても、かなりできるようになっている。
今日は三つとも咲いたが、ピントが上手くあっていなかったので、昨朝の画像。

6月22日(日)

火曜夜に外側、木曜夜に内側の上塗を強引に進め、金曜夜に蝋色研ぎ。
土曜日に胴擦り(砥石粉+ごま油→三和胴擦り粉+ごま油)、摺り渡し。
今朝、摺り落としをし、昼前にクロスランドへ搬入。
市展の関係で、他の作業が停止状態だった。
乾漆小箱

昨日は、となみ野美術展の開会式。
知り合いの人は余りいなかった。
アミカル展で一緒だった稲塚さんはまず形を見るといっていた。
乾漆水指
一週間前は、こちらの出品の関係で、他の漆の作業は停止状態だった。

今朝の新聞に載っていた。

癌とは聞いていたが、まさかという感じ。
レクサスと・・・とか、去年の書評に載っていた本とか、、、
大台に1cm届かないことで留年したり、、、
部門が違うが、何かの練習で一度だけ一緒に走っている(リレー?)ことがあったが、追い越していくストライドが広い上に回転も速く、論理的に絶対かなわないと感じたことがある。
復帰前に第3志望で入ったとか、、、
ご冥福を祈ります。

今日は午後から、麻紐張りの作業を主にしていた。
この前の思いつきは、何とかなりそうな感じではある。
仕上がるかどうかの問題はあるが、人と同じことをしていても仕方が無い。

6月15日(日)

昨日は朱の蝋色を仕上げる。
身の方は、内側に摺りの拭き切りをするだけのつもりで、1週間前に終えていた。
午前中に側面に生漆が点々と3箇所付いているのに気付き、爪の先で削ってみるも、全く取れない。
#2000のクリスタル砥石でやっと消したが、磨けば蝋色不足になるし、、、
蝋色落としに使っている三和の胴擦り粉だが、胴擦りと書いてあるし、セーム皮でごま油にまぶして磨いてみた。
付近と余り差が感じられないようになったので、摺り渡しを部分的にしておく。

昼過ぎ、KNBラジオで生中継もしていたし、クロスランドのJA関連のところへ行く。
稲葉山牧場のメルヘン牛など。


朝思いついた紐張りの方法をするための用具を作り始めたり、、、
夜、部分的な摺り落としをしてみると、余り分からない感じになってはいたが、、、???

今日は、朝6時から宮の草刈。展覧会に行ってきたという人二人と会う。
紐張りのための準備を続ける。
思いつきだけで、上手くいくかどうかは全く分からない。
父の日ということで賑やかになるが、皆寝ているようで今は静か。
漆の作業の手を止めて、メールが来ていた件で作品画像のアップロードをしたりしている。

6月8日(日)

義姉妹が遠くからやってきて、今日で最後の富山展を見に行ってくれる。
母のところで11時半のニュースを見ていて、会の総裁の薨去を知る。
午前中は晴れていたのに、昼下がりに少し雨。
昼過ぎまで胴擦り、摺り渡し。
午後は寝転んだり、地研ぎ。
夕方に朱を塗ってみたが、期待通りはじいてくれるか?
前回はそのまま乾いてしまった。
車庫前のポスターを「となみ野美術展」に貼りかえる。

6月7日(土)

先週よりは早かったとはいえ、帰りが遅いことは続いていた。
今日は富山支部展の会場当番。
列品解説のための作品の見直しをしたりしていても、余り何もすることが無い。
何か見たような人がいて、足を引きずっている。
近づくと大学の陸上部(羊諦会)の後輩のS君。
奥さんと伴で、デイサービスに預けている間に来たとのこと。
1時少し前に別れ、昼食で美術館の地下の喫茶店にいると、また一緒になる。
人前で話すことに慣れていないので、こちらはかなりプレッシャーを感じてはいた。
一緒に解説するIさんに関しては、誰か分からない状態だったので、昨晩50周年記念誌を見たりしていた。
会費担当の役が終ってから、新しい人のことが分からなくなっている。
大学に入った年に生まれた方で、あちらのほうが背が高かった。
解説は、脱活乾漆と木芯乾漆の話で始め、乾漆が自分も今なお貼り損なう失敗から始まっているのではないかということを話す。
今から2200年から2300年前に中国の漢代に始まっているとの話は割愛してしまった。
定規引き引き箆とか蝋色とかはそれにふさわしい作品のところで話す。
寺とか地元の人も来て、楽といえば楽、来ていらないといえばそうな感じだった。
1時間の予定のところが45分で終ってしまったそうだが、下の喫茶店へ。
後で聞くと、子供とその子が3時過ぎにきていたらしい、。
日本工芸会のHPに富山展の情報が載っていることを話したり、、、
今日見直すと、出品目録に不備があったと気づいたが、どうすべきか・・・?

