厚生労働省社会・援護局
業務課調査資料室
先般、ご請求のありました、故大谷辰男様に係る「平成17年ロシア政
府から受領した旧ソ連邦抑留中死亡者に関する個人資料
」・・・

ほとんどロシア語の筆記体の資料だが、見ているうちに数字が順に変っていることに気付いた。
左の数字が日付で、右のXが月、10月だと見当がつき、日数を確かめると、31日まで続いていた。
後からの話だが、母はXとかXIとかを見て、昔の時計の文字盤と同じだと気付いたし、妻は38.9を体温だと気付いた。
10月18日から記録が残るということは、1946年のその日に入院となったものと思われる。

10月24日に最初の日本語の記述が出てきている。
なかなか読み取れず、推定しているところが多い。
ほとんど同じ内容の資料が二つあるので、両方をコピーし、比較したり、別の場所のと比較したりして、類推して日本語を読み取ろうとした。


一般状態、良好ナラズ。脈搏?調。食思普通栄養良好ナラズ。

目実的???訴へズ 心思正常 心???肺野一般ニ?老ヲ認メズ。腹部ハ平?ナルニ、

???下腹部ニ圧痛ヲ訴フ。便通1日3行

軟便ナルモ粘???ヲ混入シタリ。

         ノ寺山  (二つを比較して。一方にしかない記述も)

10月26日に日本語の記述

咳嗽少々アリ。

食思普通。便数1日3行 羸痩ス。

眼眸結膜ヤヤ変(?)色ヲ帯ブ。口腔粘膜

蒼白ナラズ。胸部心量正常。心音純。

数正常。肺野打診上著変変ナシ。

聴診上両側共下部呼吸気延長アリ。

腹部正常。膨隆 左脚?部ニ軽度

右(?)痛アリ。肝臓フレズ。

1947年
1月6日  1月7日
(この資料は、同じ記述の別の資料がない)


咳嗽。喀痰少々アッ(?)タト

便1日???3行。食????

羸痩ス。眼瞼結膜貧血様アラズ。

胸部著変ナシ。心臓著変ナシ。

肺部左側打診上短ナリ、聴診上

水泡音聴取?。右側、?性??聴取ス。

腹部、?、圧痛ナシ。

2月15日・16日日本語による最後の記述

自覚症変リナシ

羸痩著明。口腔粘膜蒼白ナリ

胸部聴診上呼吸音鉱響性アリ

腹部軟。正常膨隆ナリ

3月3日に体温の記録が35.8で終わっている。
38度を超える高温が続いた後、亡くなる数日前は35度台になったり、、、
14/00が、3月4日に確認された時刻かもしれない。

日本語による記録の一部をコピーした。
捕虜の軍医が行った診察を記録したものと思われる。
埋葬墓地の番号まで記録が残されていたということは、戦勝国の故かもしれない。
同国人の多数も収容し、同じような扱いをしたわけだが、記録はどうなっているのだろう?

大谷辰男伯父さんの記録

砂田正博の乾漆(漆芸)

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