5月31日(土)

今週も会社を出るのが10時半頃という日もあり、ほとんど何もしない日々。
脚の筋力だけは人並みはずれて強かったはずだが、昼頃には歩行も怪しくなる。
朝から取れてしまった付け歯をセメントで付けてもらいに行く。
少し家にいて、10時半からの、見る・聞く・触る(触れる?)コーナーへ。
木工で刳り物・挽き物・指物を全てこなす林先生、手袋だと反って落としてしまうことがあると、素手で持つようにと品々を回される。
美しいことや使うこと、材(素材ともいいうるだろう)をいかす、、、

技法毎の道具と作品を並べられていて、丁寧な説明が行われた。

疲れが抜けず、昼下がり寝転んでいると子供から電話。
急いで拭き掃除をしているうちにもう到着。
先週は余り喋らなかったが、今日は何やら声を出して機嫌が良さそうだった。
漆はできないだろうと、昨日富山展の受賞作の画像が新聞社から届いたこともあり、自分で受賞作一覧を作ってみることにした。
エクセルとワードの基本操作さえほとんど忘れてしまっている(実際、日常的に使うことは全く無い)ので、どちらで作れば良いかさえ、はっきりしない。
審査員の講評も、縦書きのと横書きのが届いていて、その転換にもかなり手間取る。
結局、エクセルをメインにページを作ったのだが、ワードの挿入法が分からない。
(最後頃、帰宅した子供が、メモ帳を使って楽にできるらしいことをやってくれたが、今は理解不能)
コピーし、縦横変換(ワードでしておいたはずなのにまた縦書きになった)、行が長すぎるとPDF変換で表示されないことを前回の出品目録のとき知ったので、大体の感じで改行を手動で行った。
改ページプレビューなど、全く覚えていないことは子供がしてくれ、PDF変換は上手くいった。
容量など、掲載されるか心配だったが、問題なく掲載された。
公益社団法人 日本工芸会
期限があるのが不満だが、来年の6月頃までは掲載されるようにした。
データは自分で持っているので、いつでも対応はできる。

5月25日(日)

金曜日に日本伝統工芸富山展の開会式。

録画予約してあったニュースの画像を再生中に一時停止。
右上の右から3人目に僅かに映っていたし、左下が作品。
火曜日は搬入、一次鑑査、賛助出品の最終飾りつけ。
木曜日午後は、審査で受賞作が決まった後、地元作品の最終飾りつけ。懇親会。
金曜日午前が開会式の後、審査員の意見を聞く。
そういう訳で、計2日勤めは休んだことになるが、火曜の朝に摺り落としをしていたくらいだから、疲れが抜けない。
昨日は、見る・聞く・触るという初めてのコーナーが開催されたので、高岡市美術館へ行く。
石膏型の形が残るように素地を作っているという話にすごいものだと感心する。
午後は18日ぶりに会うことになったが、こちらは疲れで寝転んでいたり、、、
夜メールを見ると、データが届いていたので、出品目録の作成。
入落決定前のデータの上、変更・文字の欠落・追加が少々あり、かなり手間取る。
所定の保存形式にしてから、日本工芸会のホームページに送ると、すぐ掲載された。
今朝は、朝6時からゴミゼロの運動でゴミ拾いと、かなりの睡眠不足。
午後から研究会があるので、20年ほど前からいろいろ習ったことを記入してあるノートを読む。
3時間半ほどかかっても、余り賢くならないまま、昼食。
解説を聞いてから、研究会。
俄か勉強とは無関係な進行で、ほとんど何も意見を言えなかった。
自分の作品に関しては、昔のノートを読み直したことで、呂色の暈しが中間色を作り、塗ってかかることをしていなかったと分かった。
棗などの薬籠合口のの塗り方も完全に抜けていたと気付いたり、俄か勉強は個人的にのみ役立ったとは言える。

5月18日(日)

漆風呂に湿らせたタオルケットを入れても乾きが悪く、加湿シートに通電しても乾かない。
盛漆は理屈上、生漆に違いないはずなのに2年前のがもう乾かない?
木曜が翌日の午前0時半頃、金曜は11時半頃と、残業の続く中無理をし、昨日も勤め。
肝心の休日に作業停止では話にならない。

水曜日の読売新聞に載っていた。

苧ということから、共に漆と関係あるともいえる。
受賞おめでとうございます。

5月11日(日)

3日の連休頃から風邪をひいていたが、7日頃から徐々に悪化していった。
咳、痰が夜中に何度も止まらなくなり、朝をむかえていた。
不眠症だから、何度もの目覚めとか浅い眠りは気にならないが、症状は疲れさせる。
昨日は、医者によってから行くと電話して、内科へ。
2年ぶりの医院(眼科・内科など)、何も変わりないように感じられたが、歪みにより別の病院を紹介されたとはいえ、自分の方はすごく変わったなどとも全く思わなかった。
一度家に戻り、一通り薬を飲んでから、美術館へ。
1時間程の遅刻になったが、賛助出品関係の作業の途中だった。
咳をするときは後ろ向きにお願いしますなどといわれる。
午後2時半過ぎまでの作業だったが、昼食後だけで5種類の薬のおかげか、かなり楽にはなる。
内科では点滴をしてもよいとも言われたが、高岡へ行く予定があったので、断った。
帰宅後、多分寝転んでいたと思うが、記憶がはっきりしない。
夕方にかけて盛器の外側を研ぎあげ、塗る準備。
粘っていた黒漆にチューブのを足す。
チューブのも数年前のものだろうが、スッート流れ落ちた。
混ぜると粘りが強すぎるので、灯油で軟らかくする。
裏から外脇、端まで塗る。
裏腰のあたりで白漆と暈したが、ろくろのゴム球が古くなったのか吸いつきが弱い。
一度交換したのだが、年に1回か2階しか使わないから、劣化が早いのかもしれない。
途中で諦め、別のゴム球でくっつけ、手回しの暈しにする。
片づけをおえたのは11時50分頃。
すぐ寝たが、薬のおかげか、最初に目覚めた5時55分まで熟睡。
その後30分毎位に目覚め、7時55分頃やっと起きる。
風邪の症状がおさまっているだけで、けだるさは残ったまま。
当然漆は乾いていず、少し加湿しては止めを繰り返し、縮みと黒っぽくなるのを防ごうとする。
午後2時頃に窓から光を当てると、光っていたのが、艶が落ちていた。
それでも眠くなり、横になったりしていた。
4時頃に漆風呂から取り出し、内側のまだ研いでないところを研ぐ。
内側の朱と白の暈しも手回しでする。
塗り終わった暈しは非常にきれいだと思うが、乾いたらそうでもない。

5月5日(月)

3日は帰省した子の運転で高岡市美術展を見に行く。
珍しく?二日酔いでだるかった。
具象的な絵が多く、流れとか色彩の変化を表現している、中学の同級生のは無かった。
午後からは、自分から見ての一族が揃った。
4日は、90歳の母のところに顔を見せに行く。
昼前に皆帰っていき、研ぎを少々して、部分的に白漆を塗る。
寝転んで待っていると、豊田から帰省したM君が来る。
そのままT君の家へ。
紐胎杯を渡す。
自慢話とも自省話ともとれる聞いたりしていた。
この年になったら、人目を気にせず云々、、、but自分にはまだまだ未到の世界があるはずとの焦りがある。
少し意思の疎通で問題があったらしいが、M君の一押しで、遠慮がちな自分もそのままに。
石動で、旧友7人での会食。
市役所前の店へ行き、連絡が取れ、そこで2次会。
オーナーのH君、数十年ぶりの感じで、二人が誰か、教えられるまで気付かなかった。
今日は、酒は残らなかったが、風邪が治らず、目が覚めていても起きる気にならなかった。
名倉砥で研いだり、一部、錆を見直したり、、、
仕上げのイメージが出てこないし、白漆の塗りに、赤口を隅などに塗っては見たが、面白くは無い。
水指の方も、型が見当たらないし、夜、いくつかの縮尺で、中心からの距離を示す線を描いたのを印刷する。

寒い感じのする日々だが、小雨の日、我が家のスズランが少し咲き出していた。

T君の家で、海外旅行をした話を聞いていたが、こちらは北海道さえ、40年以上行っていない。
翻訳家のA君が癌とのメールも来ていた。

4月29日(火)

休みの日は朝から漆の作業を始め、他の用事は後回しにすることにしている。
盛器の内側を砥石で研ぎ、まだ静岡炭での研ぎまで、面や線が出来ていない。
それでも静岡炭で研ぎ重ねると、見えていなかった凹みなどが見えてきた。
ほとんどが錆の研ぎ不足の感じなので、砥石で研ぎ潰しなおす。
小箱も少し研いでいると午後1時頃。
昼食後、白漆を内側から外脇にかけて塗る。
小箱は外に出る場所に塗る。
修理に預かっている椀も塗っておく。
夜見ると、20℃、46%で光ったまま。
今までの黒漆の異常さと違い、乾かなくて当然の湿度。

4月27日(日)

塗っても砥石で研ぐという作業を続けている。
まだまだ穴や凹みを見逃している。
外脇だけは、静岡炭で研げるかもしれないぐらいにはなってきている。
最初に錆を見てから研ぎ始めたのだが、錆を研ぐ場所にはしなかった盛器以外は、乾き不十分でそのままにした。
盛器の外側に黒漆塗り。湿度は40%ほど。

消費税が8パーセントになってから初めて買い物に出かけた。
3月にもらっていた割引券は4月13日頃までだったそうで、わざわざ行く必要が無かったことになる。
キャッシュコーナーに寄ってから、ポリフェノールたっぷりというワインを買う。
二日酔い防止のため?
道路沿いに。
帰宅後、読書をしようとReaderをつけると、液晶画面が壊れていた。
1週間ほど前、抽選にあたったのを利用しようとして3時間ほどかかり、関係ない表示ばかり出てすべてが無駄になり、放り投げた所為かもしれない。

夕方日が傾いた頃、昼過ぎまでの塗りを見ると、もう乾いたいた。
下に湿りをして46%、20℃余り。
余りにも重い水指の身の内側を荒砥で研ぎこむ。
内隅は研ぎきれず、先の丸いヤスリで削り研ぐ。
朝、削り、刻苧で埋めて修理中の椀に切り子地をつけておいたのは乾いていたので、研ぐ。

4月26日(土)

週末にかけて、9時台から7時台の帰宅となった。
感覚が麻痺しているのか、過剰とも思える日々を過ごしていた。
今日は、二日酔いの感じはあったが、朝から研ぎの続き、何度も繰り返している黒漆塗り。
午後1時半頃片付け終わったが、夜の9時過ぎには乾いていた。
46%、20℃での話である。

今の自分が陥っている状態は、新しいものを何も生み出せないというか、思い浮かばない停滞であろう。
残業続きの日々は漆作業の低下の言い訳にはなっても、創作の無さの言い訳にはなりえない。

日本工芸会の、3月31日までのホームページが復活していた。
このホームページのトップページとリンクのページに、リンクを張る。

4月20日(日)

遅い時には10時を過ぎたこともある状態が続いている。
休みの昨日は内側から外脇、今日は外側(裏側)を研いで、黒で中塗り。
昨日はかなり灯油で薄めたが、それでも見付きにひどい縮み。
今日は更に灯油で薄めて塗る。
5時間後の今、17℃(ファンヒーターで部屋を暖房)、48%で、もう乾いている。
10年ほど前の黒漆だが、考えられない乾き具合。

20℃を越える日の後、10℃余りの日が二日続く。
ファンヒーターの前で夕方読書していて、少し眠ってしまう。
月下美人は枯れたかもしれないが、外に出し、赤変した葉を切り落とす。
チューリップも咲く。

4月13日(日)

晴れているのに少し寒い感じの日。
昼少し前に、残り2枚のポスター掲示を頼みに出る。
それ以外は、盛器などの研ぎ、黒での中塗り。
入り隅に入る線に流れというか、つながりに不自然なギゴチナサがあるので、ヤスリや小さい砥石で研ぎ落としてみたが、、、?
10年ほど前の黒漆なので、かなり粘り、塗っている途中に品物が飛んでしまうこともあった。

4月12日(土)

以前よりは減っているとはいえ、相変わらずの残業続き。
NHKでやっていた「人体ミクロの大冒険」だったか?60過ぎと20才頃で免疫細胞の活動の違いを言っていた気がする。
マクロファージが暴走し、糖尿病や動脈硬化を引き起こしているらしい。
同じ高校でも、クラスが一緒だったことは無いから、接点は全くないが、その人の研究室からの出演はあったようで、最後に取材協力に名前が載っていた。
R君からよく話題にされていた。
私の入試の時に世話をしてくれた氷見出身の方が言っていた「M君が一番だったんだってな、あの野球ばかりをしていた子がねぇ」
極端な肉体労働に変わって8年余り、肉体が改造されたのか、免疫力は多分年の割には下がっていない気がする。

細々と漆の仕事を続け、今日の午前中は、錆での修正を研ぐのを主に、黒で中塗り。
午後から第53回日本伝統工芸富山展のポスターの掲示を頼んで回る。
小矢部総合会館、クロスランドおやべ、津沢コミュニティプラザ、工芸き・た・じ・ま
N展に比べて知名度が低い展覧会なので、関連するチラシも置いてくる。
後2枚は、明日回る予定。
家の車庫にポスターを貼っていると、車が来る。
階段を登り始め、成長に驚く。
夜、47パーセントほどの湿度でもう乾いていたのに、錆を見る。
飲んでパソコンと、こちらは全く成長していない。

4月6日(日)

朝、急いで錆を見てから、美術館へ。
早朝は晴れていたのに、途中で雨が降り出した。
道路がぬれているところや余りぬれていないところがあり、降り方も地域によって違うようだ。
総会の資料作りなど。
有料入場者を増やすことができないか、、、

昼食後、昔の高校の敷地の横の桜。
総会の後、担当企業から、伝統工芸品のインターネットサイトの説明。
終った後、向こうからおいで、名刺をもらう。
帰る途中にも雨が降り出したが、戸出あたりからは晴れだす。
帰宅後、ログインに関して送る。
朝の錆を研いで、中塗り。
かなり灯油で緩くして塗る。

4月5日(土)

日本工芸会のホームページが、3月31日に今までのが完全消滅し、4月1日より新しいのが始まる関係で、今週はほぼ毎日パソコンを立ち上げていた。
今までのがなくなるということは、毎週届くメールで一ヶ月ほど前から知っていた。
新しいのに関しても、3月末には見ることができてはいた。
そこに支部展の開催要項を掲載しようとしても、入力されていませんと出るばかり。
本部にメールを出し、何度かやり取りしたが、掲載作業はしてもらうことになった。
マニュアルを読み直すと、このパソコンの設定がかなりガードが固くなっていた所為で送れなくなっていた感じがするが、送れるようになっているかどうか、まだ確かめていない。
他にもいろいろ教えてもらい、担当の役はこなせそうにはなった。

漆の方は、塗ってみて、余りの研ぎのひどさに我ながら驚くくらい。
研ぎこんだつもりでも、錆で補修するしかない感じ。
午前中に、一週間前の反対側に中塗り。
午後は、天気予報が外れ、晴れたので、やっとタイヤ交換。
昨日昼までの暖かさとうって変わり、北風が冷たく通り過ぎていった。
2週間ぶりにステレオ図を考えようとしていると、車の音。
眠いというか、疲れで横になっていると、ちょっかいを出してきたり、、、

3月30日(日)

雨なので中止かと思っていたが、排水路の江浚いはするとの電話。
1時間半ほどで終る。
風呂で温まってから、盛器の地研ぎ。
研いでいると、まだあちこちに穴などが残っているのが見えてくる。
郵便ポスト、キャッシュコーナー、スーパーで買い物。
予想以上に空いていた。
消費税が、5パーセントに3パーセントプラスになることで8パーセントになるのだが、5に比べると3は小さい数字だから、少しだけ上がると錯覚する人もいるようだ。
買いだめに走る人は、大きな店へ走り、普通のスーパーには余り行かないのかも。
落ち葉などで汚れるから木を切るというので、山の中は落ち葉がたまっても木が枯れていくわけではないし、自分の動くところだけを道としてきれいにすればよいのでは、と話す。
地研ぎを再開しているうちに耐えられなくなって横になる。
起きてから研ぎ、中塗り。
漆が粘りすぎていたので、かなりムラムラになる。

3月29日(土)

3月末で今までの日本工芸会のホームページが全て消滅し、4月1日から新しいというか、全く別のホームページが始まるそうだ。
支部展の情報を登録しようとしても、ファイルが入力されていないと出るばかり。

今週はやっと残業が減り始めたとはいえ、今日も一日勤め。
筋肉労働といえる日々と不眠症の併存。
年をとると動かなくなるから睡眠時間は少なくてよいとか、眠くなるまで起きていると言う睡眠制限法とか、もっともらしく解説するが、私には全く当てはまらない。
今日のテレビで、心臓病になりやすいのは頭頂部の毛が薄い、ポッチャリがた、胸毛といっていたが、自分には全く当てはまらない。
昨日は自分の声が耳に響くようになっていた。
コーヒーを飲んで、何とかおさまった。
どんな無理をしても自覚できず、というか知覚できず、それでも心臓疾患にはならないということか?
こう短絡すると、ばかないしゃと同じになってしまう。

3月23日(日)

思い違いかもしれないが、何とか入りのワインを最後に飲むと、二日酔いにならない気がする。
週末にだけ飲むのだが、飲みすぎと自覚しても、大丈夫。
午前中は形つくりと言うか、直しというか、そのためにつけた下地を研ぐ。
小箱は合口の擦り合せをここ3日続けている。
下地の漆分が弱いようなので、灯油とリグロインで薄めた生漆を全体に吸わせる。
その後、少し読書をしてから、ステレオ図を描いてみた。
同じ模様を二つ描けばよいと安易に考えていたのだが、全く立体感が出ない。
本を何度も見直したりしたが、どうすれば良いか見当がつかなかった。
左目と右目で別々に見て、それが一つの像に見えてくると、立体的に見えてくるはず。
こんなのも錯覚を利用していることになるのだろうか?
何かの仕掛けが必要なのだろうが、よく分からない。
ズレというか、近くにおける違いが必要なのではないか?
夕方から、消費税が上がる前の買い物に出かける。
といっても、3箇所で合計3000円ほど。

3月22日(土)

目は覚めていても、なかなか起きる気にならず、8時頃にやっと活動開始。
昼過ぎまで乾漆の作業を少ししただけ。
朝食から3時間ほどなので、そのまま自転車で出かける。
かなりの強風だったが、ほとんど横風の感じで行く。
美術館へ入って見始めると野村さん。
当番とのことで、かなり一緒にいる。
彫刻では、上からの重量を左膝で支えるとして、右腕はそのときどう対応しているかまで考えて制作するような話をしてもらい、勉強になる。
当番とのことの林さんも来て、彫刻刀などの研ぎの話など、、、

帰りは最後の500メートルほどが向かい風で太股がガクガク。
マラソンを走る人がいるというのに情けない話ではあるが、衰えはどうしようもない。
4時半過ぎに帰宅し、昼食。
昼頃までの漆の作業が硬化していたので、少し研いで、また下地で凹みなどの修正。
8時過ぎより、休日の前夜の飲酒というのを開始。
飲み過ぎの感は毎回あるが、メールも確認した。

3月21日(金)

消費税が上がる前の需要だそうだが、長時間の残業が続いている。
昨晩は足の指先が白っぽくなっているのに気付いた。
今朝は血色を回復していた。
春分の日だというのに時々雪混じり。
3日振りに漆の作業を少ししてから、床屋へ。
叔母を見、イトコとエクセルの話などを少々。
2007で、「元に戻す」が無くなった気がし、昨年末頃に左上にあるのに気付くまで、失敗したら最初から作り直していたと話す。
生活上の失敗は数々あるが、視野喪失に起因することも少なくない。
午後からパソコンをつけると、100近いメールが届いていた。
ほとんど見出しだけで即削除だが、いくつかは開く。
18日に帰宅後、昼に電話があったとは聞いていたが、その日付のメールもあった。
高校への出前講座できたそうだ。
40年ほどの歳月が流れているが、こちらからすればマスコミで何回か接しているので、ゴブサタという感じは余りないが、、、
返信し、helix(因みに50年ほど前の現代英英辞典には載ってない)を描いてみたりしていると車の音。
一週間もしないのにもう忘れたのか、今日はよく泣いた。
自分で積み木を積み重ねようとしたり、変化はある。
夜は午前の切り子地の乾きが不十分なので、別のところに切り子地で修正。
後は、休日の前日の通り、飲み続け。

3月16日(日)

風が強く、自転車で行くことを諦めた。
昔は県営プールがあったところにできている駐車場に車を止める。
GEIBUN 5卒業制作展を見る。
日本産漆と思われる甘い香りがしていた。
すっきりした曲線を使った棚やほしやどかりなどが印象的だった。
車をそのまま置いて、青井美術館へ寄る。
完成した感じを受ける。
高岡古城公園を歩いて、高岡大和6Fへ。
すぐには場所が分からず、歩いていくと中から声がかかる。
「野村修三 小品展」彫刻と版画。
「かがわさん」と紹介されたので、「まゆみさん?」というとその通りだった。
奥さんの同僚の方の家族とはインコのことで話が盛り上がっていた。
こちらは相変わらず余り喋ることはない。
1時間半ほどいて、また歩いて戻る。
紅梅はまだちらほらだったが、白梅は咲き初めだった。

歩道橋の階段でさえ辛いほど衰えている。

3月15日(土)

今週は早出の当番でいつもより30分以上前に出発。
重量物の落下を30メートルほどの狭い通路を運び出すのを2回、息も絶え絶え。
昨日は珍しく6:40pm頃仕事をやめ、7時に帰宅。
3日ほど止まっていた漆の作業ができる。
今のところへ行って8年を過ぎたが、精神的にもすっかり駄目になってしまったのは、こういう平日の連続だったからだ。
今日は昼過ぎまで、定規に合わせて研いだり削ったり。
1週間ぶりにやってきて、初のうちはぴったりと寄り添ってきたり、、、
7時頃イトコが牡蠣を持ってきてくれる。
そのまま今も飲み続けている。

まだ読んでいる途中だが、工芸会の会報にkogei(ローマ字)と世界に発信するというのが載っている。
素材、発想を自然に求めるというのが日本独自だということだが、それはそれとしてよしとしよう。
違和感を持つのは、逆に日本人が西洋を本当に理解できているのかということだ。
craftというのはオックスフォードの英語辞典では云々とある。
私はその辞典を持っていないし、英語力も高卒時点を頂点にしている程度で、45年を過ぎているので程度はしれているが、高校の時の辞典は持っている。
The Advanced Learner's Dictionary of Current English(TOKYO KAITAKUSHA 1963)
PREFACEの記述には一応・・・and reprinted photographically by the Oxford University Press from 1948・・・
craftに関しては1 occupation ,esp. one in which skill in the use of the hands is needed
2 (collective)those engaged in such an occupation,organized in a guild or union 3 (pl. unchanged) boat(s),ship(s) 4 cunning; trickery; skill in deceiving
オックスフォードの3番目にoccultという意味が載っているらしいが、私の持っている辞典ではそれは無かった。
ホラー映画云々。
私の持っている辞典でoccultを繰ると 1 hidden: secret; only for those with more than ordinary knowledge 2 supernatural, magical
自分の説を正当化するためにする解釈が羅列されている気がする。
日本が理解されていないと同様、日本人が西洋を理解していると思い込むのも止めにしなければならない。
作家の資質は自分の世界に浸ることができるかどうかで決まる感じがするという点では、どんな説でも唱えられるのは適性を示していると言えるのかもしれないが、、、

3月9日(日)

この2週間にも、帰宅が10時をかなり過ぎる日が一日ずつあった。
8時台に帰宅できれば早いと感じる日々では、ほとんど何も進んでいかない。
先週の日曜は、座敷を片付け、掃除・・・甘酒をだしたり、、、
昨日午後は美術館で実行委員会など。
今日は朝から晴れていたが、夕方から雨、それから雪。
Eテレの白熱教室で虹のを見ていたので、雨が降る前に空を見るつもりだったが、遅かった。
天候も西から変わるはずだから、水滴を後方から照らすことは無かったかも。
紅梅に蕾。
午前中は乾漆盛器の地研ぎ。
午後も続きで、入り隅のところを目測で研いでいたが、後から垂直定規を当てると、斜めにずれている所もあり、研ぎ直したり、、、
小箱の合口合わせは、昨日、蓋を水平にし、身の受けに下地を渡し、地の粉をパラパラと蒔き、蓋を軽く押し付けておいた。
隙間が埋まったというか、ガタガタだけは消えていた。
途中で読書、少々。休憩も。
残りを研いでから、灯油で薄めた生漆を全体に吸わせる。

2月22日(土)

この週も残業続きで、木曜は10時15分、金曜は10時34分の帰宅。
何もできない日々の後、今日は午前中眼科、午後空研ぎ。
夜、高台付近の下地付けなど。
自分を一般化することはできないにしても、一部しか漆では生き残れない現状は変わりない。

昨日の新聞に載っていた。

記事と別の見方をすれば、1970年頃に石油の埋蔵が分かってからの領土との主張以前に存在を意識していたとは言える。
茶道は日本の文化というのと、漆もそうだということの間を自分でどう埋めればよいのかさっぱり分からない。
地球の自然素材をそのまま使うという点は、目に見えないとしても、大きな優越といえる。
目先の利便性ではなく、長い視点という意味で、文化とは言えるだろう。
今日もテレビ(ソチオリンピック)で消えていきそう。

2月16日(日)

雪国といわれる当地は、昨日の雨で僅かの積雪のみになる。
東日本では、一度の降雪で言えばこちらであっても大雪といえるほどで、大変な状況。
勤め先は相変わらず残業続き、その上、風邪を引いて数日。
早めに寝て休養しようにも、何もしなくても無理な感じさえする。
少しずつ続けていた漆の作業は、今夜、裏底の高台の内脇と底に一枚の麻布を貼る。

まず裏底まで貼り、次に内脇を糊漆で押さえ、最後に底(端)から外へ曲げこむように貼り終える。
高台底が縄なので幅に少し差があるし、高さ自体も狂っているだろう。

2月9日(日)

母にもらった亜麻縫糸に撚りをいれて作った縄を繋いで長くすることは、以前から課題だった。
2本の紐を右回りで100回撚りを入れ、その中央で半分に折り返す感じにし、左回りで30回ほど撚りを入れ、縄にする。
先になるところはきれいだが、手回しドリル側がきれいにならない。
そのきれいにならないところを少しほぐし、別に作った縄の先がきれいなところに縛る。
その繋ぎが太くなったり、連続した縄に見えないから、どうすれば良いか分からなかった。
縛り方を固結びから小柴結びにし、残りを縄目に逆目に縫い戻す感じで縄と一体化させてみた。
引っ張っても外れなくなり、何とか使えそうになる。
高台の型に厚紙を7枚ほどサークルカッターで切り重ねてみた。
昨日、麻布を貼り、その周りに縄を巻いた。

今日は切り子地で縄目埋めと接着の補強をする。

90を過ぎて現代語訳の源氏物語を読み始めている母が読んでみないかと「9つの性格」という本を貸してくれる。
二階のコタツで暫く読む。
生まれつきのを知り、それを活かすように生きていくというようなことが書いてあるようだ。
平日は全く読書しないから、何時までかかることか、、、

2月2日(日)

土曜日も仕事になった所為で早めに終った金曜日を除けば、連日9時過ぎまで残業という日々。
8年前に行き始めた頃のような事態だが、負けていられないと帰宅後、少しでもと漆の作業をしていた。
6時間ほどの睡眠を続けて、かなり弱まったが、金曜夜に8時間ほど寝ていて、何とか回復。
この1週間も、連日浅い眠り。
突然の話だったので、昨日は半日で帰る。
今日の朝、飾を持っておいでるというので、座敷を丁寧に掃除。
3週間ぶりに来たが、少し遠ざかった感じがした。
夜は飲んでから漆の作業(下地付け)。
在宅時のみ500Wの投光機で熱処理(サーモスタットで、熱源から離れたところで37度ほど設定)していたのも、下地付けの続きをする。
その後また飲んでテレビを見ていると、Eテレで放射能汚染のをやっていた。
「安全」も、政治が決めるのは、今もって変わらない。
個々の人間は必要ないというのも変わらない。

今日は持っておいで、飾りつけ。
主役?は、全く関心を示さないで、何か小さいものに目をつけ、狙うような、、、
キャッシュコーナーへ行くなど。
急須のつまみが取れたというので、漆でくっつけてみることにして、預かってくる。
2fで少し読書と休息。
摘みの内に穴があいていたので、糊漆を入れて麻紐を差し込む。
接着予定のところに黒漆を竹ひごでで渡し、漆風呂に置く。

その間下地付けをし、まだ乾き不十分な気がしたが、何度か息を吹きかけると少し白くなった気がしたので、くっつけてしまう。

1月26日(日)

石膏雌型の内脇に何枚にも切り分けた麻布を貼る。
雄型に下地付け。
下地がほとんどなくなったので、錆を合わせ、小箱の素地につける。
刷毛洗いの不足で固まりかけていた刷毛を下地付けに使っていたが、固まりすぎたので、切り出し直す。
叩いてから、石鹸を刷毛先につけ、掌で洗い、ゴミを出す。
掌とか指の間で洗うと、刷毛先の様子が伝わるので、楽である。

余りにも読書をしない生活が続いていたので、2階の炬燵で少し読む。
小説かと読み出したのだが、北杜夫と三島などとの交流の話だった。
作家というものは生意気でないとつとまらない、、、シットもある、、、
話の筋だけの感動ではなく、表現者は言語で深みをも書くべきである(ような?)、、、
暗くなったし、予想外に眠くもならず、下に下りる。
米と小麦の粉を煮て糊を作り、生漆を少しずつ足しながら、糊漆を作る。
ラップに包んで保管。桶だと皮が張り、固まりを取り除くのが面倒なので。
別の刷毛2本も先を作り、少しだけ叩いたところまで。

1月25日(土)

午後から約2週間留守だったパソコンを受け取りに行く。
en vain
今週は火・水が10時半頃、木は9時半頃、金は8時20分頃の帰宅という勤め。
普通なら疲れで熟睡ということになるのだろうが、不眠症の身では、寝つきも悪く、浅い眠り。
午後から、ずっと会えないらしいこともあり、炬燵で東海支部の会報を読んでいたが、眠くなってもウツラウツラするだけ。
天神様をしまう。

1月12日(日)

始まってしまえば、休みが続いたことも忘れてしまう。
9時を過ぎる帰宅が二日、過ぎないだけの日もあり、自宅での漆の作業は少なくならざるをえない。
昨日今日と麻布を貼れるところに貼っただけ。

昨日は、掌にドウゾと積み木を置いたのに、アリガトウと手を少し上げると、チガウというのを伝えてきた。
掌を動かさずにそのままにしておくと、ウンウンというかんじ。
こんなこととは別にしても、普通に対応を続けても、記憶には残らない。
逆に虐待をすれば、無意識的に潜在的に残る傷を作る。
1歳8ヶ月で父親を亡くした、今90歳の母にしても、世界は記憶の始まる時点からしかない。
人間て複雑だなと思うし、脳の動きを解明できるという学者の頭脳の低劣さというか、無意味さを思うだけだ。
人を見てどんな人間か分かると、何の恥じらいも無く言う職業人の、無能的傲慢さを思うだけだ。
できていると空想する解明によって、実際に生きる個々人は存在することが必要無いことになるとでも言うようだ。
今の経済社会に個々人の人生が必要ないというように。

今日は午後から高岡へ漆器を包む布を買いに行く。
雨がちで、鍋祭もあるし、高岡駅周辺が解体作業中で、待ち合わせが上手くいかず。
携帯電話を持たないし、電話番号メモも無く、どうしようもなく、列車で帰ろうかと行くと、会える。
今晩も飲む。
明日からまたパソコンの修理でアナログ生活に戻る。

1月5日(日)

昨年10月末、平成6年正倉院展図録で、筑後国正税帳に漆の草書体のようなのが頻出するのが不思議だった。
続いて出ていた豊後国戸籍で、漆(草書体のような)の後に、歳がついているところがあり、初めて数字だと気付いた。
一、二、三までは、香典帳をつけるときに、後から数字の変更ができないように、少し複雑な形で書くのは知っていたが、それ以外はの他は知らなかった。
正倉院の時代でも、ふつうは一、二、三と書いてある。
が六を意味するのは、中に六の形が含まれるからといえる。
筑後国正税帳の文字で、一から十までを集め、ほぼ順に並べて馬の形を作ってみた。

平螺鈿背八花鏡の付箋に漆の字がある。七が含まれている。

増村先生の年賀状にはこうあった。

1月3日(金)

正月に部屋を空けるため片付けていた作業机や風呂を、今夕戻す。
今までと少しだけ変える。
3枚目の麻布貼りで、古い蚊帳を使う。

昨日は遅ればせながら地元の神社へ。
今日は、珍しく好天で、倶利伽羅不動尊へ行く。
真言宗の五鈷杵があった。

年末から賑やかになったが、飲み続けでもあった。
昨日今日と飲んでない。

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